1. 心音なき湖畔
登場人物
<ディヴァインリーパー>
ジェシカ
ジェシカはアリスの言った通り、アルカナンへと向けて空を駆けていた。
すると、遠くからでも分かるほどの大きな湖畔がジェシカの視界に入る。
水面は鏡のように静まり返り、風もないのに揺らぎ一つない。
空を飛ぶ鳥の姿すら見えず、自分の足音すら地面に触れる前に消えていくようだった。
「あれって、アリスの……」
そう言いながら湖畔で足を止め、周囲に目を配ると、不思議なことに何の気配も感じなかった。
しかし、一定の境界を越えると他人の心音が“消える”ことを、ジェシカは理解していた。
(……静かすぎる)
自分の鼓動だけがやけに大きく響く。
「これって、アリスの魔術の類いなんだよね」
そう思い、ジェシカはアルカナンの位置を地図で確認するために広げ、方向を確かめていた。
その時、ジェシカの背後から風が吹き抜け、地図が煽られて飛んでいった。
「うわっ! ちょっと!」
空高く舞い上がる地図を目で追いながら、落ちていくそれを拾いに向かう。
その時ふと、ジェシカは血の匂いを感じた。
「え、これって血の匂いだよね。でも、心音がない……」
しない、ではない。──最初から“なかった”。
何者かが隠れられるような木もなければ草陰もない。あるのは広い湖畔だけ。
ジェシカは落ち着き、ゆっくりと目を閉じてさらに集中し、周辺を探る。だがアリスの魔法の範囲内には危険はないと判断し、わずかに安堵した。
「……気のせい、じゃない」
緊張をほぐすように息を吐き、改めて血の匂いのする方へ歩く。
そこは以前、ここで戦った記憶のある場所だった。
「ここって、たしか……」
次第に匂いが強くなり、足を止めると、そこには一つの血溜まりができていた。
まだ乾ききっていないのか、わずかに光を反射している。
「え……なんでこんな所に……」
不思議に思っていたジェシカだが、ふと記憶がよぎる。
「あ、これってまさか!!」
ジェシカは血溜まりに分解アルカナを使い、血を結晶化した。
「……エルダート」
その一言の直後、広い湖畔に風が吹き、草や水面が揺れ、思わず目を細めるジェシカ。
──その直後。
風が止み、
音が消える。
「へー、それが君のアルカナなんだねー」
「!!?」
ジェシカは声のする方へ咄嗟に振り向く。
「だれ!?」
「あはは! そんな驚かないでよー」
腹を抱えるように笑う少年の姿がそこにはあった。
しかし、ジェシカの探知やアリスの防壁魔法すら超えて目の前にいる時点で、普通ではないことは理解していた。
(……いつから、そこにいた?)
ジェシカは身構え、目の前の少年へ鋭い視線を向ける。
(……ダメだ。勝てるイメージが浮かばない)
「あのさー、そんな敵対心むき出しだと、こっちもそれ相応のことをしないといけなくなるからさ。
そういうのやめないー?」
軽い口調。なにより、こちらに対して全く敵対心がない。
「わ、分かった。それで、あんた何者なの?」
「あー分かっちゃった? あはは!」
「笑ってないで答えてよ」
「うーん、そうだね。教えてもいいけどさ、先に俺の話を聞いてよ」
少年は笑顔でジェシカを見ている。
「本当はさ、こんな所でゆっくりしてる時間ないんだけどねー」
軽快な口調で、どこか的を射ていないような雰囲気を纏っている。
「はあ、分かったよ。それで、あなたは何を話したいの?」
ジェシカの言葉に、少年はほんの一瞬だけ殺気を露わにした。
空気が、凍りつく。
「な!!」
「あは! やっぱすごいね!クロスリーパーのジェシカちゃんは」
「──!! なぜ私の名前を知ってる!?」
「えーだって、ずっと“君たち”の動向は見ていたよ?」
その一言で、背筋が冷たくなる。
「え……君たち?」
「そうだよ。君たちだね。それにアリュールをやっつけたこともだし、フィセルだっけ?糸使う男の子、それに……」
少年の視線がジェシカの右手を見る。
ジェシカは咄嗟に右手を隠した。
「はは! 大丈夫だって!そのエルダートのことも知ってるからさ!」
「お、お前……一体何者なんだ……」
今までのジェシカたちの行ってきたことをすべて知っている少年。
「教えてもいいけどさ、さっきも言ったけど……先に俺の話を聞いてよ」
「……わ、分かった」
逃げ場は、ない。
「ジェシカちゃんは、相手の話をちゃんと聞ける子なんだね。偉い偉い」
少年はにやりと笑う。
「ちゃんと選べる子だといいなーって思ってるよ」
「……え?」
一瞬、言葉の意味を理解できなかった。
「まあ、間違えても……別にいいけどさ」
ぞくり、と背筋が粟立つ。
「……話して」
「はは!うんうん!」
すると少年は指をパチンと鳴らすと、地面から切り株が二つ現れ、「どうぞ」と言わんばかりに手を添え、ジェシカを座らせた。
音もなく地面が盛り上がり、滑らかすぎる断面を持つ切り株が形作られる。
まるで最初からそこにあったかのように。
ジェシカは一瞬だけ迷い、それでも腰を下ろした。
ここから、この少年の話を聞き、アルカナンとリベリオンへの攻略のカウントダウンが始まるのだった。




