ACT.二十 風を統べるもの
ざわつく戦場の中、対峙するグラーデルと黙の間でだけは、静寂が満ちているようだった。和音も、兵衛も、近衛も、トリガーさえも、瞬きひとつせず二人を見ることしか出来ない。
グラーデルはゆっくり手の中のT・Mを見下ろすと、しみじみとつぶやいた。
「……運命とは、こういうものだよ。何をせずとも、落ち着くべき場に落ち着くもの……」
「誓ってノー」
険しい表情ですっと直立し、腕の伸縮剣を構える黙。
「俺は自然の偶発を信じない。そう見えるだけって話だ。すべてはひとつひとつの生命体が、それぞれの選択肢を選んだ結果。導き出されて当然の答えなんだよ」
剣が奔った。うなりを生じてグラーデルに襲い掛かる。彼は避けようとはせず、代わりにT・Mを握り締め、お守りのように前に突き出した。
突風。T・Mを中心に、床から目覚しい勢いで竜巻が立ち上り、黙の繰り出した剣の軌道を大幅にそらせた。それは、並々ならぬ強さの風で、周りにいた局員たちすらバタバタ倒され、余波は和音のいる上空まで及ぶ。撃ち合いをしていたグライク群も巻き込まれてしまい、乱れた気流が、連鎖反応的にあたり一体の挟間風をかき混ぜ始めた。
「うわっ……!」
兵衛の叫びと一緒に、グライクが風のあおりを食らって、大きく浮き上がった。振り落とされそうになった和音を、慌てて近衛が捕まえる。
やにわにトリガーの怒鳴り声が響いた。
「止めんか、うつけ者!! T・Mは貴様ごときにあつかえる存在ではない、部下もろとも死ぬつもりか!! 今すぐ風を止めろッ!!」
髪の毛が逆立つほどの怒りようだった。ガン、とブーツで床を蹴る、彼女の言葉にグラーデルはゆるりと首を振る。
「これはいずれ、管理局で公的に使用する日がやってくる。……悪いけれど、いい機会だから、君たちで効力をためさせてもらうよ」
言うや否や、T・Mから風という名の刃がほとばしった。
「がっ!」
「ぐわあっ!!」
……その場にいた誰もが、一瞬、何が起こったのか分からなかった。
叫び声だけを残し、空を飛んでいたフェルマータのグライクが、跡形もなく消えてしまったのだ。氷のような動揺が満ちる中、飛んだのは黙の鋭い声。
「暗流だ!! 気をつけろ、異世界に飛ばされるぞ!!」
恐怖の鎖が、みなを縛り上げた。挟間においてもっとも恐ろしいもの――それは、未知の世界への本流に飲み込まれること以外、ない。
言葉にならない悲鳴と叫びを混ぜ込んで、風がどっと間賊たちに襲い掛かる。息も出来ない強風。いたるところで歪みが口を開け、アッという間もなく人を飲み込み、物をかじり取り、暴風を噴き出しては、次々とその場にある存在を別世界へと飛ばしていく。
「うわあああ!」
一人の局員が叫んで、かと思うと歪みに取り込まれた。赤髪の彼だ。船長に意見した人物。さすがにぎょっとして、副長がグラーデルに声をかける。
「せ――船長! これでは我々も危険です、どうか風を収めてください!」
だが、彼の返答は実に無慈悲なものだった。
「………局員は巻き込まないよう、なるべく気をつける」
「ですが! 危ないことに代わりはありません、止めてください!」
「うん。確かに、少しばかり制御が難しいから、ひょっとすると巻き込んでしまうかもしれないけれど……でも、間賊たちを消してしまうことが先決だからね。多少はやむを得ないよ……哀しいけれど」
「船長……!!」
愕然とした彼の言葉も、もはやグラーデルに届いていない。いっそう風が強さを増し、暴れ、船の上が阿鼻叫喚地獄と化す。
和音たちは必死だった。荒れ狂う風を何とか読み取ろうと、兵衛が死に物狂いでハンドルをさばき、後ろで近衛が、腕につけた読風機のアンテナを長く伸ばしている。
ジジ、とアンテナがぶれ、読風機の画面に、ばばっと数字が現れた。
「ひょうさん、来ます!」
「くっ!」
歯を食いしばって、兵衛がグライクをぐぅんと沈み込ませる。とたん、今までいた場所にあの歪みが現れた。ぼやぼやしていたら、三人まとめて異世界送りだったろう。
和音はいったん息を吐き出したが、次の瞬間、サッと近衛が青ざめたので、安堵してもいられなくなった。
「うわ、み、みっつ! 次、みっつも現れますよ、暗流が!」
「っちっくしょおお、『ジェミニ』をなめんじゃねー!!」
浮かび上がってひとつをかわし、側転していまひとつをかわす。待ち構えたように、前方に歪みが口を開けた。思わず悲鳴を上げる和音だったが、兵衛は思い切りブレーキをふんで、横の風の流れに乗るように大きくUターンしてみせた。
「すっ……すごいです、ひょうさん! さすが!」
「はあ、はあ、はあ……し、死ぬかと思ったぜ……」
「――あ! わわ、また来ますよ、しっかり! 頑張って!」
「……お前、何気に鬼だよな……」
だが、ぼやく余裕のある和音たちはまだいい方だ。三人が同時に仕事をこなせるため、間一髪で暗流の魔の手から逃れられている。
フェルマータの一味は、そうはいかなかった。ひとりで読風機を読み、ひとりでそれをかわすのは、困難を極める。結果みるみるうちに歪みに飲まれ、空を飛ぶ赤銅グライクの数は減りに減り続けた。
先ほどから、黙が何とかグラーデルに近付こうとするものの、風に、あるいは暗流に阻まれ、上手く進めていない。トリガーも同じだ。結果的に、事態は一進一退極まるものになっている。
「やはり素直に暗流にのまれてくれるほど、二人は甘くない……か。作戦を変えよう」
ふっ、とグラーデルの瞳にかげりが降り、T・Mを握る手に力がこめられた。
「え?」
和音はパチクリする。急に、周りを流れる風の雰囲気が変わったのだ。荒々しさがなくなり、それどころか、だんだんと静かになっていく。兵衛も不思議そうに瞬いた。
「……? 風が止んだ……?」
それを聞くなり、黙が音を立てる勢いで全身を強張らせた。
「逃げろッ!! 駄目だ、そこからすぐに離れ―――」
と、言い終わらないうちに、一筋の風が矢のように飛んできて、和音のすぐ傍を通過した。
「!」
息を呑んだ近衛が、何もしていないのに勝手に浮き上がる。風に絡め取られ、まるで、グライクから引き千切られたかのようだ。えっと思って振り返る先、目を見開いた彼は、手をこちらに伸ばそうとした格好のまま……ふつと消えた。
「このっ――」
このさん。
叫ぼうとした口が凍りつく。完全に凪いだそこで、ただ、音もなく近衛だけがいない。蒸発した湯気が消滅するみたいに、ごく自然に掻き消え、消滅していた。
自失の間が空く――
「…………ッッ!!」
言葉に出来ない咆哮と共に、和音の乗せたグライクが猛スピードで走った。腰の銃を抜き放った兵衛は、グラーデルめがけて、弾丸のように突っ込んでいく。
「お前……っ、許さねえ……ッ!!」
血を吐くような叫びだった。当然だろう。二十三年間ずっと一緒に生活してきた弟を、目の前で奪われたのだ。
悲しみ以前に和音の心も、グラーデルに対する怒りで支配される。焼けた石でも飲み込んだみたいに内腑が狂おしい。神村近衛。このさん。どんなときもニコニコと優しく微笑んでいた彼が、こんなことで無残にも消えてしまうなんて。
「人でなし……っ!」
浮かぶ涙に構わないで叫ぶと、
「グラーデル!!」
騒がしい空間を、一直線に斬り裂くような、強い声が響いた。
和音はドキッとしたし、トリガーや、呼ばれたグラーデル本人でさえも、ぎょっとなってひととき動きを止める。
自然と視線が集まった。甲板の上で、すっくと立つ――黒星の男へと。
「…………もう、止せ」
ささやくように低い声であるはずなのに、和音のいるところまで聞こえる。感情を押し殺したそれは、普段の彼とまるで違う声質で、浮ついていたはずの印象すら鮮やかにくつがえした。
張り詰めた空気。凍える瞳。永久凍土のように底冷えする、「無」の恐ろしさとでも言おうか。
挟間に生きる間賊、BS――その本当の姿を、垣間見た気がした。
グラーデルは目を細めて、たたずむ彼を見つめている。
「ようやく本気になったみたいだけど……でも、既に遅いよ。君は負けたんだ。その運命はここで消える。……残念だけれど、ね」
聖なる証のようにT・Mを掲げた。風が発生する。いよいよBSを飲み込むための暗流を、生み出そうというのだ。
黙は眉ひとつ動かさずに剣を伸ばし、そのまま、ビッと自分の手の甲を斬った。赤とは少々違う――そう、どこか夕焼けの空にも似た色の血が、一筋、つぅっと流れ落ちる。
ヒイイイイイィィィ……ン――――――
「ん……!?」
「え?」
「な、何?」
局員、賊、どちらも騒然となった。不思議な音が、挟間中に満ち始める。高く澄んで、どこまでもすがすがしい。山奥の冷涼な清水を、結晶化してぶつけあったような感じだ。ひっきりなしに鳴り響いているのに、ちっとも不快ではない。
そして、グラーデルに異変が起こるまで、さしたる時間はかからなかった。
「ぐっ……!?」
呻いて体を折る。T・Mから急速に風が吹き出ていた。決して広範囲ではない。竜巻のように彼の周りをぐるぐる回り、勢いを増し、それにともないあたりを暴れていた風がおとろえて、最後には、すべて消え去ってしまう。
足が浮いた。男の体が、ゆっくりだが確実に上昇を始める。T・Mから生じる風の流れに、持ち上げられているようにも見えた。異様過ぎる光景に、局員たちは怖気づき、一歩、また一歩と彼から離れていく。
黙が対照的に歩み寄って、冷たい目で見上げた。
「極限状態になってこそ、生物は真価を試されるモンだ。アンタの場合は、どうだろうな?」
目の前まで来て、血の流れる手を掲げると、いっそうの風がT・Mからほとばしる。
「部下のためを思うトリガー。即刻弟の仇を取ろうとするひょう君。どんなときだろうと他人の命を優先させる和音君。――アンタ、彼らみたいになれるのかい? アンタには彼らみたいに、自分の身が危ないとき、必死になってくれるヤツが仲間としているのかい?」
「な、何、を……BS……君は一体、何を……!?」
ぜえぜえとあえぎながら、グラーデルが苦しげな声を絞り出す。身体を取り巻く風の勢いは留まらず、それどころか次第に速くなっていて、ビ、と服の一部が裂けた。
いてつく眼差しのまま、黙は、彼にだけ聞こえる声で話す。
「召喚魔法を使うアンタなら分かるだろ。生物の血には、何より強い力が宿る。そして生物は、自らの体を構成するモノ、ひいては自らの所有物と、強く呼び合う性質を持つと」
「そ……れは……それを、生かした魔法が……召喚、だ……」
少女を召喚できたのは、ハンカチが彼女の持ち物だったからね、とつぶやいて、にわかにグラーデルは、ぎくりと顔面筋肉を引きつらせた。
「まさか……っ……さっきの音は……自らの構成物へ対する呼応の……? 馬鹿なッ……! だとすれば、君は……君とT・Mは……!!」
「挟間とは未知なる場所、死と生が交錯する在り方の異なる世界だ。……アンタの知らないような事実は、いくらでも眠ってるのさ」
突き放すように言った矢先、ごあッ、と風が牙をむいてグラーデルを襲う。それは目視できないほどの速度で周囲をめぐり、だから呆然と事態を眺める者たちは、グラーデルがどんな目に合っているのかすら知ることが出来なかった。
ふたつだけ。かろうじて認知できたことと言えば、荒れ狂う風の音に混じり、何かが引き裂かれるような音がしたのと。
「………君は――ナニモノ――なんだ……っ……!!」
というのが、グラーデルの末期の台詞であったこと。それだけ。
ぎゅるぎゅると高速回転する風の塊を眺めながら、ふ、と黙は肩をすくめた。不思議と寂しげな声だった。
「挟間四天王……それ以上でも、以下でもナイね」
はためくような音ひとつ。現れたときと同じぐらい唐突に、風の塊が消えた。そこにはもう、誰の姿もない。ただ緑色の風が、いつもと変わらぬそっけなさで流れているだけだった。
否、何かが銀色に輝いた。風を反射しながら落下するそれは、ちょうど差し出した黙の手の中に納まる。先ほどまで暴走をしていた謎の物質――T・M。
「お帰り」
自分の半身にでもめぐり合ったかのごとき表情で、BSは静かに瞳を伏せると、そっとそれに口付けたのだった。




