日常で起きた非日常
最後の方、ちょっと事件が起きます。遺体の描写があるので、お気を付けください。
午後の授業を受け、祥子は本格的にやばいな、と感じた。基本的にポジティブで前向き思考の祥子だが、今回ばかりは本気でまずいと思った。祥子は、同じ授業を受けていたアレクシアに尋ねる。
「ね、理解できた?」
すぐさまアレクシアは首を左右に振った。
「全然」
基本的に文系の2人は、理数系に弱いのだ。そう、今の授業は基礎数学だった。
どうするかな……祥子は悩む。基礎数学は必修だ。この単位が取れないと卒業できない。試験はまだ2か月以上先だが、それから勉強を始めても遅い。ことに、数学に関しては。一度わからなくなると、そこから先は全く理解できないので厄介なのだ。
祥子もアレクシアも、中等部の時はリアノーラに助けを求めてきた。リアノーラは理数系で、特に数学は得意なのだ。複雑な魔法陣の魔術式の計算をひたすらやっていたりする少女である。
「……リアに教えてもらおうか……」
「そうだね……」
アレクシアも同意した。リアノーラは教えることに見返りを求めるような性格ではないが、教え方が厳しいのである。ただし、よくわかる。だからこそ、祥子もアレクシアも高等部まで上がってこられたのだ。
祥子とアレクシアはとりあえずホームルームの教室に向かう。そこに行けば、リアノーラとベアトリックスに会えるはずである。教室に入ると、法学に行っていたリアノーラとスポーツの専門科目を取っていたベアトリックスはすでにそこにいた。祥子とアレクシアは2人の横に滑り込む。
「ねえリア。今日はこれから宮殿?」
「は? いや、今は落ち着いてるから。このまま帰るけど」
祥子に尋ねられ、リアノーラは目をしばたたかせながら答えた。
ナイツ・オブ・ラウンドは今、全部で8人しかいない。リアノーラが入る前よりも状況が悪くなっている。12人いたうち、3人がなくなり、1人はやめた。しかも、現在いるうち1人は怪我をしていて回復していないから、実質的に活動しているのは、リアノーラも含めて7人ということになる。おそらく、まだ学生ということで気を使われたのだろう。それがわからないリアノーラではないはずだが、最年少であるリアノーラは、無理を押すのではなく、気遣いを受け入れることにしたらしい。
「じゃあ、今日これから数学教えて」
今度でもいいが、またリアノーラは仕事に忙殺される可能性がある。時間があるうちに聞いておくのがベストだろう。
「……別にいいけど、どうしたの?」
「ちょっとね。さすがに危機感が……」
つぶやき、祥子は顔をしかめた。祥子の成績は学年でも上の方だ。リアノーラはそのさらに上。一番ではないが、数学はいつもトップクラスだ。それを言うなら、祥子だって語学の成績はトップだが。
「祥子ってなんでもできるけど、数学はできないのね」
「誰にでも苦手なものはあるでしょ。リアにはないの?」
「そうだね。私は泳げないね」
驚くべきことに、ベアトリックスほどではないにしろ運動神経の優れたリアノーラが泳げないということに、祥子も知っていた。もともと水属性の魔術を駆使するリアノーラだ。泳げなくても溺死するということはないのだ。
「じゃあ、ホームルーム終わったら教えて」
「いいわよ。でも、うちでやってもいい?」
リアノーラが尋ねた。リアノーラに言われ、祥子は何となく察する。おそらく、姉のユーフェミアが心配なのだろう。
「うん。リアがいいならいい」
若干わけのわからない返答をして、祥子はうなずいた。リアノーラが首をまわす。
「アレクとベリティも来る?」
「行く」
「お前が勉強教えてくれるなら」
アレクシアは即答。ベアトリックスもちゃっかりしている。すべて平均的にこなしているのがリアノーラだ。そのほかの3人は全体的に傾いている。得意なものと苦手なものの差が激しいのだ。
「語学は祥子に聞いた方がいいと思うけどね」
リアノーラがベアトリックスに苦笑する。ベアトリックスは外国語と数学の点数が悪いのである。
「じゃあ、教え合いっこする?」
アレクシアが言った。アレクシアは歴史に関して、というか、社会系の科目ならどれも完璧だ。
「……私教えられるものないんだけど」
ベアトリックスが眉をひそめて言う。祥子はニヤッと笑った。
「じゃあ、ベリティはずっと教えてもらってればいいわ」
「……申し訳ない」
教えてもらうのか。というか、彼女の兄であるユリシーズは相当頭がよかったはずだが。彼から教えてもらったりはしないのだろうか……そうか、忙しいのか。なるほど。実質的にナイツ・オブ・ラウンドを統括しているのはユリシーズだと聞いたことがある。
「はーい、みんな、こっち向いてー。ホームルーム始めるから」
教官の声に、みんながのそのそと前を向く。教官がいくつかの連絡事項を言い、プリントを渡して放課になる。祥子たちは、視線を集めながら学校を出た。もちろん、視線が集まっているのはリアノーラだ。もともと彼女はこの学校で有名だ。公爵家の令嬢で運動神経が良くて頭もよくて、しかも王位継承権を持っていたから。それが、ナイツ・オブ・ラウンドになったことでさらに注目度が上がったのである。
フェナ・スクールにはリアノーラやベアトリックスのように貴族の子供や、裕福な家庭の子供も多い。そのため、馬車で迎えが来るところも多い。車もあるが、車は普及しているとは言い難かった。
リアノーラは歩いてきたりもするのだが、今日は馬車で来たらしい。ベアトリックスも時々馬車で来るが、晴れていればたいてい徒歩だ。今日も徒歩だったようだ。そろそろ寒くなるし、アルビオンの王都ロザリカは、晴れていても空は雲で覆われていたりするのだが、彼女は気にしないらしい。
馬車に揺られて、祥子たちはフェアファンクス公爵家に向かった。フェアファンクス公爵家は、フェナ・スクールから宮殿までのちょうど真ん中ほどにある。公爵家だけあって広大な敷地を誇るお屋敷だ。
初等部からの付き合いの祥子たちは、フェアファンクス公爵家に足を踏み入れるのは初めてではない。何度か来たが、いつみても壮麗な屋敷だ。しかし、住んでいる人は屋敷の外観とは違い変人ばかりだが。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
「ただいま、ベラ。客人。お茶をお願い」
「まあ」
顔なじみのフェアファンクス公爵家の使用人ベラは祥子たちを見て微笑む。
「わかりました。お菓子もお付けしますね。お嬢様のお部屋に?」
「ええ。ユフィは?」
「昼過ぎに起きられて、お食事もとっていました。今は、ユリシーズ様とお話し中ですわ」
「え、兄が?」
思わぬ名前が出て、かかわりの深いベアトリックスが驚く。ユリシーズはベアトリックスの兄だ。
「はい。では、お茶を用意してきますね」
預かったコートやマントを持って、ベラはにこやかに一礼し、屋敷の奥に向かって行った。祥子たちも、大股で歩くリアノーラに続く。
「ユーリさん、最近たまに来るんだよ。ユフィとチェスをしてるわ」
「……なんで?」
「どうやら、ユフィが宮殿にいる間に意気投合したみたいよ。2人とも、頭いいでしょ。話が合うんじゃないの?」
リアノーラも結構投げやりだ。詳しいことは知らないのだろう。祥子なら首を突っ込んでいるところだ。面白そうだから。
「……知らなかった」
「でしょうね。私もびっくりよ。でも、いいんじゃないの。話が合うなら。うちの人って短気だから、意見がぶつかるとすぐ喧嘩になるんだけど、ユーリさん相手ならそうならないみたいだし」
「……へえ」
祥子はリアノーラの話を聞いて、考えながらうなずいた。それって、脈ありなのではないだろうか。ユリシーズがユーフェミアのところに来るということは、彼がユーフェミアに好意を抱いているからだろう。そして、リアノーラの言うことを聞くに、ユーフェミアもユリシーズのことは気になるのだと思う。
「というか、若い娘のもとに男が通っているという状況は、公爵家的にどうなんだ?」
同じ貴族であるベアトリックスが尋ねる。現在、王侯貴族もかなり開放的だが、世間的に見て恋人でもない男が若い娘のもとに通うのは、確かにどうなのだろうか。すると、リアノーラはあっけらかんとして言う。
「うちって放任主義だし。使用人もしっかりしてるからね。それに、何か間違いがあろうものなら、お父様が怒るから」
それに、おそらく弱っていてもユリシーズよりもユーフェミアの方が強いと思われる。ユリシーズがそんなことをするとは思わないし、この家の人も思っていない。要するに信用があるのだ。とどめに、『お父様が怒る』の一言。アルビオン最強の騎士を怒らせようと思うような人がいるわけない。しかも今は宰相だ。
「……そうか」
ベアトリックスは納得したようなできないような表情でうなずいた。リアノーラはさっさと自分の部屋に入っていく。
「いつみても豪華ね……」
「そう? 結構すっきりしてる方よ」
祥子のつぶやきにリアノーラはそんなことを言う。どこがすっきりしているのか。家具は高そうだし、部屋は広いしシャンデリアだし、床には絨毯が引かれている。壁にはなんかセンスのいい風景画がかけられているし、これが豪華でなくてなんなのか。貴族の感覚はわからん。
まあ、リアノーラは母が王女だから、王族に数えられるのかもしれないけど。
「まあ、座って。なんか壊しても大丈夫よ」
「そんな恐ろしいことはできないわよ」
完全庶民感覚の祥子が言う。ベアトリックスは貴族だし、アレクシアは財閥の娘だ。高級品を扱うこともあるだろう。本当の意味で庶民なのは祥子だけだった。
リアノーラは苦笑して鞄を置くと、中央のソファに参考書などを置く。祥子たちもそれに倣った。
「で、何から始める?」
「数学」
リアノーラ以外の声がかぶった。リアノーラの笑みが固まる。これは、リアノーラがキレたいときに我慢するための行為だ。
「……わかったわ。どこがわからないの? 出しなさい」
怒りを何とか消化したリアノーラが言った。リアノーラは短気だが、怒りっぽくはなかった。だからこそキレた時が大変なのだが。
「こことここ」
「あたしはこれ」
「私はここだ」
「全部関数じゃないの」
3人が範囲に、リアノーラが呆れて言った。だって難しいから仕方がないだろう。何となくわかるが、何となくで何とかならないこともある。
「ちょっと3人とも、問題と式見せなさい」
リアノーラが3人のノートを奪い取る。3冊同時に目を通しながら、ぶつぶつと何やら呪文のようなものを唱える。
こういうところがリアノーラのすごいところだ。同時にいろんなことができるのである。リアノーラが思案し始めてしばらくすると、先ほどのベラがお茶を運んできた。しかし、リアノーラは反応しないので、代わりにベアトリックスが受け取って紅茶をカップに注いでそれぞれに渡す。
ノートを読み終わったリアノーラは、ソファの前の低いテーブルにノートを置いた。
「まず祥子。基礎はできてる。だからどこかで式が混乱したんだと思うけど。それからアレクとベリティ。論外。去年私が教えたこと忘れたの?」
勉強を見てほしいと頼んだ祥子よりも、便乗した2人の方が問題らしい。
そこから祥子はしばらく放置され、リアノーラはアレクシアとベアトリックスに関数の基礎を叩き込み始めた。祥子が尋ねるとヒントをくれるが、解く手伝いはしてくれない。ただし、ヒントは的確だった。
リアノーラは指導者に向いているのだと思う。もしも魔女でなかったら、教師にでもなっただろうか。
いや……。祥子は顔を伏せたまま笑みを浮かべる。
きっと、それでも、彼女は騎士になったに違いない。そう思った。
* + 〇 + *
冬のロザリカの夜は早い。フェアファンクス邸に来て2時間もすれば、もう日暮れだ。さすがにお暇しなければならないだろう。
そう思って、ベアトリックスは近くにいた使用人に尋ねた。
「あの、兄ってもう帰りました?」
尋ねられた若い使用人は目をしばたたかせてベアトリックスを見上げ、それから、ああ、とほほ笑んだ。
顔を見れば、ベアトリックスとユリシーズの血がつながっているであろうことは容易に想像できる。それくらいには、顔立ちは似ていた。髪と目の色も同じだし、違うのは雰囲気ぐらいだ。しかし、この雰囲気が最も重要なのである。
ユリシーズを知っている人は初見でベアトリックスをユリシーズの妹とは見ない。祥子曰く、雰囲気が全然違うから、ユリシーズと結びつかないらしい。
人の記憶力や認識とはあいまいなもので、ベアトリックスも実際に、とある人に化けたことがあるのだが、髪と目をその人と同じ色にして、その人をまねてにこにこしていれば意外とばれなかった。それくらい、人の認識は甘いのである。
「ユリシーズ様ですね? 今は旦那様と……ああ、いらっしゃいました」
使用人の言葉にそちらを見ると、長身の男性が2人歩いてきた。リアノーラも振り返り、あら、という。
「お父様、帰ってきてたの。今日は早いわね」
「ああ。最近は議会も落ち着いているからな」
アルヴィンは近寄って娘の頭をなでた。
いかにも仲の良い親子のやり取りの隣で、ベアトリックスは兄とにらみ合っていた。
「……ベリティ、何をしている」
「それはこっちのセリフだ。リアは私の友達だ。遊びに来ていて何がおかしい」
実際には勉強を教わりに来たのだが、それはおいておく。リアノーラの指導は容赦なく、丸めたノートでバンバン頭をたたかれた。清純派お嬢様的風貌の祥子も、人形のように愛らしいアレクシアにも容赦なしだった。ちなみに、一番たたかれたのはベアトリックスだった。
それでも、リアノーラは教え上手で、さっぱりわからなかった関数が、何となくわかるところまで昇華された。
と、それはいい。
「……リア。明日、学校終わったらナイツ・オブ・ラウンドの事務室まで来てくれ」
ユリシーズがため息をついて言った。リアノーラは微笑む。
「ユーリさん。忘れてるかもしれないけど、私はナイツ・オブ・ラウンドよ」
「……わかっている」
いや、今意識から飛んでただろう。ベアトリックスは心の中でつっこむ。ユリシーズの中で、リアノーラは魔術で助けてくれる王族の子。という印象が強いらしい。
「……兄さん、帰ろう」
「……そうだな」
これがリアノーラや祥子だったらさっと手を出して手でもつないで帰るだろう。しかし、ベアトリックスにはそんなかわいげはない。
「あ、じゃあ、私たちも帰るね」
「家まで送ろう」
ユリシーズがリアノーラに手を振る祥子とアレクシアに言った。祥子とアレクシアは首を左右に振る。
「大丈夫」
「リアが馬車出してくれるって……」
ふられたユリシーズは一瞬、鋭い眼光を放つ。アレクシアが祥子の後ろに隠れた。人形みたいな外見のアレクシアはおびえているわけではなく、驚いているだけだろう。彼女の手には大事そうに古い本が抱えられている。フェアファンクス公爵家の図書室から借りてきた歴史本だ。
「……では、宰相閣下。お邪魔しました」
「ああ。気を付けてな」
アルヴィンがあっさりと送り出す。祥子とアレクシアは馬車から大きく手を振り、フェアファンクス邸から家が近いベアトリックスとユリシーズは徒歩だ。
「で? 兄さんはなんでフェアファンクス家に?」
「関係ないだろう」
「ユーフェミアさんに会いに行ったの?」
「……知っているなら聞くな」
ユリシーズのいつになく冷たい言葉に、ベアトリックスはむっとする。彼から聞き出すのをあきらめて、すたすたと先に歩き出した。驚いたユリシーズが後を追ってくる。周囲は暗く、女が1人で出歩く時間ではない。恰好が恰好なら、ベアトリックスは男に見えるが、今は制服なのでただの女生徒である。ユリシーズも心配してくれているのだろう。この辺はいつもの兄なのでほっとした。
無言のまま歩いていると、ウェルティ伯爵邸に到着した。同じ貴族でも、公爵家と伯爵家ではかなりの違いがある。ウェルティ伯爵邸はフェアファンクス公爵邸の半分ほどの規模だ。門を通る前に、ベアトリックスは後ろをついてくるユリシーズを振り返った。
「ま、話したくないなら聞かないけどさ。問題起こす前に話してよね」
さばさばとした態度でベアトリックスは言った。これがベアトリックスの持ち味である。ユリシーズが顔をひきつらせたのを確認すると、ニヤッと笑ってから屋敷に入った。
* + 〇 + *
翌日リアノーラはユーフェミアと弟クリストファーとともに馬車で登校した。徒歩でもよかったのだが、ユーフェミアの体調を考えるとこの方が好ましい。
同じ学校に通っているが、3人が一緒に登校することは珍しかった。そもそも、ユーフェミアに至っては登校することの方が珍しい。1か月の半分は寝込むような女だ。
「じゃあ、ユフィ、リア」
「行ってらっしゃい」
中等部の前で、クリストファーが馬車を下りる。同じ敷地内だが、中等部と高等部の入り口は別である。もとはとある貴族の屋敷で、かなり規模がでかいことからかなりの身分だったのではないかと思われる。
そのまま高等部の門の前に回り込むと――人だかりが見えた。
「ん?」
「なんだあれ」
ユーフェミアも眉をひそめる。彼女は、目立たないように長いプラチナブロンドを一本の三つ編みにし、眼鏡をかけている。そうしていると学者に見えるから不思議だ。きつい目つきが隠れるので、没個性的だ。
「なんだろ……ちょっと降りてみるか」
門の手前で、リアノーラが先に馬車を下りた。何とはなしに手を差し出す。ユーフェミアが無言でその手を見つめた後、ポン、と自分の手を重ねた。
「なんか、だんだん行動が騎士化してきたな」
「そういう教育をされていますので」
騎士学校に行くと、こういうふるまい方も教えられるらしい。卒業生のエリスが言っていた。
ユーフェミアと並んで門の前に行くと、男子生徒も女子生徒もごっちゃになっていて、かなりの人数が門の前にたかっていた。だれも入る様子はない。その中で、リアノーラは背の高いベアトリックスを発見する。こういう時は、背が高いのは本当に便利。大衆の中にいても見つかるからだ。ベアトリックスは長身と言っても、女なので男と並ぶと低いが、存在感がある。
「ベリティ」
声をかけると、ベアトリックスが振り返った。
「ああ、おはよう、リア、ユフィさん」
「おはよう」
ユーフェミアも挨拶する。リアノーラは尋ねた。
「これ、何の騒ぎなの?」
「なんか、校内で事件があったらしいわよ。門が封鎖されてはいれないの」
答えたのは、祥子だった。小柄な彼女は、リアノーラからは見えなかったので、今その存在に気付いた。そういえば、ちゃんとアレクシアもいる。2人とも小柄なので周囲に埋没していた。
「事件?」
リアノーラが先を促すように尋ねるが、祥子は首をかしげた。
「さあ? 私が来たときにはもうこうなってたもの」
わからないのか。仕方がない。
「ちょっと様子見てくるわ」
「へ?」
祥子たちが首を傾ける。お忘れかもしれないが、リアノーラはナイツ・オブ・ラウンドなのである。ごり押しくらいいくらでも効く。
リアノーラが人垣を押しのけて前に進むと、なるほど。確かに門は封鎖されていた。軍警察が封鎖した門の前に立っている。
「おはよう」
「? なんだ、お前は」
「ちょっと中に入れてほしいんだけど」
単刀直入に言うと、軍警察の男ははあ? と眉をひそめた。あからさまに不審そうだ。
「それはできん。関係者以外立ち入り禁止だ」
きっぱりと言われ、リアノーラはついてきていたユーフェミアと顔を見合せた。
「……お前の顔を知らないやつ、いるんだな」
「……うん。私もちょっとびっくりした」
低いテンションで会話する姉妹に、軍警察は不審な表情を濃くする。
「何を言って……」
鞄の中をごそごそしていたリアノーラは、目的のものを発見して掲げる。
「ナイツ・オブ・ラウンド第10席のリアノーラ=フェアファンクスよ。おとといに叙任式だったから、顔を覚えられてると思ってたんだけど」
リアノーラは開いた手帳の中身を見て驚く軍警察にさらりと言った。手帳には、国王陛下の御璽と、リアノーラの署名が書かれている。驚いた軍警察はすぐに青くなった。
「失礼しました! どうぞ」
「ありがとう」
リアノーラはにっこりして礼を言い、門の中に入った。当たり前のようについてこようとするユーフェミアは軍警察に止められている。
「ちょ、だめです、あなたは!」
「なぜ? 私はソフィア王女の専任騎士だ。ほら」
ユーフェミアもリアノーラと同じように手帳を見せて、すんなりと中に入ってきた。やはり、権力は偉大だ。相手がおとなしく言うことを聞いてくれる。……場合が多い。
ユーフェミアと並んで歩いていると、軍警察が集まっている一帯が見えた。あまり通らない、校舎の側道の芝生だ。リアノーラはそこに近寄る。
「何があったの?」
前触なくく声をかけると、軍警官たちは飛び上がらんばかりに驚いた。リアノーラは沈黙する。そんなに驚くようなことをしただろうか。いや、もしかしたら気配がなかったのかな。
「いや、あの……お嬢さん方は、いったい……」
若い警官にためらうように声をかけられ、リアノーラは、ああ、と納得した。またリアノーラの顔を知らないやつか。王女と宰相の娘であるリアノーラは結構有名だと思っていたのに。そうでもないらしい。
名乗ろうとすると、近くにいた40代ほどの男性が若い警官を殴る。
「あほか! おととい神殿の警備をしただろう! リアノーラ卿だ!」
「え!? ああっ……言われてみれば!」
「失礼しました!」
警官たちが一斉に頭を下げる。なりたて騎士の小娘に、こんなことをするいわれはないと思うが。まあ、確かに地位的にはリアノーラの方が上だが。
「ええっと。それはいいので、何が起こったのか教えていただけると嬉しいです」
あいまいに微笑み、リアノーラは相手を尊重して言う。いくらリアノーラの方が地位が上でも、相手は年上だし、経験もある。彼らに比べれば、リアノーラは生まれたてのひよこに等しい。
警官たちは目を見合わせ、結局ナイツ・オブ・ラウンドのリアノーラにはかくしておけないと考えたのか、場所を開けて囲んでいた現場を見せた。その光景に、さしものリアノーラも目を細める。
「……学校に、謎の魔法陣現る」
リアノーラの隣でユーフェミアがつぶやいた。彼女の言うとおりだが、それよりも先に注目すべきものがあるだろう。
「ユフィ。確かにそっちも気になるけど、まずそこの遺体に目を向けよう」
魔法陣の上に、フェナ・スクールの高等部の制服を着た女生徒の死体。見上げるとそこは塔になっており、頭から血を流していることから投身自殺を図ったとも思われるが……。
リアノーラは現場をにらみつける。この魔法陣が、その可能性を否定している。自分で描いた可能性もあるが、そんな面倒なことはしないだろう。それよりも、殺人で犯人が何らかのために残して言ったものと考えるほうが自然だ。
「お2人とも、この学校の生徒ですよね。彼女に見覚えは?」
「ない」
尋ねられて即答したユーフェミアに、リアノーラは思いっきり突っ込んだ。
「おいおい。ちょっとまて。ユフィと同じホームクラスの子じゃないの」
「そうなの?」
そうなの、じゃないだろう。いくらめったに学校に出てこないからと言って、同じホームルームクラスの子を忘れるなよ。見たことあるなー、くらいの覚えはあってもよさそうなのに。相変わらず人の顔を覚えない人だ。
「そーよ。私は法学で一緒なのよ。あなたと同じクラスのはずよ」
「ふうん……」
ユーフェミアはどうでもよさそうな体でつぶやくが、やはり気になるらしく眉をひそめた。思い出そうとしているらしいが、さすがに無理があるだろう。
「学生証とか持ってないの?」
ユーフェミアが近くの警官に尋ねた。彼は首を左右に振る。
「いえ……所持品はハンカチくらいで。いま、教官に確認を取っています」
そのほうが確実だ。フェナ・スクールは規模が大きく人数も多いが、実際はそうでもない。初等部から大学まであるので、多く見えるだけだ。1学年の人数は多くて150名程度。優秀なものが集まるので、意外と人数が少ないのである。
身元はそのうち明らかになりそうなので、リアノーラはかがみこんで遺体に下敷きにされている魔法陣を観察した。芝生に、白いペンキで描かれている。
「何の魔法陣だ?」
「さあ……」
わからない。召喚術の魔法陣に似ている気もするが、初めて見るタイプの魔法陣だ。もしかしたらオリジナルの魔法陣なのかもしれない。
魔法陣がかかわっているのだから、どちらにせよリアノーラはかかわっていたはずだ。魔術師は、それほどに少ないのである。
使われている文字は古代語だ。方陣の形は円の中に正方形などの模様が描かれているタイプ。一見して難しい魔術構成式で形成されていることがわかる、高度な魔法陣だった。
そして高度であればあるほど、解読は難しい。数式が複雑化し、計算が面倒だからだ。しかも、ある程度の魔術の知識がないと解読できないと来ている。リアノーラも解読できなくはないだろうが、時間はかかるだろう。
「……見たことないわね。召喚術に近い気もするけど、ほかにもいろいろ混じってる気がする。う~ん……」
リアノーラは首を傾けた。それから、おもむろに持っていた鞄から筆記用具とノートを取り出し、魔法陣を写しはじめた。現場写真は撮られたらしいので、少女の遺体も動かされる。それでも、血で隠れて見えない部分があった。
「うっわ。この時代に魔法陣か」
「エド、魔術師の前でそれいうんじゃないわよ。首絞めるわよ」
大学から駆けつけてきたエドワードに、リアノーラは辛辣に言った。エドワードはアルビオン国立大学、つまりフェナ・スクールの大学部に当たる学校の2年生だ。大学は高等部とは別の敷地にあるのだが、遠くはない。うわさを聞きつけてやってきたのだろう。
「で、何の魔法陣だ?」
何のためらいもなくエドワードはリアノーラに尋ねた。リアノーラは彼を振り返る。
すらりと高い長身に痩躯だがしっかりした体つき。金髪に明るいアクアマリンの瞳は切れ長。ナイツ・オブ・ラウンド第6席エドワード=リプセット。リプセット侯爵の息子である。剣の腕は現在のナイツ・オブ・ラウンドでは一番だろう。少し前までは彼より強い人がいたが、その人たちはいなくなってしまった。
「エド、魔術のことは私に聞けば全部わかると思ってるでしょう」
「わからないのか?」
「わからないわよっ!」
ふん、とリアノーラは顔をそむけて魔法陣を写すのを再開する。リアノーラは意外と短気だ。キレるのを我慢するすべも知っているが、エドワードだとなぜか理不尽に当ってしまう。暴力的行為に出たこともしばしばだ。まあ、リアノーラの力ではエドワードに怪我を負わせることはないだろう。魔術を使わない限りは。
「リア、学校、休講になるって。中等部も」
教官に話を聞きに行ってきたらしいユーフェミアが言った。リアノーラはあら、と声を上げる。
「ユフィ、せっかく出てきたのにね」
「別にいいさ。というか、エドワードはなぜここに?」
「ああ、うわさを聞いてちょっと気になったから」
「ふうん?」
ユーフェミアが腕を組み、眉を吊り上げてエドワードを見て、それからリアノーラに視線を移す。そしてうなずいた。
「なるほど」
「……」
エドワードが笑顔で固まった。ちなみに、リアノーラがこの表情で固まると、キレるのを我慢している可能性が高い。陰でサディストと言われているリアノーラは、キレると劇的に性格が変わるのである。
「よし。こんなものか」
ノートに描いた魔法陣を満足げに見て、リアノーラは言った。エドワードが彼女に尋ねる。
「そんなもの、どうするんだ?」
「決まってるわ。調べるのよ。魔術に関することなら私に回ってくるだろうし。私はナイツ・オブ・ラウンドだけど魔術師だから」
リアノーラはエドワードに微笑んだ。調べるなら宮殿の図書館だ。フェアファンクス家の図書室も充実しているが、国一の蔵書量を誇るのは、やはり宮廷図書館。閲覧規制があるが、名門フェアファンクス公爵家の次女にして、王女の娘にして、王位継承権第6位を持ちナイツ・オブ・ラウンドでもあるリアノーラにとってはそれは障害ではない。幸い、今日は休講になった。死体が見つかったから、当たり前だけど。
ここまで読んで下さり、ありがとうございます。
事件が起こりました。プライベートなことには首を突っ込まないのに、魔術がかかわると進んで首を突っ込むリアです。




