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へびの夫婦  作者: たま
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万華鏡のせかい:最終話

 それは突然に起こりました。



 それまで晴れ渡っていた青空に一条の銀色のひかりが走ったのです。それはまばゆいほどに神々しく、そうしてどこか恐ろしいひかりでありました。


 「……時貞、さま……?」


 紫がはじかれたように窓にかけよります。そうして言葉をなくしたように立ちすくみました。

 空はみるみるうちに黒い雲に覆われていきます。生ぬるい風がびゅうびゅうとふき、紫の白い髪をさらいました。

 次の瞬間、地の底からつきあげるような衝撃が蛇骨族の都を襲いました。この都の四方は高い山に囲まれております。そのひとつ、とおくの東の山の一角が砂の城のように崩れたのです。

 轟音とともに何かの影がそこからあらわれました。山ほどに大きなその黒い影は、奇妙な形をしておりました。頭と、そうして尾のある位置に見える影は何故だか八つにわかれてうねうねと動いているように見えたのです。

 あまりのまがまがしさに庭師も赤坊も青坊も、呆然とそのさまを眺めておりました。山の崩れる轟音とすべてを引き裂く様な雷光の音、なまぬるくも激しい風が吹き荒れます。

 よりいっそう激しい地を震わせる雷が空を裂いた瞬間、ついに大粒の雨までがこの地をばらばらと襲いました。

 曇天の空、視界もままならない状況でも八つの頭の影はなによりつよく、そうしてなにより禍々しい気配をしめしておりました。それは確実にこの都に向かって進んできているようでした。


 部屋の中のものは誰一人として動けませんでしたが、たったひとり、動けたものがおりました。それは紫でした。紫はおそろしさのあまり硬直している子蛇たちをやさしく掴むと、彼らがそれまで入れられていた籠の中に入れたのです。びっくりしている子蛇たちに紫はやさしげに笑って、そうして籠のふたを閉めました。


 「庭師さん、どうかこの子たちを連れてください。できるだけ、できるだけとおくに」

 「え、い、いや、しかし……」

 「わたしはここに残ります。だって、やくそくをしたの。時貞さまがお帰りになるまでここを出て行かないって」

 「奥方さん、しかしな」

 「……おかえりなさいと、いいたいの……おねがい、します……」


 老爺の大きなため息とともに、赤坊と青坊の入った籠が担がれる気配がしました。そこではじめて、赤坊と青坊は我に返って紫の名前を呼びました。むらさき様、むらさき様。


 「赤坊、青坊……これはね、蛇骨族の咎なの。ひとつのやさしいひとにすべてをまもらせてきた、その代償なんだよ。きれいなおまえたちには関係ないこと。……どうか、げんきで。しあわせにね」


 籠の隙間から見た紫は、ほんとうに落ち着いて見えました。すとんと何かを全部飲み下して受け止めたかのような、そんな落ち着いた気配でした。そうしてきれいに笑って、二匹に手を振りました。


 むらさき様、むらさき様。


 叫ぶ声は激しい音によってかき消されてしまいました。

 おそらく老爺に背負われている籠は盛大に揺れ、二匹はあちこちに頭をぶつけてそのうちに気を失ってしまいました。




 どこを逃げたのでしょう。赤坊にはわかりませんでした。なぜなら、目が覚めたときはまるきり知らない土地に連れてこられていたからでした。

もう籠からは出されておりました。ふかふかの着物の上に青坊とともによこたえられておりました。


 ここはおれの家だよ。目が覚めた赤坊に向かって庭師の老爺は言いました。

 だけどもすぐに引っ越さなきゃならん。都を襲った化け物がいつここまでくるかわからんし、人間までもが都を狙っているという噂だからな。おまえたちも一緒に来るがいいさ。残念だかお前たちの姐さんは……さすがに生きていないだろうから。


 老爺の家族がばたばたと引っ越しの準備をしている中、赤坊と青坊はくっついて静かに泣いておりました。もうほとほとに疲れ果てて、ぴくりとも動きたくない気分でした。


 赤坊たちのいた蛇骨族の都は壊滅したとのことでした。襲ったのはそろしいまで大きな化け物、情報は錯綜しておりますが、たたり神ではないかとも言われておりました。天候をも自在に操るあやかしなんてこの世にはいないからでした。


 「あれは八岐大蛇ってえ神さんじゃねえかと噂されている。水と地を操ることのできるおそろしい神さんだ」


 泣き疲れてくったりしている二匹に、庭師の老爺はたべものを与えながら教えてくれました。


 「あのとき影をみたろう、頭が八つの蛇にわかれていた。おれはあれはたしかに八岐大蛇さんだったと思うよ。ただ……お前らの姐さんがあれを若君としてみているような口ぶりだった。あれは若君だったのかね、だとしたらどうしてこんなことになっちまったんだろう」


 八岐大蛇は蛇骨族を真っ先に食うという噂でした。だから庭師の一家もできるだけ遠くに逃げようとしているのです。老爺は身を寄せ合っている子蛇に明日出発するからなと声をかけると立ち去りました。

 庭師の足音が消える頃、青坊がぽつんと消え入りそうな声でつぶやきました。


 ――あれが若君なら、むらさき様はもう、きっと生きていない……。



 空は昏く、灰色の雲がちぎれるように流れていきます。赤坊はそれを見ながら、都はどちらの方かなあと思いました。青坊はあいかわらずぐったりと身を伏せておりますが、一晩身を休めると、赤坊は少し元気が出てきておりました。


 「あねさん」


 庭師の老爺は紫のことを「お前たちの姐さん」と呼びました。


 「あねさん、あねさん」


 その音は口の中で転がすと、それはとってもよい響きのように思えました。紫にぴったりだ、とも思いました。今度紫に会ったらそう呼ぼうとも思いました。青坊と違ってあまりものわかりのよくない赤坊は、紫がもうこの世にはいないなんて思いませんでした。


 「青坊青坊、あねさんに会いにいこう」


 青坊の頭を鼻先でつつきながら言うと、青坊は涙にぬれた金色の瞳を赤坊に向けました。


 「……もうむらさき様は生きていないよ。若君に食べられてる……」

 「そんなことないや、いきてるよ」


 赤坊は言いました。


 「あねさんはおれたちのあるじなんだろ。こんどはおれたちが守るたちばになったっておまえがいったんじゃないか。だから都にもどろう。きっと、あねさんひとりぽっちで困っているよ」


 青坊はそんな青坊をじいっと見て、そうしてやがてこっくりと頷きました。



 庭師の老爺は二匹が都に戻ることをとめました。だけれど二匹の決意は固く、揺るぐことはありませんでした。


 「おまえたちの頑固なところはお前たちの姐さんゆずりだな」

 「うん。ふふ、あねさんあねさん。なあじいちゃん、おれ今後からむらさき様のことじいちゃんみたいにあねさんってよぶんだ」

 「……そうかい」


 二匹が都の方に戻っていくのを、老爺とその一家は見送っていきました。死ぬなよと言われたので赤坊と青坊はきゅいきゅいとお返事しました。


 都の方角はすぐにわかりました。都の上の空はどこよりも昏く、荒れているからでした。だから二匹は時折空を見ながらよちよち進んでいきました。

 途中、都から逃げ出した蛇骨族の群れをたくさんみかけました。みんな突如として現れた化け物を罵り、恐怖し、殺されたものたちを悼みながら逃げておりました。その中には屋敷にいたものたちも混じっておりました。それはあれだけ栄華を築いていた蛇骨族の都が壊滅したことを意味しておりました。


 誰もが逃げ出す中、おそらく逃げ出さなかったのは紫だけだったのでしょう。すとんと落ち着いた顔の紫を思いだすと枯れ果てたはずの涙が出てきて困りました。 くすんくすんと鼻をすすりながら、二匹は道を進みました。


 二匹はこれまでの経験から、できるだけ蛇骨族に会わないような場所を選んで進みました。八岐大蛇というおそろしい存在を恐れたのか、森には生き物と言う生き物がまったくいませんでした。すべて逃げ出してしまったのかもしれませんでした。

 そんな道なき道を進んでいた赤坊と青坊でしたが、途中で森の奥深くに生き物が集っているのをみつけて顔を見合わせました。

 その生き物ははじめてみる生き物でした。蛇骨族に姿は似ておりますが、蛇骨族のように蛇のしっぽが生えてはいなかったのです。

 二匹がそれを見ていると、その生き物の一人がそれに気づいたようでした。


 「総さん、ちいさい蛇が二匹いるぜ。もしかして蛇骨族かねえ。ひとつひっつかまえておこうか。蛇骨族は見つけ次第捕らえろってご命令だったじゃないか。八岐大蛇の餌にするんだろう、あいつは蛇骨族を狙ってくるから」


 二匹はその言葉に震えあがりました。するとその生き物の側からもうひとつの声がしました。


 「そんなことしなくていい。おれたちは働いているふりをしていればいいのさ」

 「総さん、だから俺らの部隊は馬鹿にされっぱなしなんだぜ」

 「馬鹿にしたいやつは馬鹿にしておけばいいのさ。おまえも俺の部隊についたのなら腹をくくってのんびりしているんだな。どうぜ出世なんかできやしないから」

 「なんだと」



 総さんと呼ばれた生き物が二匹に向かって行け、と言うように手を動かしたので二匹はあわててその場を離れました。しばらくすすんで青坊がつぶやきました。あれはたぶん人間ってやつだよ。庭師さんが言っていたじゃないか。人間も都を狙っているって。そうしてきゅうと悲しい声を上げました。

 

 「むらさき様は人間にも狙われているんだ。どうしてみんなむらさき様ばかりを悲しい目にあわせるのだろう」

 「じゃあおれたちだけはそうならなければいいんだよ」


 赤坊はつぶらな瞳を青坊に向けて言いました。


 「おれたちだけはあねさんの味方でいればいいんだ。なあ、だから早くあいにいこう」


 のちに青坊は言ったものでした。

 お前は考えなしなところが多分にあるのだけれど、ときどき物事の真実をいうのでびっくりする、と。



 二匹はよちよちと紫を探して回りました。きっと生きてる、ぜったい生きている。そう言いあいながら、何日も何日も、都の周りを探し回りました。


 崩壊した都の中へは入れませんでした。そこでは八つの頭を持つ大きな大きな蛇が、八岐大蛇と呼ばれる祟り神が暴れていたからでした。

 それは恐ろしい光景でした。八岐大蛇はそれぞれの八つの頭を引き裂き、岩盤に打ち付け、踏みつけては食いちぎりと、自らの身をぼろぼろにしていたからでした。

 傷口から雨のように降り注ぐ赤いものはあたりを腐らせ溶かしてしまうため、悪臭がたちこめておりました。そのくせその身はすぐに再生しているようでした。だから八岐大蛇はずっとずっと、繰り返しその身を切り刻んでは赤い雨を降らせていたのです。



 赤坊と青坊が紫を見つけたのは、それから三日後のことでした。

 紫は、都を囲む山の大きな岩の影から、八岐大蛇を悲しげな瞳で見下ろしていおりました。白紫の髪がふきあれる風になびき、纏った白い衣は風に翻っておりました。昏い世界にたったひとつの、それは白い色でした。


 白い娘は、赤いものにまみれ続ける祟り神をひたすらみつめつづけておりました。

 それはどこか、手をふれるのもためらうほど神々しいものに見えました。




 二匹は勇気を出してきゅうと鳴きました。

 紫の瞳がこちらを向きます。その赤い瞳がまるく見開かれました。二匹がもう一度きゅうと鳴くと、その大きな瞳からぽろぽろと涙がこぼれだしました。


 そうしてやさしい声がそれぞれの名を紡ぐ前に、二匹は大好きなあるじの胸におもいきり飛び込んだのでした。







 蛇骨婆と呼ばれるあやかしには二匹の護り手がおります。

 一匹は赤の大蛇。

 もう一匹は青の大蛇。

 

 いえ、後世に残された絵巻物によれば「蛇骨婆」とは三匹で一人のあやかしと言えるのかもしれません。

 何故なら、絵巻物に描かれている蛇骨婆には必ず二匹の大蛇がくっついているのですから。


 「蛇骨婆」というあやかしは、そうしていまも蛇五右衛門を守り続けているといわれています。


 そう、二匹の大蛇をともにして。






 万華鏡のせかい:完

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