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第1話:鋼の甲虫は血を求む

予告


虫好きの少女が未知の知的生命体と遭遇。

贈られたのは造り物の兜虫(カブトムシ)

そして、眠る彼女に忍び寄る影!

紋章が赤く染まる時、彼女の物語は動き出す。

第1話「鋼の甲虫(こうちゅう)は血を求む」


それは不思議な恋の物語。

☆序章∶それは美麗にして異形なる未知


 手塚(てづか)鉄子(てつこ)は立ち尽くしていた。

 “彼”が余りにも優美で勇壮だったから。

 現在進行形で自身に降り掛かっている危機すら忘れ、ひたすら見つめていた。

 自身はまだ気付いていない。


 これが彼女の初恋だった。   

     ~ ☆ ~

 初夏の草木の匂いが充満する清々しい空気を胸一杯に吸い込んだ鉄子はテンションが上がりっぱなしだった。森の中で虫を追い駆ける両脚に力が漲る。

 地面や葉の表面、木の幹や枝等を這う虫を、首から下げているルーペで覗き込む事もあれば、剣豪の刀(さば)きの如く無駄の無い動きで虫取り網を振り下ろし、一発で捕まえた虫を虫籠に入れて眺める事もあった。どちらの場合も10分以上も見入っている事は珍しくない。

 時にはコンパクトデジカメで撮影していると思えば、デジタルビデオカメラに持ち替えて動画を撮ったり、と結構忙しない。

 ちなみに、スポーツ用のスタイリッシュな眼鏡を掛け、小柄でスレンダーかつ日焼けした体にはオリーブドラブを基調とした迷彩服の上から同じ色の白衣を羽織り、軍用の鍔広ハット、フィンガーレスグラブ、ジャングルブーツを身に着けている。一見するとミリタリーマニアに思えるが、これは山や森で他者や動物達から目立たない様にする為で、その方面には全く詳しくない。

 尚、迷彩白衣の左胸ポケットには理系を連想させる何かのシンボルマークのワッペンが付けられていた。

 一昨日の昼前、ここに来た時からこの様に過ごしている。

 早朝に寝袋から起き出すと、飯盒で白米を炊いて味噌汁を作り、平らげるや否や虫を追い駆け回す。

 昼になると渓流で釣った山女魚(ヤマメ)岩魚(イワナ)を串刺して塩焼きにして食べ、しばらく独りで空色のオカリナを奏でて休憩してから再び虫を追い駆けていた。

 休日の過ごし方も服装も女子高生のそれとは思えない。けれども、彼女の表情は今の時期の太陽よりも輝いている。昆虫達に向ける熱い眼差しは、正に「虫めづる姫君」だった。

 昆虫の楽園を満喫している最中、背後の茂みから大きな音がした。

 ここは私有地なので、自分以外の人間がいる事は有り得ない。不法侵入者か、それとも大型動物か。鉄子の全身は強張った。

 ところが、茂みの隙間から見えたのは、猪や月輪熊(ツキノワグマ)とは思えない、色鮮やかな何かだった。勿論、衣服でもない。

 意を決した鉄子は、デジタルビデオカメラを片手に恐る恐る草むらを掻き分けて進んだ。

 その先には、高さも太さも違う緑がかった三つの大きめの庭石が置かれている。すると、その前で巨大な揚羽蝶(アゲハチョウ)が腹部の先端をこちらに向けて俯せになっていた。

 それは片方の翅が一畳分の大きさを持っていた。降り注ぐ陽光を反射するそれはステンドグラスを連想させ、神々しい迄の美麗さに少しの間、見惚れてしまった程だ。

(突然変異!? それとも新種!?……いや、何か違う)

 サファイヤブルーの複眼が淡い水色のバイザーに覆われているのを見た。続いて、胸部と腹部の境目に光沢があるベルトが巻かれているのに気付いた。そこには幾つかのポーチらしき物があった。視線を移すと、全ての足先が万年筆のキャップに似た物で覆われている。

(まさか、揚羽蝶型異星人ッ!?)

 恐怖より好奇心が勝った鉄子は巨大な蝶の正面に回った。

 いきなり視界に入ってきた鉄子に驚いたのか、巨蝶はビクリッと大きく震えた。

 触角の先端は弱々しく明滅しており、全身が小刻みに震えている。

(苦しそう)

 そう思った瞬間、鉄子は巨蝶を背負っていた。その時、微かなチョコミントの香りが彼女の鼻孔をくすぐった。

 意外な行動に自分でも驚いたが、すぐさまテントを目指して歩を進める。野山を駆け回っているので体力は結構あるし、巨大な割に意外と軽いので難無く目的地に着いた。

 森の中に広めの野原があり、モスグリーンの2人用テントが建っていた。その前に巨蝶を、そしてキャンプ用チェアの上にデジタルビデオカメラを置いた。当然、レンズを巨蝶に向けてだ。

「私の言葉が分かる? 痛かったり、苦しかったりする?」

 だが、巨蝶は何も答えない。触角の先端が弱々しく明滅するだけだ。

 しかし、巨蝶は何かを見付けたみたいに触角をある方向に向け、続いて鉄子に訴えかける様に彼女とその方向を交互に指した。

「何が欲しいの?……まさか、これ?」

 チェアのアームレストに掛けられていた水筒が眼に入った。手に取って示すと、触覚の先端が違う色に変わって明滅した。

「これはイエスなのかな? 分かったから、ちょっと待って」

 蓋を開け、中身のジャスミンティーを注いだタンブラーを差し出した。

 すると、鉄子の手からそれは離れ、宙を漂って巨蝶の眼前で止まった。

「超能力が使えるのッ!? 凄いッ!」

 巨大蝶はクルクル巻かれていた細長い口吻を伸ばすと、先端をタンブラーに差し入れた。一気に飲み干すと、それは再び宙を漂って水筒の近くで左右に揺れた。

「もしかして、おかわり?」

 答えが返ってこないのは分かっていたので、すぐさま再び注いで差し出した。

 2杯目も瞬く間に飲み干した巨蝶は、触角の先端の明滅が強くなっていた。

「元気になったのかな?」

 3杯目も飲み干すと、這いつくばっていた体は地面から離れ、 6本脚でしっかりと立っていた。しかも、2本の触覚の先端に白銀に輝く光輪が出現した。

 (まるで天使みたいッ!)

 同時にチョコミントの香りも強くなったが、決して不快ではない。寧ろ心地良い。

(この異星人にとって、ジャスミンティーは栄養剤かな? それとも回復薬?)

 急な快復ぶりに驚いた鉄子は、改めて自己紹介した。

「私は手塚鉄子。堤中(つつみなか)高校1年生で15歳。あなたは?」

 当然と言うべきか、巨蝶からの返答は無い。ただ、触角の先端を明滅させるだけ。

「やっぱり喋らないかぁ。どうやったら通じるかな?」

 その時、光の色が急に変わった。その先端は鉄子の顔と胸を交互に指していた。

「今度は何? もしかして、これとこれ?」

 自身の眼鏡とルーペを指す。

「残念だけど、眼鏡は貸せないよ。こっちなら良いけど」

 首から外して差し出したルーペを覗き込んだ瞬間、触角の先端と光輪が強く光った。

「驚いてるの? まさか、ルーペを初めて見た?」

 ルーペは鉄子の手から離れて宙に浮き、バイザーに覆われた複眼に近付けたり遠ざけたりを何度も繰り返し、興味深そうにあちらこちらを見回していた。

「じゃあ、これはどうかな?」

 好奇心を刺激された鉄子は、ウエストポーチから空色のオカリナを取り出した。初めて見るであろう物体に、やはり触角の先端の明滅と光輪の明るさが強くなった。

 巨蝶の反応に気を良くした鉄子は、お気に入りの曲を奏でた。

 すると、触角の先端の明滅がより強くなり、光輪が更に輝きを増した。特に前者はメロディーに合わせて揺れている。

 演奏が終わると、明滅と輝きは穏やかになったが鮮やかさは変わらない。まるで、拍手をしている様だった。

「気に入ってくれたみたいね。……ん?」

 鉄子は不意に陽光が遮られて視界が暗くなったので見上げると、2体の蝶が舞い降りてきた。どちらも助けた蝶と同じ物を身に着けている。

「私が吹いた曲を聞き付けてきたのかな? すぐ見付かって良かったね」

 仲間と思われる2体は、助けた蝶の左右に着地した。3体はしばらく触覚の先端を明滅させ合っていた。

 けれども、助けた巨蝶が前に進み出ると、鉄子に触角を向けて先端を明滅させた。

 彼女にはそれがお礼を述べている様に思えたので、

「どういたしまして。困った時はお互い様だよ。今度はあなたの星の音楽を教えてね」

 この時、ルーペがこちらに漂ってきたので、

「返さなくていいよ。あげる」

 と、手でそっと押し返した。すると、ルーペは巨蝶の首に掛かった。

 これでお別れと思いきや、助けた巨蝶のポーチから何かがフワフワと出てきて、鉄子の前で止まった。

「これ、くれるの? もしかして、お礼?」

 やはり言葉は返ってこない。しかし、触角の様子からそう思えた。

「ありがとう。大事にするね。でも、これ何?」

 両手で受け取った物は、大和兜虫(ヤマトカブトムシ)(オス)に酷似していた。ただし、全身が大和玉虫(ヤマトタマムシ)と同じメタリックグリーンだ。

「金属っぽいけど、置物かな?」

 助けた巨蝶は触角の先端の明滅と光輪の光り具合で応える。

 そして、3体はゆっくり羽撃(はばた)き、空に向かって舞い上がった。まるで、名画に描かれた天使の昇天の如く神々しい。

 呆然と見上げていた鉄子は、それを記録しようと慌ててデジタルビデオカメラを向けた。

 その遥か上では、いつの間にか蜻蛉(トンボ)に酷似したエメラルドグリーンの巨大な物体が浮かんでいた。全長は100メートル近くと思われ、ルネ・ラリックが手掛けた作品を連想させる程に優美なデザインだった。

「まさか、宇宙船ッ!?」

 3体がその中に入ると、蜻蛉型宇宙船はアメシストパープルに輝く複雑な多面体――後に先輩から“斜方立方八面体”だと教えられた――に包まれ、瞬時に消失した。

 宇宙船が浮かんでいた空をずっと見上げていたが、やがて独り言ちた。

「これって、JAXAに連絡した方が良いのかな?」



☆第1話:鋼の甲虫は血を求む


 街中と違って星々がはっきり見える夜空の下、慣れた手つきでファイヤースターターを使って火を(おこ)し、焚き火で十分に熱した鉄板の表面を牛脂でコーティングする。その上に国産ステーキ肉を置き、表面をじっくり焼くが中は赤身を残す。そして、無骨なナイフで手頃なサイズに切り分け、胡椒を混ぜた醤油やハーブ入り岩塩等を付けて(かぶ)り付く。

 豪快なステーキを堪能した鉄子は、浄水ボトルで濾過した渓流の水を沸騰させて作ったジャスミンティーを飲みながら、昼間に撮影した画像や動画をテントの中で寝そべって眺めていた。

 今日は、青筬虫(アオオサムシ)深山烏揚羽(ミヤマカラスアゲハ)等々、多くの虫を撮影出来た。

 ちなみに、掌の上で遊んだり、虫籠に入れて観察した後は必ず解放した。環境保全を考慮しているだけでなく、鉄子にしてみれば「遊んで貰った」「観察させて貰った」と云う認識なので、森から引き離すのは可哀想に思っていた。それと家庭の事情で昆虫採集は出来ないからでもある。

 尚、この一帯は県境にそびえる養老山(ようろうざん)の麓に広がる龍ヶ森(りゅうがもり)の一部である。鉄子の父方の大伯母・森華(もりか)が地主である事から、身内や彼女の友人・知人達から〈森華の森〉と呼ばれている。

 今ここにいるのは、彼女から立ち入りやキャンプが許されている鉄子だけだった。

 当然、独りぼっちだが全く淋しくなかった。ここに来れば、必ず何かが出迎えてくれたから。

 森には虫の他に、杜鵑(ホトトギス)栗鼠(リス)鼬鼠(ムササビ)等々。

 幅広の渓流には、翡翠(カワセミ)沢蟹(サワガニ)飛螻蛄(トビゲラ)源氏蛍(ゲンジボタル)等々。

 大きめの池には、源五郎(ゲンゴロウ)鼓豆虫(ミズスマシ)鬼蜻蜒(オニヤンマ)等々。

 しかも、学校のプールぐらい広い温泉もあり、冬になると猿、鹿、猪、月輪熊が目を細めて湯に漬かっている時がある。

 あらゆる場所にて季節ごとに様々な生き物達で賑わっている。

 昔から連休になると、森華に連れられたキャンプで彼等と遊べるのが何よりの楽しみだった。

 いつもの様にコメントと共に、スマートフォンで撮影した画像をツゲッターにアップすると、早速イイヨネが幾つか付いた。

 そして、夕食前から気になって仕方が無い「アレ」を迷彩白衣のポケットから取り出した。

 助けた巨蝶から贈られた、メタリックグリーンの兜虫である。

 手触りから金属製なのは間違いない。体長は本物の兜虫より少し大きいが、体重は変わらない感じがする。

 複眼はサファイアブルーで、脚は全て折り畳まれて腹部に密着している。

 前翅には三重になった八芒星に似た左右対称の図形が描かれていた。それは無色透明の結晶体を埋め込んで造られており、前翅を除けた際に見える背中にも同じ図形があった。ファンタジーやオカルト好きな人なら勇者の証である紋章か魔法陣だと思っただろう。

 また、鼻を近付けると森の中を歩いた際に漂ってくる木々の匂いがした。

 (全体的に精巧に造られている。このマークも意味があるのかな?)

 ネットで検索すると、この兜虫と紋章にそれぞれ似たものは幾つも見付けたが、どちらもそのものが出てこない。

 (エジプトのスカラベのチャーム。ポーの『黄金虫』日本版……どれも似ているけど違うなぁ)

 散々悩んだ末、ドラララインで大伯母に虫の画像に加えて兜虫のそれも送り、入手した経緯を打ち込んだ。

 そして、部長、最も親しくて頼りになる先輩、親友に対して送った画像と今日の活動報告の末尾に「相談したい事があるので連休明けにお願いします」と付け加えた。

     ~ ☆ ~

 テントの外では(フクロウ)が物悲しそうに鳴いている。鉄子は寝袋の中でそれを聞きながら深い眠りに沈んでいった。

 緑の兜虫は頭の傍に、スマートフォンや眼鏡ケースと並べて置かれている。

 ところが、折り畳まれていた六脚が不意に伸びて立ち上がった。

 そして、鈴虫の様に「リィィィン、リィィィン」と鳴くと、普通の兜虫と同じくもそもそ歩き、やがて前翅と後翅を広げて飛んだ。尚、後翅はエメラルドグリーンの光で形成されいた。

 テント内の状況を確認するかの様に飛び回っていたが、やがて寝袋の上に降りた。

 鉄子の顎と寝袋の僅かな隙間に自身を捻じ込んで中に入る。ゆっくりと喉を伝って衣服の下に潜り、胸の上で止まった。丁度、心臓の位置だ。

 口吻をそこに付けてからしばらくすると、透明だった三重八芒星が徐々に赤く染まり始めた。

 明らかに鉄子の血を吸っている。

 そして、紋章が真紅になると口吻を離した。小さな傷跡から血は出ていない。仮に起きていたとしても痛みを一切感じなかっただろう。

 やがて、脚を畳んで最初の状態に戻ると、力尽きたかの様にそのまま動かなくなった。

     ~ ☆ ~

 翌朝、スマートフォンのアラームで目覚めた鉄子は、胸元に違和感を覚えたので手で探った。

 寝袋を開け、掴んだ違和感の正体を目の前に持ってきた。

 (何でここに!?)

 そして、取り出した緑の兜虫の変化に気付く。眼鏡を掛けて改めて確かめる。

 (マークが赤くなってる! 何で?)

 前翅の三重八芒星は透明のままだが、腹部の上側のそれは赤に染まっている。

 誰かがテントに侵入して悪戯で胸元に入れたのかと思った。慌てて荷物を確認するが、盗まれた物は無い。一応、下着と局部も確かめたが、襲われた形跡は無かった。それに、ここでソロキャンプをしている事を知っている者は限られたごく僅かしかいない。

 (もしかして、このカブトムシ自身が動いて入ってきた? でも、何の為に?)

 未知の異星人からの贈り物が容疑者に確定した。

 (やっぱり、先輩達に相談するかな)

 手にした緑の兜虫を正面から見据えて呟く。

 「夜這いするなんて、意外とエッチなんだ」

     ~ ☆ ~

 鉄子は起床してからスマートフォンを確認したが、森華からの返信はまだだった。

 そして、朝食と後片付けを終えると、全ての道具(ギア)を詰め込んだ軍用バックパックを背負い、畳んだテントを持って山道を進んだ。

 数百メートル歩いた先には、モスグリーンの4WDが止まっていた。けれども、そこに運転する大人はいない。

 荷物を全て積み込んだ鉄子は助手席に座った。

 運転席には二十代半ばと思しき女性が座っているが、鉄子に反応せず、ハンドルを握って前を見据えたままだ。

 「おはよう、リンさん。今日もよろしくね」

 話し掛けられても何も言わない。

 「そして、チューさんもね」

 同じく親しみを込めて言うと、左手首に巻いているダイバーズウォッチに備わっているスイッチを押した。

 「運転開始。森華邸まで」

 すると、リンこと林花(りんか)が握っていないギアレバーが動き、足を乗せていないアクセルが勝手に踏み込まれて発車した。しかも、ガソリン車特有のエンジン音がしない。

 実は、水素燃料エンジン〈テティス〉と制御用AI〈アトモス〉が搭載されており、自律自動運転が可能である。鉄子のダイバーズウォッチ型デバイス〈UG〉で指示する。

 そして、林花はラブドールである。

 森華が大学生の頃、在学中にラブドール職人としてデビューしていた友人から誕生日に贈られた。自身そっくりに造られたそれをかなり気に入り、“妹”として迎えた。その時、“姉”によって林花と名付けれた。

 命名と云えば、チューさんこと忠次郎(ちゅうじろう)も持ち主の森華が考えたものだ。同じ昆虫学者として尊敬して止まない佐々木忠次郎博士から名前を拝借している。

 では何故、ラブドールをロボット自動車に乗せているか。その理由はカモフラージュである。人間より遥かに安全な自動運転が出来ても、運転席が空っぽだと周囲は驚くし、警察に通報されてしまう。いちいち説明が面倒臭いので、精巧に造られて人間と見分けが付かない林花に文字通りダミーになって貰っているのだ。これは鉄子のアイデアで、森華の許可を得ている。

 尚、鉄子は乗り物酔いに襲われやすい体質だが、忠次郎に乗った時だけ酔わない。

 自律自動で走行する4WDは山道を下り、山村を抜け、市街地に入った。出発してから1時間後、高級住宅街の一角にそびえ建つ大きな洋館の敷地に入って玄関前に停車した。

 「チューさん、ありがとう」

 そこに荷物を下ろし、林花を背負った鉄子がお礼を言うと、忠次郎はバックで車庫に入った。シャッターも自動で開閉する。

 鉄子は森華の書斎に行くと、彼女が愛用しているアンティーク調の椅子に座らせる。林花がこの館の主人みたいに見えた。

 「リンさんもありがとう。お留守番、よろしくね」

 玄関に戻った鉄子は、再び荷物を手にして物置に向かった。

 森を出る前に汚れと水分を拭き取ったテント等を片付け、母屋で分別したゴミを捨て、浴槽に湯を入れ、衣類等を洗濯機に放り込んで稼働させ、全裸でキャンプ中に使った食器を改めて洗った後、風呂場に行った。

 ちなみに、森華の森にいた間、そこにある広い温泉に入って汗を流していた。

 泡だらけの体をシャワーで洗い流した鉄子は湯舟の中で、

 (シャワーは便利だし、お風呂は気持ち良いんだけど、何か物足りないなぁ)

 秘湯を何度も堪能した鉄子は、家の風呂では満足出来ない体になっていた。

 (今日で連休も終わりかぁ。今年も楽しかったなぁ)

 最終日を迎えたゴールデンウィークを惜しみながら、さっぱりした体をバスタオルで拭き終えた時、丁度洗濯が終わったので乾燥機に放り込む。

 スポーツ用ではなく普段使いのメタルフレームの眼鏡を掛けると、改めて髪をワシャワシャ拭きながら、日焼け跡がある体を晒したままダイニングキッチンに行く。壁に掛かっている時計は正午過ぎを示していた。

 森華の森に行く前に冷蔵庫に入れていた大量のコンビニのサンドイッチと、ジャスミンティーの700mlペットボトルをテーブルの上に置く。

 全裸のまま座ると、渇いた喉にジャスミンティーを流し込み、ツナサンドと玉子サンド重ねて食べる。時々、スライスチーズを挟んだり、胡椒を振り掛けたりして味変を楽しんだ。

 空いた手でスマートフォンを操作して着信を確かめると、3人から快諾の返事が届いていた。

 ツゲッターに投稿した虫の画像や動画の評価も好調だった。

 けれども、大伯母からの返事はまだ無い。ネット環境が整備されていない森の奥でフィールドワークをしているので、まだ見てもいないのだろう。

 地元の大学で教鞭を執っている森華は、去年からスマラクトラント――ヨーロッパの中では最も自然豊かな王国で“ヨーロッパのエメラルド”“残された妖精の国”“欧州最後の秘境”等と呼ばれる――に長期の調査に行っている。

 その留守中、ソロキャンプに行く際は家やギアを使っても良いと言われていた。尚、邸内の掃除や管理等は彼女が長年雇っている家政婦に定期的にして貰っている。

 出発前に用意しておいた普段着に着替えると、髪をツーサイドアップにした。ちなみに、キャンプ時は邪魔にならない様にシニョンにしてハットの中に収めている。

 自転車置き場に向かい、愛車の迷彩柄のマウンテンバイクに跨った。門扉を閉めると力一杯漕ぎ始める。一時間近く走り続けると、住宅街の中に建つ自宅に到着。

 そこは周囲の家々と違い、植木どころかプランターすら無い。意図的に植物を避けている様に見える。

 玄関に入り、一応「ただいま」を言う。けれども、笑い声は聞こえてくるが返事は無い。

 リビングでは旅行から帰ってきた両親と2人の妹が団欒中だった。

 鉄子はそこに入らず、階段に向かった。眼も合わせない。傍から見れば不自然だが、いつもの光景だ。

 彼等は筋金入りの鉄道マニアで、その界隈では有名な一家だった。けれども、鉄子は違う。同時に鉄子は虫好きだが、彼等は虫嫌い。

 両親は大学の鉄道サークルで出会い、意気投合した事が馴れ初めらしい。

 当然、鉄子が物心付く前から英才教育を開始した。

 ところが、全く興味を示さないし、列車に乗ると必ず乗り物酔いに襲われて大泣きする。

 そんなある日、決定的な出来事が起こった。

     〜 ☆ 〜

 鉄子が小学生になって初めての夏休み。例によって乗り物酔いで泣きじゃくる彼女の為に、田舎の駅で予定外の途中下車をせざるを得なくなった。

 胸のむかつきと軽い眩暈(めまい)でフラフラになり、人っ子一人いないプラットホームのベンチに座り込んでいた。その傍では両親が苛立ちを隠さず時刻表を見上げたり、腕時計を覗き込んだりしている。

 ぼーっと緑豊かな景色を眺めていた鉄子は、ふと違和感を覚えた。

 プラットホームと駅の外を隔てている金網の向こう側に、パンジーが咲き誇っている花壇があった。そこに小さな光る物を見付けたのだ。ふらつく足取りで金網に歩み寄る。しゃがんで花壇を眺めると、光っている物体の正体が分かった。

 (虫?)

 細長い全身がメタリックグリーンに輝く虫だった。金属みたいな外骨格が陽光を反射していた。

 後日、小学校の図書室にある子供向けの昆虫図鑑を開くと大和玉虫だと知った。

 (きれい……宝石みたい)

 今は正体不明の、生まれて初めて見る玉虫の美しさに一目で魅了された。

 金網の網目に人差し指を差し入れ、花弁の上を這っていたタマムシに向かってそっと突き出した。すると、避ける事無くその指に乗った。そのまま網目から引き抜いても逃げる様子は無い。

 しかも、最初は金色を帯びた緑色に見えたのに、見る角度を変えると金色を帯びた紫にも見える。その不思議な現象に、鉄子は体の不調を忘れて見入っていた。

 「あいつ、いつの間にあんな所に」

 「そんな所で何をしてるの?」

 声を掛けてきた両親に駆け寄り、嬉しそうに「これ、きれいだよ」と玉虫を見せた。

 その途端、二人は悲鳴を上げた。

 「そんな物、捨ててしまえッ!」

 血相を変えた父が鉄子の手を叩くと、玉虫はプラットホームの上に落ちた。激痛と激昂に怯えた鉄子は号泣する。しかし、2人は追い打ちをかける様に、

 「虫なんか二度と捕まえるなッ!」

 「分かった? 絶対よ! ああ、気持ち悪いッ!」

 泣きじゃくる鉄子に無理矢理約束させた。

 ところがその日以来、鉄子は様々な虫に興味を持ち始め、両親と違って恐れるどころか笑顔で掴む様になった。

     〜 ☆ 〜

 当初は鉄子も家族旅行に参加していたが、列車内でテンションが上がっている両親の横で、車酔いから逃げる様に図書室で借りてきた虫に関する本を黙々と読んでいる。また、旅先にて博物館や図書館等で虫に関するイベントがあれば行きたがる。

 列車に見向きもしない鉄分皆無の鉄子とは逆に、2歳年下の双子の妹達・鉄代(てつよ)鉄奈(てつな)は鉄分満タンだった。物心付いた時から嬉しそうに列車を眺め、楽しそうに乗り、はしゃぎながら外観を撮影した。しかも、鉄子とは違って外見も性格も両親に似て要領が良く、美人に育ちそうだ。そして、大の虫嫌い。

 こうなると両親は妹達ばかり可愛がり、鉄子が小学3年生になると1人で留守番させる様になった。それを見かねた森華が虫取りキャンプに誘ったのが始まりだった。

 長年彼女から丁寧に教わったお陰で、知識と技術は全て習得出来た。その後、高校生になったのを機に、森華が同行出来ない時はソロキャンプが許される事になった。そして、今回はソロキャンプデビューだったのだ。ただし、現時点では森華の森でのみと制限されているが。

 (今回もどんな迷惑を掛けてきたのかな?)

 両親は撮影中、フレーム内に一般客が入り込むと睨み付けて無言で威嚇する。そして、鉄道ファンの訃報が耳目に入ると、親しくもないのに遺品のコレクションを漁りに行く。遺族が「形見だから手元に残したい」「親しい人に譲る様に言い残している」等と断っても屁理屈を捏ねて言いくるめ、時に威圧して強奪。その場で苦情を受けても平気だ。

 何せ、父・線二郎(せんじろう)は身長が190センチメートル近くあって筋肉質。しかも、空手の有段者。そして、母・路枝(みちえ)も長身で拳法の有段者。

 二人とも若い頃に撮影の邪魔をした半グレやヤクザを叩きのめして警察に突き出した事も少なくない。そんな武闘派なので、善良で気弱な鉄道ファン達は恐れて何も言えなかった。

 しかも、鉄代と鉄奈は両親に似て顔も整い、背が高くてスリムで巨乳。当然、話題にならない訳が無くく、美少女姉妹の鉄道マニアとして、動画投稿サイト〈ユアーズチューブ〉に定期的にアップしている。その愛らしい愛らしい美貌と言動、更に中学生離れしたスタイルで多くのファンを虜にしていた。

 (たぶら)かされた彼等が双子の言い分を盲信し、両親の悪行を暴露した人々をバッシングしまくるので、次第に被害を訴える声は消えていった。

 (いつか痛い目に遭えばいいのに)

 心の中で呪詛を呟きながら2階に上がった鉄子は、北西側の端にある最も狭い部屋に入る。

 それでも中は鉄子の手で年頃の女の子らしい内装になっている。ただし、小さめの冷蔵庫が置かれ、その上に電子レンジが乗っているが。

 鉄子は勉強机に向かい、撮影した画像や動画をノートパソコンで編集し、改めてツゲッターにアップした。

 やがて階下から美味しそうな匂いが漂ってきた。鉄道旅行から帰ってくると、その日の夕食は必ずすき焼きだ。

 けれども、鉄子はそれに加わった事は無い。

 普段と同じく、自身の身長より低い冷蔵庫から出したコンビニのサラダと、電子レンジで温めたパックのご飯に、同様に温めたレトルトの麻婆豆腐を掛けて麻婆丼を作った。

 そして、ユアーズチューブで虫の動画を眺めながら黙々と食べた。

次回予告


鉄子の親友と先輩達は謎の甲虫に驚愕する。

その秘密に迫ろうとするマッドサイエンティストの卵達。

しかし、謎が謎を呼び真実は遥かに遠い。

甲虫の警告音は何を意味するのか?

第2話「異端科学部にようこそ」


少女の居場所はそこにある。

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