ここが淑女の間というならば
アトロフスカの女中、エマとメローナに案内されて私が向かった城主夫人の間は、私とクラインが奪ったケレウスの部屋から遠く離れたものだった。
階自体が違うのだ。
「アトロフスカの城主は城主夫人と仲がお悪かったの?」
「反対ですね。仲がよろしいからこそ部屋を離されたのでございます」
エマは済ました顔で答え、隣のメローナがくすくすと笑い出した。
この笑い方は女官達がクラインの噂話をする時と似ているな、と思った。
そして私の感想は正しかったようだ。
「お母様とお隣、なんて、罰ゲームですものね」
エマの答えに耐え切れなくなったという風にメローナは吹き出し、私もあの人が良さそうな城主を思い出して笑いが零れた。一体どちらが部屋を離しましょうと言い出したのかしら、と。
だがすぐにクラインがケレウスについて言った言葉を思い出した。
彼には家族がいない。
仲が良かった家族を失うのはどれだけの辛さであるのだろうか。
私が急に笑いを収めた事を訝しんだのか、メローナが小首を傾げた。
「奥様?どうなされました?」
「仲が良かったお母様が亡くなられたのは、ええ、城主様にはどれほどお辛かったでしょうかと思い当たってしまって」
ぷぷー!!
エマとメローナが同時に吹き出すなんて。
「コクシィ様を殺しちゃうなんて酷い人!!」
「コクシィ様は再婚されて出ていかれただけなのに!!」
「ええ!クラインがケレウスには家族がいないって言うから!!」
「だから俺がケレウスに家族という名の面倒を与えているのさ」
「アハハ、エマ上手。ほんと、さいていよね、クライン様ったら!!」
私は笑いを取り戻せなかったが、乾いた笑い声は上げていた。
あれはクラインのいつもの出まかせでしかなかったのか、と。
「奥様、この程度で落ち込まないでくださいな。クライン様のおふざけが過ぎるのはいつもの事ですわ」
「そうそう。エマのはクライン様が誰にでも言っている冗談ですのよ」
「そうそう。それで、小煩い風のような男だってケレウス様こそおっしゃってます。適当にやって来て適当に消えていくって。きっと誰にも知られずにどこぞで野ざらしの屍になるのだろうなって」
「ケレウス様がセニリス様に過保護なのは、クライン様のようになって欲しくないからよね。あの坊やがクライン様のような風来坊になりそうもないけど」
「風来坊どころか特攻野郎でしょう?もっと危険よ」
「でも、とりあえず、あのクライン様が根を下ろそうと決めたんでしょう?さあ奥様、私達の為に頑張って下さいな」
メローナとエマが両開きのドアのノブに手を掛けた。
私はいつのまにか城主夫人の間という戦場に辿り着いており、私を応援してくれるらしき女中二人は悪巧みのような笑顔を私に向けている。
「頑張りますわ。クラインが音を上げるほどにね」
私は二人が開け放った扉から前に進んだ。
城主夫人の間。
私が足を踏み入れた部屋は、まずサロンとしての空間である。向かって右の壁に両開きのドアがある。恐らく、あちらに寝室があるのだろう。
私は室内の装飾を一目見て、城主のバスルームをデザインした人の部屋だと一瞬で理解した。花満開の野原に柔らかな日の光が注いでいる、そんな印象を受ける部屋の装飾なのである。
私の黄色いドレスが馴染み過ぎて目立たなくなるぐらい?
しかしそのことがかえって私に自信を与えた。
私こそこの部屋の中心だという風に、私を待ち受けていた人を見返せたのだ。
部屋の中心に夕餉のテーブルが作られ、そこを囲んで二人の女性が座っていた。
一人はリイラの母ロセアで、付添い人らしく地味なグレーのドレス姿である。
そして、ロセアが付添いをしている女性、私が戦わねばならない?アラメアは、これから誰と結婚してもいいような真っ白なドレスを着ていた。
アラメアは私に目を向けるどころか、夕食の皿が乗った白いクロスで覆われたテーブルを忌々しいという風に睨んでいる。元はお茶会のテーブルだからか、パンと野菜の煮物の三人分だけでぎゅうぎゅうで、スープがドレスに零れたらと心配なのだろうか。
「さっさと席についてくださらない?ただでさえこんなものよ?冷めたら美味しくないでしょうに」
こんなもの?
アラメアには貧しい食事かもしれないが、サラセンのお焼きも知らなかった聖女だった私には、これらはご馳走でしかないのだけどな。
私は顎を上げ、椅子に座っている人達を見下した。
攻撃的すぎるが、まずは互いの立場の表明だ。
基本的な社交ルールとして、一番身分が高い女性が部屋に入ってきた場合、部屋にいる人間は全員が腰を上げて出迎えねばならない。
この場合、未婚女性アラメアの付添い人として存在するロセアは、クラインの妻という肩書きの私よりも身分的に下になる。
では、アラメアはどうなのか?
セニリスはクラインの弟であっても、彼は次代伯爵ということでクラインの上となる。そんな彼の婚約者であれば私の上となる。また、城主ケレウスの妻の座を約束されているなら同じであるが、愛人、であったならばどうなるのであろう。
またどちらでもなく、彼女が単なる身寄りのない独身女性でしかないと自認しているならば、慣習的に確実に私の下となる。
とりあえずアラメアが自分の立場をどのように解釈しているのか知りたかっただけでもあるが、彼女は女中達が敵視しているだけあった。
「ここは私達だけよ。何を気取っていらっしゃるの?あら、部屋と同じ色のドレスをあてがわれていたって事は、あなたを家具と一緒と見做していいのかしら」
銀色の長い髪と細くて長い手足をした美女アラメアは、確かに美しい顔立ちをしていた。黙って椅子に座っていれば湖の精のような儚さを演じていられたでしょうにと、私は意地悪く思った。
私に向ける眼つきや顔付で、彼女は自分の美しさ全部を台無しにしているのだ。
でも、この顔付に見覚えを感じるのはなぜだろう。
とりあえず私は、淑女のルールを振りかざすことにした。
淑女のルールなど母親が女中だったリイラが知るわけもなく、聖女だった時代に女官に教えこまれた事ではない。でも、柔らかな口調と声で誰かが教えてくれたのはぼんやりした記憶でも確実なものである。
だからこそ私は、聖女時代からこの教えを守ってもいる。
「ここは領主館。私達が領主の厚意に受け入れられた客人であるならば、失礼のないように望まれる淑女として振舞うべきではありませんか?」
「あら、私は淑女として振舞っておりますわよ」
「では、さっさとお立ち下さいな。この場ではクライン・ジアーナを夫とする私が一番の身分でございますから」




