確認
兄の差し出した腕に凭れかかり部屋を出ると、外で待機していたテディとアデルが困惑しながらも背後についた。
きっと顔色が悪い私を見てまた何かあったのではと心配させてしまったのだろう。
「すまない、セリーヌ。落ち着いてからゆっくりと聞くつもりだったのだけれど、そうも言ってはいられなさそうだ」
「はい」
「話せるかい?」
「少し動揺しただけですから。大丈夫ですわ」
兄にはもう前世の話しはしてあるのだから何を聞かれようが構わない。
ただ、フランのことを聞かれても……答えようがないのだ。彼は私のことを知っているようだが、私は彼のことをゲームの中でしか知らない。
誰かがフランに情報を流している?それとも、もしかしたら彼も……?
頭の痛いことが次から次へとやってくる。
そもそも、アーチボルトは何故セリーヌの好きな物をフランに尋ねているのだろうか。全く意味がわからない。普通なら私付きの侍女であるアネリやエムとエマに教えを乞うものではないの?
夫であるアーチボルトが知らないことを一騎士、それも王妃の護衛ではない者の言うことを信じて実行することがまず有り得ない。
若干うんざりとし、兄にエスコートという名のドナドナをされながら自室の部屋の扉を潜った。
私が兄と共に部屋に戻ったことにアネリ達は驚いていたが、即座に気持ちを切り替え優秀な侍女の仮面をつけた。流石うちの侍女!と微笑むと、それに気づいた彼女達も微笑み返してくれた。
「セリーヌ」
お茶を一口飲んだ兄に促され人払いをするが、その際アデルだけは部屋へと残るように指示を出す。兄が目配せしてきたが軽く頷き部屋には私と兄、それとアデルの三人になった。
「さて、彼がこの場に残った説明からしてもらえるかな?」
ソファーに並んで座った兄は私の肩を抱き寄せ、扉前に立っているアデルへ冷たい視線を向けるが、それに顔色を変えることなく彼はしれっとしている。何の説明もされずに同席させられたのにも拘わらず兄が警戒している理由をアデルは分かっているだろう。
さて、どう説明しようか……。
今更下手に誤魔化してもなんの得にもならないばかりか、また拗れてしまう。ならば包み隠さずにアデルと私の関係を説明した方が良い。となると、前世からか。
「アデル、同席を許可します。座って」
「ですが……」
「構わないわ。貴方と私の仲じゃない」
「……」
「……」
前世の私のことから話し、姉や透君に至るまでは結構長い。このまま立たせて置くのは忍びないと思いアデルに座ることを勧めたのだが、何故かアデルも兄も黙ってしまい沈黙がこの場を支配した。
「私の護衛騎士であるアデルは、そうですわね……私にとってとても大切な人です」
「……大切な、人?」
「……」
「えぇ、兄というか……血縁関係はないのですが、家族といっても良いのかしら?」
「あ、に?」
「………」
「お兄様とは別な、そうですわね……私の心の支えというか、難しいですわね。彼のおかげで希望が見えたといいますか」
「光?希望?」
「……ぁー」
良く分からないがこのまま進めても構わないだろうと話しを続けたのに、どんどん上の空になっていく二人。透君との関係性を説明するのに適切な言葉が思いつかずそれらしい言葉を並べていったのに、隣で目を見開きぶつぶつと呟く兄と、死んだ眼をして立ち尽くすアデルは聞いているのかいないのか。
続けても良いのだろうか?と兄の顔を覗き込み背筋が震えた。
これアレだ、初日にやらかしたときに目にした【ヤンデレ】レイトンだ……。
気づいたときには既に遅く……ゆらりと立ち上がった兄からは冷気がどっと流れ、不気味な雰囲気が漂っている。
「彼は、確かアデル・ブリットンだったかな。ブリットンと言えばかなり手広く商いをしているところだね。何だったかな?君はセリーヌにとって大切な人で、兄でもあって、家族のような存在だったかな……うん?可笑しいな、セリーヌの大切なお兄様は僕だけだった気がするのだけれど」
ぶるっと震えた私は兄を止めなければと咄嗟に手を伸ばすが、兄のマントを掴む前にアデルから「セリーヌ様、発言の許可を」と求められた。
こくこくと何度も頷くと扉から此方へ歩いて来たアデルは兄の前で膝をつく。そのまま一言も話さず顔を上げないアデルに兄はソファーに腰を下ろし、低いトーンで「顔を上げなさい」と声をかけた。
「へぇ、アーチボルト程ではないけれど綺麗な顔はしているね……。で、何か言いたいことがあるのだろう?どうぞ」
「はっ、僭越ながら申し上げますが。私アデル・ブリットンはセリーヌ様の護衛騎士になる前は面識もなく、現在も護衛というだけで何ら親しい関係ではありません」
「……では、セリーヌが勝手に君に思慕を抱いたと?」
思慕……は?誰が誰に好意を抱いたと?私かっ!?
「レイトン様の勘違いです」
「どこをどう聴いてもそうとしか捉え様がなかったと思うけれど」
「それは、セリーヌ様のおっしゃり方が少々……」
じっと二人からの視線を浴び居たたまれなくなりながらも自身の発言を思い出してみた。
けれど、透君は第二の兄であって家族のような人だったのだから他に言いようがない。
「セリーヌ様。先程のお言葉は大変嬉しいのですが、先ず大前提をお話しにならなければ別な意味に取られてしまいます」
大前提?と首を傾げた瞬間、アデルの射るような眼差しが飛んで来た。膝をついていることで下から見上げられ、まるでヤンキーのようだ。王子様の仮面を何処に捨てて来た?
「セリーヌが君をこの場に同席させたということは、君がセリーヌから前世の話しを聞いていたか、それか君もセリーヌの前世というものに関係があるかの二択だと思っていたのだけれど」
「あっ……」
大前提って、そういうことか!?やってしまった……。
私の中でアデル=透君になっていたから前世関係者ですと説明する前に関係性から話しだしていた。
兄と和解してからというもの、こう……セリーヌと私が一緒くたになったというか、やっとひとつになりました状態だったので。
要は、レイトンに甘えていたというか……思考がだらけてたというか……。
「すみませんでした。私の説明不足でしたわ」
取り敢えず、前世の私のことから話し出した。
前世では此方で言う平民に産まれ、ろくでもない父を持ったこと。父と母が離婚したことで母子家庭となったが、父は散々母を裏切ってきたにも拘らず度々会いに来たのだ。その無神経さに腹が立ち、憤っていた私は母から再婚の話しを聞いたときは不安だった。
母と二人の暮らしはあの元父が居た頃よりも幸せだったが、周囲の人間はそうは思わない。親から何を吹き込まれたのか、子供の理由なき悪意は恐ろしく時に私と母に攻撃を振るった。
日々の生活に疲れを見せることなく、私のことを一番に考えてくれていた母には幸せになってほしかった。母を守ってくれるような人でないと任せられないと思っていた。
それに、その頃の私は男の人が苦手というよりも嫌悪するようになっていたから上手くやれる自信がなかったのも不安要素のひとつだった。
けれど、私の心配をよそに義理の父と兄はとても素晴らしい人達で、兄に至っては元父親の所為で男嫌いになった私の為に姉として振る舞い、母と私が負った傷は二人が癒してくれた。その姉の親友が目の前にいるアデルの前世。
そして、私が覚えている最後の記憶は姉と二人で車に乗っていたところまで。
大雑把に大体話し終えると、黙って聞いていた兄がそっと私を抱き寄せ頭を撫でてくれた。
「僕が触れるたびに、微かに震えていたのは男性が苦手だった影響かな?」
「ごめんなさい、お兄様」
「微々たるものだったけれど、結構ショックを受けたからセリーヌを怖がらせてしまったね。でも、今は大丈夫?震えてはいないようだけれど」
「はい。お兄様は、私の大切な家族ですから」
初日にやらかし首輪やら手錠やらと物騒なことを言い危うく監禁コースだったのは記憶に新しい。あのときは本気で色んな意味で終わったと思ったのだから。
お兄様~今はもう全然大丈夫ですからね~?【ヤンデレ】は鍵かけて封印しておいてくださいね~?という気持ちを込めてぎゅっと抱き締め返しておいた。保身大事!
「アデル……いや、透と言ったかな?いつまでもそのような場所に膝をついていないで座りなさい」
「はい」
兄に声をかけられ向い側に座ったアデルの雰囲気は、護衛騎士であるアデル・ブリットンというより前世の透君のようだ。
その呆れたような、お馬鹿な子を見るような瞳を向けないでください。
「先程セリーヌの顔色が悪くなったのは、ようかん……というものが原因かな?」
「はい。あれは、この世界にはない食べ物だと思うのですが」
私が知らないだけで、もしかしたら何処かの国にはあるのかもしれない。そう思いアデルに視線を向けると、彼は首を横に振り「私も聞いたことがありません」と口にした。
手広く商いをしている家の者が知らないのに、平民のフランがそれを知っていて用意できることはやはり可笑しいのだ。
「あれは身体に害を及ぼすようなものかな?」
「いえ、前世の私が好んで食していたものです」
「そう。だとしたら、あの騎士は好意でセリーヌの為にアレを用意したということになるね。もしくは、セリーヌのように前世の記憶を持っていて意図的に自分の存在を知らしめる為に行ったか……」
その相手は私ということね。
でも、セリーヌが前世の記憶を思い出していなければフランが何をしたとしても意図をつかめずに終わってしまう。とんだ無駄足になってしまうのだ。
「セリーヌ様。確か、レイトン様が訪れた初日にフランが手にしていた花はセリーヌ様のお好きな花だと言っていませんでしたか?」
「正確には、前世の私よね」
「……羊羹に花、身近な者でなければ知らないようなものばかりです」
「それなら、前世の姉……兄だったかな?彼の可能性があるのでは?」
兄の言葉にドキリとした。
私と透君がこの世界にいるのだから、姉さんもいるのではないかと密かに期待していたから。
先程のフランの笑顔を思い出し、いや、まさか……と考えてしまうが……。
「フランが楓ではないと思いますよ」
アデルは「絶対に」と私の目を見ながら否定した。何の根拠だってないのに。
「一番可能性が高いと思うよ」
「いえ、楓はどちらかと言えばレイトン様に良く似ていますから」
「僕に?」
「はい。ですが、妹を決して傷つけるようなことをしない分、楓の方が優秀な兄だったと思います。だからこそ、楓が妹かも知れないと思っているセリーヌ様を傷つけるような選択をするとは思えません」
「随分と彼を評価しているんだね」
「はい。セリーヌ様の前世と楓は、私の大切な人達ですから。それに、私も彼女の第二の兄ですからね、真綿で包むように大切にしても、傷つけるなんてことは絶対に出来ません。兄ですから」
レイトン相手に皮肉を混ぜてくるあたりさすが透君だと思う。
中高一貫校の学院で6年間生徒会長だった彼は家の権力をフルに活用し恐怖政治を敷いてきたと姉さんは語っていた。彼に権力を持たせるから大変なことになると。
ちらりと兄の様子を窺うと、兄の部分を態と強調したアデルの言葉にレイトンの顔が引き攣っている。うん、透君がこの世界で権力を持っていなくて良かったのかもしれない。
「ですが、レイトン様の意見も考慮しておいた方が良さそうです。人見知りの激しかった彼女のことに詳しい人物なんて近くにいた者でしか考えられませんから。後は、前世が女性で彼女の周りに居た者ということも有り得ます」
「もし姉だというのなら、そのことを真っ先にセリーヌに明かさないのは可笑しい。前世の最後がアレだとしたら尚更ね」
「そうよ、姉さんだとしたらあんな遠回しなやり方はしないと思うわ」
「言いにくい……ということも。生まれ変わったらフランだったなんて頭を抱える案件でしょうし」
「そんなの姉さんならもろ手を挙げて大喜びよ!あ、姉さんだったらアーチボルト様の寵愛を受けているのも納得だわ。あれのファンだったし」
「いえ、楓は女装はしていましたが、異性が好きだったと記憶しています」
「そんなの分からないじゃない。内緒にしていたのかもしれないわ」
「そう考えると、僕の護衛についてセリーヌのことを探っていたことにも辻褄が合うね」
フランが姉さんだとしたら、あの妙な行動や発言にも納得がいくのだが、アデルの言うように私も彼が姉さんだとは思えない。
「取り敢えず、今この場で分かることはフランという騎士はセリーヌのように前世の記憶を持っているか、前世の記憶を持っている者がごく身近にいるのかもしれないこと。好意なのか悪意なのかは分からないけれど、セリーヌに接触しようとしていること。僕も部屋に戻ったら出来る限り探ってはみるつもりだけれど……彼は気味が悪い。用心するに越したことはないからね、ハッキリとしたことが分かるまではセリーヌに彼を近づけない方が良い」
「そうですわね」
「影を付けることにして正解だったようだね。アデル・ブリットン、セリーヌを頼んだよ」
「承知いたしました」
兄は何度か私の頭を撫でた後、自室へと戻って行った。
アデルと二人になり、会話を聞かれないよう部屋を出てもらっていたアネリ達を呼び戻そうとベルに手を伸ばした。
が、掴む寸前でその手をそっと握られ阻止されてしまった。
どうかしたのだろうか?と振り向くが、アデルは私の手を掴んだまま顔を下げていて表情が伺えない。
「アデル……?」
「もう、大丈夫そうだな」
「え、えぇ」
恐らく兄とのことだろうと返事を返すと、ガバッと顔を上げたアデルが目を細めニヤニヤと笑う。それを見てムッと口を尖らすとアデルの手に力が入り、握られていた手が痛み思わず眉を顰めた。
「俺は、お前の兄か……」
「……アデル?」
「そうだよな……」
「どうかしたの?」
「いや、前世で出来たことがこの世界では出来なくて……もどかしいな。スゥーではなく、俺がお前の背中を押してやりたかった」
震える声で告げられた内容に困惑したままの私を置いて、アデルは振り返ることもなく部屋を出て行ってしまった。
※※※※※※※※
「失礼しました」と部屋を出たアデルの顔は苦渋に満ちていた。その顔を部屋の外にいたアネリやテディに見られ、ヘラリと笑ったかと思えばテディの首に腕を回し肩に顔を埋めた。
「アデル?何かあった?」
「……」
「アネリ様。少しの間此処を離れても良いですか?」
「影もいますし、少しだけなら大丈夫ですわ」
「すみません。アデル、行こう」
何かを察したのか、テディは一言も話さないアデルを連れて後宮を出た。
二人が向かった先は訓練場。
セリーヌの護衛になる前は毎日入り浸っていた場所で、仕事が終わると深夜まで二人で剣を合わせていた。最近は護衛の人数の関係で中々来ることが出来なかったが、時間を見つけては剣を振っていた。
数度手合わせした後、肩で息をしながら仰向けに倒れたアデルの隣に、テディも同じく息を切らしながら無言で腰を下ろした。
互いに何も言わず真っ暗な空を見上げていたが、「あー、参ったなぁ」と微かに聞こえたアデルの声に、テディは空から隣でやさぐれている親友へと視線を変えた。
「ちくしょう……ふざけんなっ」
目元に腕を押し付け何度も罵る言葉を口にするアデルに、テディは溜め息をつき、アデルの腕を下げ目元が潤んでいるのを見て再度息を吐き出した。
「詳しく聞いた方が良い?」
「……いやー、聞かないでー。己の不甲斐なさや、臨時護衛騎士への嫉妬やら、俺今滅茶苦茶みっともねぇーから」
「そう。でも僕はね、みっともないと嘆くアデルが羨ましい。大切な話し合いの場に同席を許可されたアデルが……羨ましくて仕方ない」
「……」
「僕の方が先にセリーヌ様の護衛騎士になったのに……とか、僕だってセリーヌ様の支えになりたいのに……とかね。色々思ったりもするんだ」
「……悪い」
「謝って欲しい訳ではないから。それに関しては僕に至らない点が多すぎる所為だよ。でもね、セリーヌ様を生涯かけて守ると決めたから、必要ないと言われたとしても僕は側を離れない!」
突然大きな声で宣言したテディに驚くアデル。それに対してふわっと笑ったテディは立ち上がって空に向かい「ちくしょうー!」と叫んだ。
「ほら、戻るよ!」
テディは呆然とするアデルの腕を掴み立ち上がらせると、背中をバシッと叩き訓練場の出口へと駆け出した。
「僕達はセリーヌ様が自ら選ばれた専属護衛騎士だ!胸を張れ!」
アデルはらしくなく自分を励ますテディに苦笑し、前を走るテディを捕まえ頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜ笑いながらセリーヌの待つ後宮へと戻って行った。




