4、月灯り図書館【2】
食堂の二階が琴音の住居。透真は月灯り図書館の側にある家に住んでいるらしい。図書館へは森の道を少し歩く。時間にして一分にも満たないが、夏の森は緑色の数がこんなにも多いのかと、琴音は木々の枝を見上げた。
標高が高いから、ふだんは目にしない白樺の樹が目立つ。それに落葉松も。木々の葉はエメラルドグリーンにミント色。土の道の両端に繁る草は瑞々しいサマーグリーンだ。
鶯が鳴き交わす声が聞こえた。夏なのに? と小首を傾げる琴音の隣で透真が立ちどまる。
「俳句の季語でいうところの夏鶯ですよ。鶯は春は人里に下り、夏は山で営巣しますね。ここは高原ですが森があるので、鶯もいるようです」
琴音の考えを読んだかのように、透真が説明してくれた。
「初めて聞きました。確かに変ですよね、鶯だって春以外も鳴きますよね」
「いわゆる『ホーホケキョ』というさえずりは求愛の、『ケキョケキョ』と短く繰り返す谷渡りは警戒音と言われています」
透真の低い声に、軽やかな夏鶯や郭公の声が重なっている。
「森は静かなんだと思っていました」
「確かに静かなイメージがありますね。虫もかなり賑やかですよ。夜には鹿も鳴いたりしますしね」
「鹿もいるんですか?」
鹿は奈良公園にいるものだと思っていた。
「狸も狐もいますね。だから森の奥へは入らないようにしてください。熊はいないようですが、イノシシが危険なんです」
「……そうなんですか」
琴音は顔をひきつらせた。美しい湖と森に浮かれていたが、確かに人工的につくられたリゾート地ではないのだ。
「大丈夫ですよ。私も図書館の二階で暮らしていますし、夜間に外に出なければ問題はありません」
「わたしは高原や森なんて、学校の遠足でしか訪れたことがありません。だから、イメージだけで考えてしまって恥ずかしいです」
「恥ずかしくなんてないですよ」
透真はすぐに応じてくれた。透真の髪や顔で木洩れ日がちらちらと踊っている。
もし自分がアンだったら夏の葉のトンネルと、静謐な湖に名前を付けただろうに。
琴音は前を行く透真の背中を見つめた。
森の道から図書館は見えていたが、近づいてもやはり小さい。はちみつ色の石壁に、窓枠は焦げ茶色で窓自体も小さい。
「本は光を嫌いますからね。色あせなどの劣化につながるんです」
なるほど、だから食堂と窓の大きさが違うのか。琴音はうなずいた。
軋んだ音を立てて扉が開かれる。古書店に似た匂いが琴音の鼻をかすめた。
背もたれのない円形のソファーを囲んで、カーブを描いた書棚がある。低めの棚で絵本や児童書が並んでいることから、子供向けと分かった。
壁際には本が分類されている棚がある。
「こちらが日本の小説ですね。91の棚は日本文学で、さらに3がつくと小説や物語となります」
書架に張られた数字を透真が示した。どうやら9類というのが文学の区分らしい。
「英米の小説でしたらあちら……933の棚となります。日本十進分類法に基づいて分類しているんです」
確かに日本の小説の数に比べれば、翻訳小説は少なそうだ。琴音は書架を眺めながら進んだ。
「中国の小説は多いんですね」
琴音は923の数字の前で止まった。9類の次の綱目2は中国を表すようだ。
「ドラマの原作もありますし、入院なさっている方のリクエストも多いので購入しているんですよ」
「どうぞ」と手渡された分厚い小説の表紙を琴音は見つめた。
なんと美麗な。琴音は息を呑んだ。
黒髪の長髪の青年二人が見つめ合うような、そうでもないような。寄り添うようなそうでもないような。微妙な距離感でありながら、互いに意識をしているのが伝わってくる絵が描かれている。
ぱらぱらとめくると分厚い上に二段組で文字がびっしりだ。当然のことながら漢字も多い。なのに入院患者によく借りられているのだろう。うっすらと消毒薬の匂いがした。
「シスター方には内緒ですよ」
ふふ、と悪戯を共有するかのように、透真は人さし指を唇の前に立てた。透真が初めて見せた少年のような表情だった。
正しさを強要しない、何を読むか決めるのは利用者である。
「月灯り図書館……いい名前ですね」
強烈な陽射しに照らされて、すべてを白日の下に曝すのではない。太陽の光を反射した優しい月灯りに包まれて、人は好きなものに浸るのだ。
「この図書館は隠れ家なんですね。もしくは秘密基地でしょうか」
「そうであれば嬉しいですね」
なぜだろう。図書館内は食堂と違い窓も小さいのに。はにかんだような透真の笑顔に、木洩れ日がこぼれたように思えた。




