ACT.十九 運命の帰結
「誰か、剣を持ってきてくれない?」
平然と指示を下すグラーデルの声が、ガンガンと頭にこだました。
夢ならそう教えて欲しい。さっきの言葉が聞き間違いであることを願いたい。嘘だ。こんなことは嘘だ、ありえない――。
愕然とする和音を、彼はいともたやすく部下の方に押しやる。忠実なる有能な部下が、ひとつうなずいて、さっと素早く船の奥に引っ込んだ。
何のために? ……腕を斬り落とすものを持ってくるために、決まってる。
その瞬間、和音の身体を途方もない恐怖という魔手がわしづかんだ。
「嫌――……ッ!!」
暴れた。とにかく暴れた。あらん限りの力を込めて、手足をめちゃくちゃに振り回した。押さえ込みに来た局員を、ひとり蹴飛ばし、ひとり頭突きし、ひとり殴ってまで、忌まわしい拘束から逃れようと必死になった。
T・Mを外すために腕を斬り落とすなんて、常軌を逸している。異常だ。どれだけこのグラーデルという男は、世界平和という形骸化した言葉に目をくらまされているのだろう!
文字通りの命がけの抵抗に、てこずる局員たちを見かねて、その当人が手を伸ばしてくる。
「そういうときは……こうするんだよ」
左腕をつかまれた。直後、串刺しにされたような凄まじい激痛が走り、悲鳴を上げてのたうつ。あろうことか彼は、以前和音が負った傷痕に、全部の指の爪を食い込ませたのだ。
ムウに滞在中、近衛が丁寧に治療してくれたおかげで、既に傷口はふさがっていた。しかし、完治には程遠かったし、一片の慈悲なくえぐられた今、傷からはおびただしい血が流れ、その何倍もの痛みが和音の意識をずたずたに切り裂いている。
「和音……っ」
つい身を乗り出した黙の、足元にチュインと局員が銃を放った。動くな、という威嚇だ。
グラーデルは――BSに一瞥をくれただけだった。
彼が腕を引けば、どうしようもなく引きずられる。神経に噛み付く痛みが膝から力を奪い、どさ、と崩れ落ちた。脂汗が流れて、目が霞む。熱いのか痛いのか、もう分からない。
すぐさま局員たちの手によって、左腕が真っ直ぐ伸ばされた。さながら神に差し出す生贄のように、グラーデルの前へと用意されてしまう。
仁王立ちし、部下に手渡された剣をすらりと抜くグラーデルを見上げる。視線が合っても、彼は表情ひとつ変えない。ただ、型どおりの憂いを帯びた眼差しでい続けるだけだ。
――このまま うでを うしなうのだろうか――
挟間風を反射し、きらりと光る白刃によって、この左腕は切り落とされてしまうのだろうか。真面目に考えたら嗤えてきた。
奇妙な世界に来たばかりに。T・Mが外れなくなったばかりに。局員を助けたばかりに、身体の一部を失くすなんて、嗤うしかない事態ではないか?
剣が振り上げられる。助けは来ない、来るはずない。目からこぼれた涙だけが熱くて、ああ、それがきっと最後の正常な感覚になってしまうんだろう――…………。
「待ってくださいッ!!」
聞き慣れない声がした。グラーデルの動きが止まり、局員たちが横を向き、は、と和音も首をめぐらせる。
浴びる複数の視線におどおどしながら、ひとりの若い局員が立っていた。あの、とか、その、とか言いつつ、自分の帽子を両手で握り締める。軽くうつむくその姿に、ふと、和音は記憶の扉が刺激されるのを覚えた。
「!」
赤い髪。思い出した。フェルマータと戦闘中、負傷して和音の目の前に落ちてきた彼だ。管理局に召喚される原因となったハンカチで、傷口を押さえてあげたときの人。足に包帯を巻いているので、間違いない。
「……何か、あるのかい?」
剣をおろし、グラーデルは少々不審そうに眉をひそめた。赤髪の彼はびくっとしたが、それでも引き下がらず、船長を見返す。
「あの……その人の……腕を斬るのは、止めていただけませんか……?」
局員たちにどよめきが走る。和音も思わず息を呑んだ。
グラーデルだけがひとり、物悲しそうな視線を注いでいる。
「……何故?」
「だって、ええと、その人……俺のことを助けてくれました……」
「それで?」
「い、いい人だと思うんです! だからキャプテン、切断するのではなく、別の方法でT・Mを外してはいただけませんか?」
この状況で、その発言は、船長の意向を阻んでなお余りある。なのに彼は、必死にこちらのことを弁護してくれているのだ。さざなみのような動揺が局員一同をとりまき、頼み込まれた船長は、ふう、と疲れたように目を閉じる。
「『いい人』は間賊にはならない。あの時の彼女は、船から逃げようと必死になっていた。君を助けたのもすべて、自分の身を守るためだったんだよ。……哀しいけれど」
「お――俺はそうは思いません! 本当の間賊であれば、俺を見捨てて行ったはずです。わざわざ助けるはずがない!」
「……君はまだ、若いからね。大人の世界は、そんなに生易しくはないんだよ?」
「でも! 俺にとってこの人は、命の恩人なんです……!」
あくまで食って掛かる彼に、グラーデルは諭すような口調で語りかける。彼が投じてくれた一石は、局員全体に広がり、そこかしこで、ひそひそ小声で話し合う者たちがあらわれた。
――――いつだって。
不意に、和音の頭で誰かの声がした。
うながされるように横を見る。腕を押さえている局員は、船長と赤髪の彼とのやり取りを眺めており、こちらに注意を払っていない。
――――選択肢は。
足の親指に力を入れる。ぐ、と動くのが分かった。傷口はまだ、火山でも噴火しているみたいに痛いものの、それを凌駕する強い「思い」が心に満ちるのを感じる。
怪我を負った局員を助けるという選択肢を選んだのは、自分だ。ひとつ選んだそれが、次なる選択肢を発生させるのなら、たとえ一度はハンカチで召喚という悪い結末を迎えたとしても、他の道は残っているはずである。何しろ、世にあふれる選択肢というものは。
――――――ひとつじゃ、ナイ。
甲板を蹴って、グラーデルへ風の塊のように勢いよく体当たりした。赤髪の彼と話していた彼の、隙を突いた形だ。ふたりはもつれ合って倒れる。傷口を押さえて転がり、和音はそのスピードを利用しながら立ち上がると、痛みをこらえて一気に黙たちの方へ走った。
「――っ、逃がさない!!」
飛び起きたグラーデルが、宣言しざま、ばり、と手に怪しい光を宿す。しかしすぐにハッとすると、素早い身のこなしで体をそらせた。
長い長い、銀色の槍のようなものが、彼の眼前数センチを通過して、宙に大きな弧を描いた。生き物のようにうねり、たわみ、しなりながら突き進む、鋭利な刃物。
甲板の真ん中、その伸縮自在な剣がついた篭手を突き出しながら、黙が口の端だけで笑う。
「させるかよ」
最大限まで伸ばした剣を、振り上げ、振り下ろした。狙うはいまだデッキに突き刺さっている電撃棒だ。澄んだ音ひとつ立てて、棒は黙の武器によりあっけなく斜め斬りされる。ずり落ちる。近くにいた局員がわっと逃げて、それで、和音を追いかけるのが一歩遅れた。
「…………上見ろ、上――!!」
タイミングよく兵衛の声が空から降ってきて、顔を上げた瞬間、和音の体はすわっと浮いていた。足がみるみる甲板を離れる。あっけに取られる局員たちの上を飛び越え、軽いエンジン音と共に、手の届かない上空へと舞い上がった。
「やるじゃねーか、和音!!」
こちらの腕と腰をしっかり捕まえながら、兵衛が、我がことのように喜んだ。足だけで自重を支え、グライクから大きく身を乗り出しているのだ。手を頭に置かれ、
「いざってときは、ちゃんと行動できる奴なんだな、お前! えらいぞ。痛かっただろうに、よく頑張ったな……!」
なだめるように優しくぽんぽんされるものだから、痛みと違う意味で涙腺が緩みそうになる。無我夢中だった、怖かった、恐ろしかった、必死だった、でも……上手くいってよかった。運転をしている近衛も、操縦の合間、器用に振り返って穏やかな笑顔を見せてくれた。
下で、グラーデルが叫ぶのが聞こえた。
「――馬鹿な! 黒いグライクに注意しなさいと、先ほど命令したはずなのに!!」
近くにいた部下が、汗をふきふき、
「も、もちろん我らは、ずっと目を離さずにいまし――」
と言いさして、アッと叫ぶ。空を指した。
「船長! ジェミニの乗っているグライクが、いつの間にか白色に変わっています!!」
「っ……!」
兵衛に、グライクの上に引っ張り上げてもらいながら、和音も確かめた。闇色だったはずの機体が、管理局のそれと同じ白に変わっている。
「はっはっはぁ!! どーんなモンよ」
伸縮剣を収める黙の、勝ち誇ったような高笑いが響き渡った。
「俺が何の考えもなしに、普段から目立つ黒いグライクに乗るわけ、ナイでしょ?」
にやり笑う姿に、合点がいった。黒いグライクばかり使用していれば、誰しも潜在意識に「BSのグライクは黒」と刷り込まれてしまう。そして、なまじ目立つ色であるがゆえ、かえってその記憶は裏切られやすいのだ。
挟間に生きる逆さ黒星は、どこまでも曲者属性であるらしい。
「――総員、照準をあのグライクへ!!」
手を振り上げたグラーデルに従い、局員の銃が、いっせいに和音と双子の乗るグライクを狙う。間髪いれず、トリガーが叫んだ。
「フェルマータ、攻撃再開!!」
どおっ――、と、止まっていた戦況が関を切ったように動く。雲のように管理局船を包む赤銅グライク、負けじと飛び立つ白いグライク。光線が空を奔り、撃ち下ろされてはデッキに着弾し、喧騒と怒号が交錯しながら、大を十個つけてもよさそうな混戦へなだれ込む。
追撃を避けながら、和音の乗るグライクの上で、双子が場所を交換した。すぐに近衛が布を取り出し、開いてしまった傷口を押さえてくれる。兵衛はハンドルを握り締め、水を得た魚然としてアクセルをふかし、これでもかと襲い来る銃撃の嵐を、魔法のようにあっさりかわしていった。こちらのことを気遣ってくれているのか、比較的動きは大人しめで、なのにまったく被弾しないのだから、あきれた高等技術である。
大きなカーブを描いたグライクが、一度は離れた管理局船に、再接近する。
「どうするんです、これから?」
傷の痛みに耐えながら聞くと、デッキを示された。
「所長と合流する。こんな全面勝負、始めちまった以上、どっちかを皆殺しにするまで延々続くことになる。……不毛だろ、そんな戦い」
最後の一言に、彼らの本音が見え隠れしている。黙もそうだが、BS一味は、詐欺窃盗狂言さておき、殺人だけは忌避する傾向にあるらしい。
「逃げる、ってことですよね。上手くいきますか?」
「所長の力を信じろよ。T・Mを使ってフェルマータともども、一人残らず消えて見せるさ」
どこか誇らしげに、兵衛は断言した。
船に近付いたおかげで、甲板の上で剣を振るう黙が見えた。四方八方から撃ちこまれる弾丸を、腕の剣一本で跳ね返しながら、軽業師のようにすばしっこく逃げ回っている。
相変わらず真っ向勝負はしていない。よ~く観察すれば分かるが、足払いをしたり、威嚇して不意にくすぐったり、床に穴を開けて落したりと、反則的なワザばかり使うときた。
……妙な意味で、敵に回したくない人物である。
「どこまでも小賢しい男だな、貴様は」
長い足を生かした破壊力抜群の蹴りで、局員をまとめて二・三人ふっ飛ばしながら、トリガーが見下げるよう言い捨てた。黙は伸縮剣で相手を翻弄しざま、とりゃ、と船から突き落とし、躍るような足取りで彼女と背中合わせになる。
「頭脳プレイと言って欲しいねェ。こう見えてイロイロ考えてんのよ?」
「ネジの緩んだ頭で、か」
「チッチッチ。俺の頭にはもともと、ネジなんてモンは存在しナイんだ」
「………ふん」
トランプのカードのように広げたナイフを、手をひるがえして投げるトリガー。切っ先は猛スピードで飛び、彼女を狙っていたグライクを貫通し、局員の銃を真っ二つにし、防御のため並べられた金属製の盾を、問題なく突破する。
そうして口笛を吹くBSを、ジロリと睨んだ。
「ならば当然、この場を切り抜ける策はあるんだろうな」
「そりゃ~もう」
待ってました、とばかりにパチンと指を鳴らして、黙は空を仰ぎ見る。和音たちに向かって、騒ぎに負けぬよう声を張り上げた。
「OK、ひょう君、俺のトコへお嬢さんを連れて来てくれ!」
「……そうしたいのは、やまやまなんすけどね……!!」
軽く眉間にシワを寄せながら、兵衛が答えた。
実はさっきから和音たちの乗ったグライクは、何度も黙の近くまで降りているのである。そのつど、局員たちが意地の見せ所とでも言うように、一斉射撃を仕掛けてくるため、なかなか着陸出来ないのだ。結果、グライクは甲板を中心に、ぐるぐると旋回を強いられている。
ぴゅぅん、と顔に飛んできた光線を、余裕の動作でかわし、「しゃあナイ」と黙がつぶやいた。
「――ヘイ、そこの子リスちゃん♪」
タクシーでも呼び止めるようなリアクションで言われ、和音は頬をひくつかせる。
「……何でしょう!?」
身を乗り出して叫ぶと、どういうことか、BSは大きく手を広げてみせた。
「きっちり受け止めてやるからさ、グライクから俺の胸の中へ、飛び込んでいらっしゃい!」
「お断りしますッ!!」
電光石火の全力否定に、トリガーが、ほう、と片眉を上げた。
「……常識を心得ていると見える、あの娘」
「心得すぎて、ツレないのよ。子リスちゃんときたら、恥ずかしがり屋さんで困るわ~」
「そーゆー問題じゃないでしょうに! 無理です、無理! 絶対不可能!」
「たまには思い切った選択肢も選んだらどうだい?」
「行き止まりの可能性が高い選択肢を選ぶほど、馬鹿じゃないです!」
「ンなこと言ったって、この状況を打破する鍵を握ってんのはアンタなんだぜ?」
「そ、それは――……」
もっともな指摘に、言葉を詰まらせたときのことだった。
前触れなく、チリ、と手首が熱くなる。炎であぶられるのに似ていた。視線を落とすと、発熱しているのは左の手首、もっと言うなればT・Mそのものではないか。裂けた傷口から流れ落ちた血を浴び、バンドがチリチリと焦げたような鳴き声をもらす。瞬間。
「あ」
するりと抜けた。まさに一瞬の出来事だった。あれほど頑固にくっついていた読風機が、反応すら出来ないほどあっけなく、手首から抜け落ちる。我に返って伸ばした指、そのほんの数ミリ先をかすめて、真っ逆さまに落っこちていく――。
何故、と口を開ける和音の、疑問に答えてくれたのは兵衛だった。
「血――体液――そうか、しまった……ッ!!」
――人のみならず、生物の体液とは命を宿し、もっとも妙なる力が宿るものなんだよ――
召喚されたときのグラーデルの言葉が、今になって和音に圧し掛かる。気付かなかったし、盲点ともいえることだった。まさか――自分の「血」で、T・Mにかけられた魔法を解くことが出来たなんて!
「所長――っ、T・Mが!!」
兵衛の叫びに、黙がハッとした。指差す先にある、落下中のT・Mに目を留め、全速力で走り出す。事態に気付いたトリガーが、フォローのためだろう、BSを追いかけようとする局員たちの前に立ちはだかる。
和音の血を帯びたT・Mが落ちる。落ちる。不思議と吹き付ける風の影響は受けていないようだ。直線を描き、走る黙の目の前で、落下するそれは――――パシッと何者かの手に受け止められる。
十三号船・船長の手中に、落ちていた。