第2話:異端科学部にようこそ
「テッコ、おっはよー!」
翌日、登校した鉄子は自身の席に着くや否や、元気な声で迎えられた。
団子鼻にチョコレート色のフレームの丸眼鏡を掛け、控え目に言ってぽっちゃりした少女は椅子から立ち上がって近付き、空いている前の席に鉄子に向かって座った。
彼女は藤尾章子。鉄子が中学2年生の頃、父の転勤により転校してきた。偶然にも席が前後になって以来、馬が合って今に至る。
「ショコラ、おっはよー!……って、また朝から」
章子が咥えているのは、あの有名な棒付きキャンディーみたいに紙製の棒が刺さっている球状チョコレートだった。それを指差されると、
「朝チョコがなきゃ目が覚めないのよ」
「前は『夜チョコがなきゃ眠れないのよ』って言ってなかったっけ?」
「言ったっけ? そんな事より『ドキッ! 虫だらけのソロキャンプ』はどうだった?」
「最高だったよ~。そっちは?」
「順調に書けたから、あと少しで完成するよ~」
章子は〈漫画研究同好部〉に所属しており、仲間と一緒に即売会に参加したり、自作の同人誌を通販している。彼女が描いているのは、美少年と美青年ばかり登場する腐りきった恋愛漫画だ。
尚、身長は小柄な鉄子とほぼ同じだが、日頃の運動不足と毎日数回は欠かさない間食により結構ふくよかだ。普段から丸眼鏡を掛けて同じくチョコレート色のベレー帽を被っているのは、あの漫画の神様を意識しての事。ペンネームは“菓々王ショコラ”で、そのまま綽名になっていた。
けれども、親しくない者達は陰で“メガネジャイ子”と呼んでいる。
ちなみに、鉄子は“虫女”もしくは“ケムシマユゲ”である」。
「それは楽しみ。そうそう借りてたの全部読み終えたから返すね。ありがとう」
机の横に下がっている通学用の迷彩柄ザックから、『うる星やつら』と『モンスター娘のいる日常』の単行本、そして『ダーリン・イン・ザ・フランキス』のブルーレイを取り出した。全て第1巻だ。
「どうだった?」
「どれも面白かったよ。続きがメチャクチャ気になる」
「じゃあ、明日持ってくるね。
……そういえば、昨日のドラララインで話したい事があるって言ってたけど何?」
「その話は昼休みにゆっくりじっくりね」
「焦らしプレイかぁ。メッチャ楽しみにしてるから」
鉄子と章子は半ば上の空で午前の授業を受けた。
そして待ちに待った昼休み。2人はいつもの様に机を向かい合わせにして、一緒に食べる準備を整えた。
「ま~たツナサンドと玉子サンドとスライスチーズと胡椒とジャスミンティーじゃん。飽きないねぇ」
「そっちこそ、いつものダブルドンブリとアールグレイじゃない。今日は何?」
「ママン特製の親子丼とネギ塩だれ豚トロ丼。で、豚トロには温泉卵を乗せちゃう」
「今日もガッツリいくねぇ」
鉄子の前にはサンドイッチが山積み。章子の前にはドンブリ型弁当箱が2つとコンビニで買った温泉卵が並んでいる。しかも、それぞれの隣には〈Wペッパー味〉と書かれたポテトチップスの袋と、10本近い棒付きチョコレートがあった。
「だから、チョコ食べ過ぎだって。依存症じゃないの?」
「まだ禁断症状は出てないよ」
「そのうち出るって。虚ろな眼で『チョコくれよぉ~。ひと舐めでいいからさぁ~』とか言い出して、ココアの粉をストロー使って鼻から吸い込む様になるから」
「じゃあ、あんたにもあげる。そして甘ぁ~い地獄に一緒に堕ちようぜ。ヴシャシャッ!」
「はいはい。大親友の私が何処までも付き合ってあげる。美しく麗しい友情ね」
「おぉッ、心の友よぉ~!」
「抱き付こうとするな!」
こんな他愛も無い話をしながら好物を平らげていく。そして、鉄子はジャスミンティーで喉を潤すと、
「実は、これなんだけど……」
一昨日撮影した巨大揚羽蝶の動画と玉虫色の兜虫を見せた。
章子は口に咥えた棒付きチョコレートを舐めるのを忘れて動画を凝視している。
そして、経緯を聞きながら、興味深そうに兜虫の背中や角を指先で触っていた。
「……これってヤバくない? マジで」
「うん。マジでヤバいよね」
「で、どうするの?」
「今日の放課後、部長達に相談するつもり」
「まぁ、そうするしかないか。……そうだ! 面白そうだから漫画にしても良いよね?」
「別に良いけど、何も分からないままかもしれないよ」
「そん時は正体と設定をこっちで考えるから」
「あのアゲハチョウと私をイケメンに変えてBLにするんだ?」
「まぁね。イケメン異星人にオカリナ吹いてあげてルーペ贈るなんてイイじゃん。ここは彼も吹いて間接キスにドキドキするパターンね」
「早速、話が膨らむね」
「心のティンティンもね」
「おいおい、自主規制はどうした?」
「今更? あたしはいっつも無修正だけど」
「そうだった。既に腐りきって手遅れだった」
「で、この場合、どっちを攻めにした方がシコいかな?」
「えッ!? 私が攻めになる可能性もあるの?」
「異星人×地球人は幾つか見た事あるけど、地球人×異星人って珍しいかも。どうかな?」
「私、ショコラ先生みたいに腐ってないから分っかんな~い」
「いやいや、テッコさんもなかなかの腐り具合よぉ~」
「いやいや、腐ッ素まみれのショコラ先生には敵いませんってぇ~。だって、親友をTSしちゃって攻めにしちゃうぐらいだし」
腐女子高生達は茶番を繰り広げていたが、唐突に章子が驚きの声を上げた。
「あたしのチョコがッ!?」
玉虫色の兜虫が棒付きチョコレートの包装紙を破いて取り除き、噛り付いていた。既に半分近く無くなっている。しかも、「リィィィン、リィィィン」と心地良い鳴き声を発している。
鉄子も愕然として呟いた。
「この子、動いてるッ!? まさか……」
「リボルテックじゃあなくてロボットだったんだッ!」
「胸元に入っていた時から怪しかったけど、自分で動けるんだ」
「ロボットなのにチョコ食べるの?」
「いやいや、私も知らなかった。こんなの初めて見たし」
「でも、よくよく考えてみると、日本じゃあロボットが何か食べるなんて珍しくないよね。どら焼きとかコロッケとか炊き立てのご飯とか」
「アニメや漫画と一緒にすな。それに最後のはロボットじゃなくて」
2人で口を揃えて、
「「ア・ン・ド・ロ・イ・ド!」」
そして章子が、
「うるさい。お前なんかロボットだ!」
「とほほ~」
「あれれ、もう2本目を食べてる」
「じゃあ、これも食べるかな?」
鉄子はポテトチップスを1枚、兜虫の口元に差し出した。けれども、匂いを嗅ぐ様な仕草をしただけでそっぽを向き、再びチョコレートに口を付けた。
「辛いのは好みじゃないのかな?」
「どうやら、この子もあたしと一緒に堕ちてくれるみたいね。ようこそ、ショコラの世界へ」
「こんな事なら、サンドイッチとドンブリも試しておけば良かった」
「それな。じゃあ、お茶でも飲ませてみる?」
「やってみよう」
それぞれのペットボトルのキャップにジャスミンティーとアールグレイを注ぎ、兜虫の前に置いた。すると、前者は一度口を付けただけでそっぽを向き、後者だけ飲み干した。しかも、前足でキャップを叩いてお代わりを催促してきた。
「食の好みはあたしと同じみたい。仲良くしようぜ、心の友よぉ~」
「異星人はジャスミンティーを飲んだのに」
「あの星の生物と機械じゃあ、飲める物が違うのかも?」
「それもあるかもね。でも、後で壊れたりしないかな?」
「テッコは心配性だね。自分から飲み食いしたんだから平気だって」
「いや、欲しがるけどあげたら駄目、なんて事もあるじゃない」
「あぁ、グレムリンみたいにね。じゃあ、分裂で増えながらグレるのかな?」
しばらく様子を眺めていたが、3本目のチョコレートを平らげて再びアールグレイを飲み干した後、満足したのか全ての脚を折り畳んで腹部に密着させると動かなくなった。
それを見た鉄子は、
「親を殺しても食休め、かな?」
「親が死んでも、だよ! 物騒だなぁ」
呆れながらツッコミを入れた章子は、兜虫をまじまじと見つめ、
「それにしても、少しのチョコと紅茶で満腹になるなんて、コスパ良いね」
「うーん。でも何をするロボットなのか分からないから、コスパの判断はまだ出来ない」
「それもそうね。今言えるのは、あの先輩達に相談する事が増えた。そして――」
「そして?」
「貴重なネタ、ゴチソーサマでした!」
そう言った章子は兜虫に向かって、パンッ、と音を立てて合掌すると大袈裟に拝んだ。
~ ☆ ~
鉄子は放課後を心待ちにしながら残りの授業を受けた。
ようやく放課後になると、浮かれた足取りで部室に向かう。章子も付いて行きたがったが、漫画研究同好部で大事な打ち合わせがあるので泣く泣く別れた。
部室に向かう途中、ヴァイオリンの音色が流れてきた。素人の耳でもプロに匹敵している腕前だと分かるレベルだ。でも、曲調はロマンティックだが物悲しく切ない。
毎日、放課後になると屋上にて独り奏でている生徒がいるらしい。
らしい、と言うのは演奏者を見た人がいないから。
去年の4月以降、雨や雪が降らず、風も強くない日には出入口がある塔屋――ビルやマンション等で屋上に突き出した小屋――の上から響いてくるので、そこで演奏しているのは確かだが、その姿を見ようと梯子に近付くと頭痛に襲われると云う噂があった。
当然、恐れ知らずが挑むものの噂を事実だと補強するだけに終わった。ちなみに、流れてくる曲はどれも音楽教師を含め誰も知らない。
そして付いた綽名が“放課後のパガニーニ”
元ネタのニコロ・パガニーニは有名なヴァイオリニストにして作曲家で、当時は悪魔に魂を売り渡して超絶の演奏技術を得たと噂されていた。実際、彼の演奏が始まると十字を切る者が少なくなかったと云われる。
(先輩達なら、どうやって正体を突き止めるかな?)
そんな事を考えながら向かっているのは〈異端科学部〉
その名に相応しく、既存の物理部・化学部・生物部・天文部・地学部等の枠に収まりきらない、所謂はみ出し者達が集まって出来た学校非公認の部である。通称は〈異科部〉
使われなくなった旧別館――特別教室と図書室のみの校舎――を、十数年前の先輩達が無断で占拠し、OB・OGからあらゆる支援を受けて好き勝手に改装・改築・改造し、屋上にドーム型天体望遠鏡や巨大パラボラアンテナ等々を設置した。
ここを部活動の本拠地にし始めた頃から“お化け屋敷”“悪の秘密基地”“マドサイ部(「マッドサイエンティスト部」の略)”等と呼ばれ、部員以外は教師さえも寄り付かない。
その中に入った鉄子は、今やロッカールームになっている出入口に最も近い元・準備室で、例の白衣とグラブを身に着ける。
特徴的なそれらを校内で部活でも着用するのは、「科学者は白衣が基本。白衣は科学者のフォーマルドレス」と主張する先輩達の指導の賜物だ。
廊下の奥へ進み、〈第一実験室〉のプレートが貼られた元・特別教室に入る。
そこには研究所みたいに様々な機材が所狭しと置かれていた。
既に何人か来ており、自作のパソコンに向かって怪しげなプログラムを組んでいる者やドローンを魔改造している者達等々、誰もがそれぞれの科学的好奇心を満たそうとしていた。尚、全員男子だ。
当然、全員が白衣を羽織ってUGを手首に巻いていた。しかも、その左胸ポケットに異端科学部のシンボルマークのワッペンが付いている。けれども、各々の白衣は色彩や模様が大きく異なり、統一性が全く無いので同じ集団に所属している感じがしない。中には本当に市販の白衣かと疑ってしまう物も少なくなかった。
そんな中、奥の方では一組の男女がゲーミングチェアを前に話し合っていた。
男子生徒は穏やかな風貌に加え、黒縁の眼鏡を掛けているので真面目そうに見える。ただし、髪はあまり整っていない。他の先輩達と違ってごく普通の白衣を着ている所為か、マッドサイエンティストの卵の集団の中では唯一の常識人に見えた。
女子生徒はモデルの様な美貌と、青みがかった虹彩と髪、制服の上からでも分かるスタイルの良さと、2つのメロンを入れているみたいなバストが眼を引くが、それ以上に目立つのがローズレッドの白衣とローズピンクのレースで作られたフィンガーレスグラブだ。彼女が動く度に薔薇の上品で心地良い芳香が周囲に漂う。そして、チタンフレームの眼鏡を掛けているので更に知的に見える。
「部長、ショタ子先輩、お疲れ様です」
「お疲れ様。ツゲッター見たよ。キャンプは楽しそうだったし、どれも綺麗に撮れていたね」
彼は3年生で、奇人揃いの異端科学部の部長を務める疋島電馬。穏やかな口調と表情は相手を和ませ、説明や指示が分かりやすいと好評だった。ただし、“電マ先輩”と呼ぶと不機嫌になる。
「私も見たよ。是非、他の画像や動画も見せて欲しいな」
彼女は2年生の天道詳子。入部して数箇月で次期部長候補になる程、部員達から信頼され、かつ慕われている。綽名は“ショタ子”で、後輩達にもそう呼ばせていた。鉄子はその理由を知りたいが、まだ聞けていない。
「今日は何をしてるんですか?」
鉄子が訊くと、VRゴーグルとコンシュマーゲームのコントローラーを持っていた電馬が答えた。
「手塚君は『タロスマキア』って云うネットゲームを知ってるかい?」
「テレビやユアチューブのCMで何度か見た事があります。詳しくは知りませんけど」
「今、流行りの対戦型MMORPGだよ。世界観は中世ヨーロッパ風ファタジーとスチームパンクを融合させた感じで、自作した巨大ロボット〈タロス〉を操縦してモンスターや他のタロスと戦うんだ」
「そのゲームで遊ぶ時に使うのが、この椅子とそのゴーグルですか?」
「そうだよ。と言っても、ゴーグルはプレイに絶対必要だけど、チェアまで使うのはお金を持っている熱烈なファンぐらいだけどね」
「もしかして、部長の私物ですか?」
「違うよ。ゴーグルもチェアも中古をネットでポチって、さっき届いたんだ。勿論、部費でね」
「そう言えば、部長は凄い腕前だって聞いてますよ」
「いやいや、それ程でもないよぉ」
コントローラーを持った手を振って否定しているが、満更でもなさそうだった。
「それで、そのゲームをここでもプレイするんですか?」
「そこまでのめり込んでないよ。これらを使って現実のロボットを操縦したいと思ってね」
「じゃあ、部長達のアレを?」
「そうなんだ。――と言っても、連休中に思い付いたから、今その計画を立てているところ。あと、最初は小さなロボットで試す予定だよ」
「面白そうですね。私でも動かせますか?」
「小さいロボットで練習すれば、大きいのも操縦出来る様になるよ、きっと」
良い感じの2人。そこに詳子が入った。
「そう言えば、テッコ君は私達に相談があるのだろう?」
詳子は相談内容を話す様に促した後、何かに気付いて少し首を傾げた。
「ルーペはどうしたのかな? 君のお気に入りだったのに」
「流石、気付くのが早いですね。実は、それも相談に関係する事なんです」
鉄子はソロキャンプでの“未知との遭遇”と、昼休みの件を説明した。当然、動画と玉虫色の兜虫を見せた。
「……これはこれは、その、何と言うか……」
電馬は閉じた白扇で口元を押さえ、画面の中で一時停止している巨蝶を見つめたまま二の句が告げられずにいた。対して詳子は、
「私は信じるよ」
即座に受け入れ、冷静に告げた。
「テッコ君が我々を騙す為にフェイク動画を作ったり、わざわざカブトムシの玩具を購入して塗装するとは思えないからね。
そして、この蝶は新種ではなく、異星の知的種族だと考えて間違いないだろうね。
しかし、これは甲虫と言うより“鋼虫”だな」
詳子の好奇心で輝く眼は動画と、章子から分けて貰った棒付きチョコレートを齧っている兜虫を交互に見つめる。
「ぼ、僕も手塚君を疑っている訳じゃないよ」
「分かってますって、部長」
鉄子がフォローすると、電馬ははにかんだ笑みを浮かべながら自身の首筋を扇子で何度も叩いた。
「うーん。他の誰かが知ってるかも」
そう言うと、左手首に巻いているUGを操作してから口に寄せて、
「疋島だけど、来られる人は第一実験室に来て。手塚君が異星人と遭遇した証拠を持ってきたよ」
すると、次々に他の部員達が入ってきた。やはり、ほとんどが男子だ。
鉄子が先月入部してから連休前まで、彼等が科学的好奇心に突き動かされるまま、異臭漂う複雑な化学実験を行ったり、何処で捕まえてきた怪しげな生物を解剖したり、大掛かりな割に100円ショップの便利グッズ並みの機能と自爆機能しかない装置を造ったり等々、やりたい放題していたのを目の当たりにした。最初は驚かされる事ばかりだったが、今は頼れる先輩達になっていた。
そして、後から来た部員達は最初からここにいた部員達と一緒になって3人を囲んだ。
そこで鉄子が動画と兜虫を見せて尋ねた。
「皆さんの中に、このアゲハチョウやカブトムシを知っている人いますか?」
全員が一斉に首を横に振る。
「凄いな! テッコは第一種接近遭遇したんだ!」
「シンセサイザーじゃなくてオカリナで。スピルバーグもビックリだよ」
「でも、相手から返答は無かったんだろ?」
「多分、彼等は意思の疎通に音声を使っていないのでは?」
「確かに。昆虫型異星人だからフェロモンを使っているとか?」
「あの触角と光の輪が怪しい。点滅の間隔と色が変える事でコミュケーションを取っているのでは?」
「ホタルみたいだね。でも、ボクが思うに――」
様々な仮説が次々に出てくる中、詳子が発言した。
「もしかすると、テレパシーかもしれない」
「意外だねぇ。ショタ子君は超能力が実在すると信じてる?」
驚いた電馬が訊くと、
「飽く迄、選択肢として挙げただけですよ。今のところ否定する根拠はありませんし」
そう答えてから話題を変えた。
「ところで提案だが、いつまでも異星人呼びではしっくりこないし不便だから、彼等に仮称を付けないか? 例えば“ファーブル星人”とか」
「昆虫型異星人だから?」
「成程ねぇ」
「イイんじゃないすか」
「異議無し」
詳子の思い付きが満場一致で採用された。
「それは良いですね。でも“彼等”ではないと思います」
鉄子の発言に詳子は興味を示した。
「つまり、テッコ君はあの3体を女性だと思っている?」
「はい」
「その根拠は?」
「アゲハチョウはオスとメスで翅の形が違っていて、あの3体はどれもメスでした」
「そうなんだ」
電馬が感心して頷くが、
「でも、地球のアゲハチョウの特徴がそのまま当て嵌まるとは思えないけど……」
「それは分かっていますが、どうしても男性とは思えなくて……」
すると詳子が、
「両性具有や無性、または彼女等もロボットの可能性もあるが、接触した君がそう言うなら全員を女性として扱おう」
「ありがとうございます。じゃあ、名前を付けても良いてすか?」
「個人名かな?」
「はい。私にこのカブトムシをくれたファーブル星人を“アンリ”と呼ぶのはどうですか?」
「ジャン=アンリ・ファーブルからだね。君が女性と言ったのに、早速、男性の名前を付けるとは面白い」
「済みません。ファーブルときたらこれかなって」
「構わないよ。アンリって語感は女性っぽいし」
「見〜つめるキャッツアイ♪」
「それは杏里ですよ」
唐突にワンフレーズを歌った電馬に詳子がツッコミを入れると、昭和アニメや歌謡曲に詳しい大半には受けた。鉄子はキョトンの方だ。
「では、残りの2体だが、“ベティ”と“クララ”で良いかな?」
すると、電馬が閉じた白扇で自身の掌をポンと叩いた。
「そうきたか! やはり、ショタ子君だなぁ」
「“2001年”なんて、2つの意味でかなり昔ですよ」
「でも、良いんじゃない」
部員達には好評だったので、そのまま採用された。ただし、鉄子は古典的名画『2001年宇宙の旅』の存在すら知らないので、再びキョトンだった。
「では、このカブトムシの名前も決めた方が良いな」
詳子が言うと次々と候補が挙げられた。そんな中、電馬が提案した。
「“エドガー”はどうかな?」
「つまり『黄金虫』の作者であるエドガー・アラン・ポーですね。しかし、原作はカブトムシではなかったと記憶しています。――どうかな、テッコ君」
詳子に尋ねられた鉄子は引き継ぐ様に、
「はい。原作ではカミキリムシとコメツキムシの特徴を組み合わせて作られた架空の虫でした。カブトムシなのは日本だけです。でも、その印象が強いので良いとは思うのですが……」
「何か引っ掛かるのかな?」
「はい。このカブトムシも女の子の様な気がして……」
「こんなに立派な角が生えている上、鳴いたのに?」
詳子が頭角を指して疑問を投げ掛けると電馬が、
「どういう意味? 角は分かるけど」
すると詳子は、
「コオロギやスズムシはオスしか鳴かないのです。そうだろう、テッコ君」
「はい。オスからメスへの求愛行動なので」
「ちなみに、本当の意味での鳴き声ではないのだろう?」
「はい。私達が声帯を震わせて声を出してるのとは違って、左右の翅を擦り合わせてあの様な音を鳴らしてるんです」
「あっ、そうか! 昆虫は腹部の気門で呼吸しているから声帯が無いんだ!」
鉄子の説明に電馬が納得する。そして詳子は鉄子に向かって、
「話を戻そう。今回も勘が働いた?」
「はい。だから、エドガーはちょっと……」
「では、“ポォ”はどうかな? これなら女の
子らしく聞こえると思うが」
詳子の提案は反対意見が出ず、またもや採用された。
「さて、恐らくアンリ氏は何らかの方法でテッコ君にポォの使い方を説明してくれたと思う。だが、悲しいかな。音声を意思疎通の手段とする我々地球人類とは大きく異なっていた」
「オカリナの音色に驚いていたくらいだからねぇ。説明書は無いのかな?」
「はい。くれたのはポォだけです」
電馬の質問に答えた鉄子は、ポォの前翅を指先で摘んで持ち上げ、腹部の上にある真紅の三重八芒星を指し示した。
「それに気になるのは、ここなんです。貰った時は透明だったのに、朝になると赤くなっていて……私、何かやらかしちゃったのかと心配で」
「寝ている間に胸元に入っていたのだろう。もしかすると、君の血を吸ったのかも」
詳子の言葉に鉄子が血相を変える。
「さらっと怖い事言わないで下さいよッ!」
「つまりショタ子君は、これが吸血ロボットかもしれない、とでも?」
眉をひそめた電馬に詳子が冷静に答える。
「私は飽く迄、可能性を述べただけです。もしかすると、ファーブル星人にとってポォに血を吸って貰う事で何か得する事があるかもしれない」
「瀉血みたいなものかなぁ?」
電馬が呟くと、部員達からも様々な推測が飛び出した。しかし、どれも決め手に欠ける。
電馬は口元に白扇の先端を押し当てて考え込んだ。
「うーん。そもそもファーブル星人が地球に来た目的すら分からないしなぁ」
「あの森にある何かを採取する為に来て、運悪く遭難したのでは? 実際、倒れていたし、助けも来たし」
サングラスを掛けて唐草模様の白衣を着た部員が言うと、鍛え抜かれた筋骨隆々な肉体をプリントした白衣を着た巨漢の部員が、
「いや、単なる観光旅行かもしれないぞ」
すると、耳無し芳一の様に達筆な経文だらけの白衣を着たスキンヘッドの部員が、
「何かの実験かもしれませんぞ。このカブトムシを地球人に渡したらどういう展開になるかを観察したくて、偶々出会ったテッコを選んだと思われる」
「じゃあ、今も観察中!?」
電馬の言葉に詳子を除く全員が一斉に室内を見回した。
他にも様々な憶測が出てくる中、詳子が発言した。
「聖地巡礼はどうかな?」
「まさか、地球はファーブル星のアニメの舞台になっていた!?」
驚愕する電馬に詳子は微かに苦笑した。
「それもゼロではないでしょうが、私が言いたいのは元々の意味での聖地巡礼です」
「彼女達にとって、あの森が宗教上重要な場所だ、と?」
「有り得るとは思いませんか?」
「うーん……確かに」
詳子は電馬に訊いた後、鉄子にも訊いた。
「あの森に遺跡や神殿の類いはあるかな?」
「全然無いですよ」
「そうだろうね。では、奈良の石舞台や船石みたいな巨石人工物は?」
「そこまで大きくないけどありますね」
「あるんだ!?」
予想外の答えに電馬が思わず声を上げた。
「はい。森華の森の中心辺りに、3つの緑色の大きめの石があります。
日本の庭で池や川が無くて砂利だらけの……何て言ってたっけ?」
「枯山水かな?」
「そう! それです。3つとも、そこに置かれている石っぽいんです」
「庭石みたいだ、と……それぞれどの様に置かれている?」
「角が取れた台形の石の左右に、高層ビルみたいなのと、ドームみたいなのが置かれていました。こんな感じです」
そう言いながら、スマートフォンで撮影した画像を見せる。全員が覗き込む中、
「やはり、三尊ではなく蓬莱山か」
詳子だけが納得している。けれども、日本庭園に関する知識が全く無い他の部員達の頭上には大きなクエスチョンマークが浮かんでいる。
ところが、寒色系のマーブル模様の白衣を着た、あらゆる鉱物に詳しい部員が声を上げた。
「緑泥片岩だッ!」
「何それ?」と言われた彼は、
「庭石や石垣に使われている緑がかった石なんだよ。この色合い、阿波の青石に違いない」
「青石……確か、大伯母もそう言っていました」
「そういえば、『へうげもの』で上田宗箇が徳島城で庭を作った時、そんな石を使ってたなぁ。ミキュン」
電馬は変な擬音を口にすると、左手首と五指を曲げて“乙”の形にした。これが受けたのはそれを読んだ事がある数人で、そこに鉄子は入ってなかった。
「その石は誰が置いたのかな?」
詳子の質問に鉄子は答える。
「大伯母です。『ここに私の大事な人が眠っている』と言っていました。彼女の弟だと聞いています」
「成仏ではなく、仙人になって生き続けている事を願ったのか?」
詳子のこの呟きは小さかったので、誰の耳にも入らなかった。
鉄子は言葉を続ける。
「そういえば、アンリが倒れていたのはその石の近くでした」
「偶然か。それとも……」
詳子は更に考え込む。た
「後は大伯母が土地の境界線に沿って幾つも立てた『ここは私有地です』と記した看板ぐらいですね」
「そっかぁ。参ったねぇ。ヒントが少な過ぎるよ」
電馬は広げた白扇で自身を煽ぎながら考え込み、
「やっぱり、姫科研に持っていくしかないのかなぁ。今すぐここで調べたいけど、何か起こってもねぇ。――手塚君、ポォを預からせて貰っても良いかな?」
「構いません。お願いします」
チョコレートを平らげたばかりのポォを鉄子が電馬に手渡した途端、サファイアブルーだった複眼が一瞬でトパーズイエローに変わった。そして「キュィィィンッ!!」と何度も鳴り響く。同時に山葵に似た刺激臭が周囲に立ち込める。
「何これッ!?」
驚いて固まった電馬の手から、「失礼」と断った詳子は冷静にポォを掴むと鉄子に手渡した。
すると、複眼は黄色から青色に戻り、不快極まりない音も止んだ。しかも、刺激臭が瞬時に消えた。
誰もが胸を撫で下ろす中、詳子は鉄子に微笑み、
「この子は片時もテッコ君から離れたくないらしい。随分懐かれたね」
この後も試しに何人かにポォを手渡したが、結果は同じだった。
詳子は鉄子の掌の上だ静かにしているポォを眺めながら言葉を続けた。
「今のところ、彼女が何を目的に造られた装置なのか全く分からない。やはり、姫科研で本格的に調べて貰うしかないな。テッコ君同伴で」
「テッコに何かしらの害を加える可能性はありませんか?」
草間彌生の作品みたいにカラフルな水玉模様だらけの白衣を着た女子部員が不安そうに尋ねると、詳子は首を横に振った。
「その可能性は低いだろう。彼女達は明らかに我々地球人類より高度な知性と科学技術を持っている。そんな知的生命体が命の恩人に有害な物を贈るかな?」
「楽観的ですね。恩を仇で返す場合も考えられますが」
「実はポォは侵略兵器だったとか」
「そうだな。今回の来訪は侵略の為の偵察で、元々地球人類に悪意や敵意を抱いていた場合も――」
「それはないッ!!」
周囲が驚く程の声で鉄子が即座に否定した。
「私には分かります。アンリはそんな人じゃない!……って、済みません。急に声を荒らげてしまって」
慌てて頭を下げたものの、他の部員達は困惑していた。電馬に至っては狼狽して何かを言いたいが言えないでいる。
しかし、詳子だけは真剣な面持ちの鉄子を見つめながら言った。
「そうだね。言葉は通じなくても面と向かって接したテッコ君を信じよう」
「ありがとうございます!」
鉄子は再び頭を下げた。今は感動と感謝が込められている。
「それにしても、あなたは一体何者なの?」
鉄子が青い複眼を見つめて尋ねるが、掌の上のポォは沈黙を守り続けた。
☆次回予告
帰宅する鉄子に立ちはだかる者。
その脅威を排除する為、遂に“彼”が現れる。
この胸の鼓動は驚愕か、恐怖か、それとも――
だが、彼と通じ合う言葉はまだ無い。
第3話「そして“彼”が舞い降りる」
彼女への悪意と害意は全て迎え撃つ。




