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5、本日開店です【1】

 三日月湖畔で琴音が暮らしはじめて一週間。今日から月光食堂は開店だ。


「おはよう、えーと飴山さん?」


 いつもは清楚な音を立てるウィンドチャイムが、カランカランと派手に鳴る。

 キャップのつばに土がつき、首にタオルを巻いた女性が木の箱をどん、と床に置いた。


「お、おはようございます。はい、飴山琴音です」


 肩より長い黒髪をポニーテールにした琴音が、キッチンから顔を出す。木綿のTシャツと、動きやすいようにスカートではなく、足首が見えるクロップドパンツをはいている。


「あー、じゃあ飴山ちゃんだ。あたしは知夏って呼んで」


 知夏はウィンクをした。ちょっと下手で、口角もついでに持ちあがっている。

 がっしりとした体格の知夏は農家さんで「イダ・ファーム」を経営している。野菜だけではなく平飼いの鶏の卵も販売している。


 ウィリディタス修道院からはハーブを分けてもらっている。

 イダ・ファームは以前から療養院の入院患者用と月光食堂用の野菜と卵を卸していたので、お願いすることにした。

 米に小麦粉、肉や魚、乳製品も別にすでに仕入れている。


 歩いていける距離に市場もスーパーもないのだから、足りないものがあっても自分で買いに行くわけにもいかない。

 なので開店準備の合間に、琴音は保存食を仕込んでいた。


「いやぁ、でもよかったよ。再開してくれて。ほら、この食堂が閉店している間ってさ、患者さんのお見舞いや通院の人が食事できる場所がなかったんだよね」

「確かに売店となると療養院の中しかありませんから。食事もパンがメインになりますね」


 療養院を訪れた琴音はびっくりしたのだが。売店が小さい、そしてすぐに売り切れてしまう菓子パンと総菜パン、他にはスナック、そしてお茶とジュースが置いてあるばかりだ。


 修道院が経営しているので仕方がないのかもしれないが。売店の一部をマリア像やロザリオが占めている。


『あらー、琴音ちゃん。頑張ってね』と療養院気軽に声をかけてくれるシスターに、マリア像よりも食品を置いた方が……とは、なかなか提案できない。


「じゃ、あたしはこれで」


 続く言葉を発しようとした知夏の口元を、琴音は凝視してしまった。


「え? なに? なんかついてる?」と、知夏が軍手を脱いで唇に触れる。


「すみません。何でもないんです」

「やぁねぇ、変なの。じゃあ、また明日来るわ」


 知夏はキャップを目深にかぶり直した。

 琴音は正直ほっとした。「また明日」別れ際の言葉は、それがいい。


 ◇◇◇


 知夏の後にやって来たのはパン屋さんだった。療養院の売店に並んでいるメーカーのパンではない。店舗で生地を発酵させた焼きたてのパンを売っている。


『総菜パンを作れば売れると分かってるんですけどねぇ。うちの妻が職人肌で、そういうの作りたがらないんですよ』


 全粒粉を使用したパン・ド・カンパーニュを持ってきてくれた男性は苦笑していた。


「今日のランチは、えーっと」


 琴音は知夏が持ってきてくれた木箱に手を入れた。しっかりと重く、緑の濃いズッキーニ。茄子もつやつやでヘタの部分に棘があるほど新鮮だ。


「朝どれ野菜って聞いたことがあるけど。すごいわ」


 トマトも赤が濃い上に、スターマークといわれる放射状の線が均一だ。これは甘みと旨みが強い証らしい。

 ちょうど旬なのでトマトは大量にある。サラダにしてもいいが、とても使いきれそうにない。


 月光食堂のお客さまは図書館の利用者でもある。基本的には療養院に通院している人やお見舞いに来た人がメインなので、混雑することはないそうだ。


 小エビとたっぷりの夏野菜。そしてパン・ド・カンパーニュ。卵もある。


「そうだ」


 琴音は紙とペンを取り出した。さらさらと宵闇色のインクが今日のランチメニューを書きだした。


 メニューが決まれば、さっそく料理に取りかからねば。壁掛けの時計を見ると九時半だ。開店は十一時半の予定、本日の予約は二十人だ。


「制限時間は二時間です。数は二十皿。素材重視だからこそ、盛り付けに気を遣ってください」


 自分に命令を出しながら、琴音はラベンダー色のエプロンの紐を結んだ。


 野菜を切る間にオーブンを予熱する。よく研いだ包丁なので、トマトもズッキーニもとても薄く切れる。


 黒く見えるほどに紫の濃い茄子を切る時、刃に抵抗を感じた。その後はすっと柔らかい実に包丁が入る。中から現れるのは、目にも眩しい白さだ。どの野菜も五ミリの輪切りで揃えていく。


「えっとオーブンで焼くから、水じゃない方がいいかな」


 琴音は茄子に塩を振った。茄子のアク抜きは水にさらすことが多いが、それだと料理が水っぽくなる。かといってアク抜きをしないと渋みが出るし、色も悪くなる。

 塩を振ってしばらく放置し、出てきた水分をペーパータオルで拭えばアクを取ることができる。


「温度は確か215度」


 子供の頃からシスターのお手伝いをしている時に、料理は覚えた。

 修道院で使っていたオーブンほど大きくはないが、どちらもガスオーブンだ。もっとも高原の食堂は都市ガスではなく、プロパンガス。契約会社が配送や交換をしてくれるらしい。


 耐熱皿に野菜を並べ、塩を振ってオリーブオイルをまわしかける。そこにハーブのタイムをちぎって散らし、オーブンに入れる。

 琴音の指には、タイムのすっと涼しい匂いが残った。


「よし、これで一品は大丈夫。焼き時間は四十五分だから、うん、間に合うわ」


 野菜を薄く切るのに手間取ったが、大丈夫そうだ。

 オーブンで焼いている間に、小エビを少量のお湯で蒸す。茹でると大量のお湯を沸かすのに時間もかかるし、旨みが逃げてしまうからだ。


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