二つの目的
セリーヌが溜め込んでいた想いを口に出すと胸がスッとし、あれほどもやもやしていたものが消えた。
一旦視線を落とし、握り締めていた両手を広げると短く切られた爪の跡がくっきりとつき微かに血が滲んでいる。本来なら指先まで気を使い爪の手入れやネイルアートなどするのだが、嫁いで来て一月目には短く切ってしまった。でないと、毎日手のひらが傷だらけになってしまうからだ。
勝手に流れていた涙を拭い顔を上げた。
さあ、心残りはないわよねセリーヌ!貴方の恋は終わったのよ。アーチボルトの為に生きてきた人生は、自分の為に生きていく人生になるの。
「質問の答えはこれでよろしいでしょうか」
この場所に、アーチボルトに会いに来たのは過去の自分を捨て去る為なのと、もう一つ。
姿勢を正しアーチボルトの瞳を射抜くようにみつめる。さあ、貴方はどうするのかしら。
アーチボルトはハッとして私から視線を外し俯きながら微かに聞こえる程度の声で「そんなつもりは……いや、そうではなくて」と口に出した。
「……私は、五歳の頃にはお前と結婚する事が決められていた。王になるのだからと納得はしていたはずだった、だが……心から愛しく思う者に出会い、その者ではなく、好きでもない者と生涯を共にする事を理不尽に思うようになった」
「仕方がありませんわ。それが民に生かされている王族の務めですから」
「だが……私は好きで王族に産まれてきたわけではない。出来る事なら、あの者と同じ民に産まれて来たかった」
典型的な持つ者の発想だわ、持たざる者からしてみれば嘸かし不愉快だろう。
「結婚する日が近付くにつれ、苛立ち、次第にお前がいるからだと憎く思うようになっていた。父上は愛する者と結婚出来たというのに私はと……」
確か前王と王妃は恋愛結婚だった。
でもそれは、ラバンもヴィアンも互いに王子しかおらず政略結婚が出来なかったのと、地位が釣り合っていたから出来たことだ。
まあ、政略結婚よりは恋愛結婚の方が上手くいくかも知れない。でも、やはりそれも王族以外の話しでだ。現に前王は側室も持たず王妃だけを愛し続けたが子はアーチボルト一人しかいない。何か理由があって一人しかつくらなかったのかは分からないが、普通なら後二、三人は子供を産まなくては周りが煩いはずなのだ。
ラバンの私の父も王妃の他に側室がいる。兄と私は正妃の子供で幼い弟は側室の子供だ。父は母を愛してはいるが側室の方にも同じくらいに愛情をそそいでいる。
「言いたいことは分かりましたが、では後継ぎはどうなさるおつもりだったのですか?私がこのまま子供が出来なければ側室をと言う声も出てきます。貴方がどんなにあの騎士を好きでも王である以上は子供を産めない者を正妃には出来ませんわ」
「分かっているっ……だから私はお前と結婚した。だが、気持ちが追いつかない」
顔を両手で覆い苦しそうに吐き出した言葉。
そんなアーチボルトをジレスとクライヴは王では無く共に育った幼馴染として見ているのか辛そうな表情をしている。
今、彼等にとってはきっとシリアスな場面なのだろう……。
私は顔を横に向け口元を押さえた。
それに気付いたジレスが「セリーヌ様……」と声をかけてきたが私は反応することなく顔を背け続ける。
「八つ当たりだったんだ……上手くいかないことを全てお前の所為にした。私が悪い、すまなかったセリーヌ」
アーチボルトは俯いていた顔を上げ、私を見つめ謝罪しているのだろう。
視線が暑苦しい、コレは三人分だわ。
「セリーヌ……」
私からの返事が無かった事に焦れたのかコツッ、コツッ……と靴を鳴らし私の正面まで来ると跪き、フランにしか見せなかった優し気な顔をしていた。
多分アーチボルトのお花畑脳の中では私が泣いたのもあり、愛している人からの告白にショックを受けているとでも思っているのだろう。
「すまなかった、許してくれとは言わない。ただ謝らせてほしい」
謝るという事は自身が行ってきたことは失敗だったと、間違っていたのだと認めたということだ。
だが、それで許して貰える人間というのは普段積み上げてきた信頼や人格、謝罪するにあたっての相手目線に立ってものを考えて行える人だろう。アーチボルトは自分の事情から入り言い訳をした後に「すまなかった」と言ったがコレは最悪な謝罪の仕方。
私側からしたら謝ればそれで済むと軽んじられた挙句、自身の罪悪感を払拭するのに使われただけだ。
そもそも、許して下さいと土下座しても良いくらいだと思う。
まあ、許さないけど……。
「アーチボルト様、お願いがございます」
声が震えるのは仕方が無い、さっきから笑うのを堪えているのだから。
「なんだ?何でも言ってくれ、私に出来ることなら何でもしよう」
「では、貴方に触れる許しを。その際、何をしても咎めないと約束してください……」
私の言葉に破顔し「分かった。セリーヌが私に何をしても許そう」と言った。
言質は取った。
透かさず証人となるであろうジレスとクライヴを見ると二人共頷いている。
紙に残しているわけでもないので若干不安だが、私に何かあればラバンと戦争になるのだからいくら阿保三人でも下手な事はしないだろう。
「アーチボルト様、目を閉じてください」
優しく声をかけると、アーチボルトは頷き直ぐに目を閉じた。
先ほどまで得体の知れないと思っていた女の前でよくもまあ躊躇いもなく目を閉じられるものだ。女の涙ひとつでこうも態度を変えるとは……。
「次は、どうすればいい……」
「……口を閉じてください」
若干頬を薄っすら染めたアーチボルトは一体何をされると想像しているのやら。
私の言い方も悪かったのだが、態とだ許せ。
ジレスとクライヴが息を呑み見守る中、私は立ち上がりアーチボルトの耳元に口を寄せ囁いた。
「やられたら倍返しが我が家の家訓ですの」
前世のだけど。
直ぐに体勢を整え、足に力を入れ思いっきりフルスイングでアーチボルトの顔目掛けて拳を叩きつけた。
「セリっ、アガッ……!!」
世界の美丈夫は妙な声を上げ後ろに仰向けで倒れ込んだ。
「……っ、なにをっ!?」
起き上がる前にと倒れているアーチボルトの側へ行き、足を上げアーチボルトの胸に十センチは余裕であるピンヒールを突き立てた。
唖然とした顔で私を見上げるアーチボルトに笑いが止まらない。
私は、何をされても許せる人間が一人だけいる。いや、いたの間違いか。
その人は初対面の私の信用や信頼を得る為にそれまで自身を形成してきたものを全て捨てたのだから。
『初めまして、今日から私が貴方のお姉さんよ』
前世の母の再婚相手には私より歳上の子供がいた。写真でしか見ていないその人と会った日、私は目を疑った。
父親のせいで恋だの愛だのに無関心になった挙句、男全般嫌いになっていた私の為に彼は彼女になったのだから。
「セ、セリーヌっ、うぐっ……!」
足に力を込めたせいで胸を圧迫されたのかまたしても妙な声を上げる。
「さあ、アーチボルト様。私と取引きをいたしましょ?」




