第32話 「早退令嬢と、冬の図書室」
断罪から数日後、学園の空気が変わっていた。
廊下を歩く生徒たちの表情が、以前までとは少し違った。明らかに、緊張感が薄れていた。声が、心なしか大きくなっていた。笑い声が、以前より自然に聞こえた。
イザドラが作っていた空気が、少しずつ溶けていた。
十二月の中旬になった。窓の外の木は枝だけになっている。
エリーゼはその廊下を、いつも通りに歩いていた。扇は持たず、顎も上げていなかった。ただ、自分のペースで歩いていた。
◇
「エリーゼ様」
声をかけてきたのは、以前エリーゼの取り巻きであったフローラが話しかけてきた。
フローラが、少し緊張した顔をしていた。
「少し、よろしいですか」
「ええ」
少し間が空いた。
「あの日の、エリーゼ様……すごかったです」
声に、感情がこもっていた。
「あの大広間に入ってきたとき、息が止まりそうになって。あの頃のエリーゼ様が、戻ってきたと思って」
「そうですか」
「イザドラ様に、誰もずっと何もできなかったのに。エリーゼ様があそこに立ってくださって、本当に……」
フローラが言葉を続けようとして、少し止まった。
エリーゼを、もう一度見た。
あの日の大広間のエリーゼではなかった。扇もなく、令嬢としての覇気がない。廊下を歩く、ただの生徒の顔をしていた。
「……あの、エリーゼ様は、これからまたお戻りになるのですか」
「戻る? 何にでしょうか」
「その、以前のような……令嬢として、皆の中心に」
エリーゼは、少し間を置いた。
「いいえ」
静かに言った。
「昨日だけです。今日は、図書室に行こうと思っています」
フローラが、少し困った顔をした。
「そう、ですか……」
何かを言いたそうだった。でも、言葉が見つからないようだった。エリーゼが戻ってきたと思ったのに、目の前にいるエリーゼはあの頃の令嬢ではない。それに戸惑っているのが、表情からわかった。
「フローラさん」
エリーゼが言った。
「フローラさんには、ずっとお世話になりましたわ」
フローラが、少し目を丸くした。
「一緒にいてくれた時間も、あなたなりに私のことを思ってくれていたことも、わかっていました。感謝しています」
「……でも、私はエリーゼ様を、あの大広間で」
「それも、あなたなりのことだったと思っています。もう終わったことです」
フローラの目が、少し赤くなった。
「私のことはもういいのです。これからは、あなた自身を大切にしてください」
フローラは、しばらく何も言わなかった。
「……ありがとうございます」
俯きながら、絞り出した小さな声だった。
エリーゼは小さく頷いて、廊下を歩き始めた。
◇
廊下の先で、リナが立っていた。
令嬢が数人、リナに話しかけていた。以前は距離を置いていたはずの顔だった。でも今日は違った。輪というほどではない。ただ、人が少し戻ってきていた。
話しながら、リナは少し戸惑っているように感じた。突然の変化に、対応しながらも笑顔を作っている。そのような様子だった。
エリーゼがその横を通り過ぎたとき、リナは気づいていなかった。話に集中していたからか、それとも人が話しかけてくること自体に気を取られていたからか。
(……少しずつ、戻っていくのかもしれない)
エリーゼはそう思いながら、廊下をそのまま歩いていった。ただ、悪くない光景だと思った。
◇
図書室は静かだった。
エリーゼはいつもの席に座って、本を開いた。旅する少女の二周目を読んでいた。
今まで、図書室で一人でいる時間が続いていた。中庭に行けなくなってから、ここで過ごすことが増えた。いつもどこか寂しさを感じていた。
でも今日は、少し違った。落ち着く、という感じだった。何が変わったのかはうまく言葉にできなかったが、同じ静けさでも種類が違った。
椅子を引く音がした。
隣に、転校生が座った。
本を開いた。何も言わなかった。
しばらく、二人とも黙って読んでいた。
(……ああ、この人だ)
エリーゼは思った。この静けさが、落ち着く理由だった。
◇
しばらくして、転校生が本から顔を上げた。
「昨日は、助かった」
エリーゼは本から顔を上げた。
「一人では、あのまま言いくるめられていた。途中でわかっていた」
「……私は、何もしておりません。あなたとリナ様が全部用意してくださっていたので。私はただ、あの場にいただけです」
「そんなことはない」
転校生が言った。
「エリーゼがいなければ、あの場は終わらなかった」
エリーゼは少し止まった。名前を呼ばれた、と気づいた。今まで、そういう呼ばれ方をすることはなかった。いつも短い言葉で話す人だったが、今日は少し違う温度があった。
「……ありがとうございます」
少し間を置いてから言った。
転校生が、また本に視線を落とした。
エリーゼも本に戻ろうとしたとき、転校生がまた口を開いた。
「あれから学園の雰囲気がよくなった気がしている」
「……私もそう思います。笑い声が増えた気がします」
「ああ。圧もなくなった」
「誰かに見られているような緊張が、消えたんだと思います」
転校生が少し間を置いた。
「本来の学園の姿に戻ったのかもな」
エリーゼは転校生を見た。
「……そうですね」
短い言葉だったが、何かがそこにあった。この人がそう言うのを、エリーゼは初めて聞いた気がした。
二人はまた本に視線を落とした。
十二月の図書室は、窓の外が白かった。曇り空が低く広がっていて、今にも雪が降りそうだった。
中庭とは違う静けさだったが、それでよかった。
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