第3話(後編)「土地は分けても」
それから数日後。
今度は、老人が一人で相談窓口へ現れた。
相川が小さく秋月へ耳打ちする。
「来ましたよ。“先祖代々の土地”のおじいちゃん」
「お前なぁ……」
秋月は苦笑しながら席を立った。
老人は、静かに椅子へ座った。
「この前は悪かったな」
秋月は首を振る。
「いえ」
老人は、しばらく窓の外を見ていた。
「わしの家はな」
ぽつりと話し始める。
「戦争から帰ってきた親父が、必死で守った土地なんじゃ」
秋月は黙って聞いていた。
「台風で田んぼが駄目になった年もあった」
「借金しか残らんかった時もあった」
「それでも、土地だけは手放さんかった」
老人の手は、大きく節くれていた。
土を触って生きてきた手だった。
「じゃけぇ、分けるっちゅうのが……どうにも嫌でな」
秋月は静かに言った。
「お孫さんは、その土地を守りたいと思っておられますよ」
老人は黙る。
「近くに住みたいとも言っていました」
「お祖父さんの気持ちを、大事にしたいと」
老人は、ゆっくり目を閉じた。
「……あいつは、優しすぎる」
ぽつりと漏らした声は、少しだけ寂しそうだった。
一週間後。
秋月の携帯電話が鳴った。
尾方だった。
「秋月さん、分筆することになりました」
「そうか」
「いやぁ、何があったか分からないんですけどね」
尾方は笑った。
「突然、“孫が住むならええ”って」
秋月は窓の外を見た。
「そうか」
「でも、あのおじいちゃん、最後に言ってましたよ」
尾方が少し笑う。
「“土地は分けても、家族まで分かれるわけじゃない”って」
秋月は、小さく目を細めた。
それから数か月後。
水谷家では、柱建ての日を迎えていた。
青空の下。
新しい木の香りが漂っている。
秋月は、なぜか相川まで連れて来てしまっていた。
「いやー、まさか本当に餅まきするとは思いませんでした!」
相川は楽しそうに周囲を見回している。
「この辺では普通なんですか?」
「昔は、よくあったんだろうな」
近所の子供たちが、すでに集まっていた。
やがて。
二階部分から餅がまかれる。
「うわっ!」
「こっち来た!」
相川は子供たちに混ざって、本気で餅を拾い始めた。
「待って待って! それ私の!」
「大人気ないぞ」
秋月は苦笑した。
その時。
拓海が近づいてきた。
「秋月さん」
「ありがとうございました」
拓海は深く頭を下げる。
「じいちゃん、最近すごく嬉しそうなんです」
少し離れた場所で、老人が静かに上棟を見上げている。
その横顔は、最初に会った時より少し柔らかく見えた。
「家って、不思議ですね」
拓海は笑った。
「建てる前より、建て始めてからの方が家族の話をするようになりました」
秋月は、小さくうなずいた。
その時。
「秋月さーん!」
相川が餅を抱えながら走ってきた。
「めちゃくちゃ取れました!」
秋月は、その袋を見て言った。
「その餅に百円玉が入ってたら、金持ちになれるらしいぞ」
相川の目が一瞬で輝く。
「えっ! 本当ですか!?」
「さあな」
「ちょっと! そういうの先に言ってくださいよ!」
相川は再び子供たちの中へ走っていった。
その姿を見ながら、尾方が笑う。
「相変わらず賑やかですねぇ」
秋月は、建ち始めた家を見上げた。
柱の向こうに、青い空が広がっている。
先祖から受け継いだ土地の上に、新しい暮らしが始まろうとしていた。
風が吹く。
餅を拾う子供たちの声が、遠くまで響いていた。




