27. さらばレガリア島
「サフィラ、起きろ」
クラヴィスが身体をゆさぶる。サフィラがまどろみながらも目を開けると、すでに身支度を整えたクラヴィスがそこにいた。慌てて跳ね起きると、ぱさりと布団が床へと落ちる。
「ごめん! もしかして僕、寝坊した?」
「いいや、全く」
サフィラのあちこち髪の毛が跳ねた頭を、クラヴィスが撫でる。「寝ぐせだ」と、指でくしくしといた。なんとも言えずむずがゆくなって、気まずくて、黙り込む。
「……ねえ、クラヴィス。恥ずかしいんだけど」
ちいさく上がった抗議の声も聞かず、クラヴィスは頭を撫でくりまわす。おかしい、とサフィラは内心首を傾げた。いつもより、随分と距離が近い。昨日のことを考えると、ここまで密に接してくるはずないだろうに。
だけどサフィラの掌には傷跡が残っている。落ち着かずに手首を撫でていると、クラヴィスが着替えを差し出してきた。
「あ、りがとう」
「いや」
そこからというもの、クラヴィスは甲斐甲斐しくサフィラの世話を焼いた。サフィラの洗顔も、着替えも、食事も、すべて手ずからやりたがる。
「どうしたの、クラヴィス。なんか変だよ……」
彼に髪をとかされながら、サフィラは恐る恐る尋ねる。クラヴィスは「何もおかしくない」と静かに返した。
「サフィラの世話を焼きたいから焼いている。勝手にさせてくれ」
「い、いや、そういう話では」
抗議するにもしきれず、サフィラはされるがままに身支度を整えた。宿を出るときも荷物を持たれ、まるでお姫様扱いだ。
(クラヴィスがおかしくなっちゃった)
サフィラは焦りと不安で、クラヴィスの服の裾を引っ張る。
「ねえ。どうしたの? 怒ってる……?」
「怒ってはいる」
つっけんどんに返されて、サフィラはほとほと困り果ててしまった。
怒って不機嫌になっているなら、距離を置けばいい。だけどこうして側で甘やかされると、どうすればいいのか全く分からないのだ。
クラヴィスが何を考えているのか、全く分からない。
アウクシリアと待ち合わせをする船着き場へと着いた。アウクシリアは既にそこにいて、ひとり海を眺めている。彼は微妙な距離感の二人の姿に、ぱちりと目を瞬かせた。
「とうとう……か?」
何が「とうとう」だ。サフィラは俯き加減に「違います……」と反論する。クラヴィスは「何もなかった」と無機質な表情で言った。
アウクシリアは二人の様子に、ふむ、と顎をさする。
「まあ、いいや。俺から、ちょっとお前らに話しておきたいことがある」
サフィラが目を瞬かせると、アウクシリアは「まあ、なんだ」と口ごもった。
「立って話すようなもんでもない。どっか、落ち着いて話せる場所にでも行くか」
「実は、僕らもアウクシリアに話すことがあるんです」
その言葉に、アウクシリアも目を瞬かせる。
こうして、三人は街へと向かった。アウクシリアはどんどん街を行き、やがて郊外にある大きな食堂の前で足を止めた。壁に施された装飾が色鮮やかで、サフィラは目を奪われる。
「ここ、高い店だろう」
クラヴィスが暗に「払えるのか」と問えば、アウクシリアは「心配すんな」と中へと入る。
店員は、すんなりと三人を個室へと案内した。いやに静かな部屋だった。壁が分厚く、音を通さないのだろう。
「ここ、よく使うんですか?」
「まあな」
アウクシリアは机につき、サフィラたちにも促す。店員が注文を取って消えると、アウクシリアはサフィラに向き直った。
「先日のアウレア島での件だが……お前、これは読めるか?」
彼は、懐から紙を取り出す。そこには、古代語が書かれていた。
サフィラの家に伝わる書籍は、ほぼすべて、この言語で書かれていた。
「古代語ですね。現代語訳すると……『我らは黄昏より来たる者。大いなるテストゥードーを称えん』です」
サフィラがすらすらと読み解くと、アウクシリアは渋い顔をした。
「……サフィラ。お前、なんでこれが読める」
「この言語を、父に教えられたからです」
そうか、とアウクシリアは頷く。サフィラが怪訝な表情で首を傾げると、アウクシリアは重々しく口を開いた。
「これは、メトゥス邸で押収された書籍に書かれていた一節だ」
は、とサフィラは顔を上げる。メトゥスは頷いた。
「この文字は、誰にも読み解けなかった。専門だという学者を呼んでも、誰も読み解けなかった。今は解読作業の途中だ」
それで、とアウクシリアは、サフィラを見据えた。
「もしかしたら、古代魔法が書かれているのかもしれないというのが、今の見立てだ。あの酒の作り方も、ここに載っていたんじゃねぇかってな」
あ、とサフィラは唇を震わせた。自分が考えなしに流出させた本に、そんな危険なことが書いてあったのかもしれないだなんて。
クラヴィスは「まだ、そうと決まったわけじゃないだろう」と噛みつく。アウクシリアはそれを意にも介さず、「サフィラ」と静かに語りかけた。
「俺は、お前があんなことに加担しただなんて、これっぽっちも思っちゃいねえよ。誰かがあれはお前のせいだって言いやがったら、俺は抗議する」
だけどな、と、アウクシリアはサフィラに頭をさげる。
「俺は、曲がりなりにも騎士だ。お前には、捜査に協力してほしい」
サフィラは視線をさ迷わせ、「そうですか」と戸惑った。きっと、マーレ復活まで、それほど時間はない。
クラヴィスは、その手を握って、じっとサフィラを見つめる。
その強い光をたたえた目と、しかめられた顔に、サフィラは薄く微笑みかけた。
「すみません。その前に、僕たちの話をしてもいいですか」
「そうだったな。お前たちも話すことがあるんだったか」
はい。サフィラは頷いて、背筋を伸ばした。
「テストゥードーを召喚しました。太陽神テストゥードーは海亀の姿になって、僕たちの前に顕現しました」
アウクシリアは、眉を跳ね上げてクラヴィスを見た。クラヴィスは渋々と言った調子で頷く。
「それで、俺がテストゥードー直々に勇者へと指名された。マーレを倒せ、だそうだ」
二人の言葉を咀嚼するように、アウクシリアはしばらく黙り込んだ。少しずつ俯いて、頭を抱えて唸る。
「待ってくれ。突拍子もないことを言うな」
「でも、本当なんです」
アウクシリアはしばし唸っていた。その間に食事が運ばれ、三人の前に並べられる。
「とりあえず、食うか」
そうして黙々と食事をした。食べ終えてから、アウクシリアが口元を拭いながら言う。
「テストゥードーが海亀になった、ねえ。真偽はともかく、お前らの方でも進展はあったみたいだな」
はい、とサフィラはカトラリーを置いて頷いた。
「テストゥードーは、海の墓場に勇者の武器があると言っていました。だから僕は、先に海の墓場へ向かいたいです」
「しかし、それでは時間がかかるだろう」
渋るアウクシリアに、サフィラは「大丈夫です」と拳を握る。
「僕が水流を操って、船を運びます。だからすぐに着くはずです」
「しかし、お前にも限界があるだろう」
「テストゥードーから力を授けられたので、余裕でできますよ」
アウクシリアは水掛け論だと悟ったらしい。よっこいしょ、と掛け声をあげて立ち上がる。
「とにかく、船へ戻ろう。ここは騎士団にツケとくから、金は気にすんな」
サフィラが目を見張ると、クラヴィスも立ち上がる。サフィラの手を取って立たせると、アウクシリアが「なんだ、お前」と呆れたように目を細めた。
「過保護って話じゃねえな」
「俺はサフィラが好きだからな」
サフィラは俯く。それにただならぬ空気を感じたのか、アウクシリアは口をつぐんだ。
こうして気まずい雰囲気のまま、三人は船着き場へと戻った。帆を張る前に、アウクシリアは座り込む。
「俺は、アウレア島へ戻りたい。お前らは、違うようだな」
「はい。でも、今日の日暮れまでには、海の墓場へと着けると思います」
アウクシリアが眉をひそめると、サフィラはぱちんと指を鳴らした。
「詠唱なしでも、これだけのことができるんです」
そう言って、サフィラは巨大な水柱を噴き上げさせた。海水が降り、ぼたぼたと身体を濡らす。
アウクシリアは突然のことに、ぽかんと口を開けて空を見上げていた。
サフィラはもう一度指を鳴らし、一滴残らず水を海へと戻す。
「水流を操るのは、もっと簡単です。今日の日暮れまでにあちらへ向かって、明日の夕暮れまでにはアウレア島へ着くようにします」
だから、とサフィラはアウクシリアをまっすぐに見据えた。
「僕は、海の墓場へと向かいたいです」
盛大なため息をついて、アウクシリアは立ち上がった。しょうがねえなとぶつくさ文句を言いながら、帆を張る。
「この冒険の旗頭はお前だ。お前の出した条件は、俺が想定していたアウレア島への旅程よりも短い」
それでは、とサフィラは顔を明るくする。クラヴィスはひとり、海を見つめていた。遠くでぽちゃんと水音がする。
「何か、跳ねた」
サフィラはその声に振り向き、「何かあったの」と尋ねる。いや、とクラヴィスは首を横に振った。
「魚だろう。行くぞ」
エスコートするように、クラヴィスは丁重にサフィラの手を取った。居心地が悪くて指がすくむのに、それを全て包み込むように、クラヴィスは手を握る。
サフィラは無言で船へと乗り込んだ。アウクシリアがもやい綱を外し、船は外洋へと漕ぎ出していく。
レガリア島は、どんどん遠ざかっていった。




