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16 急転直下の自白

キリの良い第3幕の終わりまで順次投稿していきます。

長文の台詞が多くて申し訳ないです。


 諧文堂で宮前と話した翌々日の午後のことだ。

 韮崎邸の応接間には、4人の人間が集まっていた。

 八重子と新伍、そして韮崎邸の従業員が二人。展示会の受付をしていた辻本と、主に経理等の奥向きの仕事を担当している斎藤。


 辻本と斎藤は二人並んで、壁際に立っていた。

 パリッと整ったシャツにベストを合わせて、今すぐにでも客前に立てそうな身なりの辻本に対して、太った身体に裄丈の合っていない書生服をだらしなく着込んだ斎藤が妙に不格好にみえる。


 八重子と新伍はテーブルを挟んで、向かい合って座っていた。初めてここを訪れた時に、桜子と韮崎藤助の4人で囲んだ大きなテーブルだ。


 藤助の亡くなった日、新伍はこの部屋で一人、冷めた紅茶を啜りながら待っていた。同じ建物の中で、彼が息途絶えていたのも気づかずに。


 今も、あの時と同じように、テーブルには小花の刺繍された白いテーブルクロスがかけられている。ピンと綺麗に張られているのは、タツ江ではなくマツの仕事だろうか。

 新伍と八重子のちょうど真ん中には小さな花瓶。赤、白、黄色の花が色とりどりに生けてあった。


「八重子さんは、本当に花がお好きなんですね」


 本題に入る前に、軽い話題を投げかけた。


「えぇ、まぁ……」

「僕はあまり詳しくないのですが、この中には、もしかして異国の花もあるのですか?」


 八重子は「お仕事柄、いただくこともあるものですから」と柔らかく微笑んだ。それから、つと表情を引き締める。


「本日いらしたのは、タツ江のことでしょうか? お兄さんが捕まったと聞きました」


 ご迷惑かけて申し訳ありません、と深く頭を下げた八重子は、落ち着いてみえた。従業員二人も、取り敢えずといった様子で、八重子に遅れて頭を下げる。


「タツ江のお兄さんが、当家に入った盗人ーーー『銀狐』だったのだと聞きました。正直、ピンときませんが……」


 タツ江の兄である松野浩太(まつの こうた)は、藤助の亡くなった日、韮崎邸の1階の洋品店に盗みに入った。そこで、幾ばくかの金品を懐に入れた。八重子が失せ物があると主張したのは、その通りだった。


 だが所詮は素人仕事。盗んだ金品から、あっという間に足がついたのだろう。警察は早い段階から目をつけていた。


「八重子さんは、お話しをどなたから聞いたのですか?」

「昨晩遅く、ヒゲを蓄えた警部補がみえて教えていただきました。タツ江も、その場におりまして……それから、あの子だけ警部補と一緒に連れていかれました。先ほど警察の方がみえて仰るには、タツ江は今朝方、解放されて帰宅したそうです。こちらには戻っておりませんが」


 その騒ぎもあり、今日は念の為に銀座の新店舗の方も、店を閉めているという。どおりで、店舗を支える主要な従業員二人がここに揃い踏みしているわけだ。


「タツ江さんは今、どちらにいらっしゃるんですか?」

「元々、お兄さんと暮らしていた家の方に戻っています」


 彼女は、韮崎邸の住み込み女中だ。ここで働き始める以前、兄と二人で長屋に住んでいたというから、その家のことだろう。


「どうやらタツ江が手引きしたのではないようで、それが救いですが」

「タツ江さんは、お兄さんがこの家に盗みに入っていたことを、後になって気付いたんでしょうね。彼女は、途中で証言を変えたでしょう?」


 事件のあった日の晩、桜子を人力車で送ったタツ江は、1階の店舗で揺れる明かりを見ている。当初、タツ江は「明かりが灯っているのを見た」と言っていたのが、いつの間にか「藤助社長がいるのを見た」に変わっていた。


 タツ江は聡い方ではない。あの明かりが、盗みに入った兄のものだったと何かの拍子に知って、慌てて取り繕ったのだろう。

 この変化も、警察が彼女の兄に目をつける一助となった。


「まさか、タツ江のお兄さんが世間を騒がす盗人だったなんて……タツ江には十分なお給金を渡しておりましたのに、どうして、そんなことをしたのか分からないわ。ひょっとして藤助さんを手に掛けたのも……」


 八重子の言葉が震える。寒くなどないはずなのに、両腕を擦る。その仕草は、どこか演技じみて見えた。


 松野浩太が藤助の死に関与しているのか、あるいは何かを見聞きしているのかについては、警察も尋問をしているはずだ。だがーーー


「僕は、盗みに入った人間と藤助さんを殺害した人間は別の者であると考えています」


 八重子の睫毛が僅かに揺れる。ゆっくりと新伍の方によこした視線は戸惑いと驚きが見て取れる。


「そう……なのですか? では、藤助さんを殺した犯人は、まだ分からないのですね」

「残念ながら」


 八重子のついた大きな溜息が部屋全体に広がった。

 二人の従業員は依然として厳しい顔つきのまま黙っている。


「では、藤助さんは一体、誰に……?」


 答えを求めた八重子の問いに対して、新伍はあえてことを尋ねた。


「藤助社長は、随分と派手な事がお好きだそうですね。人が思いつかない、あっと驚くような仕掛けで世間の耳目を惹くのが得意なのだとか?」


 突然、話題が変わったことに、八重子は戸惑いながら頷いた。


「え? えぇ、まぁ、そうですわね。韮崎洋品店が、こんなにも急成長を遂げられたのは、藤助さんのおかげですから」

「では、新たに銀座に店舗を開いた藤助社長が考えた宣伝戦略とは何でしょう?」

「それは、展示会……」

「と、他には?」


 間髪入れずに尋ねたせいだろう。八重子の表情に、一瞬、明らかな動揺が浮んだ。


「藤助社長は、通常思いつかないような奇策を出すのが得意だ。他にも、もっとあるでしょう? 世間の耳目を集める、とっておきの秘策が」


「さぁ…? 私は商売のことは、よく存じ上げませんの」

「『銀狐』は? あれも藤助社長が考えた策略ですね?」


 壁際の二人が明らかに気色ばんだ。辻本が怒って抗議の声をあげる。


「何をっ……!?」


 それを八重子が片手で制した。


「五島さん。申し訳ありませんが、仰っている意味がよく分かりません」


 冷ややかだ。だが、知っている。新伍はそう確信した。彼女の態度は冷静を装ってみえるが、相当ぎこちない。


「巷間を騒がす盗人と、今回の『銀狐』は完全に別人です。それは警察も明確にそう判断している。最初に予告状をよこした『銀狐』というのは、藤助社長が新店舗の宣伝にと仕込んだものでしょう? 昨今、話題の義賊は、さぞかし世間の関心が高いでしょうからね」


 元々は藤助の独断だったのかもしれない。店にの入口に差し込まれた予告状を発見したのは、八重子だ。

だが、少なくとも事件が起こる頃には、八重子は藤助の発案であることを知っていたはずだ。


「僕の考えを聞いていただけますか?」


 八重子が僅かに顎を引いた。それを肯定とみなして話を続けた。


「もともとの筋書きは、おそらく、こうです。まずは新店舗の開店に合わせて『銀狐』から予告状が届く。勿論、本物ではありません。藤助さんが用意したものだ。そして藤助さんは、銀狐役をタツ江さんの兄である松野浩太さんに頼んだ。タツ江さんの口ぶりからして、兄妹揃って例の盗人を義賊だと崇めていたようですから、彼に承諾させるのは容易いでしょう」


 タツ江は卑屈なほどに、自分の境遇の不幸さを嘆き、そこから抜け出す幸運が訪れることを祈っていた。

 彼女の浮き足立つような妄想には、藤助も気づいていたはずだ。兄も同じような状況だとしたら、盗んだものをもらっていいとでも言われれば、喜んでやっただろう。憧れの義賊になりすまし、それでいて、何かあっても罪に問われない。そのお墨付きが貰えれば、こんなに良い話はない。


「松野は、どうやって忍び込んだと仰るのですか?」


 辻本の言葉使いは丁寧だが、疑問というよりも新伍への反感に近いものだった。


「亡くなっいる藤助さんを僕たちが発見した時、店舗の外から扉は鍵が閉まっていました」


 だが、家と店は繋がっているのだから、邸内を通れば店舗に出入りすることはできる。


「まさか誰か手引きした者がいるとでも?」

「確かに家の中を通って店に入ることはできますが、僕が来る予定なのに、そんな危ない橋は渡らないでしょう。おそらく藤助さんが事前に、彼に鍵でも貸したのかと」


 辻本は、また嫌そうな顔をしたが、気にせずに話を続けた。


「浩太さんは、藤助から頼まれた通りに、決められた時間に忍び込んだ。さぞ驚いたでしょうね。頼んだ張本人がそこで死んでいたのですから」


 このまま人を呼べば、盗みに入ったことが明らかになる。身の安全を約束してくれた当人は目の前で死んでいるし、下手したら、下手人だと疑われかねない。

 目の前には盗んで良いと言われた品がある。もしかしたら、このまま予定通り金品をいただいても、足がつくことはないだろうと考えたかもしれない。


「驚いた男が、店中をひっくり返して盗む物を探すでしょうか? 店舗は随分散らかっていたのですよね?」

「荒らされた部屋は、あらかじめ藤助さんがやっておいたのではないかと思います」


 藤助と話がついていたのなら、盗む物は決まっていただろう。探し回る必要はない。長く滞在すればするほど、人目につくのだし、工作は藤助がやっておけば十分だ。


「藤助さんが亡くなることがなければ、多分、僕が盗まれた現場を発見していたのでしょう。そして藤助さんとともに、事件現場を確認するはずだった。図らずも僕は、証言者になるところでした。僕と桜子さんに声をかけたのは偶然ですか?」


 八重子に尋ねると、彼女は「五島さんをお呼びしたのは、偶然です」とハッキリ答えた。


「桜子さんについては……胡条のお嬢さまが展示会にいらしていると知って、声をかけるつもりで探していました。胡条財閥とは、機会があれば親しくなりたいと藤助さんが言っていたものですから。ちょうど東堂さんと話していらしたから、彼に紹介していただこうと思って。東堂呉服店の次男さんとは、婚約者同然の間柄と噂に聞いていましたので」


「東堂さんは、将来を誓い合った方が別いにますよ……まぁ、それは置いておいて、では桜子さんに声をかけたら、ついでに僕がついてきたというわけですね」


 一介の帝大生など知る由もないはずだから、事実だろう。


「藤助さんや斎藤に関して次々と推理を展開する五島さんを見て、例の予告状のことがありましたから、藤助さんの手助けになればと思ったのです。それで、藤助さんに五島さんのことをお教えしました」


「藤助さんは何と? 僕の登場は計画になかったことでしょう?」


「『面白いことになった』と喜んでいました。現役帝大生の探偵対、世間を賑わす義賊となれば、ますます話題性が高くなると。もし藤助さんが亡くならなければ、翌日の新聞一面は、この事件で飾られたでしょうね」


 これが藤助の計画であったことを、八重子が暗に認めた。松野浩太が捕まった以上、どうせ警察の追及で遅かれ早かれ明るみになることだ。


「偽物の予告状だから、本気で警察に介入されたら厄介でしょう。記者などに見張られても、浩太さんが盗むのが難しくなる。そういう意味では、学生に過ぎない僕は都合が良かったのでしょうね」


 別に偽物だろうと、新店舗の宣伝になればいい。仮に新伍が浩太を捕まえたとしても、書生程度なら、いかようにも丸め込めると思ったのかもしれない。


 八重子の口ぶりからすると、翌日の新聞にでも載せるための手筈が整っていたようだ。それが自分の死に取って代わられるとは、何とも皮肉なものだ。


「今回の『銀狐』は藤助さんの自作自演。創作された偽の怪盗だ」


 今度は、八重子も否定しなかった。


「五島さんのお話ですと、その盗人やらが入る前に、藤助さんは亡くなっていたということでしたね。では藤助さんが亡くなったのは、いつ、どうしてなのでしょうか?」


 八重子からの質問に答える代わりに、新伍は二人の間に置かれた花瓶を見た。


 赤や黄色の花の間に、垂れ下がるように咲いた白い小さな花が揺れている。


「鈴蘭という名の花を知っていますか? 釣り鐘型の白い花が咲く植物です」

「えぇ、勿論。花は好きですから」


 花が好きですから、という言葉が、まるで取って付けた言い訳のように聞こえた。


「八重子さんは信州の生まれですよね? 鈴蘭に毒性があることもご存知ですか?」


 八重子が戸惑うように首を傾げた。


「私の生まれ故郷について、五島さんにお話していたかしら?」

「少々、調べさせていただきまして」


 本当は送られてきた小包の中の手紙や日記から得た情報だが、そのことを話す必要はないだろう。八重子の日記に鈴蘭でできた押し花が挟まっていたから、身近な植物であったに違いない。


「小さい頃から、口にしてはならない植物だと教えられてきました。花や茎はもちろん、鈴蘭の咲く周りの水も飲んではならない、と。口にして死んだ牛がいたという話を集落の年寄りたちから聞きました。何でも、毒が水に溶け出すのだそうですよ」


 水溶性の毒。新伍が花瓶に視線を落とすと、八重子が「試しに飲んでみますか?」と冗談めかして、尋ねた。

 そこには白い小さな花が連なって揺れている。


「結構です。かなり強い毒だという話ですから。命を落としかねないほどに」


 探るように八重子を見た。目が合った瞬間、八重子はまるで観念した犯人のように、哀しく笑った。


「……藤助さんのように、と言いたいのかしら? まるで私が、花瓶の水を藤助さんに飲ませたような言い草ですのね」


 辻本と斎藤が困惑の表情をみせた。まさか唐突に八重子が、藤助殺しを示唆するような発言をするとは思っていなかったのだろう。


「花瓶の水なんて渡されても、普通は飲まないと思いますが? 色も濁っているし、味だっておかしいかもしれない」

「えぇ、そのままでは飲みにくいわ。でも、砂糖や蜂蜜を入れれば、味も見た目も誤魔化せますのよ」


 韮崎藤助はともかく甘党で、水にも砂糖や蜂蜜を入れると言っていたのは八重子自身だ。水溶性の毒が滲出した花瓶の水に、蜂蜜を混ぜて藤助に飲ませた。彼女はそう自供しているも同然だった。


「どうして、藤助さんのことを?」

「あら、私のことを調べたのでしょう? それなら、理由も想像がつくのではないかしら?」

「……亡くなった旦那様のことですか? 噂は聞きました」

「五島さんが知っているのは、悪い噂かしら? それとも、本当のあの人の姿かしら?」


 宮前によると、亡くなった八重子の夫の昭一は、かなりの遊び人であった。金遣いが派手で、女遊びが酷い男。そして八重子は、度々癇癪を起こした。

 だが、それは嘘だと思っている。


「お二人は、仲が良かったそうですね」

「えぇ、とても」


 新伍の答えに、満足したようだった。八重子の表情が和らいだ。


「不器用な人だったわ。人当たりはいいけど、言葉は上手くない。愚直で真面目が取り柄のあの人は、本当に私を大切してくれた。あの人は私のために、各地を歩き回る行商の生活に区切りをつけたのです」


 二人が交わした手紙を思い出す。想いを交わし合った若い二人は、八重子の家の反対に合って、駆け落ちした。情熱的な恋だった。


「少々無理をして、ここに店を開いたわ。けれど、余裕のある生活ではなかった。晶子が生まれても、いつもカツカツで…私も小さい晶子をおぶって、毎日店番に立っていた。大変だったけど、幸せだった」


 八重子がふいに視線を外した。店舗の方を見たのだと分かった。そこに、亡くなった夫と日々が在るかのように。


 その頃はまだ、ただの小間物店だったのだろう。客も近所の人たちばかり。どこにでもある小さな商店だった。家族3人で慎ましくも、仲良く過ごしていた。


「旦那さんが亡くなった理由をお伺いしてもいいですか?」


 宮前によると、死因は自殺だという。勝川に聞いたら否定しなかったから、多分、正しい話だろう。その理由も、宮前から聞いてはいるが……


「そもそもは、夫が当家の女中に手を出したと、私が勘違いしたせいです。タツ江の前に雇っていた女中で、もうここにはおりませんが」


 もともと誰もが認めるおしどり夫婦は、夫の浮気を疑ったことで、仲が次第にギクシャクとしてきた。


「本当は、夫は私を裏切ってなどいなかった。でも私は、夫が他の女に手を出したと思ったのです。夫は、私を捨てるつもりだと、信じてしまった」


「それが藤助さんのせいなんですね?」


 核心をついた質問に、八重子の肩がピクリと震える。紅い紅をひいた唇から感情が零れ落ちた。


「藤助は私たちを……人の良い夫と愚かな田舎者の私を、騙したのよ」


 八重子は、『藤助さん』でも『社長』でもなく、初めて『藤助』と蔑むように呼び捨てた。


 八重子によると、人心を掴むのが得意な藤助は、経営手腕そのままに、二人の心を操ったようだ。互いに嘘を吹き込み、疑心暗鬼を煽る。さらには女中に金を握らせて、夫に迫られせた。たまたま、その瞬間を見てしまった八重子は、まんまと夫の不貞を信じた。


「あの頃は毎日、家の中がギスギスしていて、今思うと晶子は気の毒でした。あまりにも重苦しくて、それで私は晶子を連れて、この家を出ようとしたのですが、その矢先ーーー」


 八重子の纏う空気が一段重くなる。向かい合っている新伍が息苦しく感じるほどに。


「夫は、自ら命を絶ちました」


 3年前の出来事だというが、八重子にとっては、決して過去の話ではないのだろう。


 八重子の肩がゆっくりと持ち上がり、そして落ちる。彼女の気持ちが落ち着くのを静かに待って尋ねた。


「旦那さんにまつわる噂話ーーー金遣いが荒く、派手な女遊びをしている、というのは、本当は藤助さんのことなのではないですか?」


 八重子がハッと息を呑んだ。


「それも……ご存知だったのね。どうして……?」

「ちょっと、知り合いの知り合いに聞きましてね」


 知り合いの知り合いーーー大二に紹介された元女郎オクノについて、新伍は語った。


『桜子と東堂樹が婚約者同然』という噂は、新伍にとって、やや癪に障るものだったようです。

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