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第3話∶そして“彼”が舞い降りる

 部活終了後、鉄子は借りていた本を返す為、図書室に来ていた。当然、虫関連の本ばかりだ。

 「僕も返すから一緒に行くよ」と付いてきた電馬は、

 「ギリ間に合って良かったね」

 そう言って彼女以上に胸を撫で下ろした。

 部活の後で図書室に行く時は、電馬が同行するのが週に一度の恒例になっていた。

 「どうやら、図書委員以外はみんな帰ったらしいね」

 終了時刻が迫っているので利用者はいないと思われた。

 「いや、あそこにいますよ」

 詳子がそう言って指差した。今回は彼女も付いてきている。「私も用があるから」と言った時、電馬はほんの少しだけ眉をひそめた事に鉄子は気付かなかった。

 「ホントだ。あんな隅っこに」

 電馬が言う通り、人目から避ける様に奥のテーブルの端の席で読み耽っている生徒が2人もいた。

 その姿を見た鉄子が驚愕の声を洩らした。

 「――って、金髪と真っ赤じゃないですか!」

 1人は輝かんばかりのブロンドで、顔立ちが白人に近い女子生徒。ただし、垂らした前髪で目元を隠している。

 もう1人の髪型は大胆にもリーゼントで、ポンパドールを真紅に染めており、学校指定のジャージを着ていた。しかも、その上からでも分かるぐらい体は引き締まっており、身長は180cm近くあるのでファッション雑誌のモデルに見える。

 「私は野暮用があるから」

 詳子はそう言うと2人に歩み寄った。

 カウンターで文庫本を読んでいた図書委員に数冊の本を手渡した鉄子と電馬は、遠巻きに3人の様子を眺めていた。

 「ショタ子先輩とあの2人は友達なんですか?」

 鉄子が電馬に訊くと、

 「うん。金髪の方は2年生の有塚(ありづか)舞世(まいぜ)・メアリ・クラリッサ。母親がイギリス人のハーフ。で、綽名は“目隠れ残念ハーフ”」

 「それ、ヒドくないですか?」

 「ハーフ美少女で金髪で声も可愛くてスタイル抜群なのに、その前髪で顔の上半分を覆い隠し、いつでも小説を読んでいて人と話すのが苦手なコミュ障で陰キャだから。入学当時は人気があって〈マドンナ・クインテット〉候補だったけど、すぐに外れたよ」

 マドンナ・クインテット――堤中高校では戦後から、学業・スポーツ・外見・品行方正さ・人気が上位に入る5名の女子生徒をそう呼ぶ。詳子もその1人である。

 「そう言えば、男子は〈プリンス・クインテット〉なのに、何で女子はプリンセス・クインテットじゃなくてマドンナなんでしょうか?」

 「マドンナ・クインテットの方が語呂が良いからじゃないかなぁ。

 ちなみに、ここが男子校だった頃、成績優秀でスポーツも出来て品行方正で家柄が良い5人のイケメン優等生を〈五大尊〉と呼んでいたのが始まりらしいよ」

 「ごだいそん?」

 「仏教の不動明王・降三世明王(ごうざんぜみょうおう)大威徳(だいいとく)明王・金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王・軍茶利(ぐんだり)夜叉明王の総称だね」

 「不動明王以外は初めて聞きました。そういえば、よく聞く四天王も仏教の神様のチーム名でしたね」

 「うん、そうだよ。毘沙門天(びしゃもんてん)こと多聞天(たもんてん)持国天(じこくてん)増長天(ぞうちょうてん)広目天(こうもくてん)がメンバーだ」

 「確か、毘沙門天って七福神にも入ってましたよね。掛け持ちですか?」

 「そんなところかな」

 「でも、何でメジャーな四天王じゃなくて五大尊に?」

 「四天王よりヒエラルキーが上で、より人数が多いところから、そう呼ぶ様になったって聞いてるよ。

 それに元々ここは幕末に藩主が造らせた星形城塞で、その跡地に堤中高校が建てられたんだ。上空から見れば敷地が星形で、校舎が五角形になっているのは知ってる?」

 「はい。だから、“七府市(ななふし)のペンタゴン”って呼ばれてますよね」

 敷地は函館の五稜郭、校舎はアメリカの国防総省とよく似ていた。その校舎の真ん中には五角形の広い中庭があり、更にその中心に四阿(あずまや)が建っている。

 ちなみに、異端科学部が不法占拠を長年続けている旧別館は、上空から見ればへの字型で、北を指す角に沿う形で建っていた。

 「そうだよ。敷地も校舎も五角形だから“五”繋がりで五大尊になった。さっきも言ったけど、多聞天がリーダーの四天王より、不動明王がリーダーの五大尊の方が偉いんだ。だから、他の高校にいる四天王よりも上回ってるって言いたかったんじゃないかな」

 「男子校だったから、周りの高校をライバル視してたのでしょうか?」

 「そうだと思うよ。それから、今と違ってその5名に入ると進学が有利になったりとか色んなメリットがあって、みんなそこに入ろうと必死に競っていたそうだ。

 でも、戦後に共学になると呼び方もあり方も現在の形に変わったみたいだよ。普通の高校に較べたら、まだまだエリート意識は強いけど」

 「そうだったんですね。詳しいですね」

 「いやぁ、まぁ、それほどでもぉ」

 電馬は照れ笑いを浮かべ、扇子で自身の首筋を何度か叩いた。

 「じゃあ、話を戻しますが、あの真っ赤なリーゼントで不良っぽくてモデルみたいなイケメンは?」

 「あんな見た目だけど不良じゃないイケメンの方は、同じ学年の蜂須賀(はちすか)美王(びお)。綽名は〈美王子(びおうじ)〉――その名の通り、女子にめっちゃモテモテ」

 めっちゃモテモテの部分だけ変に強調して言った。

 「恨み込めてません?」

 「いやいやいやいや全ッッッ然ッ! 別にちっとも何ともこれっぽっちも思ってないよぉ~」

 色々察した鉄子は敢えてスルーして、

 「あの人はプリンス・クインテットに入ってるんですか?」

 「勿論、入ってるよ。成績優秀でスポーツ万能のイケメンな人気者だからねぇ」

 「あの3人、仲が良いんですね」

 「まぁね。よくつるんでいるのを見かけるよ。――あ、帰ってきた」

 「待たせたね。今日は借りないのかい?」

 尋ねる詳子に鉄子と電馬は答えた。

 「閉まる寸前なので、明日改めて借りに来ます」

 「僕もだよ。ところで、何を話していたの?」

 「2人にお礼を。先日、色々お世話になったので」

 「ふ~ん。じゃあ、2人は何を読んでいたのかな?」

 「有塚は図書室にある『そして誰もいなくなった』で、蜂須賀は自前のUFO関連のハードカバーでした」

 「それって何処かで聞いた様な……」

 思い出せない鉄子に電馬が教えた。

 「ミステリーの女王と呼ばれた推理作家アガサ・クリスティーの小説だよ」

 「その名前は聞いた事あります。有塚先輩はミステリー好きなんですね。じゃあ、蜂須賀先輩は――」

 「校内では1、2を争う程のUFOマニアだよ。あの本だってアメリアから取り寄せた原著だし」

 「英語ペラペラなんですね。凄い!」

 すると、詳子が口を挟んだ。

 「アメリカやイギリスで出版されたUFO関連の書籍を読みたい一心で、小学生の頃に英語を習得したらしい。

 そういえば中学生の頃、夏休みにネバダ州のエリア51に行って、取り巻くフェンスに近付いたら警備の兵士に銃口を向けられながら警告された、とか言っていたな」

 「()たれそうになってる! 筋金入りじゃないか! 今にもメン・イン・ブラックが来そう」

 電馬は驚くが、その方面の知識が全く無い鉄子にはピンとこない。

 もし、この場に章子がいれば驚きながらもスマートフォンのメモ機能に記録していただろう。

 「さて、そろそろ出よう。放課後のパガニーニの演奏も終わっているし」

 詳子の言う通り、切なくも妙なる音色は聞こえなくなっていた。

 「そう言えば、先輩達は放課後のパガニーニが誰か知ってますか?」

 「うん、まぁね」

 電馬が得意そうに言った。予想外の返答に鉄子のテンションが急上昇。

 「マジですかッ!? どうやってあそこに登ったんです?」

 「行く迄もないよ。だって彼女は――」

 「そのうち会えるよ。君が異科部(うち)を辞めない限り」

 詳子が珍しく他者の説明を遮り、最後まで言わせなかった。

 「そうですか。とても楽しみです」

 その後、鉄子はトイレに寄ると言ったので、先輩2人は先に下駄箱に向かった。

 「部長、口が滑りそうになりましたね」

 「いやあ、マジで済まない」

 「気を付けて下さい。部長はテッコ君が相手だと態度も表情も口調も判断力も自制心も財布もゆるゆるになるので」

 詳子からの手厳しい指摘に電馬はタジタジになりつつ、

 「いや、そんな事は……うん。悪かったよ。でも、彼女の事は別に気にしてな――」

 「分かっています。邪推はしていません」

 あっさり言われた電馬はそれ以上何も言えず、白扇で首筋をポンポン叩くばかりだった。

     ~ ☆ ~

 西日が沈みかけ、夜の(とばり)が降り始めた頃、鉄子は愛車のマウンテンバイクを漕いで帰宅していた。

 結局、ポォは今度の土曜日に、異端科学部のOB・OGの多くが勤めている研究所に行って調べて貰う事になった。当然、鉄子も同伴する。それまでにまだ三日もあるので、じれったくて堪らない。胸の高鳴りが止まらず、顔も紅潮しているのが自分でも分かった。

 (ポォが何の機械なのか、早く知りたいな。でも、姫科研で調べても分からなかったらどうしよう?)

 好奇心と不安が交互に押し寄せる。

 その時、向こうからママチャリに乗ったサラリーマンらしき中年男性が迫ってきた。それも、右側通行な上に咥え煙草だ。しかも、ここは歩道と言うには狭くてガードレールも段差も無い。自転車同士が()れ違う場合、どちらかが車道に出てしまうのは明らかだ。

 煙草嫌いの鉄子は思い切り顔をしかめて通り過ぎようとした。彼女が左に寄せる直前、男性も同じ方向にハンドルを切った。けれども、鉄子は構わず左に寄せた。つまり、男性に向かって寄せた形になった。当然、正面衝突は避けられない。

 2人はほぼ同時に急ブレーキを掛け、前輪同士が接触する寸前で止まった。

 「危ないだろッ! 何で避けないんだッ!?」

 いきなり男が怒声を浴びせてきた。吐息が煙草臭く、鼻孔が痛くなった。

 その所為で一瞬、頭の中が真っ白になった鉄子は相手の剣幕に圧されて言葉が出なかった。

 しかし、すぐさまブレザーの内ポケットからスプレー缶を取り出し、躊躇い無く噴射して周囲に撒き散らした。

 「何しやがるッ!?」

 男は怒鳴るが、鉄子は構わず続ける。すると、森の中の空気とよく似た清涼感ある芳香で煙草の悪臭が搔き消された。そのスプレー缶には『シルフの吐息』と記されている。

 「こいつは臭ぇッ! あの毒ガスかよ!?」

 それは数年前から売られている消臭芳香剤だが、愛煙家とコーヒー愛好家には凄まじい悪臭に感じるとして彼等には絶惨大不評だった。詳子が言うには、

 「煙草並びにコーヒーを不味いと感じ、不快感を覚える脳は森の香りと感じるが、それらのどちらかもしくは両方を美味いを感じ、快感を覚える脳はその構造上、不快な悪臭に変換してしまうのだろうな」

 どちらか、または両方を好きな人達を合わせると人類の大半を占める。当然、これを不快に思う人の数はそれに等しい。

 勿論、企業には抗議が殺到し、販売中止を訴える運動が止まらない。それでも、現在も依然として売り続けられていた。

 男はその猛烈な悪臭により、シルフの吐息だと見抜いたのだ。

 一方、鉄子は森華の森の空気に似た香りに触れた事で落ち着きを取り戻し、やがて沸々と怒りが込み上げてきた。そして、静かに言い返す。

 「自転車に乗りながら煙草を吸うからです。それが迷惑行為だと分からないのですか?」

 男は一瞬たじろいだ。まさか、大人しそうな風貌で小柄な女子高生が言い返してくるとは思わなかったのだ。けれども、すぐにより一層恫喝する。

 「うるさいッ! ゴチャゴチャ言うな!」

 しかし、鉄子は臆せず言葉を続ける。

 「それに、どうして左側に避けたのですか? 私はきちんと左側通行なのに、そっちは右側通行ですよね。だったら、そっちが車道側に避けるべきです」

 「お前がこっちに避ければいいだろ!」

 男は車道を指さした。けれども、鉄子は反論を止めない。

 「どうして、きちんと左側通行してる私が危険な方へいかなきゃならないんですか? 右側通行して交通ルールに違反しているそっちが危険な車道側に避けるのが当然でしょう。

 しかも、さっきも言いましたけど煙草を吸いながら乗るなんて、マナーや倫理観は何処に捨ててきたんですか?」

 「何で毎日真面目に働いている社会人(オレ)が、毎日遊び呆けている高校生(クソガキ)の言う事を聞かなきゃならんのだ!」

 「詳しく言ってあげましょうか? そっちは交通ルールに違反して右側を走り、マナーも違反して煙草を吸いながら運転。しかも、正しく左側通行している私が危険な車道側に避けなかった事に怒っている。

 つまり、交通ルールを破っている癖にそれを守っている私が車に轢かれようとも自分が無事なら構わない、って事ですねよ? これって、アタオカだって自覚してます?

 車道側に避けるのが嫌なら最初からルールを守って左側を走ればいいだけ。あと、走りながら煙草を吸うなッ!!」

 全く非が無い鉄子が、全面的に悪い男に改めて指摘した。すると逆上して、

 「うるさいッ、クソガキ! お前こそ今すぐ謝って車道(こっち)側に避けて道を譲れ!」

 開き直った男は威圧的に言い放つ 。取りすがりの人達は関わり合いになるのを恐れ、見て見ぬふりして2人を避けて行く。

 気圧された鉄子は再び言葉が出なくなった。やはり、成人男性から怒鳴られると身も心も委縮してしまう。それでも、いざとなったら大量のシルフの吐息を憎たらしい顔面にブッ掛け、怯ませてから逃げようと身構えた。

 鉄子の怯えた様子を見た男が調子に乗って怒号を放とうとした時、制服のポケットから玉虫色の物体が飛び出した。

 「な、何だこれはッ!?」

 「ポォ、飛べるのッ!?」

 鉄子を庇う様に、外骨格が展開した前翅とエメラルドグリーンの光で形成された後翅を広げたポォは、勇猛な武将が構えた槍の如き頭角を男に向けてホバリングしている。

 しかも、複眼は再びトパーズイエローに光り、「キュィィィン! キュィィィン!」と発せられる警告音。更に鼻孔を刺激する山葵臭。明らかに、男を威嚇している。

 「何だ、このオモチャは!? ふざけるのも大概にしろ!」

 男が怒りに任せて拳を振り上げた瞬間、「ピィィィッ!」と心電図が止まった様な電子音が鳴りびいた。

 そして、複眼の輝きはルビーレッドに変わり、「ヴィィィィン! ヴィィィィン!」と、より不快で、かつ警戒心を抱かせる音に変化した。

 すると、胸角からトパーズイエローの光線が射出された。それは頭角のY字の間を経由して男の胸に命中した。

 その直後、男は自転車ごと路面に倒れ込んだ。表情が強張り、死にかけている昆虫の様に四肢をヒクヒクさせている。

 次にアクアマリンブルーの光線を放つと、命中した煙草は火が消えるだけでなく凍り付いた。

 そして三度(みたび)発射された光線はルビーレッド色で、自転車を容易に寸断していく。それがバラバラと崩れて散らばったその時、鉄子達の頭上にアメシストパープルの光で形作られた巨大な斜方立方八面体が出現した。

 「こ、こんろひゃなんらぁ~!?」

 男が振り絞った悲鳴は呂律が回っていなかった。

 直径が20m以上あるかと思われる光のオブジェは一瞬で消えた。

 だが、入れ替わりに巨大ロボットが出現した。

 交差点にゆっくり着地して小さな地響きを起こしたそれは、後に全高が約18mと判明したが、徹子の眼にはもっと大きく見えた。左拳は肘を曲げて胸の前に、右拳は暮れなずむ空に向けて勇ましく突き上げている。

 鎧を(まと)った勇者を思わせる巨体はポォと同じく金色を帯びたメタリックグリーンだが、光の差し込み具合によりメタリックパープルに変わる。つまり、玉虫色だ。

 そして、胸の中央にある三重八芒星と四肢に走っているラインがサファイアブルーに光っていた。

 顔は殿様飛蝗(トノサマバッタ)に似ており、複眼は普段のポォと同じくサファイアブルーに輝いている。そして、人間の鼻に当たる部分から額にかけて大和兜虫の頭角が、頭頂部から胸角が雄々しく突き出ていた。触角は飛蝗のそれではなく、髪切虫の細長い触角が滑らかな曲線を描き、頭部と背中を越えて膝裏辺りまで伸びている。

 その場に居合わせた誰もが立ち尽くした。恐怖の余り、全身と思考が固まっている。

 ところが、鉄子だけは違った。

 夕日を浴びた“彼”が優美にして勇壮だったから。

 その彼は鉄子の前で片膝を突いた。そして、聖杯を受け取るみたいに広げた両手を頭上に掲げる。ゆっくりを眼前まで下すと、右手を腰に当てて握り締める。左手は人差し指と中指を揃えて伸ばしたまま、爪先を額に付ける。鉄子には祈りに見えた。

 その後、左手の2本の指の腹を鉄子に見せながら厳かに差し出した。

 この行動に威圧や害意は全く感じられなかった。むしろ、臣下が王に対して忠誠を表している行為を思わせた。

 続いて彼は立ち上がると、再び頭上に掲げた両手を下ろし、今度は右手の人差し指を中指を揃えて伸ばし、爪先を額に付ける。左拳は腰に。

 すると、複眼と四肢のラインがトパーズイエローに変わり、「キュィィィン! キュィィィン!」と警告音と発し始めた。

 更に、右手の2本の指先を男に突き付けた。今度は威圧と敵意を感じられる。しかも、複眼とラインがルビーレッドに、警告音が「ヴィィィン! ヴィィィン!」と明らかに戦意が感じられるそれに変わった。

 そして、屈むと男を右手で掴み上げた。

 男は声にならない悲鳴を上げるが、玉虫色のロボットはそのまま上体を起こして大きく腕を振り上げた。路面に叩き付けられるのは、誰の眼にも明らかだった。

 遂に振り下ろれた時、

 「やめてぇぇぇッ!!」

 叫んだのは鉄子だった。

 予想外にも、玉虫色のロボットは五指を離す寸前で動きを止めて彼女を見つめた。鉄子もそのロボットを見つめ返して言った。

 「そんな事すると死んじゃうッ! お願いだからやめてッ!!」

 すると、玉虫色のロボットは素直に男を路面にそっと下した。

 男はその場に座り込んだまま立ち上がれないでいる。顔はグシャグシャに歪み、涙と鼻水でドロドロに汚れていた。やがて、スラックスの股間辺りに大きなシミが出来て路面に広がった。

 「私の言う事が分かるの?」

 しかし、玉虫色のロボットは何も反応しない。

 一方、ポォから四度(よたび)光線が放たれた。サファイアブルーのそれは男の額に直撃すると、見た事が無い紋様が浮かび上がった。

 そして、玉虫色のロボットは男に向かって巨大な鉄拳を素早く突き出した。鉄子が「ヒィッ!」と短い悲鳴を上げる。

 けれども、寸止めしたので男はミンチにならずに済んだ。明らかに脅しだ。ただし、風圧で何10mも転がっていったが。

 「お願いだから酷い事はやめて! 操縦している人がいるなら出てきて!」

 玉虫色のロボットの複眼とラインは赤から黄色に変わり、青に戻った。同時に、昼休みのポォと同じく鈴虫の鳴き声に似た「リィィィン、リィィィン」と心地良い音を発した。だが、操縦者が出てくる様子は無い。

 「もしかして、誰も乗ってない? ドローンみたいにリモートコントロール?」

 同じ鳴き声が再び発せられた。

 「それともAIが内蔵されてるの?」

 やはり、鳴き声が返ってくるだけだ。

 やがて、玉虫色のロボットの背中に、蜻蛉のそれに酷似したエメラルドグリーンの光で形成された翅が広がる。そして、穏やかな鳴き声を発した後、音も無く飛び去った。

 巨体が消えてしばらくすると、静寂だったこの場は人々の喧噪で騒がしくなった。

 「あのぅ……」

 近くにいた通りすがりの人に恐る恐る話し掛けられた鉄子は、慌ててその場から逃げた。事情を説明しようがないからだ。

 (そういえば、ポォは?)

 すっかり忘れていたポォを思い出した時、例の鈴虫の鳴き声が左耳をくすぐった。左肩を見ると、いつの間にかそこにしがみ付いていた。複眼はサファイアブルーに戻っている。

 「ごめんね、忘れてて」

 鉄子が謝ると、青い眼のポォは「気にしてないよ」と言わんばかりに「リィィィン」と鳴いた。

 「そして、助けてくれてありがとう」

 礼を言うと、やはり心地良い鳴き声で返答してくれた。

 よく見ると、鮮血色だった背中の三重八芒星がサファイアブルーに変わっていた。

 「あのロボットの胸と同じになってる! どうしてかわったんだろう?」

 疑問に思いながらもペダルを漕ぐ力を緩めず、あの場所から出来るだけ早く離れた。

 幸い誰にも止められなかった。裏道に入っても胸の高鳴りが止まらない。顔も熱く、自分でも赤く染まっていると分かる。生まれて初めての感情が激しく噴き出し、渦巻いている。図鑑でしか知らない虫と出会った時以上の興奮と嬉しさが爆発していた。

 自宅の到着し、一息ついた鉄子は心の中で叫んだ。

 (こんなの初めてッ!! まるでSF漫画かアニメのヒロインみたいッ!!)

     ~ ☆ ~

 自室にて1人で麻婆丼を味わった夕食後、ドラララインに着信があった。開いてみると、最初に詳子からのメッセージが眼に入った。

 『謎の巨大ロボットと一緒に君が映っている。すっかり有名になっていて、特定されるのも時間の問題かと思われる。されど、心配無用。こちらに任せて』

 続いて、章子や電馬達からも質問と気遣いの文章が届き始めた。

 驚いてツゲッターを開くと、あの場に居合わせた人々のコメントと画像、更に短い動画が拡散されており、当然だが鉄子の姿もしっかり映っていた。

 そして、ユアチューブでは長めの動画が出回っている。同時にネットでは鉄子の素性や身元を詮索する動きが見られた。

 鉄子が親友と部員達に返事を送り終えたその時、ドアの向こう側から怒号に近い声が聞こえてきた。

 「鉄子、話があるッ! 何だこれはッ!?」

 声の主は線二郎だった。恐らく、妹達が動画を発見して教えたのだろう。

 「知らないッ! ほっといてッ! こんな時だけ関わってこないでッ!!」

 そう言い返すと、線二郎はますます激昂した。だが、予め鍵を掛けていたので乱暴にノックしまくり、ノブをガチャガチャ回すだけで何も出来ない。しばらくそれらと怒声が続いていたが、やがて諦めたらしく止まった。

 不安と混乱で頭が重くなった鉄子はベッドに俯せになった。

 そして、両手で包み込む様に持っていたポォに向かって、

 「あなたとあのロボットは何者なの? 何を知っているの? どうして私を助けてくれたの? これから何をするつもりなの?」

 けれども、ポォは「リィィィン、リィィィン」と穏やかに鳴くだけで何も答えてくれない。

 鉄子は玉虫色のロボットの顔を思い浮かべて、

 「格好良かったな、あのロボット……また、会えるかな? 助けてくれたお礼を言いたい」

 彼にありがとうが言えなかった事が気がかりだった。

 その夜は全く眠れなかった。

☆次回予告


鉄子を呼び出したのは、力ある支配者。

鉄子を訪ねてきたのは、力ある使者。

彼女が連れ去れらようとした時、

光と共に〈彼〉が再び降臨する。

第4話「招かれざる使者ども〈前編〉」


科学の使徒達はその謎を解けるか?

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