プロローグ:断罪された王女
グレイヴ王国の第一王女ステラの平穏が過ぎ去るのは、ほんの一瞬だった。その日は、ステラがまだ十八歳の時だった。
「毒殺……? 待って、一体なんのこと?」
近衛兵たちが非常識にも夜に私室を訪ねてきたかと思えば、身に覚えのない話をされ、ステラは困惑した。三つ上の兄エドウィンの妻――キャロライナを毒殺しようとした容疑が、自分にかかっているらしい。無論、そんな愚かな真似などするはずがない。
「証拠が揃っているのです、ステラ殿下。地下牢に捕らえよとの命が下っています」
「命? 誰の命よ。国政の代行はこの私が行っているのに、誰が私に命を下すというの?」
「エドウィン殿下のご命令だと、キャロライナ様より伺っております」
グレイヴ王家の内情は複雑だった。
ステラの父である国王は、二年前から病に伏せ、国政の場から姿を消した。現在は、この国のどこかにある王家の保養所で療養を続けている。
本来であれば、第一王子のエドウィンが国政の代行をするはずだったのだが、彼は十五歳の頃から突然、女と酒に溺れるようになった。特に女遊びが激しく、毎夜のように女性を自室に招き入れては情事に耽っているという。「一度として同じ女を抱いたことがない」というのが、エドウィンの悪しき噂だった。
エドウィンの振る舞いを見かねた国王は、療養に入る直前、「エドウィンは王太子の位を解き、国政の代行をステラに委ねることとする」という書状を残した。それ以来、ステラが国王の代わりを担ってきたのだ。
エドウィンは、病死した前王妃の子であり、ステラとは半分しか血がつながっていない。そのせいか、彼は妹を毛嫌いし、また、ステラの弟――第二王子であるノエルのことも嫌っている。
エドウィンは、三年前に財務大臣ジェイルズ侯爵の娘、キャロライナと結婚した。しかし、結婚後もエドウィンの女好きは変わらずで、自分の部屋に女をとっかえひっかえ招き入れているという。当然、キャロライナとの仲は冷え切っていた。
そのキャロライナが、毒を飲まされた。幸いにも飲んだ量が微量だったため、命に別状はなく、意識もはっきりしているという。
「酒に溺れて判断力のない兄の命令に、あなたたちは従うというの?」
「ですがステラ殿下。あなた様の執務室から、キャロライナ様が飲まれたものと同じ毒物が発見されたのです」
「そんなもの、いくらでも偽装できるわ。誰かが私の執務室に隠したとは考えないの?」
「我々ではその真偽を判別できません」
ステラの主張は何一つとして通らなかった。近衛兵に両側から腕を掴まれ、半ば引きずられるような形で地下牢へと連れていかれる。本来であれば、容疑のかけられた王族は特別牢に幽閉されるはずだ。そうだというのに、入れられたのは、他の囚人と変わらない、暗く冷たい牢の中。
何もかもがおかしい。
「ステラ」
その声を聴いて、ステラはぎょっとした。向かいの牢に目を向けると、自分の母がいるではないか。
「お母様まで……! どうして? 一体何が起きているの?」
「ああ、ステラ。あなたも捕まってしまったのね。キャロライナ様の毒殺未遂に加担しただろうと言われ、無理やり連れてこられたのよ」
母は困惑した様子であわあわと落ち着かない様子だ。ステラはただ、母を安心させるために「私が絶対にお母様をここから出しますから」と言うことしかできなかった。
しかしその後、ステラは母と共に、三日三晩放置された。
当然着替えることなどできず、質の良いドレスはすっかり汚れてしまっている。ステラの美しい白銀の髪も、その輝きを失ってしまった。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
どうにかして、ここから出なければならない。さもなくば、この国は終わる。兄のエドウィンでは、国王の代わりは務まらない。弟のノエルはまだ十歳で、若すぎる。
ステラしかこの国を支えられる人間はいないのだ。
しかし、見張り番に「宰相を連れてきなさい」といくら命じても、「ご命令には従えません」との一点張り。食事もろくに与えられず、寒さをしのぐための毛布もなく、母は次第に衰弱していった。
ステラは母に声をかけ続けることしかできなかった。
そして、四日目の朝。
地下牢に一人の男が現れた。
「イーサン……!」
イーサン・ヘムズワース。彼の顔を見て、ステラの心は希望に満ちた。彼は外務大臣ヘムズワース侯爵の息子であり、ステラの婚約者だ。きっと、助けに来てくれたに違いない。
「イーサン! お願い、力を貸して! 無実であることを証明したいの!」
鉄格子を掴みながら、ステラはイーサンの茶色の瞳を見上げた。しかし彼は、虚ろな目で言う。
「君が悪いんだ。君が……」
「イーサン……?」
「さようなら、ステラ」
イーサンはそう言い残すと、すぐに踵を返した。ステラは鉄格子の隙間から慌てて腕を伸ばし、彼を掴もうとする。しかし、その手は届かず、彼はさっさと去っていく。
「イーサン! 待って、イーサン!!」
ステラの呼び止めに、イーサンが振り向くことはなかった。コツコツと、ただ靴音だけが地下牢に響いた。そして、彼と入れ替わるように、また一人やってくる。
毒殺未遂の被害者、キャロライナだ。
ストロベリーブロンドのふわふわの髪に、赤茶の瞳。可愛らしく愛嬌のある、城の人気者。最低の夫を持つ、可哀想な王子妃。
キャロライナの父であるジェイルズ侯爵には、昔から色々と黒い噂が絶えなかった。ステラが今回の一件で真っ先に疑った人物のうちの一人が、まさしくジェイルズ侯爵だ。侯爵が娘を利用して、邪魔なステラを国政の場から消そうとしているのではないかと、そう睨んでいた。
しかし、今、キャロライナの表情を見た瞬間、ステラは自分を嵌めたのが彼女だと悟った。
下に見るような蔑みの目。歪んだ笑み。いつも柔らかく微笑む彼女とは、かけ離れた表情。こちらが彼女の本性だったのだ。
「あなた……!」
キャロライナは勝ち誇った笑みをより一層深める。
「イーサン様に救ってもらえると思って期待したかしら? 残念でした。あの男はね、わたくしにぞっこんなのよ。ああ、可哀想なステラ様」
鼻でフッと嘲笑するキャロライナは、鉄格子の中に腕を伸ばし、ステラの髪を思いっきり引っ張り上げた。あまりの痛みに思わず涙が滲む。
「さようなら。この国はわたくしに任せて、安心してあの世に行きなさいな」
そしてステラは小瓶を口に突っ込まれ、何かの液体を流し込まれる。反射でごくりと嚥下した時には、それが毒だとすぐに悟った。胃が燃えるように熱く、激しくせき込む。
ばたりと音を立てて倒れたステラを見て、うずくまっていた母が異変に気づく。
「……ステラ? ステラ。ああ、ステラ! ステラ!!」
「大丈夫よ。あなたもすぐ、娘の後を追わせてあげるから。って、あなたは放っておいても、もうすぐ死にそうね」
キャロライナの影が遠ざかり、下卑た高笑いが地下牢に響き渡る。見張り番はキャロライナの本性を目の当たりにしても、驚く素振りすら見せない。
(そうか……)
ステラを捕らえに来た近衛兵たちも、見張り番も、全て彼女の息がかかった者たちだったのだ。だから頑なにステラの言うことを聞かなかった。
「お、かあ、さ、ま――」
ステラは懸命に腕を伸ばそうとしたが、もはやピクリとも動かなかった。宝石のようだとうたわれた彼女の碧い瞳は、とうとう輝きを失った。
* * *
ステラは一面が真っ白な世界にいた。目の前には悲しげに笑う母がいる。これが天国というものだろうか。
「お母様……!」
母を救えなかった無念がこみ上げ、思わず一筋の涙がこぼれた。母は優しくステラの涙を拭い、微笑む。
「私の命を使いなさい、ステラ。生きて、あなたがこの国を救うのです」
「どういうことですか……?」
母はステラの問いには答えず、まるで浮遊するように後ろに遠ざかっていく。
「お母様、どちらに行かれるのですか? 私も共に参ります」
「ここでお別れです。先に逝くことを、許して頂戴ね」
「待ってください! お母様!」
今度は腕を伸ばすことはできたが、その手が母を掴むことはなかった。




