38. なし崩し
翌朝。サフィラとクラヴィスは起きだして、お互いの顔を見合わせた。
「キスしたい」
クラヴィスがいきなり言い出したので、寝ぼけ眼のサフィラは一気に目が覚めた。
「えっ、キスって」
「したい」
サフィラはベッドに座り、膝をすり合わせた。
「な、なんで?」
「好きだから」
サフィラは困ったように顔をあげて、クラヴィスを見た。クラヴィスはサフィラの隣に座り、「キスしよう」と迫る。
「そういうのは、恋人同士がするやつじゃ……」
「もう既にしているのに、今更じゃないか?」
「そうかな」
そうかも……? サフィラは首を傾げた。
ぎこちなく顔を合わせ、目を閉じる。恥ずかしさで心臓が早鐘を打ち、手を強く握りしめた。
やがて唇にやわらかな感触が降りて、離れる。
「おはよう、サフィラ」
目を開けると、クラヴィスはやわらかく微笑んでいた。
「お、はよ、う」
サフィラがぎこちなく挨拶を返すと、再び唇が合わさる。サフィラは、心臓が痛いほど脈打っているのを感じた。
(いいのかな。付き合ってもないのに、こんなことして……でも、一度キスしてるから、今更だし)
サフィラはどぎまぎしつつも、二人で朝食をとりに部屋を出た。
食堂には、既に多くの騎士たちがいる。食事の乗ったトレーを持ち、にぎわう席の片隅について、向かい合った。
無言が気まずくて、サフィラから話しかける。
「……クラヴィス、昼間はどうしてるの?」
「暇だし、身体もなまるから、訓練に混ぜてもらっている」
そうなんだ、とサフィラは口にパンを詰め込む。アウクシリアもやってきて、クラヴィスの隣に座った。
「おはよう。なんだ、二人とも仲直りしたのか?」
「そうだ」
クラヴィスは平然と答えるが、サフィラは顔を赤くしてクラヴィスをにらみつける。何かを察したらしいアウクシリアが、「お前らなぁ」と呆れたように顔をしかめた。
「バレないようにやれよ」
「し、してません」
サフィラは抗議した。平然としているクラヴィスの足を、サフィラがテーブルの下でつつく。彼はサフィラの足の裏をつま先でなぞり、サフィラは驚いて足を引いた。
テーブル下の攻防に気づいているのかいないのか、アウクシリアが「ほどほどにしとけ」とたしなめる。
食事を終えてからは、それぞれの予定通りに動くことになった。クラヴィスとアウクシリアは訓練へと向かい、サフィラは解読班のもとへと向かう。
「おはようございます」
既に、部屋には何人かの職員がいた。彼らは顔を上げてサフィラへばらばらに挨拶を返し、再び作業へと没頭する。
「おはようございます。早いっすね」
イーデムの姿もある。サフィラは彼に挨拶を返し、「今日は何をすればいいですか」と辺りを見渡した。
「何かあれば、それをやりたいです」
「実は、それがあんまりないんですよ。協力してもらっていて何なんですけど、今日は一日中ヒマかもしれません」
彼は前髪を払い、頭をかく。
「ひとまず、待機でお願いします。またデカい問題とか、分からないことがあったら聞きますんで」
はい、とサフィラは頷く。あと、と並べられた本へと目を向けた。
「そこにある本は、僕が読んでもいいですか?」
「傷つけなきゃいいですよ。そんなに古いもんでもないだろうって話で、古文書扱いはしてません」
イーデムの返答に甘えて、サフィラは本を手に取った。イーデムは再び机へと向かい、黙々と訳出作業に没頭している。
(テストゥードーが僕たちにした話は、矛盾している可能性がある。もちろん、クラヴィスがウィータに、嘘を吹き込まれている可能性だってあるけれど)
サフィラは、ページを次々とめくった。海蛇伝承と海亀伝承にまつわる文章を読み取り、頭へと入れ込んでいく。
(父さんが間違っていると、僕が思いたくないだけなのかも。それとも、命が惜しいか)
庭にあった石碑が欠けているのが惜しいな、とサフィラは唇を噛んだ。続きにはなんと書かれていたのだろう。
ふと、サフィラの手が止まった。それは魔物の神、ウィータに関する章だった。
そこに父親の書き込みはないが、挿絵が目を引いたのだ。
(ウィータが持っている武器、クラヴィスが与えられたのと似ている)
黒い鎧、白い大剣。よくある絵のモチーフだと言われればそれまでだが、なぜか気になった。
(海蛇が、我が子のために用意した、自身の身体であつらえた具足一式……)
サフィラがページをめくると、「あ」とイーデムが声をあげた。振り向くと、彼は机の端を指さしている。
「そこに、本へ挟んであったメモも置いてあります。書き癖がひどくて誰も読解できてないんですけど、読めます?」
どれどれ、とサフィラは紙を見た。途端に渋い顔をする。それは、サフィラの父のひどい癖字の群れだった。
まさか書き込むだけでは飽き足らず、手書きのメモまで挟んでいたとは。
「読めます。うちの父の字です……」
「へェ」
イーデムは驚いた表情で固まり、しげしげとサフィラの顔を見た。
「ああ。これはもともと、サフィラさんの家の蔵書なんでしたっけ」
「は、い」
頷くサフィラに、イーデムは「じゃあ、これも分かりますか」と自身が読み解いていた本の、最後のページを開いた。
そこには、海亀の印がおされていた。サフィラは、海亀のチャームのついた手首を掴む。
「全然本筋の話じゃないんで、話半分で聞いてください。最初、これってウォルプタース家の家紋じゃないのかなって思ったんです。だけど俺、一個違和感があって」
ほら、と彼は別の本を開く。そのページには、雌のシーサーペントの図が描かれていた。彼女は尾を咥え、身体を円の形に曲げている。
「このページのこれ、サフィラさんから教えてもらった読み方だと『ウォルプタースの象徴』って読めるんですよね。じゃ、なんでシーサーペントじゃなくて、海亀が蔵書印になってるんだって思ったんです」
ぱちん、とサフィラの無意識の中で何かが繋がる。言語化できないほどちいさく、だけど確かな何かがあった。
「その部分、読ませてもらってもいいですか」
「構いませんよ。俺は今、別のを読んでるんで」
はい、と手渡された本を、サフィラは開いた。




