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なぜ私は素直さより傲慢さが目立つ人間になってしまったのか

 『素直』といった極めて清らかな心でありたいと思いつつ、実際には自分の傲慢さにあきれる回数のほうが多い。なぜ私は、他者の言葉を素直に聞き入れることができないのだろうか。


 だいぶ遡るが、過去の素直だった時代から傲慢さが目立つようになった現在までの変遷に触れたいと思う。


 小学生の頃、大人たちからはよく「素直だ」と褒められていた。その頃はお褒めの言葉だろうがお叱りの言葉だろうが、とにかく周りの人たちが口々に言う『良い性格』というものをことごとく飲み込んできたつもりだ。


 各々が掲げる『良い性格』が実際のところどのように作用するのかを考えるための判断材料を、当時の自分には人生経験が浅く、ほとんど持っていなかった。そのため、最初から拒絶するのではなく一旦飲み込んでみて、その結果どうだったのかを観測しながら判断材料を作っていくしかなかった。


 そして、ある程度失敗を繰り返して判断材料が増えていくにつれ、人としてこうありたいという理想像が出来上がってきた。その頃には中学生になっていた。


 すると今度は、褒められようが指摘されようが、他人の掲げる『良い性格』に対して、一旦受け止めることをせずに最初から穿った見解を示すようになった。


 そのまま、いつの間にか理想像に『素直』を含み損ねた私は、中学校を卒業しても斜に構えた態度が抜けず、それは年嵩が増すにつれてさらに拍車がかかっていった。


 素直に聞き入れていた時期を幼虫、後ほど訪れる理想像の完成が成虫だとすると、この中高生の時期は、他者から触れられることを厭わしく思うさなぎの時期のようだった(あくまでイメージであり実際のさなぎの気持ちは知らない)。


 そうこうしているうちに、とうとう大学生になってしまった。そこで長いさなぎの時期が終わりを告げ、ようやく理想像が完成した。


 その頃になると、幼虫やさなぎだった頃の未熟な自分を受け入れられるようになり、理想像と現在の自分の性格を比較しながら向き合えるようにもなった。こうして自分への理解を深めていくことがめきた。いわゆるアイデンティティの確立である。


 このように振り返ってみると、自分の性格やこれまでの人生を受け入れていることから、素直な自分を取り戻していたように思える。しかしながら、冒頭に書いたとおり自分の傲慢さにあきれることが多い。それはなぜなのだろうか。


 その答えを探すべく、過去をもう一度丁寧に紐解いていくと、新たな疑問に行き着いた。もしかしたら私は、この『未熟さを受け入れる』という作業に美徳を感じていただけに過ぎないのではないかという疑問だ。


 そう考えた理由がある。これまで理想像から『素直』というワードを含み損ねていたくらい、他者の言葉を跳ね除けてきたはずなのに、成虫になった途端に突然素直になれるはずなどないと思ったからだ。


 私はこれまでの過ちを素直に受け入れることに酔いしれていただけで、実際には未熟さを受け入れる器など出来上がっておらず、素直な心を体得できていないのではなかろうか。


 その証拠に、先日ひょんなことから私がお調子者であるという話に発展したときのことを書こうと思う。


 以前、友人間で楽しく盛り上がっていたとき、さらに盛り上げようとしてしまったことが裏目に出たことがあったのだが、先日それを思い出して夫に話したら「お調子者だ」と笑われた。


 それを聞いて真っ先に思ったことは、お調子者だという自分を受け入れたくないということだった。そこで私は『お調子者というのはあくまでもこの話に関してだけであって、常日頃からそういう側面を持っているわけではないのかも』と言い聞かせ始めていた。


 その一方で、お調子者の側面を持っているということを否定しようとしている自分に嫌悪感も抱いていた。その嫌悪感は『自分の側面がどんなものであれ素直に受け入れる』という美徳に反することからくるものだったと考える。


 そこで次に考えたことは、お調子者の長所探しだった。私は『短所と長所は表裏一体で存在している』という考えを持っているので、お調子者という性格に短所がある以上、長所もあるはずだと考えたのだ。お調子者の側面があるということを素直に受け入れるために、可能な限り自分が傷つかない形をとりたいと思った。


 この一連の流れを振り返ると、私は大学生の頃にようやく完成させた理想像と現在の性格が乖離することに恐れをなしているように思えた。その恐怖は、理想像が完成してから今日(こんにち)までの自分の人格を否定されるような気持ちからきていると考える。


 そして、これまでの人格をどうにか否定せずに済ませたいという気持ちがとうとう顕著に表れてしまったところで、ようやく自分が『素直』を体得しきれていないことを知った。


 私は自分の未熟さと素直に向き合えるほど強くはない。当時の自分は、ただ理想像を完成させただけなのに人格者になれたような気になり、それに酔いしれていただけに過ぎない。私には自分の未熟さを受け入れる器などないのだ。これが、いつまでも傲慢さが目立つ所以である。


 ちなみに、お調子者に関して散々悩んだが、いつの間にか自分がお調子者かどうかはどうでもよくなっており、これまでのことを悔い改めて今後は気をつけよう程度にとどまった。素直に受け入れたというよりは、考えすぎて飽きたに等しい。


 さらにちなむと、夫にお調子者の長所を聞いたところ『楽しい』とのことだった。

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