楽しそうな君に晴れ。
『あのね……』
『好きな人が出来たんだ。また相談乗ってくれないかな?』
SNSでの文面は無機質だ。でも、そんな文面が俺の体温を奪っていく。
『よかったじゃん!』
『分かった。じゃあ明日いつもの場所で』
大事な話をSNSでするのは好きじゃない。語弊が生じるだけじゃなく何を考えているのか分かりづらい。でも、今日は良かったかもしれない。直接聞いてたら「よかったじゃん!」なんて言える自信はない。
俺はベッドに寝転がった。一人で泣く気力もない。
『うん!』
彼女の一言だけが頭に残った。たった3文字なのに頭に彼女の声が浮かんでくる。今だけはどこか遠くで眠っていて欲しかった。
夜。夢を見た。断片的な記憶がいくつも流れてきた。
「アキっていう名前なの?いい名前だね!」
「アキに話したら元気になったよ!」
「アキがいてくれてよかった……」
ホッとして笑っている。今すぐにでも抱きしめたい。
場面は突然変わる。
「……アキ、ごめんね」
彼女が泣いている。今すぐ拭ってやりたい。抱きしめてやりたい。でも……ダメだ。
[アキ]そんな言葉が夢の中で暴走している。アキってなんだっけ?季節だっけか?彼女の好物だろうか?
「違うよ。アキはね、私の——」
「——ハッ」
そこで眠りから覚めた。運動をしたわけじゃないのに息が荒くなっている。
「はぁ、アキって……」
今のが夢?俺には走馬灯に思えてしまった。俺の走馬灯は彼女なのだろうか。多分そうだ。でもその時の彼女が僕にとって何なのかは分からない。分かりたくもない。
「アキって……俺の名前じゃん。」
今日、このまま寝られる気がしなかった。
俺は寝ぼけまなこで机に向かい数学の参考書を開いた。頭が働いていないからか、もしくは違うことを考えていたからか1年前に習ったはずの因数分解さえ出来なかった。何度読んでも、解説が頭に入ってこない。
気づけば、窓の外が少しだけ明るくなっていた。無駄に綺麗な朝焼けが俺を完全に夜から迎えに来た。
結局、あまり眠れなかった。
参考書を閉じ、顔を洗う。鏡に映った自分は、いつもと変わらない顔をしていた。
少し安心した。
何が安心なのかは、自分でも分からなかった。
制服に袖を通し、鞄を持つ。
今日も学校がある。
当たり前のことなのに、今日はそれが少しだけ不思議だった。
登校中、余計なことばかりが頭を巡る。
いつもの道を、いつもの速度で歩く。
見慣れた景色も、聞き慣れた音も、何ひとつ変わっていない。
それなのに、地に足がついていないような気がした。
「アキー!俺を置いていくなんてひどいぞー!」
聞き覚えのある声と共に背後から足音が近づき、次の瞬間、俺の背中に衝撃が走った。友達のユキヤだ。いつもなら独白を邪魔してきて鬱陶しさを感じていたが今日はやけに心地よかった。
俺の生きている毎秒は、何も変わっていない。そんな当たり前のことを思い出させてくれる。
だからだろうか。今だけは、こいつのくだらない話に付き合っていたかった。
「おはよう」
「おはよう」
「今日の一限目なにー?」
「現国。要約文の提出もあるぞ。」
「なに!?それは俺史上最大級の危機だ!」
「そうか。大変だな」
「アキさま、どうですか?150円で……」
「嫌だ。500円だ。」
「はぁ?ぼったくりじゃん!10分で終わるぞ?時給3000円じゃねーか」
「なら10分で自分でやれ。3000円の節約できてよかったな。」
「そんなぁー!」
「おはよ!」
教室に入ると聞き慣れた声が俺たちを出迎えた。無駄に元気な声。昨日のSNSと同じビックリマークが文末にある気がした。
「……おはよ」
「ねぇ、アキ……。昨日のことなんだけど……」
彼女から話を切り出すとは思わなかった。でも、今は聞きたくない。学校で涙を流すつもりは無論ないし朝から聞くにはめんどくささもあった。
「それは放課後でいいか?俺、ユキヤの課題しないといけないから」
「……うん。分かった。でも、なんでユキヤ君のをアキがやるのよ」
「それはバイト禁止の高校で学生がお金をどうやって稼ぐかだ。」
「……なるほど、分かった。じゃあまた放課後ね!」
「……うん。」
先延ばしにしただけ。そんなことは自分が一番よく分かっている。でも、今と後で聞くのはどこか違う気がした。
今日の授業は驚くほど早い。始まったと思ったら終わっている。この時間感覚こそが俺の心の余裕のなさを表しているのだろう。でも、そんなことを知って受け止めても時間は止まったりしてくれない。
放課後。俺は一人でいつもの場所に向かった。彼女はまだ来ていない。進路相談で遅れるとか言っていたのを俺は思い出した。バス停の待合小屋。バスはもう20年ほど前に廃線になっているから誰も来ない。そして、それが俺と彼女が「いつもの場所」と呼ぶところだ。そこで初めて会ったし初めて喋った。
小学4か5年生だっただろうか。年はよく覚えていない。でも、どんな日だったかは鮮明に覚えている。雨の日だった。俺は傘を持っていなかったからバス停の小屋に避難した。そこに彼女がいた。彼女は傘を持っていた。小学生は恐れ知らず。当時の僕はなんとなくで聞いた。
「なんでかさ持ってるのに使わないの?」
僕がそういうと彼女は笑った。小学生とは思えないほど余裕を持った笑顔だった。
「私はね、心の雨が止むのを待ってるんだ……。」
彼女の笑顔は跡形もなく消え去り哀しい顔に変わった。
「心の雨?何それ?」
「えーっとね、それは心が悲しみの雨で濡れてること」
高校生の俺でも言えないことを小学生が言っていた。今思えばあの瞬間から僕は彼女の目ばかり見ていた気がする。
「なら心を晴れにしないとね。」
「え?」
「雨よりも空いっぱいに晴れ模様が広がっている方がいいじゃん!」
「……そうだね!」
彼女に笑顔が戻った。そしたらなんだか俺も嬉しかった。
「うん!」
「君、名前は?」
「アキ。金城小学校に通ってるアキ!」
「アキっていう名前なの?いい名前だね!」
今思うと同級生とは思えない。小学生と高校生みたいな会話だ。
「うん!君は?」
「え?」
「名前。」
「私はねぇヒ・ミ・ツ」
「えぇー!いじわるー」
「ふふふ。次会った時のお楽しみだよ」
「うん!」
「アキに話したら元気になったよ!」
「なら俺も元気になった!」
「ありがと!」
小学生らしくないませた出会いかもしれないがホッとしたような笑顔を俺は忘れない。人の心まで晴れ模様にしてしまうあの笑顔を——。
「アキー!もう着いてたんだ」
「うん。」
「一緒に行こうと思って進路相談延期してもらったのに」
「それは、ごめん」
「うんうん。私こそアキのこと待たしてごめ——」
「で?恋バナだっけ?」
「……うん。」
彼女が顔を少し赤らめる。今まで彼女が僕にこんな顔をしたことがあっただろうか。いや、多分ない。だって、彼女のこんな顔見ていたら忘れるはずがない。
「俺にするってことは俺の知ってる人?」
「そういう問題じゃなくてこういうのは一番信頼できる人に話したいじゃん」
「……そっか。」
俺はあくまで友達、いや、親友かもしれないがそんなのほとんど変わらない。
「まだ、名前は言わないで。何が好きなのか、どこが好きなのかとか教えてよ。」
一応恋愛相談。でも、俺はまだアドバイスなんてできる状態じゃない……。これは逃げだ。逃げだと悟られたくない逃げ。最高にダサい。もう彼女に笑って欲しいくらい自分の女々しさが嫌いだ。
彼女は[彼]の好きなところを話してくれた。多分、それを聞いている時の俺の顔は酷かったと思う。でも、彼女はそれに気が付かないほど話すのに熱中していた。こんなにも彼女と目が合わないことは初めてだった。
そんな楽しそうな君の心はきっと晴れている。当時の面影を残した形で当時よりも清く大きく明るく晴れている。でも、僕だけは当時とは逆の道を辿っている気がした。




