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風、選択のとき  作者: 片桐
本編
21/22

ACT.二十一  いつだって選択肢は

「……何をした、お前」


 一同がにわかに反応できない中、ポツリとトリガーがつぶやいた。

 振り返るBSの顔は、普段どおりの飄々としたそれに戻っている。


「ナニも。アイツが勝手に自滅しただけよ」


 ぽん、とT・Mを放り上げて、


「読風機を使用せずにT・Mを操ったから、風の流れが秩序を失い、局所的な強い暗流を巻き起こしちまったってワケ」


 落ちてきたところをキャッチし、肩をすくめる。


「T・Mは、挟間風を操れこそすれ、その風が『見えるように』なるわけじゃねェ。見えんものを操ってたら、そりゃ、自分だってその暴走に巻き込まれちまうわ」

「ということは、あの男は今頃……」

「ンー、生きてるかなァ? たぶん五体とも、バラバラに違う世界へ飛ばされたと思うぜ」


 さらっと告げられた事実に、局員たちの間から、声にならない声がこぼれる。戸惑ったような空気が満ち、ざわざわと浮き足立ち、けれど誰もBSを逮捕しにかかったり、フェルマータ一味を取り押さえようとしたりはしなかった。

 唐突な幕切れに、理解能力が追いついていないのか、指示を出してくれるトップがいなくなってしまったからなのか、理由はどちらかだろう。

 トリガーが、黙とT・Mを見比べて、苦々しげに言う。


「そういうことか」

「?」

「貴様だけがT・Mを使いこなせると噂される、理由が知れた。その物質は、読風機と併用せねば自らの身を危険にさらすもの。そして……黙佐内、貴様は読風機なくとも、『風読み』の出来る男だったな」


 ニヤ、と黙は笑った。魂の好敵手にでも出会ったような表情だ。

 同時に、上空で事態を眺める和音は気付く。管理局に追われて逃げるとき、世界から世界へと移動したとき――黙は、T・Mを発動させるさい、読風機の「と」の字も使っていなかった。必要なかったのだ。彼は機械に頼らずとも、風の流れを読み解くことが可能だったのだから。


「ご明察、キャプテン! ふっふっふ、とうとう俺の秘密を暴いちまったねェ……」


 黙が大仰にカッコつけて首を振るものだから、トリガーはむすっと半眼になった。


「氷山の一角程度で、戯言を。貴様に聞きたいことは他にいくらでもあるのだぞ。あの音はなんだ。みずから手を切って何をした。T・Mの正体は。お前と何の関係がある?」

「そんなに俺のことが知りたいのかァー、まいったねェー、モテる男は辛いぜ~」

「白々しく誤魔化すなカニ頭!!」


 ぼやきが一蹴され、わっと身をすくめた彼は、話題を転換するつもりか、T・Mを装着する。


「ンまあ、つまらん話はアトにしようぜ。今すべきことは、他にある」


 腕を差し出す。ふぉ、と風が生まれた。グラーデルが使用したときと違い、柔らかくて大人しい。傷だらけの甲板の一角に、歪む暗流があらわれ、転がるように一人の人間が出現する。


「あ!!」


 和音と兵衛は一緒に叫んで、即刻、グライクを急降下させた。甲板近くに来ると、落ち着いて停車させる暇すら惜しんで、兵衛はこけつまろびつ飛び出し、和音も一拍遅れで追う。

 ずがしゃっ、と横倒しになってしまったグライクなんて、些細なことだ。何故なら、駆け寄った先にいるのは。


「このさんッッ!!」

「近衛ぇ!! おまっ、ばかやろ、心配させんじゃねーよ!」


 乱暴に目元をぬぐって、兵衛の手がめちゃくちゃに近衛の頭を撫でた。わわわ、と少々慌てる近衛は、甲板にしりもちをつきながら、それでも顔を上げると、嬉しさ半分、申し訳なさ半分の笑顔を見せる。

 ちょっといなくなっただけだというのに、その暖かい表情が無性に懐かしくて、へたっ、と和音も座り込んでしまった。


「よかった……このさん、なんともありませんでした?」


 近衛は自分の胸に手を当て、ウンウンうなずく。今度は兵衛がその首に腕を回し、


「あーもー!! 油断するなって言っただろ? マジで一瞬、心臓が止まったぞ! いいか、俺が心臓麻痺で死んだら、お前のせいだからな」


 と、ぎゅうぎゅうヘッドロックをかましながら、よく分からない論理をぶつけた。言葉と行動は乱暴だが、それだけ彼の安否に不安を抱いていたのが、まる分かりである。

 近衛はされるがまま、何度も大きくうなずいて、彼なりに心から謝罪の意を表した。

 その様子を満足そうに眺めながら、黙の腕が掲げられる。


「はてさて、まだ帰るべき奴らはたくさんいるさ!」


 風が吹く。次々と空中やデッキに暗流が現れ、そこから面白いように人が排出され始めた。使い古された表現だが、フィルムのまき戻しを見ているかのよう。ばばばっと赤銅グライクが出てきて、トリガーが息を呑み、あの、飛ばされたはずの赤髪の局員まで、もとの場所に忽然と現れるものだから、十三号船の副長は驚嘆の眼差しをBSへ向けた。


「どうして――何故、こんなことが!? 暗流に呑まれた者が戻ってきた……!」


 注目される黙は実に楽しげである。


「簡単至極、お茶の子さいさい。どの世界への暗流に飲まれたか、風の流れを記憶していただけよ。それさえ覚えときゃ、またコッチに連れ帰ることは難しいことじゃない。OK?」

「『記憶していた』……!? ま、まさか、こんな、たくさんを!?」

「おーやおや、アンタ、俺を誰だと思ってる?」


 風を読み、風を操り、風と共に生き続ける定めの男は、愉快そうに笑った。


「俺は――――BSなんだよ」






 その後、グラーデルの起こした暗流に飲み込まれたものは、黙の手によって、七割方無事の帰還を果たした。

 残念なのは、無作為に飛ばされたとはいえ、残りが運悪く、死の世界に運ばれてしまっていた点だ。それを戻すことは、いくらBSといえども叶わない。少しだけ渋い表情を見せる彼に代わり、腕を組みながらきっぱりと断言してのけたのは、なんとフェルマータの船長だった。


「T・Mがなければ、七割すらも生還は出来なかったろう。亡くなった者、受けた損害、共に当初の取引では不釣合いなほど、多大な痛手を受けた我らであるが……暗流に飲まれた者を救ったのが貴様であることに、代わりはない。それに免じて、今回は何も言わないでおいてやる」


 間賊最強の船の長は、どこまでも潔くあるようだ。そうしてトリガーは、本当に何もせず、すみやかに黙たちの前から姿を消したのである。

 唯一、去り際に外套をはためかせながら口にした一言には、本音がこもっていたようだった。


「貴様との共同戦線は二度と張らん。こちらの精神衛生に障りがある。……次に会うときは容赦せんつもりだ、心しておくがいい」


 そのBS一味と和音は、管理局側が我に返らないうちに、早々にT・Mで逃亡を決め込んだ。

 ただ――これは気のせいなのかもしれないが、彼らの前から消える直前、副長とおぼしき人物が銃を構える部下たちを押しとどめ、さらに、あの赤い髪の彼までも、和音の方を見て一瞬だけ笑顔になっていた。もしかすると、逃走は出来て当然のものだったのかもしれない。


 そして、ついに。浮島ムウは、和音の世界へ通ずる本流と、無事の邂逅を果たしたのだった。


「……ここで見ているだけじゃ、どれがそうなのか、まるで分かりませんね」


 フェルマータの攻撃により、すっかり荒れてしまった庭先に立ちながら、和音は背伸びをした。レーダーによると、この先に元の世界への本流があるというが、素人目には何が何やらだ。


「目には見えなくとも、風はそこにある。ひとつに見えても、無数に存在する。――選択肢と同じさね。見る術を知った者だけが、発見できる仕組みなのよ」


 片手をポケットに突っ込み、もう片手でコインをいじりながら、黙がそんなことを言う。背後には双子もひかえていた。

 彼らを見渡し、和音は、ペコリと頭を下げる。


「今まで、色々とお世話になりました」


 顔を上げると、兵衛と視線が合う。彼は少しだけ、寂しそうに頭をかいていた。


「やっぱ帰っちゃうのか。――ま、お前こっちに来てから、ひでえ目にあってばかりだもんな」

「そうですねえ。風に飛ばされまくり、牢屋に二度入れられ、賊あつかいされて、怪我をし、最後なんか腕斬られそうになりましたからね」

「………帰って当然だわ」


 ひきつる彼の様子に、くすっと笑う。でも、と言葉を続けた。


「最後にはこうして無事でした。結果よければすべてよし、ですよ。ひどい目にもあいましたけど、それに負けないぐらい、楽しいことや学んだことが多かったです」


 二の腕に目を落とすと、近衛が丁寧に巻いてくれた包帯が見えた。その先、つるりと何もない手首が、少しばかり慣れない自分に気付く。挟間に来てからずっとくっついていたT・M。外れてしまった和音に、もはや、ここに居るべき理由はない。

 残念じゃないと言えば嘘になる。散々大変な目に合っておきながらなんだが、世界唯一の存在が手元からなくなるというのは、ごく自然な寂しさをもたらした。きっと昔の自分ならば、それが悲しくてたまらなくて、しばらくはどんより落ち込んでいたに違いない。


 今は……そうではない。T・Mなどなくとも、誰もがうらやむような特権などなくとも、心は穏やかだった。ちぇっ、取れちゃったのかあ、残念。その一言で片付いてしまう。

 選択肢を選べたからだ。そう、思った。船の上での土壇場、自分は確かにはっきりと選択肢を選び、グラーデルに飛び掛っていた。それが今の良い結果に繋がっている。身体のどこも失うことなく、もとの世界への帰還が叶っている。

 振り返ると自分の選び取った選択肢が見えた。些細なことかも知れないが、それらは確かな存在感を持って、今の和音に「自分で自分の人生を作った」という自信を与えてくれていた。


 特別な力など、なくていい。すごい奇跡など、起こらなくていい。

 しっかり選ぶだけでいいのだ。それだけで、自分は「自分」であり続けることが出来る。


「……だからこそ、帰らなくちゃ、って思いました」


 顔を見合わせる双子のそばで、黙の目は静かに和音に向けられている。


「私は、いったいどんな道を選ぶべきなのか……きちんと考えたんです。感情に任せるまま選んで、後悔したくなかったですから」


 選択肢の先が、どこへどう続いているのか、落ち着いて考えをめぐらせた。自分に出来ること。出来ないこと。見極めて結論を出した。

 真っ直ぐ前を向き、笑う。


「自分の世界に帰ります。そこで、ちゃんと自分の人生を生きてみたいんです」


 チィン、弾くコインを見上げて、黙は言った。


「それがアンタの選択かい?」

「はい」

「迷いは?」

「ありません」

「生き抜く自信は?」

「あります」

「絶対に?」

「『誓ってイエス』です!」

「――GREAT(グレイト)!」


 盛大に指を鳴らして、それを合図に近衛が一歩進み出た。和音の前へ立つと、両手をそろえて差し出す。鎮座しているものに、えっ、と瞠目した。

 銀の長い鎖。先端につけられた、黒い星のアクセサリー。


「ペンダント……私の?」


 信じられなかった。管理局に発信機を仕込まれたため、黙と世界中を移動しているとき、誰か見知らぬ人物へと押し付けたはずなのに。

 兵衛が破顔する。


「もちろん本物じゃねーけどな。お前が持ってた奴を真似て、近衛とで作ったんだ。どう?」

「そっ……そっくりというか、まったく同じデザインですよ、これ!」

「ははっ、ならよかった!」


 前髪を掻き揚げて笑う兄に代わり、近衛がわざわざ、和音の首につけてくれた。


「すごい……ありがとうございます、このさん、ひょうさん!!」


 心からの感謝を述べる。双子はそれぞれの表情で微笑んだ。兄は明るく、弟は穏やかに。


「……実は俺からもひとつ、提案があるんだがネ」


 今度は黙が進み出る。

 挟間に来てから自分を翻弄し続けた間賊の顔を、和音は少しだけ感慨深く見上げた。


「最後の記念に、賭けてみねェか?」


 表が星、裏が文字になっているコインを突き出される。こんなときでもペースを崩さない彼の様子に、普通なら怒るとこだが、今はつい苦笑してしまった。きっとそれは、すべてが終わって、心に余裕が出来たからだろう。


「構いませんけれど。……何を賭けるんです?」


 まさか、このタイミングでトイレ掃除を賭けることはあるまい。何をするのだろうかと小首を傾げたところ、レモンイエローの瞳が、嫌な光り方をした。


「アンタに別れのキスを贈るか、否か」

「え」


 こちらが石化したのを見計らって、宙に放り上げられたコイン。きらめきながら回転する。目で追って、ポトンと地面に落ちれば、すかさず足が上に乗せられた。


「表か、裏か?」


 脊髄反射で叫んだ。


「オモテ!」

「ウラ」


 交錯するふたつの視線、和音はぐっと口を引き結んで、黙は口の端だけを上げた。

 もったいぶるように、ゆっくり足がずらされる。どう考えても焦らしだ。期せず息を詰めて、和音の身体はだんだんと前に乗り出し、それでもまだ端っこすら見えてこない。

 オモテの星マーク。ウラの文字だったらおしまいだ。オモテ。オモテであって欲しい。星が見えないか……!!

 やっと金色のものが現れて、刺すような光が目に触れた瞬間、急に腕を引っ張られた。


「わ!!」


 叫びは一言で留められ、代わりに額へ触れたのは、何かしら暖かいもの。後頭部に回されたのが黙の手だと、目の前にあるのが逆さ星のチョーカーだと、崩れたバランスを取るためにとっさに捕まえたのが彼の上着と気付いたのは、ちゅっ、と音を立てて彼の顔が離れた後だった。


 ――きょとん。


 擬態語そのままにすくむ和音を尻目に、オレンジ髪の間賊は、最高の笑顔を浮かべた。


「俺のしょーり♪」


 ついで、和音の顔が赤面大噴火する。


「ずずず、ずるするなんて、どういうつもりですかッ!」

「チッチッチ。俺はズルなんてしてねェな。ほぅれ、見てみろって」


 パッ、と足をどけ、地面を指差す。コインに書かれているのは文字、つまり……ウラだ。まじまじ見つめるが、どう見たってウラ以外の何者でもない。

 なぜ彼は足をどける前から、ウラが出ると分かったのだろう? 答えはすぐ、本人の口から飛び出した。


「いつだって選択肢はひとつじゃナイって、言っただろ?」


 悠々とコインを拾い上げ、眼前で掲げてみせる。

 ウラ。くるっとひっくり返してみれば、そこにあるのは星――ではなく、びっしり書き込まれた文字、文字、文字。


「コインにゃ必ずウラとオモテがある、なんざ偏見さ。オモテしかないコインもある。ウラしかないコインもある。選択肢はそうやって広げていくモンなのよ。OK? 子リスちゃん」


 ぴっと人差し指を立てながらの、勝ち誇った黙の言葉が、和音の最後の逆鱗に触れた。


「こッ………このイカサマ黒星男――――っっ!!」

「ぎゃー!」


 渾身の力で人を張り倒すのは、これが二度目の経験である。





EPILOG





「ただいま~」

「お帰りー……って、あれ? 和音?」

「ああ、お姉ちゃん、帰ってたんだ」

「ああ、じゃないだろさ。あんた、図書館に行くんじゃなかったの?」


 すぐ上の姉に不思議そうな視線を向けられ、和音は軽く笑った。


「途中で止めたんだ。暇つぶしに行くだけだったし、それぐらいなら、もっと有意義な選択肢を選ぼうかと思って」

「ふーん……??」


 腑に落ちていない風のあいづちを打って、それから彼女は、妹の様子に首をひねる。


「なんか――変わったな」

「そう?」

「うん。なんだろ。一概には言えないけど、どことなく雰囲気が違う」

「――まぁ、色々あったからさ」


 靴を脱いで家に上がる。姉はますます眉間にシワを寄せた。


「腕。――それ、何したんだ? 怪我?」


 包帯を巻いた二の腕を指されるから、うん、とあっさり肯定した。


「流れ弾に当たっちゃったんだ。もうほとんど治ってるけど」

「……は?」

「そうだ、結局カバンもなくなったんだっけ。新しいの買わないと」

「ちょ、和音」

「あー、携帯電話もだ。忘れてた。とほほ、結構損失の大きい旅だったんだなあ」

「旅って、何、何のこと言ってんの? さっぱり意味不明だよ、頭でも打った!?」


 頭の上に大量の疑問符を浮かべる、彼女の隣を通り過ぎて、階段に足をかけた。

 途中で振り向き、にっこり笑う。


「ちょっとした、自分探しの旅から帰ってきたんだ」

「…………はあー……??」


 わけが分からないとばかりに上げられた変な声を背中で聞きつつ、和音は自分の部屋へと入った。後ろ手にドアを閉めると、天井を見上げて、ふ、と小さな微笑をもらす。

 首に下げられたペンダントをまさぐった。ちゃらりと鳴る黒星。指を滑らせればはっきりと感じられる、そのデザインが嬉しかった。一段と突き出た先端部が、真っ直ぐに足の方を向いている――逆さの星の形。

 深い意味があるのか、ないのか、正確なところはわからない。わからなくて、充分だと思う。

 このペンダントが和音の手元にある。動かせぬ事実以外に、余計な言葉などいらなかった。

 ぎゅっと握り締める。山羊座の運勢最高潮。今日のラッキー・アイテム。


 今度はどこで彼らに会えるのだろう? 気さくに笑うあの兄は、ひょっとしたら雑踏に紛れて、歩いているのかもしれない。物静かに本を読む弟は、図書館にひょっこり、いるのかもしれない。それともあの、一筋縄でいかない黒星が、突拍子もない手段で風のごとくあらわれ、和音の怒りを買うのかもしれなかった。

 二度と会えない? ……そんなことはないと確信できる。どんなことが起こるか分からないのが世の中だ。和音がこれから先、選択する道に、彼らが関係していないと断言できる根拠は、これっぽっちもありはしない。


 そう。いつだって選択肢は、ひとつではないのだから。

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