第31話 「早退令嬢と、その後」
大広間の翌日から、学園が動き始めた。
録音装置に残っていたイザドラの声が決定打となり、学園側は正式な調査を開始した。
まず、書状の筆跡鑑定が行われた。ルーカスが持参した偽の書状と、イザドラの板書を複数の教師が照合した。専門家による鑑定の結果、同一人物の筆跡である可能性が極めて高いという判定が出た。
次に、リナが記録した情報をもとに令嬢たちへの行為についての証言が集まった。一人が名乗り出ると、それを聞いた別の生徒がまた名乗り出た。茶会の内容を漏らされた件。友人関係を意図的に壊された件。慈善活動に関する根拠のない噂を流された件。証言は、次々と積み重なっていった。
薬品事件については、録音に含まれていた具体的な薬品名をもとに、担当の教師が改めて調査した。棚の奥から回収されていた薬品と照合した結果、録音の内容と一致した。実習室にいた全員が巻き込まれる可能性があったという見解が、学園長に報告された。
イザドラの学園への在籍については、正式な審議が行われることになった。取り巻きだった令嬢たちも、一人ずつ静かに離れていった。廊下を歩くイザドラの周囲から、人が消えた。
学園の空気が、静かに変わった。
◇
イザドラの断罪直後、エリーゼとリナは廊下で話をしていた。
「リナ様、ありがとうございました」
リナが、少し間を置いた。
「……感謝されるとは思っていなかったです」
「あなたがいなければ、あの場は崩せませんでした」
しばらく、廊下に沈黙があった。
「……エリーゼ様は最初から、うまくいくと思っていたんですか」
「思っていましたよ。あなたがいたので」
エリーゼが言った。
リナが顔を合わせずに、窓の外を見た。
「これで、不幸になる生徒は減りますかね」
「少なくとも、あのままよりはいいと思います」
リナが、少し力の抜けた顔をした。
「……あの時、私に話しかけてきて、正直驚きました」
「そうでしょうね」
「全部暴かれて何もない私に、なぜ声をかけてくるんだと思って」
エリーゼは少し間を置いた。
「覚えていますか。あの日のことを」
リナが、エリーゼを見た。
◇
――回想――
それは、イザドラが理不尽にお茶をかけたの放課後のこと。※第24話
学園の廊下は薄暗かった。ほとんどの生徒が寮に戻っている時間だった。
エリーゼがリナに声をかけたのは、図書室の近くだった。
「少し、よろしいですか」
リナは立ち止まった。エリーゼを見た。
(……なぜ、この人が私に)
一学期の大広間以来、エリーゼとまともに話したことはなかった。廊下で視線が交わりそうになれば逸らしてきた。なぜ今、この人が自分に声をかけるのか。
「……何でしょう」
「大広間のこと、耳にしましたわ」
リナが、少し間を置いた。
「……嫌味ですか」
「違います」
エリーゼが静かに言った。
「あなたをここまで、陥れる方法をしなくてもよかったのではと感じています」
リナは答えなかった。
(……この人が、私にそんなことを言うのか)
「それで、用件は何ですか」
「そうですね。単刀直入に伺います。
イザドラ様の最近の言動について、どう思っておりますか」
唐突だった。リナは少し驚いた。
「……また、嫌味ですか」
「違います」
「では、何ですか」
「聞きたいのです。あなたの目から見て、どう捉えているか」
リナはしばらく、エリーゼを見ていた。
(……この人は、何か考えている)
「……私たちがいなくなって、動きやすくなったんでしょうね、あの方は」
リナが言った。
「一学期よりずっと、大胆になって、慎重さがなくなった。もともとそういう人だったのか、それとも調子に乗ったのか」
「学園内の雰囲気も変わって、おびえている生徒も増えているわ。ちょっと鼻につくわね」
エリーゼが頷いた。
「確かに、見過ごせない件が増えています」
エリーゼが静かに言った。
「私は、イザドラ様の言動を止めたいと思っています」
「でも今の私が直接動いても、逆に利用されてさらに悪化するだけです。カーストも立場も、今の私には何もない」
リナは黙って聞いていた。
「そこで、提案がございます」
エリーゼが続けた。
「あなたに、イザドラ様の取り巻きになっていただきたいのです」
リナは、一瞬だけ表情が止まった。
「……は?」
「取り巻きになって、内側から情報を集めていただき……」
「冗談ですよね」
食い気味にリナが言った。声が、少し硬くなった。
「私は一学期に全部暴かれた人間です。今更あの人の側にいても、何もできませんよ。それに、もし知られたらあなたはどうなるんですか。御断りします」
(……当然の反応だ)
エリーゼは内心で思った。でも、ここで引くつもりはなかった。
エリーゼは、首元に手をやった。
細い銀の鎖に下がった、きれいな宝石。それを外して、リナに差し出した。
「……何ですか、それ」
「母からもらったものです」
リナが、ペンダントを見た。
「それが、どうして私に」
「あなた、返還や弁済の目途は立っていますの?」
リナの表情が、少し変わった。
「……関係ないでしょう」
「このペンダントを売れば、完済することは容易ですわよ」
リナは、ペンダントを見た。それから、エリーゼを見た。
(……この人は、本気だ)
自分の大切なものを差し出している。交渉の道具として。それがこの人の本気の証だった。
「……なぜ、私なんですか」
リナが聞いた。声が、少し低くなっていた。
「敵対心があったからこそ、誰よりもあなたを理解しているつもりです」
少しの沈黙後、リナが返答した。
「……買いかぶりですよ」
「そうは思いません。これは、あなたにしかできないことだと思っています。情報を集められ、人を見る目があり、実行力がある。それは本物です」
リナはしばらく、ペンダントを見ていた。
(……断れば、このまま終わる。返還も弁済も、目途が立たないまま)
(……でも、この人の頼みを聞くのか、私は)
(確かに、イザドラの言動には引っかかる点も多い)
しばらく、沈黙があった。
リナがペンダントを優しく手に取った。
「……わかりました」
低い声だった。
「ただし、条件があります。私が動くのは、あの人が本当に誰かを傷つけようとしたときだけです。それ以外は、私はただの取り巻きです」
「それで十分です」
エリーゼが答えた。
二人は、それ以上何も言わなかった。
◇
――現在――
「……あのとき、正直迷いました」
リナが言った。
「エリーゼ様のことが信用できるかどうかも、わからなかったし。そもそも、なぜあの方に媚びを売らないといけないの、とも思いました」
「それは当然だと思います」
「でも」
リナが、窓の外を見た。
「薬品の件を知ったとき、これは止めないといけないと思いました。あれは、遊びじゃなかった。本当に誰かが傷つくところだった」
エリーゼは何も言わなかった。
「本当に、感謝しています」
「……条件通り、動いただけ」
リナが、エリーゼを見た。
「感謝されるようなことじゃないです」
「それでも、ありがとうございました」
エリーゼが静かに言った。
リナは少しの間、何も言わなかった。
リナが、また窓の外を見た。
「……エリーゼ様って、本当に変な人ですね」
「そうでしょうか?」
「いや、お互い様なのかもしれませんね」
「あと、私と話す際は、もう少し自然体で構いませんよ」
リナはそう言ってから、廊下を後にした。
静けさがあった。
でも、悪い静けさではなかった。
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