二十四、王妃の記憶
タイトルには王妃が入っておりますが、主人公視点のお話となります。
「カノエ、リユの事情は聞いた通りだ。後は戻ってからいくらでも追及してやれ」
勝手に嫌な絶望宣告をしないでください。
「慈悲深き女神ヴィスティアの計らいに感謝します」
やはり共謀していたらしき発言をいただきました。
ひとまず戻るまでの猶予は与えられたけど、現実ではどんな恐怖が待っているのやら……
「今からでも女神様についていくことは可能でしょうか」
真剣に検討させてもらいたいところだ。
「僕が許すと思う?」
ひいっ!
「最初に断ったのはお前だ。二度目はない」
二人して酷いと思う。女神様の共犯者は私じゃなかったんですか!?
「詐欺ですか、こんな展開が待っているなら先に言ってくださいよ!」
「それではつまら――いや、何でもない」
「本音零れてますけど」
「何のことだ。私は先を急ぐ、お前はせいぜいこの世界で残りの人生を満喫していろ」
「だから何を急ぐことがあるんですか!」
「お前を見ていたら、また新しい企画を思いついたからな。形にしたくてたまらないのさ」
何を考えているのかわからない、姿も見えない女神ではなくて。そこにいるのは紛れもなく流星きららという人間だ。その瞳はまるで星のように輝いていた。
彼女の創る新しい物語は私も見てみたい。前世の私が感動を与えられたように、待ち望んでいる人がいるはずだ。
「……本当に、いつかまたあなたのファンタジー、見せてくださいよ。それで見逃してあげますから!」
「ふっ、楽しみにしていろ」
流星きららの姿が揺れ、うつろう。
「お別れなんですね。お元気で、でいいんでしょうかこの場合」
「しかと受け取らせてもらおう。では私からも、リユに幸あらんことを。光栄に思え。お前は唯一、真に女神の加護を受けし者だ」
その神々しい姿はまさに至高の女神。初めて手放しで女神様を美しい存在だと認めたなんて、本人に知られてこれ以上拗れるのはごめんなので秘密。
女神として存在していた流星きららの姿が消え空間が歪む。
女神の代替わりといことでしょうが……私たちはここにいて大丈夫なんでしょうか。
人にはない力があると知ったのは幼い頃――
懐かしい響きだ。けれど声ではなく、目で観ているわけでもない。ただ頭の中に直接働きかけてくる。
「これ、お母さまの……記憶?」
人にはない力があると知ったのは幼い頃。
お気に入りのグラスが落ちてしまう。勢いよく倒してしまったから、割れてしまうことを覚悟した。時が止まればいいのに、そんな馬鹿げたことを願ったわ。そうして目を開いたら、本当に時間が止まっていたの。
大した取り柄のないわたくしが初めて得た特別。それはとても心地良くて、優越感に浸らせてくれた。
何度も何度も、力を使った。自分のために、ある時は誰かのために。自然と周囲からは特別視されるようになって、崇められるようになっていた。まるで女神様のようだともてはやされ、噂は王の元にまで届いた。
王宮からの迎えが来るのに時間はかからなかった。陛下のお心に触れ、わたくしは彼を愛していた。同じだけの気持ちを返していただけたことは幸福なことだった。王妃となり娘を産んで、その瞬間は紛れもない幸福の中にいた。ちっぽけな自分が愛する人に見染められ、愛しい幼子の母親になれて、それこそ特別だった。
満たされていた。力を使うことはなかった。そもそも王宮ではなんの不自由もないのだから。
けれどある日、転びそうになった娘を助けたいと願ったわ。けれど娘は呆気なく転んで泣きだした。
途端に怖くなったのよ。あの特別を失ってしまったら? 足元が崩れ去るようだった。
衰えてしまった?
それからは必死に試し続けた。何度かは成功したけれど、精度は落ちていと思う。たまらなく歯がゆかった。
どうすればいい?
完全に失ってしまえば、築いた地位が消え失せてしまう気がした。
何が変わった?
目に映ったのはリージェン。愛しい娘の姿……
大丈夫、たとえ失ったとしても取り戻せばいいのだから。女神になれば、そうすれば永遠に特別な存在でいられる。脅えることはなくなる。
囁いたのは悪魔だったのかもしれない。だとしたら悪魔の囁きで女神になれるはずがないというのにね。
この体は老いていく、わたくしの時だけが速まってしまったみたい。けれど心配いらないわ。来るべき時が来れば全て元に戻る――そのはずだった。
勝手に破滅へと導いたのはわたくし自身。欲をかいて何もかも失ったの。けれどわたくしの身勝手であの子まで失うことはない。
わたくしはどのような咎でも構わない。全てはわたくしの責任なのだから、どうかリージェンを、娘を助けてほしい。あの子に罪はないの!
女神様はおっしゃった。お前の存在と引き換えになら叶うだろうと。
あれほど焦がれていた存在が目の前に在る、それなのに胸には虚しさばかりが溢れ返る。もう、なりたいとすら思わなかった。
それで娘が助かるのなら構わない。わたくしは己の欲のため、とりかえしのつかないことをしてしまったのだから。どんなに償っても償いきれないの。酔狂な女だと女神様は言うけれど、最後くらいリージェンの母でありたいから。
許さなくていい、認めなくていい。永遠にわたくしは罪を背負い続けます。そうしてわたくしは願うだけ。
どうかリージェンが幸せになれますように――
「お母さま……」
一つ一つを言葉にするのは難しくて、油断すれば涙共に零れてしまいそうになる。でもきっとあまり時間は残されていない。
「お母さま! 私は……」
言葉を交わせないのがもどかしい。
遠のいていく意識を繋ぎ止めていたいのに抗えない。ここは本来、人間が存在していい場所ではないから――
もう何も見えないけれど、瞼に焼き付いているのは微笑むお母さまの姿だった。
朝、目を覚ますのが怖いと感じることがある。自分は本当に生きているのか、もしかしたら死んでいるのかもしれないと魘されることもあった。その度に心臓の音を確かめては生きている実感をするの。ほら、今もこうして耳に届くのは心臓の音――
でもそれは私のものじゃない。ぴったりと抱え込まれた、温かな胸の鼓動は……カノエさんのものだ。こんなにも目覚めを怖ろしく思う日が来るなんて、いっそ逃げ出してしまえたら。そんな思考すら読まれているのか抱きしめる腕は緩みもしない。
「えっと……?」
目覚めれば今一番会いたくない人の、しかも腕の中に拘束されていた。
私たちは揃って王宮の庭園に倒れているみたい。女神様は時は正常に戻ったと言っていたけれど、どうやら夜になっているらしい。
けど問題はそんなところじゃなくて、いつまでもこうしているのは心臓的に確実に悪影響ということよ。意を決してまず視線を上げると、最悪なことにカノエさんは起きていた。カノエさんが短くなった私の髪を確かめるように撫でる。そして――
「おはよう、お姫様」
笑ってくれた。
笑顔だ……
この美しい笑顔を、私はなんて表現すればいい? 正直、般若も想像していたので理解が追いついていないんだと思う。
「よく眠れた?」
柔らかく目を細めて、少しだけ首を傾げて、真っ直ぐに私へと笑いかけてくれる。それは自嘲気味でも悲しげでもなくて、ただ嬉しいと語りかけるような表情。
「……いえ、まったく」
こんな時でも心は正直だった。
「リユちゃん?」
「でも――」
「ん?」
「起きたらカノエさんがいて、私が、私がずっと見たかったものをみせてくれて……名前を読んでくれて、忘れていなくて、もう、今どうしたらいいか、わからなくて……」
「君も笑ってくれたら嬉しいな」
つられるように笑えてしまうのだからカノエさんの笑顔には凄まじい破壊力があると思います。
次の話からはエピローグ編が始まる予定です。
もう少し続きますので、お時間ありましたらまた宜しくお願いいたします!




