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9、プルドポークサンドイッチ

 夏祭りが開かれる土曜日。三日月湖周辺は、朝からどこかそわそわとした雰囲気が漂っていた。

 夜店の屋台の準備のため、湖岸道路を行き来する軽トラックが多い。軽トラックは普段は知夏や鮮魚店のおじさんが乗っている程度なのに。


「楽しみよね。私ね、べっこう飴を買おうと思うの。あとはヨーヨー釣りね」


 ランチを取りに月光食堂を訪れた柴本夫妻が、テラス席で今夜の縁日の打ち合わせをしている。夫人はフォークを手にしたまま、あれこれと思案した。


「うーん。あるかなぁ、べっこう飴。今どきじゃないよね。ぼくは型抜きに挑戦したいな。知ってるかな、琴音さん。型抜きっていうのはね」


 柴本の旦那さんは、ズッキーニのクリームスープをすくいながら、給仕する琴音に話しかける。

 ズッキーニの緑色を大事にしたスープなので、炒める時は弱火が基本だ。痛めた時の色がついてしまっては、茶色っぽくなるので細心の注意を払わなければならない。


 ふと、透真はズッキーニのスープを茶色くしてしまいそうだと、考えてしまった。


「あら、型抜きこそ古いわよ。ねぇ、琴音ちゃん」


 柴本夫人に同意を求められたが、琴音はそもそも型抜きが何であるか分からない。

 それを知った夫妻はこぞって「ほら、板ガムみたいな形に絵の線が書いてあってね、それを針や手芸で使う目打ちのような物でつついて割らないように絵をくり抜くのよ」と教えてくれた。


 板ガムに似ているがガムではなく、デンプンや砂糖、寒天などで作られたピンクの板なのだそうだ。


「きれいに型抜きができたら、景品をもらえるのよ」


「まぁ、難しくて割れることがほとんどだけどね。子供の頃に型抜きをした時は、割れちゃったのは食べてしまったなぁ」と、柴本の旦那さんが遠い目をする。


「えー、うそ。あんなの食べるの? おいしくないでしょ」

「まぁ、そうなんだけどね」


 型抜きは乾燥しているのもあって、あっけなく割れてしまうらしい。しかも使用する台は安定感が悪く、ぐらぐらするのでうまくいかないのだそうだ。


「コツはね、型抜きの裏を水分で湿らせるんだ。表面の粉も落とした方がいいな。屋台の主人に文句を付けられないように、自然に『ビールを飲んでまーす』という風に、缶の表面についた水滴を利用するといいんだよ」


 どうやら柴本さんは大人になっても型抜きに挑戦していたらしい。子供では到底思いつかない裏技を編み出している。

 琴音はプルドポークサンドイッチの皿を、テーブルに置いた。


 プルドポークは低温でじっくりと焼いた塊の豚肉だ。本来は筒形の大きなバーベキュースモーカーで作るものだが、月光食堂でそれは無理がある。

 なので、鍋で煮込んでいく方法にした。


 先代の残したレシピ帳にはプルドポークも、以前提供したケイジャンポップコーンも載っていた。

 透真に何故か? と尋ねたら「先代はアメリカのワイルドな料理が好きだったようですね。ただ若い頃はスパイスが市販されていなかったようで。結局、ウィリディタス修道院から分けてもらっていたようですよ」と教えられた。


 なるほど。かつての月光食堂は、当時では味わうことが難しい異国の料理が人気だったのかもしれない。


「バンズに挟む前に、そのままお肉を食べてみてもいいかしら?」

「はい、どうぞ」


 柴本夫人はフォークで皿のプルドポークを口に運んだ。

 水分がなくなるまで煮詰めた豚肉は、ほろほろに崩れている。形の残った肉を引っぱるようにほぐすので「引き裂く、むしる」という意味の「プル」なのだろう。


「まぁ! 旨みの塊だわ、これ」

「スパイスが複雑だね。もしかしてドライラブかな?」


 バーベキューに詳しいのだろう。柴本の旦那さんが、料理を味わいながら琴音に問うた。

 その通りだ。バーベキューソースを用いるレシピもあるが、どうやら先代の頃には手に入らなかったらしい。逆にパプリカやオレガノ、クミン、タイムなどを混ぜたドライラブの方が使いやすかったのだろう。


 ウィリディタス修道院で利用しているスパイスと、栽培しているハーブなどが原料となる。

 粉末のドライラブを豚肉の塊に揉みこんで、半日から一日寝かせる。だから肉の表面だけではなく、中まで味が染みこんでいるのだ。

 柔らかくなった肉をほぐすときに、脂の部分も混ぜ込んであるので、甘みと旨みが凝縮されている。


「こちらのコールスローと一緒に、ハンバーガーのバンズで挟んでお召し上がりください」

「いただきます」


 すでにスープを飲み終えたのに、夫妻は二度目の「いただきます」を言った。

 避暑地とはいえ、七月の昼間はそれなりに暑い。家にいれば夏は素麺を茹でる人も多いだろうが。月光食堂まで三日月町から徒歩で来る人も多いので、汗をかいた分、味の濃い料理が好まれる。


 他の席からも「ハンバーガーみたい」「ファストフードのお店ってここから遠いし、長らく行ってないから。こういうのもいいねぇ」と満足そうな声が聞こえる。


 シャキシャキとしたコールスローには、キャベツと人参、セロリのみじん切り、そして玉ねぎときゅうりの二種類のピクルスが入っている。

 マヨネーズで和えて、さらにレモン果汁を絞っている。


 先代のレシピでは、プルドポークをバンズで挟んでいなかったけれど。アレンジを加えることで、さらに気軽に食べることができる。


 ふわっと柔らかいバンズ、歯ごたえのあるコールスロー、ほろほろとした肉。誰もが目尻を下げながら、味わっている。

 ハンバーガーが食べたいとは考えていなかった。でも、実際に口にすると「ああ、こういうのが食べたかったんだ」と皆の表情が語っていた。


 そしてランチを終えると、レモンスカッシュやレモネードの注文が相次いだ。口の中もさっぱりするし、やはりお客様の年齢層が高いので、かつてのアメリカを思い出す人が多いのだろう。


 ウィンドチャイムが鳴って、透真がランチに訪れた。


「あ、この匂いは。知っていますよ、当てましょうか。プルドポークですね」


 やはり祖母に作ってもらったことがあるのだろう。透真も浮き浮きとした足取りで店内に入ってくる。


「プルドポークを食べられる場所は、近くにないんですよね」

「先代のレシピ帳を参考にさせていただきました」


 冷たい水を入れたグラスを、琴音は透真のテーブルに置いた。テラスは満席なので、透真の席は店内だ。ランチの時間も終わりに近いので、中の席にいるのは透真しかいない。


「ズッキーニのスープは琴音さんのレシピでしょう?」


 外の看板に貼ってある今日のメニューを思い出しながら、透真が話す。


「はい、修道院で暮らしている頃に教えてもらいました」

「では祖母と琴音さんのコラボで……」


 ぐうぅぅ、と透真のお腹が鳴った。最後まで言い終えることのできなかった透真は「すみません。うるさい胃で」とうなだれた。顔は見えなかったが、その耳朶は赤く染まっていた。


「すぐにご用意しますね」


 琴音はキッチンに戻り、スープとサンドイッチの両方を一度に運んだ。

 気持ちを立て直したのだろう。透真は窓越しにテラス席を眺めている。彼の目に映るのは、かつて祖母が健在だった頃の月光食堂かもしれない。


「琴音さん、恥ずかしいついでで恐縮なのですが」

「はい?」


 何だろう? お腹がすきすぎておかわりが欲しいとか? 


 ランチの予約客は、透真で最後だ。プルドポークは多めに作ったので、琴音のまかない分を除いても、まだ残っている。

 コールスローは、セロリやレモン果汁の酸味と爽やかなセロリの風味を気に入った人が多く、一人分には足りない。


 そう考えていた琴音だが、透真の真意は別なところにあった。


「今日の仕事が終わったら、一緒に縁日に行きませんか」

「はい。どちらもおかわりでよろしいですね」

「え?」


 琴音の返事に透真が困惑する。そして琴音も、自分の発言がずれていたことに気づいた。


「す、すみません。えんにちをご所望ですね、そのえんにちは作ったことがなくて」

「琴音さん、落ち着いて」


 低くゆっくりとした声だった。

 えんにちは縁日。食べ物じゃない。

 ようやく琴音は勘違いに気づいた。これはお出かけのお誘いだ。しかも知夏のように一緒に魚市場に行くのとは訳が違う。


「日頃の感謝の気持ちです。何でもおごりますよ」

「は、はい。ありがとうございます」


 さっきまでは透真が恥ずかしがっていたのに。なんということだ、立場が逆転してしまった。


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