私には価値があるのか
祖母の悪口を書きたかったわけではないです。
結果として悪口になっていますが、悪しからず、、。
最近夫に言われて嬉しかった言葉がある。祖母に言われたことで傷ついていたときにかけてくれた言葉だ。
私の祖母はデリカシーに欠けるので、たびたび悲しい気持ちにさせられる。そして、それを指摘しようものなら祖母は反撃開始のゴングを鳴らし、矢継ぎ早に言い返してくるのだ。祖母は大変強烈だ。
先日、その祖母と電話をしていたときのことだった。長々と話していくうちにピアノの話になった。具体的に言うと十年近く前に亡くなった祖父の葬式で弾いたときのことだった。祖母は慰めるような口調でこう言った。
「あのときの演奏が良かったって、来た人たちから評判だったんだ。それでもピアニストになれなかったんだから、あとひとつ何かが足りなかったんだろうね」
口調から祖母の言いたかったことを考えると、おそらく、私にはプロになれる素質がまったくなかったわけではなく、ただあと少し足りなかっただけだったと慰めたかったのだと思う。
しかし、私にとってはプロになれなかったということがすべてである。ゆえに、まったく素質がないのか少し足りなかっただけなのかといった、なれなかった中での評価は気にしていない。
そもそも、これに関してはそれなりの年月をかけてすでに昇華していた。荒んでいた時期もあったが、時間とともにようやく、ピアノに注ぎ込んだ時間は無駄ではなかったと思えるようになり、今後も、あの時間が無駄だったと思うような人生にはするまいと前を向けるようになったのだ。
そこへ今さらになって突然土地を均し直しにきた祖母に対しひどく嫌悪感を抱いた。しかし、冒頭でも述べたように、指摘したところでさらにデリカシーのないことを言われて傷つくことは目に見えている。よって、泣きながら黙って電話を切った。
そのあと私は夫にことの顛末を伝え、祖母の言う『あとひとつ』ってなんやねん、と似非関西弁でぼやいた。それは、生きる意味や存在価値を見失っていた当時の自分が言っているかのようだった。
すると、それを聞いた夫はニヤニヤしながらこう言った。
「おやびんは、自分に価値があると思っているのか。なにかになるために生まれてきたと思っているのか」
祖母よりも明確に人格否定してきたのかと思い困惑していると、夫は続けた。
「冷蔵庫は物を冷やすことに価値を見出している。物を冷やすために作られた。でも、人間はなにかになるために生まれてきたんじゃない」
そう言われて私はあまりに胸が強く打たれたので、思わず「ひょっ」と声を上げていた。そうか、せっかく私はただ生きていくために生まれてこれたのに、わざわざ自らなにかの価値を見出そうとしていたなんて。
生まれてきた理由や価値を見失ってばかりの数十年だったが、それらを追い求める呪縛から解き放たれた私はようやく、なんの価値もない自分に手放しで喜べるようになった。
悲しみで打ちひしがれていたところに伸ばされた救いの手、その手に触れた自分のことを思い出すと今でもなにかがグッと込み上げてくる。




