1-19 side.レオ
炎を纏った拳が僕の顔面すれすれを通りすぎた。
「うわっ!?」
僕はバランスを崩して転がる。なんとか立ち上がったものの、彼女の拳が次々と殴りかかってくる。僕はそれをギリギリのところで躱していく。避けることで精一杯で、隙を見つける暇がなかなかない。
視界の隅でナニカが僕に向かって――足!?
避けるのは間に合わない。咄嗟に剣で受け止め、しまった、と思う。彼女を傷つけ――
ガキィン!
え?
世界がぐるぐると回った。
止まってから、僕は蹴られたのだと自覚する。さっきの音は剣が折れた音だった。
「うっ……」
この世界で痛みは感じない。けれど脳が、蹴られた衝撃から幻の痛みを感じさせる。
よろよろと立ち上がりながら彼女を見る。彼女の体から炎のような揺らめきがみえる。
確か他の剣があったはず。急いで剣を出さないと……。
「も、もうやめようよ……!」
「ルシルっ!?」
「る、ルシ、ル……!?」
僕に背中を向けて、ルシルが手を広げて彼女の前に立つ。
「だ、ダメだルシル、危ないって……」
痛みを堪えながら大きな声で叫ぶ。
「そうよ、ルシル。そこをどいて」
「い、いや! こんなの意味ないって。どうして仲間どうしで戦わなきゃいけないの!? もうやめようよ!」
「で、でもニーナは――」
「レオくんのバカ……!」
ば、ばか……?
ルシルは振り返って僕を見る。
「魔族は魔族でも、ニーナちゃんは今まで一緒に冒険してきた仲間だよ!? 確かに、嘘をついてたのは良くないかもしれない。でも、あの二人を見てよ!」
僕はイーサンとウィズに目を向ける。こっちを見ている二人に、怒っている様子はない。
「な、なんでみんな冷静なの……?」
イーサンとウィズは顔を見合わせて、口を開いた。
「そりゃあ、魔族なんて見れば分るだろ」
「レオは気がついていなかったのですか?」
僕の口がポカンと開く。
「え? みんな知ってたの? どうして教えてくれなかったのさ!?」
「一応命の恩人だからな」
「特に殺気を感じなかったし……」
「興味がないですね」
興味がない、じゃないよこのツインテ巨乳オタク!!
「ニーナちゃんがいなかったら、ここまで来ることは出来なかったかもしれない。ニーナちゃんが私たちに何をしてきたかよく考えてよ!」
こんなにも真剣な顔で話すルシルを僕は初めて見た。
「ニーナが僕たちにしてきたこと……」
一緒に魔王を倒そうと誘われて、迷宮に潜って、魔法で魔物を倒そうとして僕を巻き込んだり、僕の夕飯のお肉を食べたり、魔物に掴まった僕を囮に逃げようとしたり……。
「どさくさに紛れて僕のこと殺そうとしてるじゃん!?」
「そ、それはそうかもしれないけど!?」
「ちょっとルシル!? そこは否定しなさいよ!」
ルシルはごほん、と咳払いをした。
「に、ニーナちゃんだってわざと殺そうとしたわけじゃないよ。殺そうと思えばいつでも私たちのことを殺せた。でもそうはしなかった。それどころか、最初にレオくんに話しかけてきたのはニーナちゃんでしょう? 理由は分からないけど、ニーナちゃんは魔王を倒したがってる。ね、ニーナちゃんはどうして魔王を倒したいの?」
僕の、みんなの視線がニーナに向く。
「だ……だって、お母さんが森を壊すなとか、人を襲うなって言うから……」
それはそうだ。意外なことに、魔王もまともなことを言うんだな。
「……反抗期かよ」
「ちょっとエリック!」
「それに、お母さんは凄く強いのに、他の奴らがダメ魔王とか出来損いってバカにして、言い返さないお母さんも、言い返してもバカにされる弱いアタシも嫌いで、悔しくて、悔しくてアタシ……」
ぽろぽろと涙をこぼす彼女は、魔族というより、どこにでもいる少女に見えた。
『一緒に魔王をぶっ飛ばしてみない?』
初めて会ったときの、あの言葉は、笑顔は、嘘だったのだろうか? もし嘘だとしても、目の前で泣いている少女の涙までもが嘘だとは思えなかった。似ていると思ったからだ。
魔物が憎い僕と、お母さんが嫌いな彼女。魔物にやられたままジッとしている僕と、周りへ言い返すことが出来なかった彼女。
僕に嘘をついてまで、魔王をぶっ飛ばしたいと言った彼女。活発で、たまにトンデモ発言をするけれど、その実聡明で道を示してくれた彼女。文句を言いながらも僕を魔物から助けてくれた彼女。よくわからない人形をかわいいと言った彼女。美味しそうにご飯を食べる彼女。幽霊を怖がる彼女。一緒に魔物から走って逃げた彼女。魔物を倒したとき自信満々に笑う彼女。
嘘は、許せない。でも、
「ニーナ」
彼女を殺してしまえば、僕は僕を赦せない。
「ごめん」
僕は頭を下げる。
「僕は、どうしても魔族が許せなくて、自分のことばかり考えて、周りのことがみえてなかった。ニーナが今まで助けてくれたことを、ニーナの気持ちをないがしろにして、カッとなって、酷いことをした」
許されなくてもいい。ただ、ニーナに謝りたかった。
「本当にごめん」
ニーナの顔は見えない。返事もない。近づいてくる足音だけが聞こえた。ニーナのことだ。もしかしたら殴られるかもしれない。けれど今は、それすらも仕方がないだろう。
「顔を上げて、レオ」
覚悟を決めて顔を上げる。
「アタシこそ騙したりしてごめんなさい」
今度はニーナが頭を下げた。
「いつかは本当のことを言わなきゃ、って思ってた。でも、一緒に冒険をしていくうちに打ち明けるのが怖くなって、言えないままここまで来てしまった。元々はアタシが嘘さえついてなければこんな事にはならなかった。だからレオが謝る必要なんてないの」
まさか謝られるとは思ってなかったから、僕はしばらく動けなかった。
「謝って許されるとは思ってない。レオの気が済むなら、殺してくれて構わない」
まるで首を差し出すかのように、ニーナは頭を下げたままだ。
「殺しはしない。だから顔を上げてよ」
ニーナはゆっくりと顔を上げた。初めて見る、不安そうな顔。
「殺さない代わりに、ひとつお願いがあるんだ」
僕はニーナに手を差し出す。
「一緒に魔王をぶっ飛ばしてほしい」
ニーナは驚いた顔をして、それから涙を袖で拭った。
「もちろんよ!」
僕の手をとったニーナは、いつもの自信に満ち溢れた笑顔だった。
『話は纏まったかのう?』
青い炎が揺らめく。一気に空気が張り詰めた。
『最近は挑戦者が滅法少なくてのう。誰であろうとわしに挑むことを止めはせん。ペペ、お主もわしと戦うか?』
「まっさかー。ボクは邪魔にならないよう見学しまーす」
『そうか。気が向いたらいつでも参加して良いからな。さて、待たせたな勇者の』
僕たちと魔王は向かい合った。各々、戦闘態勢に入る。僕も右手を動かして折れた剣の代わりを道具鞄から取り出した。ブリッツから託された蒼穹の剣。
青い炎がひと際強く燃え上がった。炎が渦を巻きその姿を変える。全身青色のそれ――アミーは、巨大な人の姿をしている。けれど首から上がない。左手に持っているのは自身の首だろうか? 長髪で目を瞑っている。右手には槍。
「その姿はHPが残り二割に減らないとならないはず――!?」
エリックが声を上げた。
地面からいくつかの光が浮かび――小鬼のような剣を持った魔物が現れた。その数三十六体。アミーの上にHPバーが三本現れる。
『さぁ、戦闘を始めよう』
魔王が嗤ったような気がした。