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金剛

まるで映画でしか見た事のないような立派な青い鎧を着たふたり連れ。

ひとりは背が小さく、もうひとりは背が高い。


その内の背の高い方が私へと走り寄ってくる。

背の低い方はおじいさんへと向かった。


「ィキ!」


懐かしい響きだった。

確かに私はそう呼ばれていた。

その確信があった。


そう思って見てみれば、女性の顔には見覚えがある。

いや、目を見張り、心配そうに見るその顔の印象は薄かったけれども。


抱え起こされて、すぐさま服をまくられた。

驚きに声を発するよりも先に痛みで呻きをもらしてしまう。


自分も見れば、胸のあたりが裂けて血が出ていた。

あの化け物が腕を振り回した時に、爪が当たったのかもしれない。

一度気が付けば、痛みがあり、それは決して小さくない。


「……?」

「……!」


背の低い女性がいつの間にか近づいてきていた。

目の前の女性に何事か良く分からない言葉で話しかけ、それに目の前の女性も同じ言葉で答えた。


背の低い女性が、私の近くまで来て、声を掛ける。


「お久しぶりです。入木さん。お元気でしたか、と聞くには危なかったですね」


耳を疑った。

それは私の知る、私の話す言葉だ。


「え?どうして……いや、それよりも、おじいさんは!?」


嫌な連想をしてしまった。

この女性が離れたのは、既に死んでしまっていたからではないだろうか。


「大丈夫ですよ。今、治癒しましたから。きちんと直すには、もっと時間をかけた魔法の必要がありますけど、今すぐどうこうなったりはしません」


魔法?


意味を受け取り損ねて、なんと返して良いのか分からなくなった。

その間にも、女性が手をかざして、何事かを呟く。

女性の手からはあたたかな光が溢れ出して、それが胸の傷へと注がれる。


傷がひどく疼いた。

かゆみを覚えて見れば、傷がみるみる内に塞がっていく。

それを見て、何が起きているのかは理解出来なかったけれども、おじいさんが助かるという話だけはなんとか信じられた。


「魔法反応だけが頼りでしたけど、まさかこの湖にいたなんて」

「あの、あなたたちは?」


私の言葉に背の低い女性が眉をひそめる。

そうして背の高い女性にも何事かを話した。


「無理のある転移で記憶障害が出てしまいましたか。後できちんと治療はしますけど、まずはこれを渡しておきましょう」


それは、無くしてしまったはずの、あの竿とリールだった。


「これ、あの時なくしたはずなのに」

「私たちはあなたをずっと探してました。あの村までは簡単に追えたんですけれども、その後が苦労しましたよ。なにしろ、本当になんの痕跡もないんですから」


私はずっと人に会わなかった。

それこそあのおじいさんだけだ。

それなら確かに痕跡はどこにもないだろう。

そう思って話すと、背の低い女性は首を振った。


「それだけじゃないんですけどね。でも、さっき魔法反応が出たから、すぐに飛んできたんですよ」


文字通りね。

そう言って笑う意味がよく分からない。


「本当に間に合って良かった。じゃなければ、私がスーに殺され」


何かを途中まで言いかけて、急にやめた。

見れば、背の高い女性が睨んでいる。


「まあ、それは置いておいて。で、釣れましたか?」


話が急に飛んだ。

でも、何を聞かれたのかは不思議と分かった。

思い出したように竿のあったはずの場所を見た。

そこには投げ出されたままの竿がある。

糸を追ってみれば、浮きもそのまま浮いていた。

竿を拾い、確認すると、餌につけたいくらのような卵だけが消えている。


「駄目でした。一度、掛けたんですけど、あっと言う間に竿を折られまして」


そう言って、竿と言うにはあまりにもお粗末なそれを少し掲げて見せた。


「なるほど。でも、その様子なら、道具さえあれば釣れるんじゃありませんか?」


そう言って、今渡されたばかりの竿を指差す。

確かにそうかもしれない。


背の低い女性は、背の高い女性に何事かを話しかけると、おじいさんの方に歩き出して言う。


「このおじいさんは私がすぐに治療できる場所に連れて行きます。後のことはスーにお願いしますから、どうか心おきなく釣りをしてください」


ついさっきまで、命の危険すらあった状況だったとは思えない事を言い出す。


「大丈夫。彼女はめちゃくちゃ強いんですから。そんな犬っころなんて、イチコロですよ」


そう笑って言うと、おじいさんを担ぎ、そのまま歩いていってしまった。

後には背の高い女性だけが残された。


彼女は何も話さない。

いや、話せないようだ。


一応、自分の身体を自分で確認する。

確かにどこも痛まない。

胸も、手も、足も。


気分的な問題を置いておけば、確かに大丈夫だった。

帰りましょうとも言い出せず、仕方なしに、渡されたばかりの竿とリールの準備をする。


ガイド(竿についているリールの糸を通すための輪)に糸を通す。

それだけで何かひどく懐かしさを覚えた。

浮きを付け、針を付け替え、餌を付ける。


準備はすぐに終わった。

一度、ちらりと彼女を見れば、彼女は周囲を見回していた。

その目はとにかく厳しい。


何を言うことなく、竿を振った。


スプール(リールの糸を巻き付けてあるパーツ)から糸はするすると出て行き、今までよりもさらに沖の方へと着水する。


やや遠くなった浮きに目をこらす。

反応はすぐにあった。


浮きが消し込む。

考えるよりも先にリールを巻いた。

それは体に染み付いていた動作。

随分時間があったはずなのに、忘れてはいなかった。

たるませてあった糸が張る。

竿先に魚の反応が伝わる。


それを感じた瞬間に大きく竿を立てた。

やはり大きい。

ぎゅん、と勢い良く糸が引かれ、その力強さにドラグが鳴り出す。


思わず笑いたくなる。

いや、実際に笑っていた。


この音だ。

いくつもの怪魚じみた魚を釣ってきた。

その度にこの音を聞いていた。


ドラグが立てる音はどこか悲鳴じみていて、それがいかに相手の魚が強靭で大きいかを物語っている。


黒曜。

水晶。

琥珀。

象牙。

翡翠。


数々の宝石のような魚たち。

釣り上げる度に、いつも驚きと感動があった。


そうだ。

どこかで分かっていた。

こんな魚は世界のどこにもいないと。

どこか別の世界の魚なのだと。


ドラグが鳴り、糸が縦横に走る。

湖自体があまり深くないせいか、潜るような動きは少ない。

疾走はやむことなく、それに耐えていると、ずっと鏡のように静かだった湖面が割れた。


それはまるで金剛石。

複雑にカットされた宝石のような、虹色の輝きを放つ神秘の魚。


金剛。


そうだ。

これを私はずっと釣りたかったのだ。

話の中でのみ聞いた謎の魚を。


金剛は暴れ回り、そして何度も跳ね、エラ洗い(口を大きく開けたまま首を振るように水面から跳ねる事)をした。

大きさは1メートルには満たないだろう。

それでも、淡水の魚にしては破格の大きさだ。


疾走には耐え、跳ねる度にラインのテンション(糸の張り具合)を意識し、慎重に、慎重にたぐり寄せた。


どんなに強靭な魚でも、ずっと泳ぎ続ける事はできない。

やがて力は弱まり、最後にはその魚体を目の前へと現す。


最後はややぐったりとしたように寄って来たそれを、いつの間にか近づいてきていた女性がしっかりと掴んだ。


「ありがとう。スーさん」


思い出していた。

彼女の名前を。

彼女の事を。


「ありがとう。助けにきてくれて」


ずっと待ち望んでいた誰か。

きっと助けてくれると思っていた誰か。


それは彼女の事だったのだ。

助かった。

実際に日本へと帰れた訳でもないのに、彼女に会えただけでそう思えた。


ありがとう。


私は彼女に抱きつき、そのままキスをした。



ぶっとばされるかとも一瞬考えたけれども、ぶっとばされなかった。

それどころか、彼女は口をへの字に曲げて、そのまま身動きひとつ取らない。

水中から引き上げられて、金剛がばたばたと彼女の手の先で暴れているのにも、何の反応も無かった。


言葉が通じない以上は、何のフォローも意味も無いので、ひとまずは釣り上げた金剛を改めて見た。


顔は魚というよりも、タツノオトシゴのようだ。

体は見る角度、光の角度で虹色に鱗が輝いている。

大きさは7、80センチほどだろうか。

体高はあまりなく、それこそタツノオトシゴと魚の間の子のような姿をしていた。


そうして魚を見ていると、急にスーさんが動き出した。

まるでスタンバイにしていたPCが再起動したみたいにてきぱきと金剛を懐から出した布で包み、立ち上がる。


相変わらずへの字に曲がったままの口で、ちらりとこちらを見ると歩き出した。

それはいつものスーさんと言えば、いつものスーさんの行動そのものだ。


あやまるのも変な話だし、そもそも彼女には言葉は通じない。

放り出してあった弓矢や竿を慌てて拾い上げて、後ろを歩き出した。


その歩調は、いつもよりもほんの少しだけ、ゆっくりしていた。



このまま帰れるのか、それともすぐには帰れないのか。

何も分からないまま彼女の後ろを歩いた。

スーさんは時折、耳に手を当てては何事かを呟く。


よくよく見ればイヤフォンのようなものが耳にはまっていた。

どうやら誰かと交信をしているらしい。

そうしてどこに向かうのかと思えば、それはあのおじいさんの家だった。


中に入ると、背の低い女性、校長とおじいさんがいた。

横になって寝ているおじいさんは服を脱がされていて、その肩には傷跡がある。

傷ではなく、既にそれは何年か前に受けたかのような傷跡だった。


「もう、大丈夫なんですね?」

「ええ。しばらくひきつれる感じはするでしょうけど、生活に支障はないですよ」

「そうですか……良かった」


このおじいさんは命の恩人だ。

誰も助けてくれないと思ったこの世界で、私のことを受け入れてくれたただひとりの人だ。

なにかがあったとしたら、本当に申し訳がない。

私のことを少しじっと見た後、校長が口を開いた。


「いろいろと聞きたい事があると思います。入木さんには本当に申し訳ない事でした」


既に、私が記憶がちゃんとしていることはスーさんから聞いているようだ。

居ずまいを正し、校長が頭を下げた。

校長だけじゃなく、スーさんも頭を下げていた。


確かにいろいろと聞きたい事はある。

この世界の事、今のふたりの鎧姿、傷を治す魔法。

どうしてこんな世界に来てしまったのか。


「ですが、まずは入木さんを元の世界に戻します。お話はそれからにさせてください。入木さんにとって、この世界は本当に危険なことがたくさんある世界でしょうから」


ちらりとおじいさんを見た。


「もう少しだけ、こちらにはいられませんか?」

「……このおじいさんのことですか?」


うなずく。

このおじいさんには本当に助けられた。

このまま帰ってしまったら、おじいさんは大変だろう。

あんな風にかじりつかれた肩が本当にすぐになんともなくなるとは思えない。

不自由があれば、またあの化け物に襲われないとも限らない。

少なくとも、最初に出会った時のようにこのおじいさんがひとりでも大丈夫なことを確認するまでは残りたかった。


今すぐ帰りたいというのも本音だ。

でも、そうしたら後悔してしまいそうな気がした。


「こちらにはこちらの規定がありますから、入木さんには帰っていただきます。……ですから、私がしばらくは残りますよ」


校長が別の提案をする。

ずっとは無理でも、おじいさんの生活の保障をしてくれるようだ。

それは、着慣れた風の鎧姿を見ても、私なんかが残るよりも余程確かなことだろう。


おじいさんの寝息は穏やかだった。

もうこの人にも会えなくなるのか。

そう思うと無性に悲しくなった。


言葉はなくとも、この人は本当に優しかった。

ただじっと私のことを見る目には何の悪意もこもってはいなかった。


「ありがとうございました」


ずっと言えなかった言葉を口にする。

ずっと言いたかった言葉を口にした。


スーさんと一緒に家を出た。

しばらく歩いたところで振り返る。

粗末で、とても小さな家だ。

それでもあそこは私の家だった。

私の帰るべき場所だった。


目に焼き付けるように、しっかりと見た後、スーさんの後を進んだ。

振り返らずに。


そうして、家から離れた所で、スーさんが懐から1枚の大きな紙を取り出し、何事かを呟く。

回りの空気がその瞬間に冷え込んだような気がした。

そうして辺りに真っ白な霧が漂い出す。

何も見えなくなる前に、誰かが私の手を掴んだ。


その手の感触は知っていた。

私はその手をぎゅっと握り返した。


帰れる。

それは、嬉しい事なのに、どこか寂しかった。



私は山で遭難して、そのまま行方不明になっていた。

どうやらこちら側、日本という現実の中ではそういう事になっていた。


少しだけニュースになって騒がれもした。

何やら校長たちのいるあの研究所、実際の所はまったく別の何かなんだろうけれども、そこが手を回してくれて、ずっと病院にいて面会謝絶だったので、実際的に困る事はあまりなかった。


親にも泣かれて、これからはひとりで釣りに行かないように、と厳しく叱られた。

そう、私はひとりで釣りに行っていた事になっていた。

あの釣り堀のことは誰にも話していない。

そういう契約だったというのもあるし、私の経験したあの事はあまりにも現実離れしていた。


ひと月、入院して、退院する前にスーさんと校長が病院に現れた。


「おじいさん、元気になりましたよ」


傷も癒えて、またひとりであの山の中を歩き回っているらしい。


「何か言っていましたか?」


私のことを。

結局、おじいさんの声は聞いた試しがなかった。

校長は首を振った。

校長に対しても、何ひとつ語らなかったらしい。

ただ、時折、残してきたあの重く使いにくい竿と私の使っていた弓矢をじっと眺めていたそうだ。

それを思うと無性に悲しくなった。


「入木さんが契約を守ってくださった事、本当に感謝します」

「誰も信じてくれませんよ。言ったとしても」


私の言葉に校長が静かに笑った。


「そうですね。でも、変な噂が立つのは困りますので」

「あなたたちはどこか遠い世界の人たちなんですね?」


問いには校長は肯定も否定もしなかった。


「詳しい事は言えませんけれども。今回のことはこちらでもかなりの問題になりました。おそらくあの“釣り堀”は閉鎖されます」


酷い目にもあった。

それでも、思い返せばやっぱりすごい体験ができたあの釣り堀がなくなってしまうというのは、残念に思う気持ちが強い。


「そうですか……」


何か言いたかったものの、気持ちが空回りするだけで、何も言えなくなってしまう。


「そうだ。お見舞いがまだでしたね。スー」


スーさんが差し出してきたのは、入り口に立てかけてあった布袋だった。

入ってすぐに立てかけたそれが気にならなかった訳では無い。

もしかしたら槍でも入っているのではないか?などと思ったりもした。

開けてみると、中に入っていたのは散々見慣れた、あの釣り堀で使っていた竿とリールだった。

冗談だったのか、本当だったのか、高級外車のSクラスが変える値段と言っていたものだ。


「え?」

「どうぞ。くれぐれも……いや、入木さんなら大丈夫でしょう。大切に使って頂ければ嬉しいです」


驚き、まじまじと見ていると、校長とスーさんが立ち上がる。


「それじゃあ、私たちはそろそろ行きますね」

「お別れですか?」

「どうでしょう?ねえ、スー?」


校長がスーさんを意味ありげに見た。

私もスーさんを見る。


「ィキ、またな」


スーさんが名前以外の日本語をはじめて話した?


驚いている間にも、ふたりは部屋の外へと歩き出してしまう。


「あ、あの!」


校長は少しだけ振り向いて笑い、そのまま部屋を出ていってしまう。

スーさんはきちんと振り向いた。

相変わらずの仏頂面。

への字に曲がった口。

感情の読み取れない表情。


何を言う?

何を言えば良い?


めまぐるしく回る思考の中で、私が選んだ言葉は、後で考えるとひどく情けない言葉だった。

彼女に何を言えば伝わるか?

それは、彼女が使った言葉なら通じるだろうという、なんとも安易なもので。


「また!また会いましょう!」


スーさんは、私の言葉に力強く頷いた。


大丈夫。

また会える。


まるでそう言うように。


スーさんは部屋を出た。


後に残されたのはひと振りの竿とリール。


また、また会いましょう。

その時には。




とある山奥に、農家の家すらもほとんど無いようなそんな寂れた廃村寸前の場所に、まるでこの世のものとは思えないような魚を釣らせてくれる釣り堀があった。


黒曜。

水晶。

琥珀。

象牙。

翡翠。

金剛。


数々の宝石のような魚たちを求めて、今日もまた釣り人はその釣り堀に。






金剛=基本的には湧き出す水源から魔力を得て生きる水精の一種。魔力の豊富な卵などは例外的に捕食する。

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