20-ⅲ)運命は残酷に〜悪夢の続き
「どういう事ですか、叔父さん! やっぱり、我が子 可愛さの依怙贔屓ですか !!」
ブランが激しい口調と身振りでカイトに説明を求めた時 ── 実は、この時、カイトのテントの中をドアの隙間から覗き見る者たちがあった。
「何? 何? どういう事? ブランが怒ってる」
「当主はブランじゃないの? 向こうの兄なのかしら? それとも弟の方なのかしら?」
「ちょっと黙ってて。聞こえないわ」
ブランの妾ら ── カリーナ、ダリア、マルジャーナが顔を縦に並べて盗み聞きしていたのだ。彼女たちはカラヤ家の人々にバレないように、少し遅れて やって来たので、次期当主発表の瞬間を聞き逃していた。
その様子を少し離れた所から見ていたのは、サクの護衛たちだ。隊員の一人が隊長のキルスに指示を仰ぐ。
「隊長、どうします? あいつら、追い払いますか」
「いや。あいつらの事は俺に任せとけ。お前らは他を見張ってろ。サク様を狙う奴が変装して紛れ込んで来るかもしれねぇしな」
キルスとしても、サクの元姉妹が手練というだけでなく、変装する事も油断ならないと警戒している。
「へい」
カヲルを含めた部下たちがテントの四方へ散開した後も、キルスはしばらく、妾たちの様子を見る。
『どういう事かしら? ブランが怒っているところを見ると、当主はブランじゃない。まさか、将軍の意見が反映された? いいえ。カラヤ一族の当主を決定するのだから、一族だけで決めるはず』
ブランの思惑通りに事が運んでいないので、マルジャーナも混乱する。
聞き耳を立てつつ、カリーナやダリアが「ひそひそ…」と話す。
「今度はローゼンの嫁がどうとか言ってるよ?」
「ヤバくない? ブラン、大奥様の不興を買ってるわ」
『ブランなら、実績と弁舌で結果を覆す事だって出来るはずなのに。それが巧く説得できていないなんて……』
マルジャーナが内心で驚き、
『あのブランが致命的なミス? 商人としての基本を忘れたですって?』
さらに、ローゼンの言葉に戸惑っていると、いきなりドアが大きく開かれて、バランスを崩した三人が「ぅワァーッ!」という甲高い悲鳴と共に前のめりに「ドシャッ!」と倒れる。
テントの中にいる一同の視線が一斉に彼女たちに注がれる。
マルジャーナ「いったぁーい!」
ダリア「押さないでよ!」
カリーナ「あたしじゃないよぉ!」
マルジャーナ「どうでもいいから早くどいてよッ! 重たい!」
カリーナ「悪い、悪い」
ダリア「失礼ね! わたしは豚じゃないわよ!」
三人がドアの前で揉めていると、そこへキルスが後ろから顔を出した。
「さっきからコソコソと、怪しいのがいましてね」
「押したのは、あんただね!」
カリーナがキルスを睨むが、キルスは鼻で笑う。
「フンッ! 押されるような悪い事してたからだろ?」
さらには、人の悪い笑みを浮かべたローゼンが言う。
「ちょうど良かった。俺もいつ、声をかけようかと迷っていたんだ」
彼の立ち位置からはドアの様子は丸見えだ。それは彼の隣に立つ父カイトや、背後の六家の家長とて同じだ。その証拠に、彼らもローゼンのように人の悪い笑みを浮かべている。
「キルス、お前も立ち会え。俺が許可する」
ローゼンにキルスが「へい!」と返事して、妾らを追い払うように前へ進めさせると、自らも中に入り、ドアを閉めた。
呆れた顔で妾らに声をかけたのはカーラだ。
「なんだい? 盗み聞きとは感心しないねぇ」
「も、申し訳ございません、奥様。気になってしまいまして」
謝るマルジャーナに対して、カーラがわざとらしく言う。
「はァ? 盗み聞きしてたんなら、分かってるはずだよ? あたしはもう『奥様』じゃないよ。これからは『大奥様』と呼んどくれ」
「失礼しました、大奥様。では、どなたが新しい御当主の奥様に?」
「この子さ」
と言って、カーラは自分の前にサクを立たせる。サク、戸惑って、とっさに声にならない。
「え、えーとぉ……」
「難しい挨拶は要らないから。『よろしく』でいいんだよ?」
「あっ! はい」
カーラに優しく促されて、サクは緊張して返事すると、マルジャーナたちに向かって一礼した。
「よろしくお願いします」
ブランの妾らは三人とも呆気に取られるあまり、しばし、気が遠くなるような思いで物が言えない。
『そりゃ、お人形さんみたいに可愛いけどさ……』
サクの容姿と立場のギャップに呆然とするカリーナ。
『あり得ない。ブランが当主になって、ロクサネに飽きてポイしたら、わたしが奥様の座に就くはずだったのに……』
そんな野望を抱いていた官能的な美貌のダリアは何も彼もが終わったと思い、真っ白な灰になったような気分だ。
『威厳もへったくれもない小娘が「カラヤ家当主の奥様」ですって !?』
と、当主候補だったブランの長年の恋人であるマルジャーナとて面白くはない。怒りの感情を隠そうとしても、表情筋がヒクついている。その様子をカラヤ家の、特に当主家の人々は気付いており、リナなどは
『あら。この人が一番悔しいかもしれないわね』
と、推察する。
面白くないのはブランの本妻・ロクサネも同じである。彼女の場合、サクを格下と思えばこそ可愛いものだが、格下が自分となれば話は別だ。しかも、辛抱のない彼女はすぐに怒りをあらわにする。手にした扇をボキッと折って、激しく床に打ち捨てると、「ビクッ!」と怯えるサクを指差して
「こんなのが当主の奥様だなんて、わたしは納得しないわよォ!?」
ローゼンに怒鳴って食い下がるが、
「ロクサネェーッ!! お前は黙っていろッ!」
ドスの利いた声でローゼンに一喝されて、「ヒッ!?」と、悲鳴を上げ、萎縮して黙り込んだ。所詮は世間知らずのお嬢様だ。気が荒い人足共まで相手にしている男の迫力には到底、敵わない。
妾たちまでローゼンの迫力に萎縮した。マルジャーナも爽やかな優男のローゼンしか知らなかったので、ローゼンが恫喝するところを初めて目にして、たじろぐ。
息子のやかましい怒鳴り声に、さっきまで耳を押さえていた手をのけたカーラは
『大人しくしてりゃ、ローゼンも怒鳴らずに済んだのにさ!』
と、迷惑げな顔だ。
「大丈夫よ? ローゼンが守ってくれるから」
と、リナに声をかけられたサクは「はい」と、安心感から素直に答える。
権威に弱いマルジャーナはカラヤ家の年長者たちの顔色を窺いながら訊ねる。
「彼女が奥様という事は、つまり、その、御当主は ──」
それに前当主から先々代当主となったローキが呆れながら答え、
「ローゼンに決まっているだろう。俺もとうとう『大旦那様』から『ご隠居様』だ」
最後は肩をすくめるが、頭髪は白くとも、色黒の肌で筋肉質な体格と、生気と威厳にあふれる眼光は『ご隠居様』と呼ばれるには程遠い。
「わたしは『リナ様』という事で、よろしく」
先々代当主夫人のリナは若返ったような気分で明るい笑顔を見せるが、決してマルジャーナたちを好ましく思っているわけではない。
ローゼンがマルジャーナたちに説明をする。
「まぁ、そういう事だ。まだ納得していない者もいるようだが、厳正な会議で決定したものは俺でも覆せない」
そして、皆の前で宣言する。
「よって、今から俺が当主だ。皆、よろしく頼む」
その長身のローゼンの姿は泰然自若としており、同時に威厳と包容力で満ちている。それは彼の資質であり、彼自身の決意の表れでもある。
『うわぁー! 王様みたいやぁ……』
感動して目を見張るのはサクだけではない。皆が圧倒されている。反抗的なブランでさえも時間が止まったかのように身動きできない。
再び拍手が湧き起こり、サクも一緒に笑顔で拍手した。サクの無邪気な笑顔を目にしたローゼンは安心感を覚え、微笑を見せる。
『さすが、兄さん。貫禄あるなぁ……』
と、拍手しながら、弟であるルークでも感じ入る。
拍手が鳴りやまった頃に、マルジャーナがようやく
「お、おめでとうございます」
不本意ながらも祝辞を口にするが、我に返ったブランがローゼンを指差すと、
「ふ…、ふざけるな! 何が当主だ。それより、俺の致命的なミスとはなんだ? 適当なイチャモンつけて俺を陥れたのだとしたら、許さんぞ!」
その手を勢い良く水平に振って抗議する。
烈しいブランに対して、ローゼンは冷静だ。
「そうだったな。せっかくだ。全員に聞いてもらおうか」
ローゼンが片手を挙げて呼ぶ。
「サドリ!」
「はい!」
ローゼンに呼ばれて、六家の家長の後ろから男が現れた。ずっと奥で控えていた彼はカラヤ商店の最年少幹部だ。カイトに呼ばれて次期当主となるローゼンを呼びに行ったのは彼だ。
彼を見て、「お前……」と、つぶやいたブランは彼の素性を口に出す。
「俺の西洋遠征に付いて来たトリンタニーの長男」
ローゼンが話を始める前に、六家の家長に向けて言う。
「話が長くなりそうなので、六家の家長はお座り頂いて結構です」
「では、お言葉に甘えて」
と、六家の家長たちは着席する。
「ばば様やサクも無理しないように」
ローゼンの発言で、ローキやルークが椅子を用意した。
「ありがとう」と、リナとサクは座るが、先に座るリナのゆっくりと腰を下ろす動作を見て、サクは
『おばあちゃま、若い。筋力が落ちとったら、ストンとかドシンって、脱力した座り方になるのに。全然、そんな事ない』
と、体の弱いリナが陰で努力していると気付き、内心で驚く。そして、自分もゆっくりと腰を下ろした後、キョロキョロと見回して気付く。
「あのぉ…他の方は?」
気を遣うサクに、家族が集まる立ち位置に移って来たカイトがウィンクして答える。
「心配ない。うちの家族は体力自慢が多いからね」
「あたしは、まだ若い」
「俺もだ」
若いと言い張る母カーラと祖父ローキに、ルークも『50歳と74歳って、若いんだ』と、内心で苦笑い。
ローゼンが中断していた話を戻す。
「さて。ブランが犯した致命的なミスについてだが ──」
ローゼンは指を順番に二本立てて説明を始めた。
「一つは正確な情報源の確保を怠った事、もう一つは調達先の分散をやめた事だ」
まだ腑に落ちないブランは顔を顰めた。
「情報収集なら、いつもちゃんとやってる。それに調達先を一つに絞ったのはコストカットの為だ。なんの問題がある」
ブランは自分のした事を何一つ疑ってはいなかった。
「おいおい。うちは小さな商店じゃないぞ。たった一つの調達先がダメになったら、どうなると思ってるんだ。コストを気にし過ぎて店を潰す気か。調達先は複数持っておくというリスク管理を忘れるとは情けない」
呆れるローゼンは「サドリ」の名を呼ぶと、「お前から状況を説明してやれ」と指示し、「はい」と返事したサドリはブランに対する悪感情の私情を抑えて、淡々と話し始めた。
「ブラン様が西洋で革製品の調達先を一つに絞られた後、翌月の納期にはそこが大量の発注に対応できず、納品できないと返答がありまして」
「おい、待て。そんな報告、聞いてないぞ」
驚くブランを蔑むように、サドリは冷ややかな眼で答える。
「そりゃ、そうです。いつも目先の事ばかり考えて、無謀な契約をする愚かなあなたに忠告したところで、余計な事をするなと突っぱねられるのが落ちですからな。忠告も報告もせず、こちらで事を運んだのです」
「なんだと?」
馬鹿にされて不愉快げな顔をするブランに、サドリは西洋で結んだ革製品工場での契約の場面や、自ら駆け回って他の仕入れ先を探した苦労を思い起こしながら、説明をする。その時のサドリの眉間の皺は深い。
「そもそも、あの契約の際、倉庫の規模や工場の職人の人員を見れば、不可能だと判断できたはずです。向こうが契約欲しさに大風呂敷を広げたのだと。そこで、先手を打って、わたしが他の調達先もいくつか探し出し、ローゼン様の代行として契約しておいたのです。もちろん、契約不履行にした工場には後で違約金を払わせました」
「この俺の許可もなく、何を勝手な!」
案の定、怒るブランにサドリは事情を明かす。
「わたし独りの勝手ではありません! 西洋行きの前に若旦那様から裁量権を頂いております」
カイトがサクに解説する。
「当時からローゼンが事実上のトップだ。一時的でも、その代行者となれば、二番目の権限を持つ事になる。カラヤ家の人間であっても、ローゼン以外の者は決定を覆せない」
「はぁ、なるほど」
代行者を立てた理由をローゼンがブランに説明する。
「ここから西洋までの距離を考えれば、俺からの指示や向こうからの報告が届くのに時間がかかる。問題が起きてからでは遅いのでな。サドリには西洋での事業に関して、俺の代行を務めてもらった」
「つまり、ローゼンの差し金…。サドリは自ら西洋行きを志願したんじゃなかったのか……」
と気付いたブランは そうつぶやいた後、
「騙したのか! 貴様ァ──ッ!!」
と、サドリの胸ぐらをつかむ。腕っ節で劣るサドリに向かって当たるブランの手をローゼンがつかんで
「サドリを責めるな」
と制止する。ローゼンに力では敵わないブランは忌ま忌ましげにサドリの胸ぐらから手を放した。
「しかし、サドリがいたお蔭で物資が途絶える事なく順調にいったのは事実だ」
六家の家長の一人がサドリの的確な判断を評価すると、別の家長らがローゼンの先見性に驚き、その根拠を訊ねる。
「しかし、よく、ブランにサドリを付けておいたものだな」
「何を以て、そうのように判断したのだ」
それにローゼンはこう答えた。マルジャーナとブランの方を見ながら。
「ブランには長年、付き合っている恋人がいるのですが、それを、式も挙げずに遠征へ連れて行くような奴です。仕事でも、どこかで無責任な事を仕出かすだろうと思いましてね」
「販路拡大」を「遠征」と婉曲して言うあたりに皮肉が込められている。
「なるほど」
「確かに」
などと家長たちが納得する中、当主家の三人の女性陣がブランに対して冷たい視線を送る。
「新しい女と結婚して、古い恋人を妾にするような下衆なんて、あたしでも信用できないよ」
言いにくい事をズバッと言うカーラ。
「どうせ言うこと聞かないから黙ってたけど、自業自得よ」
リナはリナで出来の悪い孫に呆れている。
「薄情ですね……」
サクまで「ぽつり」とつぶやく。
ブランの母親であるマンダネに至っては息子のあまりの情けなさに手で額を押さえて落胆する。マルジャーナはその惨めな立場から、うつむいて拳を握り締めている。
カイトやローキのような当主経験者には
「結婚においても、商売においても不誠実な人間というのは ──」
「昔ッから信用できん!」
という共通の見解がある。それは当主になる前も、当主となった今のローゼンも同じで、彼らの眼はある意味、女性陣よりも厳しいかも知れない。
周囲の冷たい視線や厳しい視線をかき消そうとするように手を振って、ブランが吠える。
「ハッ! 結婚と仕事は別問題だろうが! 話を一緒にするな!」
「むしろ、一緒くたにしたのは、お前の方じゃないか」
ブランの矛盾を彼の父ライトが鋭く指摘する。
「仕事の為に政略結婚までしておいて、これの一体、どこが別問題なんだ」
「そ、それは……」
痛い所を衝かれて口籠もる息子ブランに、ライトは息子の本妻ロクサネを指差しつつ、抑えていた感情を爆発させた。
「そもそも、こんな、相手の親を敬う気持ちの無い女を嫁にするなど間違っている!」
珍しく自分に怒りを向けるライトに驚いて、ブランが大人しくなる。
当主ローゼンに怒鳴られ、義父ライトに「こんな女」呼ばわりされ、ロクサネは今頃になって、カラヤ家では自分の思い通りにならない事を思い知り、恐怖で縮こまっている。
『な、なんで、こんな怖い男ばっかりなの !? カラヤ家は! てっきり、草食動物みたいな大人しい連中ばっかりだと思ってたのに……』
今までは逆らう者は父親の威光で押さえ付けられてきたが、ここではそれは通用しない。彼女を庇う者はいないのだ。
ローゼンが伯父ライトを制止する。
「伯父さん。申し訳ないが、こちらの話を先にさせてほしい」
「……すまない。私的な話は後にしよう」
と、当主となった甥に従い、引き下がるライト。
ローゼンはうなずくと、肝心な話に戻す。
「さて、最初の話に戻るが、これはかなり重大な事だ」
と、前置きした後、こう言った。
「正確な情報源の確保を怠った事についてだ」
その後だ。ローゼンの表情が再び厳しくなった。
「ブラン。お前、なぜ、マクシマム家へ挨拶に行かなかった」
ローゼンに睨まれて一瞬、怯むものの、ブランは負けじと言い返す。
「そんなものに頼らずとも、情報なら幾らでも手に入る」
この時、ライトはローゼンの言葉で思い出した。それは五年前、夕食の席で西洋行きを計画していると話す三男ブランに彼が言った事だ。
「そうだ。西洋と言えば、カーラ叔母さんの実家のマクシマム家がある。必ず挨拶しておきなさい」
しかし、父ライトのその助言を愚息ブランは無視していたのだ。ライトが思わず、両手で頭を抱えて苦悩の表情でうなだれた。
「な、なんて事を! お前とて知らないはずはないだろう。マクシマム家は西洋の金融界に精通した一族だぞ。わたしは必ず挨拶しておけと言ったのに……」
「フンッ!」
ソッポを向くブランはプライドが高い。ライバルであるローゼンの母親の実家なんぞに下げる頭などないのだ。
ローゼンがどこか平然とした顔で告げる。
「それで、そのマクシマム家の伯父からの知らせが、今日、早馬で届いてな。海運王が破産したそうだ」
実は、ローゼンが遅い朝食の後に、父カイトや六家の家長らに報告した早馬の件は「海運王、破産」の知らせだったのだ。
いきなりの事にブランもロクサネも一瞬、「ぽかん…」と口を開けたまま惚けてしまった。
「は……?」
「破産……?」
まだ伝え聞いていなかった者たちは突然の悲劇に驚きを隠せない。サクやリナは小さく開いた口を手で隠し、カーラは『あちゃー』と目を手で覆い、ブランの妾らは顎の関節が外れるくらいの大口を開け、マンダネは目を大きく見開いた。ライトは『なんて事だ』という顔を手で隠す。さすがに人生経験豊富なローキなどは目を細めた呆れ顔だった。
ロクサネにえらい目に遭わされたキルスなどは腹の底で『ザマーミロ』と思っているが、顔は笑っていない。人の不幸を本気で喜ぶ質ではないので、『悪い事をした当然の報いだ』とでも言うような悪事に対しての忌ま忌ましげな表情である。
当然、次期当主決定会議でも、この事は問題になっており、六家の家長らからは非難される。
「ライバルへのプライドなんぞより、商人として、実利を重んずるべきではなかったか。ブラン」
「正確な情報源は我々、カラヤ商人にとっては命綱だ。その事は子供の頃から教わっているはずだぞ」
そんなまともな説教すら はね除けて、ブランが訊ねる。
「そ、そんな事は俺だって分かってる! それより、破産とはどういう事だ !?」
これにもローゼンはあまり驚いた様子もなく、他人事のように淡々と答えた。
「借金漬けで首が回らなくなったらしい」
まさしく、寝耳に水だ。
「借金だと !?」
「なぜ、借金なんか……」
ブランもロクサネも心当たりがない。彼女自身、カネに不自由する生活ではないはずだと思っていた。
ローゼンの次の言葉で借金の原因が明かされる。
「海運王は保険に入っていなかったそうだ」
「なッ……!?」
それを聞いて、ブランは絶句した。
「保険?」
と、首を傾げたサク。商売の事に疎い彼女にルークが説明してやる。
「嵐で船が沈没したり、海賊に積み荷を襲われたりしたら、多額の損失が出るだろ?」
「うん」
「これを金融業者が肩代わりするんだ。その代わり、無事に航海を終えたら、金融業者に手数料を支払うんだ」
「へー」
「最近では、船主や荷主とか商売人以外の人たちに向けた保険の仕組みもあってね。前もって、みんなで少しずつお金を出し合っておいて、誰かが被害に遭ったら、集めたお金から損失の一部を補うんだ」
「はぁ……。要は助け合い?」
「そうだね」
サクの要約にうなずくルーク。
『サクらしい要約だな』
と、ローゼンは内心で微笑ましく思った後、ロクサネの実父・海運王の愚かな判断について話す。その話からはサクとは対照的な海運王の人間性が浮かび上がる。
「しかし、人というのは欲をかくと留まる事を知らない。過去数年は運良く海運王の船に被害がなくてな。被害がなければ、払っていた保険料が無駄になる。そう思って、カネが惜しくなった海運王は今年から保険をやめたらしい」
「つまり、保険料をケチったわけか」
顔をしかめた六家の家長の一人が放った言葉に、ローゼンはうなずくと、海運王のその後を話す。
「ところが、今年は特に海賊被害が多かったようだ。しかも、保険料を払ってないから、当然、船も商品も損失は全額自己負担だ」
「巨額の損失だな」と、カイトが冷静に言えば、
「うわー。最悪」と、カーラが顔をしかめた。
お人形のようなサクも目を「ぱちぱち」とさせて驚く。欲の無いサクには、強欲な人間の思考回路にはいつも驚かされる。
西洋帰りのサドリが普段の海運王について語るが、それは娘のロクサネの派手な身なりからも想像が付く。
「おまけに、海運王の一族は派手な生活ぶりで有名でしたから、散財するのも目に見えていました」
「他人にかけるカネを惜しんで、自分の為にはカネを注ぎ込むか。ドケチの典型だな」
そう言って、首を横に振って呆れるローキの身なりは質素な物だ。彼に限らず、
『そうゆうたら、ブランさんや、そのお嫁さんら以外は、そんなに派手な身なりと違うわ』
と気付いたサクは、それがカラヤ家本来の気質なのだと知った。
ローゼンが肩をすくめて呆れたように言う。
「俺はサドリが向こうにいた間も、彼を通してマクシマムの伯父から情報を得ていたから、まぁ、今日 届いた破産の知らせも想定内だ」
早馬からの手紙を読んだ時のローゼンの溜め息は『やっぱりか』という意味であった事を弟ルークも知っている。
ローゼンがうつむいて悔しげに拳を握り締めるブランに言う。
「あの一族は西洋の情勢に明るい。海運王と接触するにしても、先に相談をしておけば、お前にも快く応じてくれたはずだ」
「海運王の内情とて容易に知り得ただろうに」
とは、ローゼンの父であり、前当主のカイトだ。ローゼンの母・カーラも実家の兄の性格や根回しについて話す。
「別に、あたしの兄さんはローゼンのライバルだからとか気にしないよ。むしろ、ローゼンもあたしも『ブランの事、よろしく頼む』って、手紙を出しておいたから、てっきり来るもんだと思ってたのに、無視されてさ。メッチャクチャ怒って、『ブランの首をよこせ』って手紙が来ちゃってさ。そんで、また詫びの手紙を送ったんだよ」
ブランが不興を買っていた事実に、当のブランよりも、両親が驚く。
「えっ……!?」マンダネが口元を押さえ、
「なんて事だ……!」ライトも絶句する。
この期に及んで、不貞腐れた顔をしているブランを見たサク。
『うわぁ〜……。まだ、反省しとらん。ブランって、最悪な人や』
サクの心の声からはブランの名前から「さん」が抜けた。無論、ブランは自分が侮蔑しているサクから軽蔑されているなど、夢にも思っていない。
「申し訳ない」「ごめんなさい」
謝罪するライトとマンダネに、カーラが気まずそうに頭をかきながら許すのは
「いいよ。お義兄さんたちが礼儀を欠くような人たちじゃないのは分かってるし」
ブランが西洋へ旅立つ前に、ライトとマンダネが「息子が西洋へ行くので、ご実家にはお世話になる事と思います」と、カーラのもとを訪れた時の事があるからだ。礼を欠いているのは明らかにブラン本人である。
「しかし、なぜ、すぐに言ってくれなかったんだ?」
「それはさ……」
ライトの疑問に答える為、カーラの視線が舅のローキに向けられる。ローキは腕組みして怒っていた。
「俺が止めた」
「と、父さんが……?」と、ライト。
「親に恥をかかせるような奴だ。どうせなら本人が戻ってから、俺が直々に、こってり搾ってやろうと思ってな」
バシッと自らの右腕を叩くローキ。老体とは言え、その逞しい腕は若者相手でも殴り倒せる。
「じ、じじ様……」
祖父ローキの猛獣の如き眼で睨み付けられ、ブランの顔からは血の気が引く。
「この事は俺も相当、頭に来ている。俺からも手紙で、『この不始末は必ず付ける』と、マクシマム家に約束した。カーラの実家の面目を潰しおって、このたわけ者がッ!!」
「グェ──ッ!? 参った、ギヴ、ギヴギヴ……!」
70代の祖父に締め技をかけられて悲鳴を上げる20代の孫ブランを眺めながら、リナが笑顔でサクに言う。
「おじいちゃまは強いから、若い人が相手でも、まだまだ負けないわよ?」
「はぁ……。つ、強いんですね、おじいちゃま。凄ぉい」
サク、反応に困りつつ、引きつった笑顔で返しながら、思った。
『式 挙げる前に一族の揉め事、こなに見せられるとは思わなんだぁ。しかも、おじいちゃま、めちゃ強い』
ブランの有り様に周囲も苦笑いしたり、呆れたり。ただし、ブランの妻や妾らは失意の中、その場でへたり込んでいた。
一通りの話が終わった後、新しい当主ローゼンによって、ブランの処分が決められた。
「では、ブランは今後、俺の監督下に置く」
「異論なし」
と、六家の家長らも納得した。
解散して、カイトとカーラ以外はカイトのテントを出て行く。
「あー! 終わったー!」と、伸びをするルークや、
「ハハハ……」と、苦笑いするローゼン、
「お疲れ様」と、笑顔で彼を労うサク。
当主家の人間や、それに従う者たちは一様に清々しい顔で出て行く。
「ローゼンに決まって良かった」
「これで、カラヤ一族も安泰だ」
六家の家長らからは、そんな声も聞かれた。
しかし、ブランの家族は皆、お通夜のような暗い顔で去って行った。
こうして、当主がローゼンに決まり、夕飯の後、レイとサクのテントでくつろいでいたローゼンは
「結局、俺が当主かぁ……」
と言うと、ソファーの上で仰向けになり、
「ああ……! メンドクサイなぁ……」
と、ぼやいていたのだ。
しばらく三人で雑談していたが、そのうちにローゼンは そのままソファーで眠ってしまった。
「どうしよぉ。起こす?」
サクが兄レイに判断を仰ぐ。
「あー…、そのまま寝かしといてやれ」
レイもなるべく声を抑えて、サクに答える。
「ルークには俺から知らせとくわ」
「うん」
レイがカラヤ兄弟のテントへ向かう為に外へ出ると、サクはローゼンの腹に薄手の布団を掛けてやる。その時、ローゼンの表情に気付いた。
「あ…! 笑とる」
サクも思わず、微笑む。
『ええ夢、見よんかな?』
と、想像する。そして、
「おやすみ」
優しく ささやいた。




