赤点は回避しましょう
一応新章突入!
アルビオン連合王国の幼年学校から大学院までを有する名門学院、フェナ・スクールでは、6月、最終期末試験を迎える。これで、進級できるかが決まるのだ。まあ、留年する人はめったにいないけど。
だが今、リアノーラの向かいで必死に机に向かっているベアトリックスは留年の危機に瀕していた。しかし、彼女にとっては留年が問題なのではなく。
「うううっ。このままじゃ、交流試合に出られない……」
ここだった。期末試験が終わった7月初め、ラングフォードの南部ローガン州に所在する騎士学校とフェナ・スクール騎士過程の生徒の交流試合が行われる。どちらも王立なので、一応姉妹校ということになる。ベアトリックスはこれに参加したいのだ。
「なら追試になる前に及第すりゃいいじゃないの。何やってるのよ」
「……申し訳ありません……」
さらりと辛辣なことを言うリアノーラに、ベアトリックスは半泣きで謝った。
ベアトリックスは女性にしては高い背、目は切れ長で紫色の瞳をしている。意志が強そうな印象を与えるが、今は半泣きだ。最近ではあまり珍しくないが、女性なのに髪が短く、蜂蜜色の髪は肩に触れるほどまでしかない。全体的にすらりとしているが、一度服を脱げばしなやかな筋肉が体を覆っている。
そして馬鹿。典型的な肉体派である。
この交流試合に参加するには、すべての教科をパスしなければならない。つまり、来年再履修してね、という教科を出してはいけないのだ。すべての教科の合格点を持っていないと、参加できない。しかし、ベアトリックスは3教科の試験で赤点を取っていた。つまり、今、追試の準備をしている。
落とした教科は基礎数学、化学、世界史だ。他は、赤点すれすれのものもあったが、何とかパスしている。彼女は何故か、政治関係に強い。なのになぜ世界史がダメかというと、外交史、文化史がさっぱりなのである。
「リア、終わったぞ」
ベアトリックスがリアノーラの作った追試の予想問題を渡してくる。それを受け取り、リアノーラは丸付けを始めた。
「……じゃあ、その間に世界史の勉強、しよっか。……ほんとは、私もアルビオン史が専門なんだけど……」
そう言いながらアレクシアは教本を手にする。人形めいた顔立ちの彼女は歴史専攻なのだ。
「……じゃあ、外交史から行こうか。興味のあるところから行けば、そんなに……1512年に勃発した、『魔法大戦』と呼ばれるレイシエリル大陸の半分を巻き込んだ戦争の概要を答えよ」
レイシエリル大陸というのは、アルビオンの東側にある最大の大陸である。アルビオンは島国なのだ。ベアトリックスは軽く眉根を寄せながら、質問に答えていく。
「通称『魔法大戦』と呼ばれる戦争は、レイシエリル大陸の西側3分の1近くを占めた当時のエンブレフ帝国による隣国である軍事大国、ファルシエ王国へのしんこから始まる」
エンブレフは現在、エンブレフ共和国となり、領土も最大期の5分の1程度まで減っている。リアノーラは数学の丸付けをしながら、耳半分にベアトリックスの話を聞く。
「エンブレフ帝国のファルシエ侵攻の理由は諸説あるが、エンブレフ帝国がファルシエ側の緩衝地帯へ軍を派遣することを、ファルシエが承認しなかったことが主な理由とされる」
ファルシエは昔も今も王国で、軍事大国である。現女王コーデリア女王は、リアノーラの父であり、宰相であり、フェアファンクス公爵であり、そしてアルビオン最強の騎士と言われたアルヴィンと互角に張り合えると言われている。
現在ではすでにその制度はなくなっているが、かつてのエンブレフ帝国とファルシエ王国の間には緩衝地帯が設けられていたという。そこは両国とも軍を配置してはいけない。人も住んではいけない。そんな場所だ。全面戦争となったのは『魔法大戦』くらいだが、エンブレフ帝国とファルシエ王国の間ではたびたび小競り合いが起こっていたのだそうだ。
なお、帝国が緩衝地帯に軍を派遣しようとした理由は、判然としていないらしい。
「ファルシエはセレンディ、ローデオル、アルビオンなどとミューラン同盟を結び、エンブレフと対抗する。この時の総指揮官はファルシエ側は国王カルロス、エンブレフ側は同じく王太子エドアルドである」
『魔法大戦』でエンブレフの矢面に立ったのは、主にファルシエである。それは仕方がないだろう。地理的に、ファルシエはエンブレフと隣接していたのだ。
「最初から最後まで、ミューラン同盟国はエンブレフに押されていたが、領土接収とまではいかなかった。戦争開始から6年後の1518年、ファルシエ側の総指揮官が第1王女グラシエラに変わる。当時14歳」
やはりベアトリックスはこの辺りのことをよく勉強しているのだ。もともと、世界史はあと3点あればパスできたのだし、こんなものだろう。だから、数学と化学に重点を置いて勉強している。しかし、あんまり続くと、ベアトリックスが発狂するだろうと考えて、こうして間に世界史を挟んでいる。この方法を考えたのは、アレクシアと一緒に世界史の教本とにらめっこしている祥子だ。
祥子は黒髪黒目で、小柄の巨乳だ。たれ目だが、その目は生気に満ち、はきはきとしている。常識人で、この4人組の中では貴重なつっこみ役だ。彼女も数学は苦手だが、そう言いつつも結構いい点でパスしていた。その上、語学の天才で14か国語を話せる。
そもそも、フェナ・スクールは官僚養成学校と言っても過言ではない。だから、貴族や金持ちが多い。リアノーラとベアトリックスは貴族だし、アレクシアは貿易商の娘、祥子だけは一般入学制だが、秀才だ。
もちろん、騎士専攻があるから騎士を目指す人も入学するし、美術専攻もあるから、芸術家を目指す人も入ってくる。女性では花嫁修業代わりに入学するものも多い。リアノーラも、どっちかというとそのタイプだ。母親が王女であるリアノーラだから、政治にかかわるのはできるだけ避けたいと思っている。
要するに、フェナ・スクールはそこそこ頭がよくないと入れないということだ。ただし、ベアトリックスはじめリアノーラたち4人は幼年学校時代からの付き合いだ。進学するときは必ず3人でベアトリックスの勉強を見ていたので、退学も留年もなかったに過ぎない。リアノーラはすでに点数を数えはじめていた。
「3年後の1521年。エンブレフ帝国皇帝アルフレードが死去する。そのため、急遽即位したエドアルドはミューラン同盟軍に休戦を申し立てる。セレンディのユルフェ市で会議が行われることになり、各国の代表者が集まってきた。この時の代表は、エンブレフ側は皇帝本人とその第1皇子で、ファルシエ、セレンディ、ローデオル、アルビオン、その他諸国は国王・王太子であった。協議の末、ファルシエは第2王女マティルデをエンブレフの第1皇子オリヴィエに嫁がせ、エンブレフは第1皇女リーディアをファルシエの王太子ロレンシオに嫁がせることで同意した。オルドアの地をファルシエのものと認め、エンブレフはミューラン同盟国に賠償金を支払い、第1皇子オリヴィエの皇位継承権は剥奪されることになる。これがユルフェ停戦条約である。1521年8月26日に結ばれた」
語り終えて、彼女の言うことを確認していたアレクシアと祥子が言う。
「……いいんじゃない? ベリティは結構世界史できるのに、どうしてダメだったの……」
「まったくよね。私も矛盾は見つけられなかったから、いいと思うわよ。っていうか、ベリティって戦争について詳しいわよね……」
疑わしげに祥子にみられ、ベアトリックスは反論する。そんな危険思考の持ち主ではない。
「違うって。私はグラシエラ王女が好きなだけ。すごく強くて、戦神って呼ばれたくらいだって話」
「ああ……コーデリア女王様も強かったしね。ベリティはファルシエに生まれたほうが幸せだったかもね」
祥子がはっきりと言ってのけた。さすがだ。ベアトリックスも苦笑気味である。リアノーラは丸付けを終え、振り返ってベアトリックスの机の上に肘を乗せる。
「ベリティ、知ってるか。グラシエラ王女は優秀な騎士であっただけでなく、魔術と兵法にもたけていたそうだ。ベアトリックス、がんばれ」
「軍師はお前の家の専売特許だろう」
その言葉に、リアノーラは苦笑した。
「別に船場特許ってわけじゃないけど……。指揮官の言葉の意味が分からなければ、行動のとりようがないじゃないの」
「し、指示に数学や化学は関係ないだろ!」
「じゃあ、4半世紀前の科学大戦の立場はどうなるの」
今から4半世紀ほど前、やはりレイシエリル大陸で科学大戦と呼ばれる戦争が起きている。いや、今度は世界中を巻き込んだから、世界大戦というべきかもしれない。先日、科学大戦の前線基地のひとつとなった基地に行ってきたリアノーラは顔をしかめた。
「グラシエラ王女か……確か、大戦後にローデオルの王太子に嫁いだはずよね?」
「……うん。エリザベス女王の手記にも、グラシエラ王女の話は出てくるの。もっとも、王妃の時代の話だけど……」
祥子とアレクシアが顔を見合わせる。フェアファンクス家は軍師一族でもあるため、過去の軍師や指導者の研究はする。だから、リアノーラもグラシエラ王女に関してはそこそこの知識がある。
「グラシエラ王女は、大戦後ローデオルの王太子ラファエルに嫁いでからぱったり足跡が途切れてるものね……。ローデオル王のマクシミリアン2世によると、グラシエラ王女はその後、二度と剣を取ることはなかったらしいわ。歴史書に名前が出ないのも当然ね」
「何故だ? それだけの力がありながら……」
ベアトリックスはとまどったように言う。彼女にとって、ある力は使うべきなのだろう。リアノーラはちょっと笑う。
「ベリティ。ウェルティ伯爵って何歳だっけ?」
「父上? ええっと。48歳かな」
ベアトリックスがリアノーラの不思議な質問に首を傾ける。リアノーラは微笑んだまま話を続ける。
「そっか。なら、科学大戦のときは、もう20歳越えてたのね……私のお父様は、17歳で科学大戦に参戦したそうよ。もちろん、私は当時を知らないけど、大戦の光景ってどんなものだと思う? 凄惨なモノでしょうね。私たちには想像もつかないくらい……」
「…………」
当時の記録を見たりすると、自分たちは平和な時代に生きているのだなぁ、と実感する。何となく話が重くなったが、ちゃんと落ちがあるので、リアノーラは話を続けた。
「ベリティは、お父様に大戦の話を聞いたことある? 私はないわ。だって、幼心にも、ああ、つらかったんだなって、顔を見てればわかるもの。グラシエラ王女の場合も同じ。彼女は14歳で総指揮官となり、軍をまとめ上げなければならなかった。初戦は13歳だったらしいわね。きっと国王の命令で、つらくても嫌でも、逃げられなかったと思うわ。戦争で神経が擦り切れて、病んでしまうなんて話は、よく聞くわ。大切な人も死んでいくでしょう? 大戦後、彼女がもう2度と剣を持ちたくないと思っても不思議ではないわ」
リアノーラですら、魔術師の秘密組織《暗黒のカネレ》に誘拐され、目の前で父が拷問されて、もう二度と魔術は使いたくないと思ったくらいだ。そんなリアノーラの比ではないくらい、グラシエラ王女はつらかったはず。
「まあ、ラファエル王が二度と剣を持たせなかったっていう話もあるみたいだけど。ちなみに、ローデオルの通史ではそっちが主流で、2人の夫婦愛の物語があるのよね。前にマクシミリアン様からもらったんだけど、読む? アルビオン語じゃなくて世界共通語だけど」
「! 読む!」
反応したのは祥子が先だった。出たな、本の虫。気を引かれたらしい。さらに、アレクシアも少し遅れて言う。
「あたしも……ちょっと気になる」
「そっか……まあ、ベリティには追試を頑張ってもらわないと出し、その後も交流試合が待ってるし、その間に2人に貸しちゃいましょうか。ベリティ、頑張ってね」
リアノーラがにっこりしてベアトリックスに宣言すると、彼女は唇の端をひきつらせていった。
「このサディストめ!」
「よく言われるの」
リアノーラはコロコロと笑う。彼女は、自他ともに認めるサディストだ。
長い銀色がかった亜麻色の髪に、切れ長気味だがたれ目気味でもあるサファイアブルーの瞳。手足はすらりと長く、ベアトリックスほどではないが、背は高め。顔立ちは整っており、かなりの美少女。それが、リアノーラ=フェアファンクスという少女だ。
顔立ちはどちらかというと父親のアルヴィンに似ている。と言われる。8か月ほど前にナイツ・オブ・ラウンドに任命されてからはより『似てきた』らしい。性格は、父親7割、母親3割とリアノーラ自身は見ている。アルヴィンも何気にサディストである。
「それよりリア。丸付け終わったの?」
祥子がわくわくしながら尋ねる。本が楽しみらしい。なら、アレクシアより先に祥子に先に貸そうか。返事も彼女の方が早かったものね。そんなことを考えながらリアノーラはうなずく。
「もちろん。終わってるわよ。じゃーん」
ぺらっとリアノーラはベアトリックスに答案を突きつける。点数は52点だ。
「……一応、赤点基準を越えてるけど……」
赤点は45点からだ。これでも、官僚養成学校としては譲歩している方だろう。本気で官僚になりたいと思うなら、もっと基準が厳しくなる。
「でも、追試って合格点60点じゃなかった?」
「その通り。ベリティは数学が問題だね……化学も何とかなりそうだけど」
たぶん、世界史はこのままいけば追試で70点くらいは取れる。化学はぎりぎりだがパスできるだろう。問題は数学だ。
世界史はもちろん、化学も記憶が勝負の問題がある。後は、化学方程式などが少しわかっていれば60点は越えられる。しかし、数学には知識を問う問題はほとんどない。
「……まあ、追試は本試験よりも多少は簡単らしいから。でも、あんた、2次関数がボロボロね~」
「2次関数は私もわかんないけどね」
祥子がベアトリックスをフォローするように言った。しかし、すかさずアレクシアがツッコミを入れる。
「……祥子に言われてもむなしいと思うわよ? 期末試験の学年順位、何位だった?」
「……12位よ。数学が盛大に足を引っ張ってくれてるのよ……!」
苦々しげに祥子は言った。典型的な文系である。だが、祥子はすべてそつなくこなすため、足を引っ張っているというほど引っ張っていないだろう。
「……いいじゃん。12位。あたしは53位だったもの……」
アレクシアが言う。しかし、この1学年に付き500人近くの生徒がいる学校の中では、かなりいい方だ。
「ちなみに、リアは何位だっけ?」
「私は理系だから比較にならないけど……今回は9位」
「リアにしては落ちたわね。やっぱり、ナイツ・オブ・ラウンドの仕事?」
「……でしょうね。時間あるときに、エドとかユーリさんに教えてもらってるけど」
リアノーラは王族でありながら王族を護るという、ちょっと矛盾した状況にある。彼女はナイツ・オブ・ラウンド第8席を賜っている。現在のナイツ・オブ・ラウンドでは最後の序列だ。剣の腕よりも魔術を買われたきらいがあるが、彼女はそれでも、フェナ・スクールの騎士過程の生徒よりも強い。
もともと、フェアファンクス家は騎士の家系だ。リアノーラの父アルヴィンも、祖父のゲイブリエルもナイツ・オブ・ラウンドだった。その先の先祖も、ずっとそう。アルビオン建国時までさかのぼれる旧家で、300年前のエリザベス女王の血も引く由緒正しい家系である。
エドことエドワード=リプセットはナイツ・オブ・ラウンド第4席の現役大学生、ユーリさんことユリシーズ=ウェルティはナイツ・オブ・ラウンド第2席にしてこのベアトリックスの兄である。2人とも、跡取り息子である。
「……というか、どうしてベリティはユーリさんの妹なのに、3教科も落とすの?」
アレクシアが結構グサッと来ることを言った。おっとりとそういうことを言われると、結構堪えるのである。
「……アレク。私が兄貴の妹だからって、頭がいいとは限らないんだよ……」
ベアトリックスが言った。言い表すならば、ベアトリックスは肉体派、ユリシーズは頭脳派なのである。たぶん、ユリシーズはリアノーラやベアトリックスに素手で負けるくらい、弱い。
「で、話し戻すけど。ベリティ、ホントに関数できてないわね。どうすんの? 時間あれば、比例反比例からやり直すんだけど……」
リアノーラは眉根を寄せる。追試まであと5日しかないのだ。放課後、勉強できる時間も限られている。リアノーラのいない日も多い。
「リア。今日、仕事は?」
「ええ……常勤だったけど、エドに代わってもらったわ。今度お礼しないと……」
「エドワードさん、本当にリアのことが好きなのねぇ」
祥子がしみじみと言った。エドワードは確かにいい人だ。優しくて、厳しい。
「でも、明日はいないわよ。祥子、数学を見てあげてね」
「うっ。が、頑張るわ……確率くらいなら」
祥子が顔を盛大にひきつらせながら言った。関数と確率は別物だ。関数ができなくても、確率や集合はできる、という人は多い。祥子はそっちで点数を取るタイプの人だ。
「化学はあたしが見たげるね。科学大戦を勉強するにあたって、すこし調べたの」
アレクシアがニコリと笑って言った。ベアトリックス、完全包囲網である。一緒に進級したいし、頑張ってもらわねば。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この話は4章目となる……はず。この章、次の5章目で『LOST SPELL』は終わる予定です。もう少しおつきあい願えたら嬉しいです。




