9 配当目当てで株を買う
年が明けて二月の休日、沙優は保険についてネットで勉強していた。と言っても、自分のためではない。職場で仲良くなった同僚の女性が、いくつも保険に入っていてよく分からなくなっているらしく、何かいいアドバイスができないかと考えているのだ。その人はまりこさんといい、沙優よりもかなり年上なのだが、日々楽しく暮らしている感じで人気者である。沙優も話していて楽しいので一緒にご飯に行ったりもしている。ただ沙優と違い、まりこさんは非正規で(ほぼフルタイムなのだが)給料は少ない。身体の悪いお母さんと暮らしているので彼女が主な稼ぎ手なのだが、普通にしていてもお金に余裕があるとは思えない。それに加えてまりこさんは頼まれたら断れない性格のため、やれ保険だ、習い事の先生に購入を勧められたサプリだ、と色々お金を使っている。あればあるだけ使ってしまうタイプの人なのである。
沙優は母親の影響かお金を使いすぎることに罪悪感を覚えるタイプなので、お金があればあるだけ使うタイプの人の心理はよくわからない。沙優の兄があったらあるだけ使うタイプだが、就職してすぐに母が毎月の給料から天引きして積み立てる財形貯蓄をさせたので、まあなんとかなるだろうと思っている。まりこさんについては、あったらあるだけ使うところも含めて彼女の性格が形作られているのだろう。きっちりしていて(と沙優は自分のことを評価している。適当なところも結構ある気がするが)こだわりの強い沙優のような性格にはない緩さがあり、そこがいいところだとも思うのだ。
というわけで保険の整理の仕方を考えてみたのだが、やはりどういう保険にどれだけ入っているのかの全体像がわからないことにはどうしようもない。詳細が書かれた書類を見せてくれるように頼むと、最近届いた一つはすぐに見せてくれたが他はどこにあるかわからないという。まりこさんのお家まで行って捜索したいのだが、お母さんがいるのと、部屋が汚すぎて見せたくないという事で、それもできない。本人も携帯を安いキャリアに変えたりして一応その時々で生活費抑制の努力はしているので、様子をみるしかないのだろう。
休日に私用の古いパソコンを久しぶりに開いたので、他にもやれる事はやっておこうと彼女は証券会社のマイページを開いた。A社もC社も少しだけ株価を戻しているが、20万くらいの含み損が合計で出ていることには変わりない。それでも損切りの気持ちになれないのだった。
証券会社のページを開いたのには株価チェックの意味もあるが、今年度の投資分40万円をどうするか考えたいというのもあった。沙優が最初に作ったルールに、年間40万を株式投資にまわすというのがある。ちなみに初年度はどうしても欲しい株の価格が少しだけオーバーしていたので、41万を入金するという、早速のルール違反をしていた。一方今年は、その株式投資が全然うまくいかないので興味をすっかりなくして、新しい株を買おうともしていなかった。まりこさんのだらしなさのことを言う資格はない沙優だった。
買った株がうまくいっていない場合、新しく株を買うのを多くの人は躊躇するだろう。彼女にもそう言う気持ちはある。しかし、給料とは別のお金を、楽に稼ぎたいと言う欲望はまだ健在である。沙優は迷ったが、比較的安定していそうな配当目当ての株式投資をしてみる事にした。選んだのはネット証券として有名なD証券である。沙優の利用している証券会社とは別なのだが、業績が好調で、社員の給料を上げていると最近ニュースで見たのだ。年間の配当利回りも5パーセント程度ある。つまり、もし100万円分の株を買えば、年間5万円をくれるのである。低金利の時代しか知らない彼女には魅力的に見えた。いや、少し前まで、5パーセントを精々5パーセントと考えていたので手のひら返しも甚だしいのだが。まあ、株価10倍を目指して損を出している現状では、堅実な方にいくのは良いことである。
年利5パーセントの配当があるとは言え、株価がもし5パーセント下がれば、その分は相殺されるので心配なところもある。そして実際、業績が下がって配当も下がればそのリスクはあるのだ。しかしリスクをとらずに株はできない。そして、自分はリスクもある程度はとるタイプの人間なのだ、とキリッと心の中で言う沙優だった。リスクをとって失敗しているでしょとツッコミを入れてくれる人はいない。
去年の分がもったいなかったなと思いながら、沙優はNISA枠でD証券の株を300株買う事にした。NISAとは政府が国民の株式投資を促進するために始めた制度で、年間120万円分の株への投資の利益に5年間は税金がかからないと言うものである(2024年から制度が変わります。これはそれ以前の制度です)。あまり細かいことは沙優はよく分かっていないし、今は儲かっていないので、知る必要もないのが悲しいところだが、もちろん今まで買った株もNISA枠で買っている。去年は全く株を買わなかったので、その枠を全然使わなかったのだ。
D証券の株価はお求めやすい900円程度だったので300株買い、今回の投資額は27万円である。39万円を新たに証券口座に入金したので、あと100株は買えたのだが、一度失敗している沙優は慎重になっていたし、今後もっと欲しい株が出てくるかもしれないことから、少しお金を残しておく事にした。
ひと段落した沙優は、最近はまっているイヤリング作りを進める事にした。何かを聞きながら作業をしようとテレビをつけて、細かいパーツやビーズの入った箱を持ってきた。沙優が欲しいのはピアスに見えるイヤリングなのだが、このタイプのイヤリングはお店に30種類くらいしか置いていない。欲しいデザインのものがピアスだったことは何度もある。また、すぐに片方だけを落としてなくしてしまうので、自分で作った方がデザインの幅も広がるし、落としても片方だけ作り直せばいいのでは、と思いついたのだ。沙優は安く買える天然石のビーズでイヤリングを作るのにはまっていた。高価な宝石のアクセサリーは別に欲しくない、というか、それなら現金のままで置いておきたいので、手頃な価格の天然石のアクセサリーが欲しかったのだ。使いきれないほどお金のある資産家になれば手のひらを返して宝石も買い出す可能性はあるが、とにかく今は天然石で充分なのである。そういうイヤリングは沙優の家の近くのお店では売っていないので作る価値がある。
婚活を意識して揺れるイヤリングを使い始めたのだが、今や完全に当初の目的を離れてイヤリング作りが趣味化していた。ちなみに揺れるイヤリングが当初の目的で役にたった様子はない。基本的に職場への行き帰りしかつけていないので、あまり他人にみられる機会もないからかもしれない。きっと、多分そうだろう。ま、楽しんでやれる趣味につながったので当初の目的を果たせなくてもよいのである。沙優はハンドメイド用のラジオペンチを取り出して金具を曲げ始めた。テレビでは、クルーズ船の新型ウイルス患者の特集が流れていた。
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