5.修行と目覚め
登場人物
クロスリーパー
主人公 賞金稼ぎ
ジェシカ グラフ
邪教徒
ライトスラッシャー 漆黒の断絶者
エルドレッド エリック
ジェシカは、森の中に一人で立っていた。
草木は心地よい風に揺れ、澄んだ空気の上には雲ひとつない青空が広がっている。
静かで、穏やかで──何の違和感もない、ただの森の一角。
その中心に、ジェシカは“何事もないかのように”立っていた。
ゆっくりと息を吸い、深く吐く。
そして。
全身に意識を巡らせ、身体解放。
その瞬間、ジェシカの足元の草だけが、風とは違う揺れ方をした。
まるで彼女を避けるかのように、円を描いて伏せられていく。
「はぁー……まだダメかぁ」
肩の力が抜け、思わず苦笑がこぼれる。
「揺れちゃダメなんだよね……」
理想は、何も変わらないこと。
風も、草も、空気さえも──ジェシカの存在を“感じさせない”状態。
そう思えば、まだ失敗だ。
だが。
(……でも)
ジェシカは足元の草を見下ろし、ふっと息をついた。
(最初の頃に比べたら、全然マシだよね)
思い返せば、かつては一歩踏み込むだけで森全体がざわめいた。
力を抑えようとすればするほど、逆に溢れ出していた時期もあった。
それに比べれば──
今は、足元だけで済んでいる。
確実に、前に進んでいる。
ジェシカは小さく拳を握り、決意を新たにする。
「……もう一回」
だが、その記憶は自然と──
すべての始まりへと遡っていった。
話は、約一年前に戻る。
───────────────────────
その日から、グラフによる力の抑制訓練が始まった。
グラフはジェシカを連れ、森の奥──
川の上流にある、轟音を立てて落ちる直瀑の前へとやって来ていた。
激しい水音が周囲を支配し、地面は常に湿っている。
「ジェシカ!あの滝の近くまで行ってこい!」
「え……?」
「いいから行け!」
「う……うん……」
半ば押し切られるように、ジェシカは直瀑へ向かって歩き出す。
一歩、また一歩と近づくにつれ──
激しく流れ落ちるはずの水が、彼女の周囲で不自然に弾き始めた。
「……え?」
水飛沫が触れる前に弾かれ、まるで透明な壁があるかのようだ。
「な、何で……?」
「ジェシカ、戻って来い!」
グラフに呼び止められ、ジェシカは慌てて引き返す。
少し距離を取った場所で、グラフは静かに口を開いた。
「今ので、少しは分かっただろ」
「お前はな、強い衝撃や圧を感じると、無意識に身体解放が強くなる」
「今みたいにな」
「だから……水が弾いたの?」
「そうだ」
「意識した瞬間に、力が溢れてる証拠だ」
ジェシカは滝を見つめ、唇を噛む。
「……じゃあ、どうすればいいの?」
「まずはこの癖を直せ」
「……え?」
グラフは、滝壺を指差した。
「滝を、受けろ」
「……それって……」
「そのままの意味だ。やれ」
グラフを見る。
冗談の色は一切ない、真剣な目だった。
ジェシカは覚悟を決め、再び滝壺へ向かおうとする。
「待て」
「……?」
「そのまま行っても意味がない」
「解放を抑えたまま入れ」
「……はい……」
しかし、一歩踏み出しかけたところで、ジェシカはふと立ち止まった。
「……ねえ、グラフ」
「なんだ」
「まさか……私にだけやらせて、自分は出来ないとか言わないよね?」
一瞬の沈黙。
そして──
「ふっ」
グラフは小さく鼻で笑い、上着を脱ぎ、帽子を外してジェシカに投げた。
「持ってろ」
そう言い残し、何の躊躇もなく滝壺へ歩いていく。
次の瞬間──
轟音と共に水がグラフを叩きつけた。
だが、水は弾かれない。
全身びしょ濡れになりながら、グラフは平然と立っていた。
ジェシカは目を見開く。
(……本当に、受けてる……)
そして、グラフはそこで身体解放を行った。
その時。
今度は逆に、水が弾かれた。
滝の中に“空白”が生まれ、グラフの身体は一切濡れていなかった。
そのまま歩いて戻り、帽子と上着を受け取る。
「違い、分かったな」
「……はい」
「やれ」
「……すいませんでした」
頭を下げ、ジェシカは滝へと向き直る。
その日から──
ジェシカは毎日、滝壺に立った。
水を受け、弾き、失敗し、また受ける。
何度も、何度も。
季節は移ろい、やがて空から雪が降る寒い時期になっても──
彼女は変わらず、滝の前に立ち続けていた。
─────。
ジェシカは、直瀑の滝壺の近くへグラフを連れてきていた。
「グラフ、見てて」
短くそう告げると、ジェシカはためらいなく冷たい川へ足を踏み入れ、そのまま滝壺へと歩いていく。
轟音と共に、直瀑がその身を叩いた。
水は弾かれなかった。
ジェシカの身体は一瞬で水浸しになり、重たい水圧を正面から受け止めている。
「……ふっ」
それを見たグラフが、満足そうに鼻を鳴らす。
「いいじゃないか」
滝壺から離れたジェシカは、歯をカチカチと鳴らしながら焚き火の元へ戻ってきた。
「さすがに……寒い……」
「服、乾かさないと風邪引くぞ」
「う……うん……」
ジェシカは震える手で服を脱ぎ、下着姿になる。
その瞬間、グラフは何も言わず自分の上着を脱ぎ、ジェシカの肩に掛けた。
「よくやった」
そう言って、軽く頭を撫でる。
「……!」
驚いたように目を瞬かせるジェシカ。
「これで“基本”は分かったな」
「だが次は、これを常に維持できるようになれ」
「……は、はい……」
道のりは、まだ遠い。
それでもジェシカはめげることなく、目標のために鍛錬を重ね続け──そして今に至っていた。
身体解放を極限まで抑えると、手に持った鉄の棒が異様に重く感じる。
逆に、少しでも上げれば、周囲の草が避けるように揺れる。
「……あとこれだけなんだけどなー!!」
「もー!!分かんないよー!!」
不貞腐れたジェシカは、そのまま草むらに仰向けになり、青空を見上げた。
心地よい風。温かな日差し。
意識が、少しずつ遠のいていく。
「おい」
「は、はい!!」
跳ね起きるジェシカ。
「……飯だ」
グラフの手には、サンドイッチがあった。
「わー!嬉しい!」
目を輝かせるジェシカ。
二人は草むらに並んで座り、サンドイッチを食べながら静かに話し始める。
「……何を悩んでいる」
「うーん……言葉にするの難しいんだけど……」
「身体解放すると、草が避けるように揺れるでしょ?」
「でも、それを消すくらいまで抑えると……この棒が重くて、振れないの」
「……なるほどな」
グラフはナイフを取り出した。
「よく見ておけ」
サンドイッチに刃を当て、力を入れ過ぎることなく、
きれいな切り口で、半分に切る。
「……分かるか?」
「え……」
「これがお前の求めてる答えだ」
「えー……またそれ……」
「なんだ、文句でもあるのか」
「……ないです」
「教えてもらうのと、理解するのとじゃ、その先がまるで違う」
「選べ。どっちがいい」
ジェシカはグラフの目を見る。
そこに、逃げ道はなかった。
「……分かったよ。やるから!」
頬張りながら、少し不貞腐れた声で言う。
「そうだ」
「指導はしてやるが、答えは自分で導き出せ」
そう言い残し、グラフはその場を後にした。
ジェシカは一人、考え続ける。
だが、答えがすぐに見つかるほど簡単ではない。
そして──
また、日々は静かに過ぎていった。
そんなある日の夜。
ジェシカは一人、夕食の支度をしていた。
包丁を握り、肉と野菜を刻む。
だが、その日の肉は質が悪く、硬い筋肉だった。
「……もう、硬いなこの肉!」
苛立ち混じりに、包丁の先を筋に当て、切断する瞬間だけ力を込めて切り分けた。
「よし……これで……え……?」
刃に伝わる感触が、いつもと違う。
力を入れているはずなのに、抵抗が残る。
「……ちょ、ちょっと待って」
ジェシカは思わず、入り口付近に立て掛けてあった鉄の棒を手に取った。
深く息を吸い、吐く。
まずは──最小限の身体解放。
そして、棒を振る瞬間。
“斬る”という一点に意識を集中させ、そこだけを大きく解放した。
ブンッ、と空気が裂ける。
「……!」
棒は軽々と振り抜かれ、重さは感じない。
「お、おお……!?」
「すごい……!」
胸が高鳴る。
「これなら……相手は気づかないかも……!」
「よし、明日グラフに試してみよう!」
胸を躍らせながら、ジェシカは拳を握った。
────。
翌日。
ジェシカは、グラフと向かい合っていた。
「いいぞ」
グラフは構えも崩さず、淡々と言う。
「来い」
ジェシカは息を整え、距離を詰める。
身体解放は最低限。
棒を振る、その瞬間だけ、力を解放。
──ガッ!!
しかし、グラフはそれを受け止めた。
「……っ」
「くっ……ダメか……」
悔しさを滲ませるジェシカ。
「……また考えないと……」
「ジェシカ」
「なに?」
「まだ、足りない」
グラフは静かに言葉を続ける。
「今のお前はな、武器を持ち上げる瞬間と、斬る瞬間が同じ力だ」
「それに──斬り終わった後、力を抑えきれていない」
ジェシカは、はっと目を見開いた。
「理解したら、もう一度だ」
「意識しろ」
「……うん」
ジェシカは、再び構える。
距離を詰める。
持ち上げる瞬間と斬る瞬間の違う──解放。
そして、斬り終わった瞬間に、即座に抑制。
次の瞬間。
ガンッ!!
グラフの棒が弾き飛ばされた。
「──っ!」
ジェシカの一撃が、確かに通っていた。
そして、その直後。
力は完全に抑えられている。
「……!」
「ふっ」
グラフは口元をわずかに緩めた。
「それでいい」
「この一瞬の中で、駆け引きは幾つも起こる」
「それを冷静に見て、先に動ける奴が勝つ」
ジェシカは息を切らしながら聞いている。
「もちろん、実力以上の相手には一切通用しない」
「だが実用性はかなり高い」
そして一言。
「よくやったな、ジェシカ」
「……!」
「やった……!」
「やったよ、グラフ!!」
思わず、ジェシカはグラフに抱きついた。
「ありがとう!!」
「ふっ……だが、まだ終わりじゃないだろ」
「え?」
「次は、お前の力に耐えられる武器が必要だろ」
「あ……そっか!」
二人は顔を見合わせ、笑った。
こうして──
約二年の歳月をかけて、ジェシカはブラッディローズを使わずに身体解放を自在に操り、 高速移動すら可能とする域へと到達したのだった。




