表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/71

38「MCバトル界の諸葛孔明になれ」


【スナック韻・ステージ前】


 KEN 4 RAW。

 

 日本語ラップのレジェンドが、目の前にいる。


 私は震える手でマイクを受け取った。


「手加減はしない。本気でいく」


 KENがステージに上がる。

 私も足がもつれそうになりながら、ステージに立った。


 ビートが流れる。速い。私が1週間聞いてきたものの倍。


【先攻:KEN 4 RAW】


「Yo、初心者さん、勇気は認める

 でも現実見ろ、レベルが違う

 MCバトルは戦争、言葉の格闘技

 3週間で何ができる?奇跡でも起きるか?」


 圧倒的だった。

 言葉が機関銃のように飛んでくる。


【後攻:美咲】


「そ、そうですね、確かに初心者

 でも初心者だから、失うものない

 レジェンド相手?光栄です

 でも……あの……韻が……」


 ——ダメだ、頭真っ白。

 

 言葉が出てこない。リズムも取れない。

 常連客からも苦笑が漏れる。


 KENが容赦なく続ける。


「韻が出ない?当たり前

 プレッシャーに潰されて、言葉も枯れる

 これが本番、もっと地獄

 観客の目、全部が敵」


 私は立ち尽くした。

 配信中なら湯水のように溢れる言葉が、出てこない。

 ただ、マイクを持つ手が震えている。


「……やっぱり、無理だ」


 声も震えていた。

 1週間程度の特訓でプロと戦うなんて、やはり無謀すぎたんだ。


 ゆいが心配そうに見ている。


「お姉ちゃん……」



 重苦しい沈黙が流れた。



 でも、KENはマイクを下ろさない。


「俺が納得するラリーになるまで、何回でも続ける」


 KENの目は真剣だった。


「声が枯れようが、血反吐吐こうが、付き合うつもりだ」


 ——レジェンドがここまで付き合ってくれてるのに。

 私は何をやってるんだ。


「その前に、なぜ言葉が止まったか考えろ」


 KENが続ける。


「君の武器は何なのか、もう一度よく考えろ」

「失敗から学べって、自分でリスナーに言ってただろ」

「今がまさに、その時だ」


 私はステージの端に座り込んだ。

 マイクが手から滑り落ちる。


 

 ——私の武器?言葉が出てこない理由。


 

 罵倒?それは配信での話。

 即興?さっき全然できなかった。

 36年の人生経験?そんなもの、ラップで何の役に立つ?


「分からない……」


 頭を抱えて、うずくまった。


「私には、何もない」


 常連客も心配そうに見ている。

 さっきまでの熱気が、すっかり冷めてしまった。


 その時、MC婆がカウンターから立ち上がった。


 ゆっくりと私の前まで歩いてきて、しゃがみ込む。


「なあ、YUICA」


 婆の声が、いつもより優しい。


「あんた、なんでVtuberになった?」


「……え?」


「36歳で、いきなりVtuberだろ?普通じゃない」


 私は顔を上げた。


「それは……現実で生きるのが、辛かったから」


「そうか。逃げたんだな」


「……はい」


 否定できなかった。


「でも、逃げた先で130万人と出会った」


 婆が続ける。


「ブタどもって呼んでも、離れない奴らと」


「……」


「それって、逃げた結果じゃない」

「戦った結果だろ?」


 私の目から涙が溢れた。


「画面の向こうで、本当の自分を晒した」

「罵倒も、自虐も、全部本音だった」

「それが武器なんだよ、YUICA」


 婆が私の肩に手を置く。


「MCバトルも同じだ」

「技術なんて後からついてくる」

「大事なのは、本音をぶつける勇気」


 私は震える声で聞いた。


「でも、怖い」


「当たり前だ」


 婆が笑った。


「あたいも最初は怖かった」

「女だから、アジア人だから、全部理由つけて逃げたかった」


 そして立ち上がる。


「でも、逃げなかった奴だけが、ここに立てる」


 KENも頷いた。


「YUICAさん、君には素質がある」

「ただ、それを信じられないだけだ」


 私は深く息を吸った。


 ——逃げたくない。

 ——もう、逃げたくない。


「……もう一回」


 立ち上がって、マイクを拾う。


「もう一回、やらせてください」


 MC婆がニヤリと笑った。


「そうこなくちゃな」

「その前にKEN、ちょっとだけYUICAと二人で話をさせてくれ」



 MC婆は私をカウンターへ連れてきた。

 そして煙草に火をつけ、他の客に聞こえない低い声で話し始めた。


「……あんた、エミネムって知ってるか?」


「え?……そりゃまあ世界一のラッパーのひとりだし」


 突然の名前に、私は顔を上げた。


「そう白人のラッパー。あの頃、ヒップホップは黒人の牙城だった」


 婆の声は低く、煙の奥から響いてくる。


「奴は肌の色だけで嘲笑われた。『偽物(フェイク)』と罵られ続けた」


 ——偽物(フェイク)


 私にもぶつけられた言葉。


「エミネムは"唯一の白人"という逆境を、貧しい環境を逆に武器に変えた」


「どうやって……?」


「先に自分から、弱さをさらけ出したのさ」


 婆が言葉を続ける。


「お前はこうだろ?陰キャ、ババァ、リズム感ゼロ、彼氏なし」

「それを全部、先に自分で言っちまう」

「相手の攻撃を奪い、客の共感を先に奪う」


 私の胸が熱くなった。


「YUICA、あんたの"自虐罵倒"は、それに通じるもんがある」


 婆の目が鋭く光った。


「技術で戦うな。欠点で戦え」

「恥を晒す勇気こそが、武器になるんだよ」


 ——恥を晒す勇気。


 私はずっと、恥を隠して生きてきた。

 でもVtuberになって、初めて本音を晒した。

 

 それと同じことを、ラップでもやればいい。

 そういうことなのか。


「……KENさん、お願いします」


 私は震える声で言った。

 でも、目には今までにない力がこもっていた。


 それを見たKENが微笑んだ。


「いいね。やろうか」


【第2ラウンド・覚醒への道】


 ビートが切り替わる。

 少し遅くなった。KENが合わせてくれたのだろう。


 今度は私が先攻。


「Yo!36歳陰キャ!男もいねぇ!

 リズムも取れねぇ!韻も甘ぇ!

 でもそれがどうした?偽物上等!

 弱さを叫ぶ、これが私の砲塔!」


 ——ドッと常連が笑う。

 

 バカにする笑いじゃない。驚きと共感の笑いだ。


「100万人が私を見てる!

 ブタどもって呼んでも離れない!

 それは偽物じゃない、本物の絆!

 お前らに何が分かるってんだ!」


 常連客が立ち上がる。


「イェー!!」


 ——届いた。言葉が届いた。


【KEN・返し】


「偽物?陰キャ?全部自分で言ったな

 でもそれを逆手にとるとは……お前、やるな

 だが感情だけじゃまだ甘い

 本物はもっと深ぇ」


 観客が唸る。

 でも、さっきより怖くない。


 MC婆が言う。


「もう一回。今度はもっと深く」


 3回目、4回目、5回目。


 回を重ねるごとに、言葉が自然に出てくるようになった。


 ——そして第6ラウンド


 意識が朦朧とるなかで、私の中で何かがプツンと切れた。


「うるさい!分かってる!下手なの分かってる!

 36年間ずっと下手だった、何やっても!

 でもな、それでも立ってんだよ、ここに!

 偽物上等!本物になってやるよ!


 陰キャで、ババァで、彼氏いなくて

 人生負け組、それが私で

 でもVtuberで変われたんだ

 100万人が認めてくれたんだ!


 エミネムだって偽物から始まった

 でも今じゃレジェンド、誰も文句言わない

 私も同じ道を行く、笑いたきゃ笑え

 10万人の前で、この弱さで戦うぜ!


 MCバトル?勝てるわけない?

 知ってる!でも逃げない!

 36年逃げ続けた私が

 初めて自分から戦いを選んだ!」


 店内が静まり返った。


 そして、KENが拍手を始めた。


「それだよ。それがラップだ」


 MC婆も頷いている。


「弱さを武器にできるなら、もう偽物じゃない」


 ゆいが涙ぐんでいる。


「お姉ちゃん……かっこよかった」


 私は息を切らしながら、マイクを下ろした。


 

 ——今、確かに何か掴んだ。




 その後、KENによる集中講義が始まった。


「さっきの君のラップ、エミネムの『8 Mile』を思い出したよ」


 KENがホワイトボードに書き始める。


「エミネムと君には共通点が多い」

「弱さを先に晒す。これは最強の防御であり、攻撃でもある」


 そして韻の種類を説明していく。


「脚韻:文末で韻を踏む。基本中の基本」

「頭韻:文頭で韻を踏む。インパクト重視」

「中間韻:文中で踏む。上級テクニック」


 私は必死にメモを取る。

 

「エミネムはこれを全部やるバケモノだ」

「だがYUICAの場合、自虐と感情が強い」

「だから脚韻で締めて、パンチを効かせるのがいい」



MC婆が補足する。


「でも、相手によって使い分けろ」


「テクニシャンには感情で、感情派には技術で対抗」


「特に恥を晒すスタイルはCODAMAも同じ、だから奴には効かない」


 ——なるほど、相手によって戦略を変えるのか。


「あと、君の最大の武器は『共感』だ」


 KENが続ける。


「罵倒から始めて、最後は共感で締める」


「それは君にしかできないスタイル」


 私は頷いた。


 その時スマホが震えた。山之内部長からのメッセージ。


『Yo Yo 田中さん 超リスペクト!

 諸葛孔明も最初は一般人

 天下を揺るがす石兵八陣』


 ——さっぱり意味がわからない。

 ——でも部長、だんだん韻がうまくなってる。


 続けてメッセージが。


『明日、会社休んでいいよ!

 YUICAに密着集中、それが大事!

 彼女の勝利、それ君の勝利!』


 私は苦笑した。


 

 ——休めるのはありがたいけど、プレッシャーが。


 

「諸葛孔明か……」


 私がつぶやくと、KENの目が光った。


「お、三国志知ってる?」


「部長が三国志オタクなので、嫌でも聞かされます」


「実は俺も三国志ファンでね」


 KENが身を乗り出す。


「赤壁の戦い、知ってるよね?」


「80万対3万の戦いですよね」


「そう。圧倒的劣勢。でも孔明は戦略で勝った」


 MC婆も興味深そうに聞いている。


「へえ、どうやって勝ったんだい?」


「東南の風を読んだ」


 KENが続ける。


「曹操軍は北方の騎馬民族。水上戦に慣れてない」

「船を鎖で繋いで安定させた。でもそれが仇になった」


「火攻めで全滅させた話ですよね」


「そう。でも重要なのは、孔明が『敵の強さを弱点に変えた』こと」


 KENがマイクを持つ。


「MCバトルも同じ。相手の武器を逆手に取る」


 KENがホワイトボードを叩きながら笑った。


「例えば“ベテラン”は経験を誇る。でも逆に言えば——」

 

 マイクを握って即興する。


「経験豊富?だがそれ呪縛/昨日の栄光に縛られる墓場」


 常連たちが「オオッ!」と唸る。


「テクニシャンが『技術』を振りかざしたら——」

 

 即座にリズムに乗せる。


「テクだけ自慢?心が空洞/言葉は綺麗でも観客は無表情」


 空気がビリついた。


「逆に若手が“勢い”を誇ったら?」KENの声がさらに低く響く。


「Yo!勢い任せ?中身はゼロ/その速さで崖にダイブだヒーロー」


 バーの空気が震える。知識の説明じゃない。

 

 ——その場で実演して証明してしまう。

 ——なるほど、視点を変えれば強みが弱みになる。



 KENが指を立てる。


「孔明のもう一つの特徴——借刀殺人。他人の力を借りて敵を倒す」


「MCバトルでどう使うんですか?」


 KENはゆっくりとマイクを握った。


「相手が『お前は素人』って言うならこうだ

 ——『そう、素人です。でもプロが素人相手に必死でどうだ?』」


 攻撃がそのままブーメランになって相手に刺さる。


 MC婆が笑う。

「たしかに、刀を奪って刺し返すわけだ」


 KENはさらに顔を引き締めた。


「そしてもう一つ。孔明は周瑜を“言葉だけで殺した”」


「既病……ですね」


 KENは短くうなずき、即興で放つ。


「お前は天才?その自負が毒だ

 俺の一言でイラつき、心臓バクバク、顔が真っ赤」


 ただの例えじゃなく、KENの言葉だけで本当に心臓を握り潰された気がした。


「心理戦だ。怒らせれば相手は冷静さを失い、自滅する」

「YUICA、君の罵倒はまさにこれだ」


 ——私の中で何かが震えた。


 ——相手を怒らせて、冷静さを失わせる。

 ——それも戦略。


 

 KENが私を見つめる。


「MCバトルの諸葛孔明……それが君のスタイルかもしれない」

「『36歳?』『素人?』『偽物?』全部認めて、相手を自分の土俵にひきづりこむ」

「現場の空気、客層、状況、すべてを戦略という武器に変えればいい」


 

 私の中で、戦略が形になり始めた。

 山之内部長にちょっとだけ感謝だ。

 


「バトル本番の直前に、もういちどここに来る」

「その時に見せてくれ。君だけの武器を」


 

 そしてKENが帰り際に言った。


 

「期待してるよ、YUICA」


 

 KENが帰ったあとに、婆がニヤリと笑った。


「明日から第3段階の特訓だ」


「第3段階?」


「実戦。毎日違う相手とバトル」


 私の顔が青ざめた。


「毎日!?」


 

「あたいの知り合いが、入れ替わり立ち替わり来る」

「全員、現役のMCだ」


 

 ——地獄は続く。



 深夜2時。ゆいと二人で歩いて帰る。


「お姉ちゃん、エミネムみたいだったよ」


「そうかな……」


「弱さを武器にするって、お姉ちゃんの得意技じゃん」


 確かに。

 YUICAとして、ずっとそうしてきた。


「でも、10万人の前でできるかな」


「できるよ。だってお姉ちゃんは」


 ゆいが笑う。


「36年間の負け犬人生を、全部武器にできる人だから」


 ——それ、褒めてる?


「褒めてるよ。それがお姉ちゃんの最強の武器」


 私は夜空を見上げた。


 2週間後、10万人が見守る中、私はステージに立つ。


 偽物と呼ばれた借りを、弱さを武器に変えて、必ず返す。


 

(つづく)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ