初戦に敗れた女の行く先は
私は寝不足が解消されないまま、自分の浅はかさを呪う様にして洗濯棒を洗濯ものに叩きつけた。タライの中で水に浸かっている布はべちゃっと鈍い音をたて、当たり前だが石鹸水を仕返しのようにはじき返した。
「やめてよ。僕に泡が掛かった」
私に恩義を感じていたはずのセニリスが、怒りのこもった目を私に向ける。その眼は、石鹸水を被ったことどころかこの状態全て私のせいだと物語っていた。
彼の想い人である美女は、最初からクライン狙いであったらしい。
私がクラインの部屋に連れ込まれる前に、彼女こそ動いたのである。
「わたくしが今すぐに動きますわ。ですからリイラ様はもともとのお部屋でお休みになれますわよ」
席を立った彼女は私を担ぐクラインの真ん前まで進み出ると、神に祈るようにして両手を胸の前で組んだ。
「わたくしのためにリイラ様にお仕置きをされる必要はなくってよ。さあ、クライン様、参りましょう。お怪我をされている方々の所へ」
「アラメア?治療院に行くのは私とあなたとロセアよ」
「あら、あなた様は回復魔法が無いのではございませんか?昨晩はクライン様が回復魔法を持っているのはご自分だけっておっしゃってたじゃないですか」
「気を失ってはいなかったのね。狸寝入りしてたの?」
「まあひどい。火傷の痛みで私は身動きできなかっただけですわ!!でも、ええ、あの時にすっと体が楽になった事を思い出せば、一分一秒でも早く具合の悪い方を救って差し上げるべきなんです。自分の回復魔法を使って!!」
「まあ!素晴らしいわ。アラメア!そうね、急いで行きましょう。クライン様、今すぐに治療院に参りましょう」
ロセアの後押しはセニリスにこそ効いたらしい。
アラメアに惚れているらしいセニリスが、慌てた様にして席を立った。
「あ、僕も食事は終わったからみんなで行こう」
何故か全員で治療院に今すぐ行く流れのようだ。
アラメアの主張を聞くならば、寝不足で回復魔法を持たない私だけを抜けて、という感じで。
「お前はやる気があるのかよ」
「何のやる気よ」
クラインがどんな顔をしていたのかわからない。
だって私は彼の肩に担がれていたのだし。
ただし、私はクラインによってなぜかお尻を叩かれ、その後すぐに彼の肩から下ろされたのである。
「痛ったい!!どうして私を叩くのよ!!」
「お前が後先考えずに余計な事を言うからだよ」
彼はそうしてアラメアとロセアを連れて、アトロフスカの治療院へと向かってしまった。後を追いかけた回復魔法を持たないセニリスと私は、治療院のシーツや包帯などを洗う仕事へと追いやられてしまった、そういうわけだ。
ケレウス?
彼はアラメアに領主夫人の座を渡したくはない爺やによって、彼の書斎に押し込められている。
「結局、誰も彼も兄さんしか見ていないんだね」
私はセニリスの暗い声によってもの思いから覚め、私の横で洗濯棒をゴリゴリさせてシーツを洗いだした青年を見返した。セニリスは顔についた泡を拭うという素振りで右手の甲で顔を擦ったが、私には零れそうな涙を拭ったようにしか見えなかった。
きっとセニリスには初恋だったのかもしれないわね。
セニリスが可哀想だって思ったら、私の胸がきゅんと締め付けられた。
私とセニリスは、出会った日からまるで姉弟のようにして、どこに行くにもいつも一緒だった。私が聖女候補生として首都に連れていかれるまで、私達はお互いが唯一の遊び相手だったのだ。
白い砂浜で一緒にお城を作り、磯で小さな小さなヤドカリを捕まえたり。
「あなただっていっつも一緒だった私には目をくれず、美しいアラメアばかりをちやほやしていたじゃ無いの」
「だから、僕は、君が死んだと思ってたんだ!!」
ばしゃん。
セニリスは洗濯棒をタライの中身に大きく打ち付けた。
大きく水は跳ね、私が泡塗れになった。
「酷いわ」
セニリスはがっくりと頭を下げ、ごめん、とぼそっと呟いた。
顔を下げたせいで大人びた彼の顔はフワフワした髪の毛で隠れ、その姿は年齢一桁のあの頃の幼い子供の姿そのままだった。
懐かしさに私の胸が、再びきゅうっと締め付けられた。
「私こそ、ごめん。それで御礼も言ってなかった。ありがとう」
「僕は何にも」
「私が今ここにいられるのはあなた達のお陰。それから、あなたのお陰で私は畑仕事が凄く楽になったのよ。あの魔法馬車は素晴らしい作品だわ」
セニリスは顔をぎゅんとあげ、久しぶりというぐらいに両目を楽しそうに輝かせる。スケッチブックを見て見てと私に掲げる、あの頃のセニリスの表情だった。
「魔法馬車に興味を持ってくれて、買ってくれた聖女が君だけだったんだ。僕はそれで君がリイラに違いないって確信したんだよ」
「あら?見てわからなかったの?記憶を失っていても私は私でしょう?」
セニリスはうふふと柔らかく微笑んだ。
同じ様な顔立ちの同じ兄弟でもクラインとセニリスの印象が違うのは、笑い方ひとつとっても彼らが同じでは無いからだと気が付いた。そして、クラインの事を私は半分も理解していなかったのかも、と初めて気が付いた。
良く笑ってずけずけものを言う、あのどこにいても自分が王様と振舞う男は、どこにいてもそのように振舞っていただけだったんだな、と。
彼は辛い時にも笑い、誰もが落ち込むときにも自分は頭を下げずに前を進む、たとえ、自分自身が粉々になりかけていても。
愛しているからって、私はクラインを美化し過ぎかしら?
「すごくきれいになっていたから、僕は君がリイラだって一瞬分からなくなった。三年前の君とは違っていた」
セニリスの褒め言葉に私は再び意識を引き戻され、セニリスの賛美に気恥ずかしいと頬を染める。でも、そこでセニリスの言葉に引っかかったのも事実だ。
「三年前って、あなたもあの日のあの場にいたの?」
「いた。兄さんが君を屋上に連れ出したら僕がガンダルで君を連れ去る予定だった。結局は大失敗だったけど、あの場にいたから兄さんを助けられた」
「ああ、そうね。寮監がクラインを殺そうとしていたものね」
「そう。君を神殿に送っちゃったように、寮監のゴーレムは兄さんに止めを刺さずに聖務局に送っちゃったんだよ。聖騎士だった男の反乱だもの。兄さんは聖務局に反逆者として捕らえられたんだ」




