彼は何者?
「我が国にある孤児院は現在ただ一つ。王都にあるウスイラ孤児院のみです。エイハブ国王陛下の治世より前はかなりの数の孤児院が存在していましたが、帝国を退け大国となった後、様々なものが改善され先程言ったウスイラ孤児院以外は閉鎖されています」
「規模はどの程度のものなのかしら?」
「そうですね。書類を確認した限りでは56名の子供達が暮らし、20名の職員が働いています」
「一カ所でその人数は、多いわね」
「えぇ。ですが、ウスイラ孤児院は元々貴族が利用していた別宅を孤児院としたものですから広さはあります」
「貴族が孤児院の為に別宅を手放したの?」
「貴族といっても……王位継承権を放棄した元王族のダリウス様です。ウスイラ孤児院も彼の方の名から付けられたと聞いています」
「王族であり、騎士団長として前戦で圧倒的な戦力を誇る帝国相手に勝利を掴んだ王弟だったわね」
「領土を広げようと手を伸ばしてくる帝国の所為で国は荒れていましたから、その分孤児も増え続けていました。帝国を抑え経済が安定してきてからはその数も減ってきましたが」
夜会から一夜明け、私は宰相であるジレスの執務室へ訪れていた。
此処へ来る道すがらまたフランのイベントが起こるのでは!?と内心びくびくしながら来たのだが、そんなこともなくあっさりと部屋へ入れてしまった。
まぁ、良く考えてみればフランは兄の護衛中なのだからこんな場所を一人でウロウロしていたら職務放棄である。
ほっとしながら通された執務室には、美貌の宰相様の面影もないほど憔悴していたジレスが幽霊のように座っていて……私と護衛二人が二度見したのは仕方ないと思う。
私がアーチボルトと取引をした公務。
王妃主催のお茶会は派閥を確認する為に開き、その後は私が選別した者達と側室候補の三名との定期的なお茶会が予定されている。前者に関してはジレスの意見も取り入れ選別中。
もう一つ、歴代の王妃が行っていた孤児院への訪問。
昔であれば数十カ所ある孤児院を一年かけて全て回っていたので、その分係る旅費やら滞在費、王妃の護衛へと割り振る騎士の人数、孤児院への寄付金と、国費から捻出する費用に宰相と文官達は日頃の仕事と同時進行で頭を捻らせていたが、現在は王都に一カ所しかないということなのでそれほど大変なことでもない。
筈なのだが……日ましにジレスが窶れていくのは一体どういうことなのか。昨夜の夜会でも姿が見えなかったし。
あまりの変貌ぶりに驚きながらも淡々と孤児院の説明を始めたジレスの言葉に耳を傾けていたのだが、どうしよう……今の彼に言っても良いのだろうか?
どう見てもオーバーワークなのに、予想出来る内容を指摘したらコレ倒れるのではないだろうか?
でも、多分、かなりの高確率で私の予想は外れていないと思う。寧ろ最悪の場合を考えて動かなくては後々大変な苦労を伴う。
「では、日程なのですが……」と儚く微笑むジレスに手を上げ、待ったをかける。
その行動に首を傾げた彼に、大変言いづらいのだけれどと苦笑し。
「孤児院が減ったことは喜ばしいことだわ。でもね、それは報告されている内容が真実であるならばの話よ」
最初、私の言葉の意味を理解出来なかったのか、ポカーンとしていたジレスは段々と顔色を悪くし、仕舞いには両手で顔を覆って項垂れてしまった。
「……そうですね。そうでしたね。たかが一貴族のくせに王の影から国を好き放題していた愚か者がいましたね。力を持ち過ぎた奴を止める術もなく、引継ぎもせずに職務を放棄した前管理職共がっ!そのしわ寄せがどこにきていると思って……」
ぶつぶつと呟き出したジレスにドン引きする私達。
背後ではテディとアデルが小声で「うわぁ……」と呟き、乱心したら迷うことなく排除するなどの物騒な声まで聞こえる。アデルは元からだから置いておいて、テディは黒服隊と絡んでから随分と逞しく(?)なってきたような……。
「アーチボルト様のお母様であられる前王妃様も、ウスイラ孤児院へは訪問なさっていたのでしょ?」
「えぇ、年に一度。ですが、その日だけでしたら取り繕うことも可能ですし、騎士だけでなく文官にもベディング伯爵の息のかかった者がいましたから……報告書などどうとでも出来るでしょう」
溜め息をつくジレスの執務机の上には大量の書類が置かれている。
一番初めにジレスと打ち合わせをしたときに人手が足りていないとは聞いていたが……。
文官という組織のトップに立っている宰相は、本来なら人を使い采配するだけで良いというのに、ジレスが人一倍働き身動きすら取れないというこの状態は不味いのではないだろうか。
「そうね、大切な調印式での報告すら偽造するのだから、孤児院や教会への寄付金も一度見直した方が良さそうね」
「教会の方でしたらもう既にこちらに。ここ数十年の教会への寄付金額はまとめて書類へ書き出してあります。エイハブ様の頃と比べると、やはり金額が不自然でした。これだけでも頭が痛いというのに、まさか孤児院までとは」
「孤児院の方は私の憶測だからまだ何とも言えないわ」
渡された書類を見て思わず眉を顰めてしまう。
前世ではただの女子大生、今世では深窓の王女様。そんな私でもパッと見て分かるくらい金額が違っている。桁が一つどころか二つも違うのだから。
「この寄付金が増えた時期は、前王が即位なさった辺りからよね」
「良くご存知ですね……」
「ヴィアンの王妃として相応しいよう教育されてきたもの。実際は全く必要なかったようだけれど」
「少なくとも、私には必要です。セリーヌ様が王妃様でなかったら文官として引き抜きたいくらいですよ……」
「女性の登用はこの国では認めていないのではなかったかしら?」
「人事に関しての権限は私の手にあるのですよ?煩い狸共も今は鳴りを潜めていますし、今でしたら何とでも出来ます」
腹黒い笑みを浮かべるジレスは一皮剥けたのだろうか?ヤケクソのように見えて、どこか吹っ切れたような彼は黒さが増した気がする。
「だったら、先ずは自身の環境を整えなさい。今のままではそう遅くないうちに潰れるわよ」
「思っていた以上に使える文官が少ないのです。前宰相である父の部下は調印式のこともあって必要最低限の仕事しか任せられません。下の者達を育てる余裕も今はありませんし」
「仕事を投げ出して領地に引っ込むような上司の下で働いていた者達など信頼出来ないものね。未だに忙しさを理由に逃げ回っているのでしょ?でしたら、お父様でなくお母様に頼ると良いわよ」
「……母ですか?」
「えぇ。それと、妹であるティア嬢も中々のものよ」
「……ティア、ですか」
私の口から二人の名がでた途端、嫌そうな顔をするジレス。
兄妹仲は良くないとは思っていたが、母親ともそうなのだろうか?
「恐れ入りますが、政治に関して意見を述べられるような方達では……」
「あら、文官として登用しなさいなどとは言っていないわ」
「でしたら、頼るとは?」
「そのままよ。お母様に泣きつきなさい」
「は……?」
向い側に座って唖然とするジレスに、手に持っていた扇子を突き付けた。
「何故私達が狸共の尻拭いなどしなければならないのよ。まだまだ働き盛りのくせに全てを押し付けて隠居しながら高みの見物なんて、随分と過剰に評価してくれたものよね……」
「セリーヌ様?」
「勝手に引っ込んだのだもの。無理矢理表舞台に引っ張り出されても文句など言わせないわ。人事の権限を持つ貴方には、簡単なことよね?」
「……元に、戻すおつもりですか?」
「当たり前よ。ベディング伯爵を抑え付けてあげたのだもの、彼等には私達に頭を下げ有難く役職に復帰していただくわ」
「あの人達が頷くとお思いですか?」
「大丈夫よ。私には素敵な協力者がいますもの」
「……まさか、それは」
「家に使いの者を出し、お母様に協力を頼みなさい。きっと良いようにしてくださるわ」
「全ての女性がセリーヌ様のような方ではないのですよ……」
又もや項垂れたジレスに呆れ、腰を上げ向い側へと腕を伸ばし、下がっていたジレスの顎を扇子で持ち上げた。
戸惑いながらも私と目を合わせるジレスは普段よりも草臥れているからか、カルバート家特有の美貌も相俟って儚げな令嬢にしか見えない。今ならドレスを着せたらティア嬢ソックリになるだろう。
「社交は、女性の戦場なのよ。爵位が高ければ高いほど、旦那様を支える妻の性質が問われる場所なの。その戦場を幾度も潜り抜けてきた猛者達よ。頭の固い狸など手の平で転がせなくてどうするの?彼女達なら、転がされていると気づかせずにやってのけるわ」
「……」
「旦那様の意見を受け入れ、褒めて、控えめに。ときには頼り、喜びや悲しみをたった一人旦那様にだけ見せる。私達女性は、幼い頃からそれを学んで生きてきたの」
「ですが、母は、父に逆らったことなど……」
「当然だわ。女主人として屋敷を守ることが仕事ですもの。政略結婚を是とする貴族なら尚更ね。元から恋愛結婚ではないのよ?親と実家と領地の民の為に行う婚姻です。まぁ、それでも愛を育むことが出来るかもしれないけれど」
「……」
「良く覚えておきなさいジレス。男性には女性が必要でも、女性は男性など大して必要としていないものよ」
だって、心から愛した人を切り捨てることも出来るのだから。
そう最後に口にし、口をはくはくと動かすジレスから離れ元の位置に戻った。
その後はいつまでも呆けた状態のジレスに苛立ったのか、アデルが腰に下げていた剣の先を床に叩きつけ、その音でハッとしたジレスが顔を真っ赤にしたまま話を再開させた。
始終挙動不審になりながら話す度に何度も噛み、それが恥ずかしかったのかちらちらと私を窺うという乙女の様な反応を見せるジレスに執務室を出る頃には疲れ切っていた。
なんだろう、あのジレスは……腹黒ドS女神はどこにいったのだろうか。
自室へ戻る間、そんな乙女ジレスを気味悪く思っていたセリーヌの後ろでは、テディとアデルがセリーヌに聞こえないよう囁きながら会話をしていた。
「セリーヌ様は、釣り師だな」
「……?」
「あれは天然だからなぁ……ほんと、苦労するわ」
「……そうだね」
「ん?俺の言っていることが分かったのか?あーあ、テディも大分こっち側に染まってきたな」
「セリーヌ様には美味しいものを食べて頂きたい」
「……ん?」
「お疲れのようだし、後でアネリ様に新鮮な魚料理をお願いしてみるよ」
「んん?」
「でも、知らなかったよ。セリーヌ様が釣りをなさるなんて。多才な方だね」
「……あー、うん。そうだな、テディだもんなぁ」
ここにもいたわ、天然が……と明後日の方向へ顔を向けたアデルはそっと溜め息を零した。
※※※※※※※
「二日後には、居なくなってしまうのですね……」
「そんな可愛らしいことを言わないで。連れ去ってしまいたくなるから」
夕食の席で、兄がラバンへ帰国する日を聞いてがっかりしてしまった。折角会えたのに、滞在中半分はギクシャクしていてとても損をしてしまった。
ポロっと口から出た言葉に兄は口元を緩め、隣に座っている私の頬を撫でた。
「寂しいですわ」
「セリーヌ……」
「いや、ちょっと待て。先程から可笑しいだろ」
互いに見つめ合い感傷に浸っていると、兄とは反対側から抗議の声が上がった。
抗議したいのはこちらの方だ!と何故か上座ではなく私の隣に座っているアーチボルトを睨みつけた。
「何が可笑しいのですか?アーチボルト様」
「うっ……いや、まるで恋人同士の、ようではないか?だからだな、その」
「ようではなく、恋人だと思えば可笑しくはないよ。ね、セリーヌ」
「それは、可笑しいですわお兄様」
「そうだ!セリーヌは私の妻であって、レイトン殿のものではない!」
「は?セリーヌをもの扱いしたよね、今。ふざけないでくれる?」
私を挟んでぎゃぁぎゃぁと……。
これが初めてではない。夕食の席へエスコートと称して部屋まで迎えに来た兄と共に此処へ来れば、先に席についていたアーチボルトが吼えた。
それを無視し私の隣へ座った兄に対抗するかのように椅子を私の隣へと持ってきたアーチボルト。食事を運んで来た者は、普段とは違う配置に困惑顔で対応していた。
それからは私に給餌をしようとする兄(俗に言うあーんというやつだ)と、それを阻止しようと同じように手を出そうとするアーチボルト。
私の幼い頃が如何に愛らしかったかと語る兄と、レイトンと過ごした倍は共に過ごすことになると不敵な笑みを見せるアーチボルト。
もう、滅茶苦茶な状況だわ。
勝手にやってくれと遠くを見つめていたら、目の前にデザートが置かれた。
四角くて茶色いもの……何か見覚えがあるようなと、まじまじと見つめていたらそれに気づいた兄も同じように皿の上にあるものを見つめていた。
「何でしょうか、これは」
「見たことがないね。僕のとは違うようだけれど」
兄とアーチボルトの皿にはフルーツが乗っている。んん?と首を傾げていたらアーチボルトが咳をし、訳の分からない言葉を発した。
「今夜は、セリーヌの好物を用意させた……沢山食べると良い」
この四角い謎の物体が、好物?誰の?私の?……嫌がらせの一種だろうかと本気で悩んでいる間にまた諍いが始まっていた。
「コレがセリーヌの好きなものだなんて、随分と馬鹿なことを」
「ば、馬鹿とは何だ!ふ、レイトン殿が知らなかったからと私に八つ当たりをされては困るな」
「本気で言っているのかな?僕がセリーヌのことで知らないことなど一つもないよ」
「それは思い上がりというものだ」
「顔しか取り柄のない君には言われたくないね」
「産まれ持った美貌も才能の一種だ。僻まないでもらいたい」
おおっ、レイトン相手に舌戦を行えるなんてアーチボルトが成長している!と驚いていると「あのっ……」と鈴の音が鳴るような愛らしい声が二人を止めた。
誰が?とかは見なくても分かる。王族相手に勝手に声をかける者などこの場には一人しかいないのだから。
「フラン……あれほど言ったではないか」
「あの、ですが、セリーヌ様が困っていたので。すみませんでした」
アーチボルトの厳しい声に縮こまりながらも私の為だと主張されたら咎めづらい。
フランは頭を下げたあと、若干潤んだ瞳で「僕が、用意しました」と口にした。今注意されたばかりだというのに、又勝手に発言したのだ。
「……学ばないね」
「お兄様、彼はヴィアンの騎士ですわ。教育は上司であるこの国の者の仕事です」
「その上司が職務怠慢なのだからどうしようもないね」
兄の辛辣な言葉にキョトンとした顔をするフランは、暫く私達の様子を窺ったあとにっこりと笑顔で立っている。私の向かい側に……。
気の所為でなければ、このデザートを用意したのはフランだと聞こえた。でも、アーチボルトは自身が用意させたと言っていたのに、一体どういうことだろうか。
コレどうしようか?とスプーンを手に持ったまま固まった私は、熱い視線を感じ顔を上げ直ぐに逸らしてしまった。
フランに、物凄く見られている。気の所為でも何でもない。穴が開くのではないかと思うほどじーっと見られている。
「で、コレは何かな?食べ物……には見えないのだけれど」
私の代わりに兄が謎の物体の正体をアーチボルトに尋ねてくれた。ナイスですお兄様!
「セリーヌの好物なのだろう?そうフランから聞いたのだが。何て名だったか、フラン」
喜んだのも束の間、アーチボルトの言葉に私と兄が固まった。それに気づいていないのか、アーチボルトはフランへと説明まで求めてしまった。
「ようかん、というものらしいです」
「そうだ、それだ」
「聞きなれない名だね……セリーヌ?」
「私も初めて知ったものだからな……セリーヌ?」
ようかん……って。
唖然としながらフランを見上げると、彼は笑顔のまま私に頷いた。そう、貴方の想像している通りだとでも言うように……。
スプーンを持つ手がカタカタと震えだし、テーブルに落としたことで兄とアーチボルトから声をかけられた。
けれど私には返事を返す余裕など無くて。
「フラン、貴方……」
「はい」
可笑しい、明らかにフランは可笑しい。
羊羹なんてこの世界には無いはずなのに。それに、セリーヌではなく前世の私の好きな食べ物を何故彼が知っているの?
「セリーヌ、顔色が悪い。直ぐに自室へ戻りなさい」
兄に手を引かれ、退席した私を、フランはずっと見つめたままだった。




