リディア=スペンサー
「お疲れ様―」
少女にしては低めの声を響かせて入ってきたのは、リアノーラだった。ナイツ・オブ・ラウンド第7席エリス=ハミルトンは彼女を見て笑みを浮かべる。
「お疲れ様、リア」
リアノーラはエリスを見て目をしばたたかせた。
「あれ。今日はエリスだけ?」
「いや。リディさんもいるよ。今日中の決済の書類を持って行った」
「そうなの。ちょっと奥で着替えてくるね」
「わかった」
リアノーラは学生鞄を持ったままナイツ・オブ・ラウンドの事務室の奥にある更衣室に向かった。リアノーラは学生業を終えてから仕事に来るので、たいていフェナ・スクールの制服を着たままなのだ。
事務室は、当たり前だが宮殿の中にある。8人いるナイツ・オブ・ラウンドのうち数人は必ずこの場所に詰めている。今日はエリス、リアノーラ、そして第3席のリディア=スペンサーが当番なのだ。
エリスが過去の書類に目を通していると、書類を提出に言っていたリディアが戻ってきた。リディアはすらりとした体躯の優しげな女性で、明るい茶髪にシアン色の瞳をしている。見た目、剣士ではなさそうだがその通りで、彼女はスナイパーだ。かくいうエリスもスナイパーだが。
ナイツ・オブ・ラウンドの主君であるチャールズ4世が、美形を集めた、と自ら言うだけあって、ナイツ・オブ・ラウンドには美人が多い。リディアも、リアノーラも、エリスも美人だ。特に、ナイツ・オブ・ラウンド一の美人と言われるエリスは群を抜いている。
肩につくほどの黒髪に、切れ長の鮮やかな緑の眼。男にしては背丈が低めだが、細身なのでそれほど気にならない。確かに性別は男なのだが、その中性的な顔立ちから女性にみられることも少なくはない。今年で20歳になる男としては、少し考えさせられるものがある。
「お帰り、リディさん」
「ただいま……リアは来た?」
「来てるよ。今着替えてる」
「そう」
どこかほっとした様子のリディアがうなずいた。不思議に思って尋ねる。
「どうかしたんですか?」
「ええ……ちょっと、予算の決済が合わなくて、書類をつき返されたの」
「……なるほど」
リアノーラは数学専攻の高校生だ。すぐに間違いを正してくれるだろう。というか、つき返したのは父で、直すのは娘とは。
年度末である今は、今年度の最終決済と来年度の予算決済に忙しい。事務能力が高いのはユリシーズだが、今日は非番だ。筆頭のフランクリン=ファウラーは忙しいらしく、ここ3日ほど姿を見ていない。
そもそも、現行ナイツ・オブ・ラウンドは第2席ユリシーズ=ウェルティを中心に回っている。筆頭のフランクリン=ファウラーは2代前のベアトリス2世のころからナイツ・オブ・ラウンドを務めるいわば生きた歴史である。今年で59歳となる。さすがにそんな高齢者に責任を押し付けたりはしない。
先王ウィリアム3世からのナイツ・オブ・ラウンドはやはりフランクリンだけだ。当時第2席であったリアノーラの父アルヴィン。去年辞職した第5席だったクェンティン=ケイン。第7席だった、現在の第5席ウェンディ=エンフィールドの一番上の姉ユージェニー=エンフィールド。もう誰もいない。
「あ、リディアさん、お帰りー」
のんきな声をひびかせてリアノーラが更衣室から出てきた。リディアと同じタイプのナイツ・オブ・ラウンドの制服を着ている。基本はパンツスタイルだが、この2人はタイトスカートだ。
「リア、お疲れ様。早速だけど、ちょっといい?」
「いいですよ」
リアノーラがリディアの持つ書類を覗き込むので、エリスもつられて覗き込んだ。
「計算が合ってないみたいで……」
「ん。ここ。この場合は繰り上げて計算するの」
「え? ああ……ええ」
リディアはキョトンとして、一瞬で間違いを見つけたリアノーラの指示に従った。リアノーラはさっさと計算を書き直していく。
「はい。これなら文句も出ないでしょ」
さらりとやってのけたリアノーラは、政務にも向いているのかもしれない。基本的にぶっ飛んだ性格に見えるリアノーラだが、意外とまじめな少女だった。
「じゃあ、もう一度出してくるね」
リディアはそう言って微笑むと、もう一度立ち上がって、事務室を出た。
「エリス、なんか飲む?」
「じゃあ、紅茶」
「わかった。茶葉は何がいい?」
アルビオン人は紅茶を愛する。それは平民のエリスも上流貴族のリアノーラも関係ない。アルビオン人は血が紅茶でできていると言われるほどである。
「それじゃ、アッサムミルクティーで」
「了解よ」
リアノーラがお湯を沸かしてポットに紅茶を注ぐ。貴族の令嬢は、客をもてなす時の礼儀として紅茶を正しく入れる方法を叩き込まれる。それはリアノーラだろうが、少々粗野なところがあるウェンディだろうが同じだ。特に、王家の血を引く公爵家の令嬢として、リアノーラは厳しく仕込まれたのだろう。専門のメイドが入れるのとそん色ないほどおいしい。
エリスがリアノーラとお茶をしていると、外から言い合いが聞こえてきた。
「―――て! 関係ないわ! 放っておいて!」
「待て! まだ話は終わっていない!」
リディアと、だれか男性の声だ。エリスはリアノーラと顔を見合わせ、立ち上がった。がちゃっとエリスはドアを開いた。外に、リディアとその腕をつかんでいる男がいた。2人とも目を見開いている。
「あ! デューク兄さん兄!」
リアノーラがぱしん、と手のひらを合わせて言った。デューク兄さんって、誰だろう? 名前を聞いたことがある気がするが、とっさに思い出せなかった。
「へ、変な呼び方をするな! というか、盗み聞きとは失礼な娘たちだな!」
「……」
エリスは切れ長の目を細めた。リアノーラと一緒に、娘とひとくくりにされている。エリスは正真正銘の男なのだが、女に間違われることが多かった。おそらく、その中性的な美貌がそうさせるのだ。もういい。あきらめた。
「言い合いが聞こえてるのよ。宮殿で何してるのよ」
「っていうか、どちら様?」
エリスが話を遮って言った。長身の体格のいい男である。黒髪に明るい緑の切れ長の眼をした美形である。美形と言っても、エリスよりもアルヴィンに近い感じの美形だ。年は30手前くらいだろうか。若く見えるから、わからん。
「グレン=イーストン伯爵子息。イーストンの領地はベイリアルね。セラ姉さんの義理の兄。弟が大公のセラ姉さんの旦那さんなの」
「あ、なるほど。よろしくお願いします。ナイツ・オブ・ラウンド第7席のエリス=ハミルトンです」
エリスは営業用の笑みを浮かべて言った。リディアがグレンの手を振り払い、リアノーラの隣に立った。
「……第7席はウェンディじゃなかったか?」
「2人いなくなったから繰り上げられたのよ」
「12人そろったと聞いていたが」
「全体的に情報古いわよ、グレンさん。今は8人しかいないの! もっかい修行の旅に出ろよ」
リアノーラがずばっというと、グレンがよろめいた。
「あ、相変わらずの毒舌だな……」
「お父様もこれくらい言うと思うけど」
っていうか、修行の旅に出てたのか。
「……まあ、話し合うなら中で静かにやって頂戴。お茶と茶菓子くらいは出すわよ。怒鳴ったら最後、文字通りつまみ出すからね」
「ええっ!?」
不満の声を上げたのはグレンではなくリディアだった。リアノーラがリディアの方を向いた。
「リディアさんも、覚悟決めたほうがいいよ。私もいろいろあって、ちょっと結婚について考えてるし」
「ええっ!?」
今度はエリスも一緒に声を上げた。
「リア、結婚するの!?」
「誰と!? やっぱりエド!?」
「考えてるだけよ。今はリディアさんとグレンさんのことでしょ」
リアノーラのこのさばさばした性格はすごいと思う。状況によっての使い分け方が一番素晴らしい。
とりあえず、グレンとリディアを引っ張り込み、客間で向い合せてお茶と茶菓子を手早く出して、リアノーラは戻ってきた。すっかり冷めた紅茶を入れなおす。エリスはほったらかしにしていた資料を集めて、分類する。
「それで、あの2人って恋人とか、婚約者?」
「う~ん。私が最後に聞いた話だと、婚約一歩手前かな」
「……は?」
なんだそれは。婚約一歩手前って?
「もともと政略的なのよ。イーストン伯爵家はベイリアルのもっとも古い血筋の一つだわ。それに、グレンさんの母親は、先の大公の妹なの。だから、グレンさんはセラのいとこにあたるのね」
ここでリアノーラが紅茶を一口飲む。
「知ってると思うけど、セラの大公位は初めから決められていたものじゃないわ。アルビオンでは爵位は女子も継げるけど、男子優先だもの。セラには2人の兄がいたわ」
知っている。有名な話だ。3年ほど前、先のベイリアル大公の長男、次男が急逝していったのである。陰謀がささやかれたが、結局、わからずじまいだった。
「結局、大公位はセラが継いだけど、それまでに大公の候補として上がったのがグレンさんなの。各地を放浪してたから、知らせが行かなかったらしいけど」
「放浪って……アルビオンの中を?」
「いいえ。大陸にまで進出していたと思うわ」
どんな行動力だ。それでいいのか、イーストン伯爵家。
「んで。話はさらにさかのぼるわ。これは従姉妹のユジーから聞いた話なんだけど」
ユジーことユージェニーはウェンディの姉だ。リアノーラの父方の従姉妹にあたる。4年ほど前に妹に席を譲るように引退した彼女は、確かにリディアと面識があるだろう。
「10年くらい前らしいんだけど」
「あ、そんなにさかのぼるんだ」
思ったより前の話で、エリスは苦笑した。
「スペンサー伯爵家もイーストン伯爵家も、古くから続く名家だわ。もともと、そういう話はあったみたいね。当時、2人は同僚だったそうよ」
「え? でも、リディさんは女学校出身なんでしょ」
「女学校の、芸術科出身よ。グレンさんは画家だもの」
「……イーストン伯爵家の跡取りじゃないの?」
「そーよ。でも、同じ跡取りのエドやユーリさんだって騎士をしているでしょ。同じことだわ」
それは……同じなのだろうか。エリスは首をかしげたが、リアノーラの機嫌を損ねたくなかったので、黙っておく。リアノーラがすねるとめんどくさい。
「同い年だし、同じ芸術家だから展覧会とかでよく顔を合わせて、すぐに意気投合したらしいわ。で、それはそこで終わり。次はおじい様……ウィリアム3世が崩御した6年前に進みます」
「はい」
エリスは神妙にうなずいた。
そういえば、王女ディアナを母に持つリアノーラにとって、先王ウィリアム3世は祖父にあたるのだ。父方の祖父の印象が強すぎて忘れていた。なんだか不思議な感じである。前の国王の血を引く少女とエリスは話をしているのだ。
「6年前、すでにグレンさんは遊学と称して世界各国を回ってたらしいわ。これはデュークさんから聞いたんだけどね」
さっきからよく出てくるが、デュークはベイリアル公セレストの夫だ。ベイリアルとはアルビオン連合国家を構成している地方の一つだ。もともと、アルビオン島は3つの国家から成り立っていた。ゆえに連合国家なのである。王都ロザリカのあるラングフォード、アルビオン島北部に位置するシェフィールド、そして、北西部に位置する最小の地方がベイリアルである。シェフィールドとベイリアルは大公がそれぞれ治めていて、同じ貴族の中でも別格扱いされている。現在のベイリアル公は女性で、チャールズ4世の王妃アンジェラの姪セレストである。
「アンジェラ様はベイリアル出身だから、この機にラングフォードとの結びつきを深めようと、当時のベイリアル公は考えたのね」
6年前だから、まだセレストの父が大公だったはずだ。高齢だったという話だから、ちょっと疲れて頭がおかしくなっていたのかもしれない。
「でも、グレン様は行方不明。その間にリディさんはナイツ・オブ・ラウンドに任命されてたわけか」
エリスはしみじみとうなずいた。何となくは理解できた気がする。任命したのがなまじ国王だったために動きが取れなかったのだろう。
「でも、いきなり帰ってきてどうしたのかしらね」
確かに、セレストは結婚させてうんぬん~、などと考えるようなタイプではない。むしろ、政務に疲れてはっちゃけちゃったちょっと残念なところのある大公である。まあ、仕方がないのかもしれないが。若いし。
「……まあとにかく、グレン様がアルビオンに戻ってきたのは、何かがあったからだと考えたほうがよさそうだ、と」
「ん、そういうことね。リディアさんよりむしろ、ベイリアル自体に何かあったのかもね」
リアノーラはさらりと言った。エリスは肩をすくめて冷めた紅茶を口にした。
なぜ、自分の周りにいる貴族はこんなにめんどくさいのだろうか。ちなみに、ナイツ・オブ・ラウンドであるエリスも、サーの称号を与えられる貴族なのだが、それはカウントしないことにする。平民上がりなのに変わりはないので。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
リディアの背景事情。ぽつぽつナイツ・オブ・ラウンドの皆さんの背景などを入れていきたいんですが、全員分を考えているわけではないので、完結までに全員の背景は語られないと思います。今回はリディアさんでした。




