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00_序章

――この日を起点にすべての運命が狂い始めた。


 アルカディア王国最果ての地、第七セクター。


そこは今、数万を超える魔物の群れによって、文字通りの地獄と化していた。


「もうだめだ……終わりだ……」

「このままでは、もう……」

「死にたくない……っ!」


 無差別に食い散らかされる同僚たちを間近に、防衛隊の兵士たちは絶望に瞳を濁らせる。


 彼らはただ、崩壊していく外壁を呆然と見上げることしかできなかった。


 人類の希望だった防塞が、無残にも黒い波に飲み込まれようとしたその瞬間――。


 空から、一輪の白亜の桜が舞い落ちた。


『舞え、氷華』


 つま先をチョン、と地面につける。

 たったそれだけの動作だった。


 刹那、地を這う氷の結晶が、荒れ狂う魔物の群れをその咆哮ごと凍りつかせた。


 数万の命が、一瞬にして物言わぬ氷像へと変わり、砕け散る。


 先ほどまで戦場を支配していた喧騒が嘘のように消え、世界が凍りついたかのような「静寂」が訪れた。


「あ、あのお方は……七大執政の一人、第七席「暗黙の白姫」様だ!」

「暗黙の白姫様が来てくださったぞ!」

「救世主だ……まさに、神のお使いだ!」


 戦場の最前線にふわりと降り立ったのは、深いフードを目深に被り、素顔を隠した少女。


 だが、その背に揺れる「第七席」の紋章が、彼女が王国最強の一角であることを証明していた。


 七大執政が第七席、『暗黙の白姫』。


 神業に近い圧倒的な武の体現により、彼女はたった一人で地獄を塗り替えてみせた。


 兵士たちが歓喜の声を上げるが、彼女は一瞥もしない。


 そして無言のまま、常人には目で追えぬ速度で上空へと駆け上がり、姿を消した。



 高速で空を駆ける彼女の耳元で、王室専用の緊急通信機が震える。


『……桜夜! 桜夜っ! 聞こえるか!?』


 発信者は、この国の若き国王であり、彼女の幼馴染でもあるイヴ。


 その声は、かつてないほどに震えていた。


「……イヴ? なにかありま――」

『落ち着いて聞くんだ……! たった今、君たち七大執政の生命危機を知らせるアラートが、ボクの端末で鳴った……』

「っ!? まさか、それを私に伝えるということは……」

『第一席が……遥が……っ!』


 心臓が、跳ねた。


 世界最強と謳われた師、月乃遥つきの はるか


 桜夜にとって母も同然の存在が――まさか、あり得ない。


 桜夜は返事もせず、さらに加速して跳躍した。


 七大執政の中でも最速を誇る彼女が目にしたのは、無残に破壊された拠点と、その中心で血の海に沈む「第一席・聖光の聖女」の姿だった。


「……遥、さん……?」


 駆け寄った桜夜の手が、冷たくなり始めた体に触れる。


「そ、そんな……遥さん……!」


 致命傷だ。


 王国の最高戦力が、これほどまでの深手を負わされるなど、正気の沙汰ではない。


「……ぁ……っ」


 光を失った両目で、遥は必死に何かを伝えようとしていた。


 しかし、思うように声が出ない。急速に生気が失われていく。


「喋らないでください! 今、すぐに王宮へ――」


 桜夜は奥歯を噛み締めた。

 まだ間に合う。


 一刻を争う事態に、彼女の脳裏に「禁忌」の術式が浮かび上がる。


「……『フルスロットル』、解!」


 その瞬間、桜夜の全身をどす黒い稲妻が駆け抜けた。


 この世で己のみが持つ「魔術」回路を、己の命そのものを燃料として燃焼させ、理を超えた出力を強制的に引き出す自戒の禁じ手。


「が、ぁあああああっ!」


 口から鮮血が溢れる。


 視界が赤く染まり、骨を削るような激痛が走るが、桜夜は止まらない。


 彼女は遥を抱きかかえると、空間そのものを踏みつけるような速度で、王宮へと跳んだ。



 王宮の隠し病棟。


 倒れ込むように遥を運び込んだ桜夜もまた、満身創痍だった。


 国王イヴは直属の医師たちを総出で治療にあたらせたが、その静寂はあまりに長く、冷酷だった。


 やがて処置室から出てきたイヴが、無言のまま桜夜の前に立った。


「……嘘、だと言ってください……!」


 桜夜の震える声に、イヴは答えず、ただ彼女を強く抱きしめた。


 その体温だけが、無情な「答え」だった。


 絶望と、体を極限まで酷使した反動により、彼女は声にならない叫びを上げて意識を手放した。


――その日、王国の「光」が消えた。


 数日後に目覚めた桜夜は、氷のように冷え切った心で、イヴから衝撃の事実を告げられる。


「遥は、暗殺された」


 それは、桜夜もうすうす感じていたことだった。


 最強の遥が、魔物ごときに遅れをとるはずがない。


 致命傷となった心臓への刺し傷。


 そして、巧妙に遮断された魔導力回路の跡。


 魔物は人間の魔導力を食らうため、わざわざ回路を断つような器用な真似はしない。


 結論は、一つ。


「桜夜。……七大執政の中に、裏切り者がいるかもしれない」


 冷たい雨が降る王都の空を見上げ、桜夜は無言を貫く。


「国王として、この国になくてはならない最強の七人を疑いたくはない。しかし、この国……あるいはこの世界を陥れようとしている者がいる。遥を狙い亡き者にしたのはその証明だ……そして、その力は遥の「一人娘」に受け継がれている」

「……」

「キミと遥の関係性を知っているのはボクだけだ。だからこそキミにしかこの任務は託せない。……第七席、暗黙の白姫に命じる。第一席を殺した犯人を探し出せ。そして、命の危険が迫っている遥の「一人娘」、月乃乙羽つきのおとはを守り抜け」


 涙さえ枯れ果てた瞳の奥で、彼女は静かに「復讐」と「死守」の熱い決意を固めた。

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