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6 事件の日・新伍


 その日の午後。新伍は、桜子とともに2度目となる韮崎家に向かうため、人力車に乗っていた。

 車上では、桜子に求められ、昨日、藤助から聞いた予告状とやらについて話して聞かせていた。


 少しズルくないですか、と不満げに尋ねた彼女の疑問が、とても素直だけれど核心をついていて、新伍は思わず笑ってしまった。


 桜子の言う通り、いかようにも捉えられる予告状は、もはや予告でも何でもない。こちらにとっては、勝算の低い勝負だ。

 だが、それでも引き受けた以上、できる限りのことをするつもりだ。


「問題は、こんなに意味のない予告状をなぜ、何のために出したのか、ということです。その意図を見つけ出せない限り、僕の負けですよ」


 桜子にそう語っていたところで、ちょうど目的のあたりに着いたので、大二に声をかけた。


 ここで降りることは、予め大二に伝えてある。彼は心得たとばかりに、滑らかに停車した。


 桜子に付き合って早く出たけれど、藤助と約束した時間までは、まだ1時間以上ある。その時間を使って、大二からの頼まれごとを調べることにしたのだ。


 約1時間後、新伍は予定通り、韮崎家の自宅兼店舗に到着した。表の小間物店はすでに閉まっているらしく、とても静かだ。


 玄関に回り込んで訪いを告げると、タツ江が出てきて、無言で頭を下げた。

 暗い表情に見えるが、初めて会った時からずっと同じような顔をしているので、もともとこういう雰囲気の人なのだろう。


 陰気な女中は、「旦那様はまだ、小間物店の方におります」と言って、新伍を応接間に通した。

 準備が整うまで誰も店舗の方に入らないようにと言いつけられたから、呼びにいけないと言う。


「大丈夫です。本でも読みながら待っていますから。桜子さんはすでに到着していますか?」

「八重子さまとお部屋にいらっしゃいます」


 三善家や胡条家の女中なら、すぐに「お呼びいたしましましょうか?」と尋ねるところだろうが、タツ江はそうではないらしい。あまり気の利く方ではないのだろう。


 どちらにしろ二人の邪魔をするつもりもないから、「分かりました」と答えて、出された紅茶をお供に、本を開いて待った。


 再び声をかけられたのは、30分ほど経ったころだった。


 八重子が、桜子と10歳くらいの女の子を伴って、慌てた様子で応接間に入って来た。

 一緒にいた女の子は八重子の娘の「晶子」だという。晶子は人見知りの激しい性格のようで、小さい声で名前だけ告げると、すぐに八重子の後ろに隠れた。


「五島さん。お待たせして、申し訳ございません」


 開口一番、八重子が謝る。


「お越しになっているのを存じ上げず……随分とお一人でお待たせしてしまったのではありませんか?」


 なんと、あの女中は八重子に報告さえしていなかったようだ。その驚きを隠しつつ、新伍はいつも通り飄々と答えた。


「大した時間ではありませんよ。お茶もいただきましたし」


 卓上のティーカップはほとんど空になっている。

 それを見て、八重子がまた顔を顰めた。多分、お替りを用意していない事に気づいて苦々しく思ったのだろう。新伍にしてみれば、タツ江はそういう人なのだと分かっていたから、特に気にならないが。


 八重子から夕食に誘われ、なるべく早く藤助と話しておきたい新伍は、その申し出をありがたく受けた。


 だが、三善の家に一報入れれば構わない自分と違い、桜子さんは父親の許しなく夕食を食べて帰るのは難しい。

 結局、桜子は帰ることに決まり、三善家への連絡と胡条家への迎えの依頼に、タツ江が出て行った。


 夕食の支度に、別の女中が出てきた。マツと呼ばれる小太りの女中で、タツ江と足して二で割ればいいのではないかと思うほどに愛想がいい。


 桜子が帰ってしばらくすると、マツが「夕食のお支度ができました」と声をかけに来た。


「あとの給仕はタツ江さんに任せて、あたしは失礼しようと思うのですが……旦那さんはどういたしましょうか?」


 マツは通いの女中だ。夕食の準備までが仕事なのだろう。


「……そうね。流石にそろそろ、呼びにいかなくてはいけないわよね」


 八重子は困ったように首を傾げた。すると、晶子が小さな声でぼそぼそと言った。


「でも叔父様って、こういうときに邪魔をすると、凄く怒るわよ」


 新伍の耳には、晶子の言い草が、やや棘を含んでいるように聞こえて、「おや?」と思った。新伍たちに対しては爽やかな若社長だが、家では別の顔があるのかもしれない。


「そうねぇ……」

「いいじゃない。先に食べていれば。お待たせするのは、お客様に失礼だもの」


 食い下がる晶子に、八重子が助けを求めるように、新伍を見た。


「あの……僕が一緒行きましょうか?」


 客である自分が行けば、藤助も逆上したりはしないだろう。そう申し出ると、八重子もホッとしたように「ありがとうございます」と礼を言った。

 八重子の反応からすると、晶子が言うのもあながち大袈裟ではないのかもしれない。


「晶子は先に食べていてちょうだい。マツさん、悪いけど晶子の分だけ配膳をお願いできるかしら? それが終われば帰っていいわ」


 晶子とマツに声をかけると、新伍と八重子は応接室を出た。


 廊下は明かりが少ないのか、少し薄暗い。


 八重子の案内で、店に着くと、中は電気が消えていた。人の気配もなく静かだ。

 本当に、ここに藤助がいるのだろうかという疑念が胸によぎる。


「……社長?」


 八重子も異変を感じたのだろう。暗がりに向かって呼んだ声が少し震えていた。


「八重子さん、電気はつけられますか?」

「は、はい」


 八重子が慣れた様子で壁の方へと歩いていく。ぱちんという音ともに、部屋の電気かついた。


 その光景を目にした途端、八重子は「ひゃッ!」と、小さな声を上げた。


 奇妙な空間だった。


 部屋の中は、足の踏み場もないほどに商品や書類が散乱している。硝子のショーケースは全て開けられ、床に落ちた金庫も蓋が空いたまま。


 部屋の中程には、店番をするための椅子がある。そして、その椅子に腰掛けている藤助の後ろ姿。居眠りでもしているみたいに、頭を机にもたげている。


「藤助さん!?」

「待ってください!」


 近づこうとした八重子を、新伍が止めた。

 この状況は、明らかにおかしい。不自然だ。


 これだけ部屋が散らかっているのに、座っている藤助は全く気にする素振りがない。ただじっと腰を掛けて頭を机に突っ伏している。まるで眠っているみたいに。


 本当に、じっと……微動だにせず。


 八重子をその場に待機させ、新伍が藤助に近づいた。


 藤助の頭越しに、机の上に飛び散る何かが見えた。目を凝らしてみれば、それは銀色に光る、短い毛だ。そして、その毛に混じって、別の何かが……ーーー


 新伍は慎重に机の横に回り込む。

 藤助は横を向いて、机に頬をべたりと付けていた。その見開いた目と、目が合った。

 合った、といっても、目に光はない。

 瞳孔が開いた生気の宿らない瞳に、新伍は即座に状況を理解した。


 それでも念のため確かめようと、軽く首筋に手を触れる。やはり脈がない。


 八重子を振り向いた。心配そうにこちらを見ている。


「警察を…呼んでください」


 静かに告げた新伍の言葉に、八重子は悲鳴に近い声を上げた。


「タツ江さんッ!」


 走り去るタツ江の足音を聞きながら、新伍は机の上、銀の毛の下に敷かれた紙を見ていた。


◇  ◇  ◇


 程なくして、警察が到着した。


 事件現場となった店舗部分が封鎖され、警察官が調べを始める。

 入り口前にも若い警官が、一人か二人立っていて、警戒に当たっていた。


 新伍は、警官に聞かれた通り、自分がここにいる理由ーー予告状の件から、事件に至るまでの話をした。


 ちなみに、警察が来る前までの間に荒らされた店内を少々調べさせてもらったけれど、それは黙っておくことにした。


 話し終える頃、店舗の入り口が開いた。

 雨の匂いとともに、肩を濡らした中年の男が一人、店内に入ってきた。やや丸まった背に、口ひげ。そして、じとりと湿ったような独特の目つき。東京警視庁の警部補、勝川だ。


 新伍を見るなり、目を細めた。


「探偵きどりの書生が何故ここにいる……?」


 忌々しそうに呟くと、新伍のほうへと歩み寄ってきた。


 新伍は先程、警官に聞かれたのと同じような説明を勝川にも繰り返した。


「それで? 盗られた物は?」


 勝川の目が、「どうせ勝手に調べたんだろう?」と責めている。

 店内をちょっと拝見させていただいたことは、口にしなかったが、しっかりバレている。


「……金庫の現金と、装飾品類が少々」


 パッと見た範囲では、宝石類が3つ程なくなっているそうだ。


「金庫の現金? 元からあいていたのか?」

「八重子さんは、店を閉めるときには必ず鍵をかけているはずだ、と」

「八重子さん?」


 誰だ、と問うような視線の勝川に、奥に座っている韮崎八重子を指し示す。


「韮崎洋品店の前社長の奥さまで、亡くなられた韮崎藤助さんの義理のお姉さんです」


 現場を目にした八重子は、相当な衝撃をうけたようだ。

 失せ物を確認してほしいという新伍の要望に辛うじて付き合ってくれたが、流石に参ってしまったようで、今は椅子にぐったりと腰掛けている。


 その八重子は、警部補の勝川が自分の方を向いたことに気づいたらしい。気丈にも立ち上がると、よろけながら新伍たちのほうにやって来た。


「泥棒が……藤助さんの命を、泥棒が持っていったんです」


 真っ青な顔で、八重子が諳んじた。


「……貴店ノ 最モ貴重ナルモノ 頂キタク候」


「なんだ? そりゃあ?」


 勝川が眉間に皺を寄せる。


「さっき話したでしょう? 例の予告状の文面ですよ」


 新伍が答えると、勝川がまた少し嫌そうに顔を顰めた。けれど、八重子は気にせず続ける。


「韮崎洋品店は、藤助さんの……今の社長のおかげで急成長を遂げたのよ。だから、当店にとっても最も貴重で、代えのきかないものは藤助さん本人。盗人は藤助さんの命を盗っていったのよ。初めから……初めからあれは、そういう意味で…」


 幽霊みたいな生気のない顔で告げる八重子に、勝川はムスッとしたまま言った。


「奥さんは少し興奮しすぎとみえる。落ち着きない」

「いいえ。私は冷静です。だって、あそこにもまた、紙が……」


 勝川は八重子の言葉を遮り、部下を呼ぶ。彼女を休ませるようにと指示を出して、半ば無理やり家の奥へと連れて行かせた。


「さて、勝川警部補はどう思われますか?」


 八重子がいなったから、新伍はあえて挑むような口調で尋ねた。その挑発に気づいた勝川が、新伍を睨む。


「それは、こっちの台詞だ」

「八重子さんは、先ほどから、ずっとあの主張を繰り返しています。泥棒ーー最近、世間を騒がせている『銀の狐』とやらが藤助さんの命を盗んだのだ、と」


 勝川は観察するように、素早く新伍に視線を這わせると、「フンッ。例の義賊か…」と鼻を鳴らした。


「そんなこと、あるか。お前だって気づいているんだろう?」


 新伍がわざと空とぼけて、首を傾げる。


「僕が気づいている、とは?」


「……口元が僅かに震えている。隠しきれていないぞ」


 勝川はそう指摘してから、吐き捨てるように言った。


「皆が崇める義賊なんて、いやしない。あんなのはな、虚構なんだよ」


 勝川の言葉に、新伍はゆっくり頷いた。


「やはり、そうでしたか」



ここまでで第1幕です。お読みいただき、ありがとうございます。

なろう版は出来るだけまとまって投稿しようかなと思っています。


大変ありがたいことに、他作品のポイントがちょっと伸びていたので、そちらも同時に書くかもです。

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