第30話:ディス・イズ・プロレスラー
「レオ、ロープを出して! あいつの首に巻きつける!」
「おうっ! 頼むぞ、セラ!」
レオが全身の闘気を極限まで研ぎ澄まし、両手から青白い光のロープを紡ぎ出す。セラはその端をがっちりと掴むと、ヒュドラの巨体の周囲を猛然と駆け回り始めた。
シュー、シューと不気味な風切り音を立てて襲いかかるヒュドラの八つの頭。超高濃度の毒霧と、鉄をも噛みちぎる鋭い牙が四方八方から迫るが、セラはしなやかな身のこなしで、ひらりひらりとアクロバティックに攻撃を躱していく。
時に、迫り来る首へ強烈なエルボーバットやチョップを叩き込み、側頭部へハイキックを見舞ってその場に留めながら、セラはレオのロープをヒュドラの首の隙間に複雑に通していった。
「へへーんだ! 知恵の輪みたいに、絡まってなさいっての!」
セラの煽りと誘導により、ヒュドラの八つの首の向きが次第にあべこべになり、互いに絡み合い始めた。レオのロープもぐるぐるに巻き付けられている。
「よし! 今だよ、レオ!」
セラの合図が届いた瞬間、ロープの維持に全神経を注いでいたレオがかっと目を見開いた。
ヒュドラの八つの首がすべてロープの輪の中に収まっているのを確認し、レオは両手を引いて一瞬でロープを収縮させる。
即座にキュッ、とロープが絞まり、ヒュドラの八本の首がビッチリと束ねられる。
「よぉっし、きまったぁー! 投げやすくなったね!」
セラはロープの束を両手で掴み、背筋のバネを総動員して、八つの首をまとめて地面へ叩きつけた。
凄まじい衝撃音が響き、ヒュドラの体が大きく波打つ。
しかし、さすがは国ひとつを滅ぼした最凶の魔獣。ヒュドラは首を束ねられたまま、その巨体を狂ったようにねじり、大暴れし始めた。全身が激しくのたうち、コルダ王やライサが近づいて首を斬り落とす隙がない。
「くっ、暴れすぎて近づけない!! セラ、合図は!?」
大剣を構えたライサが叫ぶが、セラも暴れるヒュドラを抑え込むのに必死で、斬撃の合図を出せずにいる。
「それなら……っ! 身動き取れないようにしてやる!」
セラはエミーの重力の腕輪に意思を伝える。
「重くして! アタシの足を、地面にがっちり固定!」
セラの自重が何倍にも、何十倍にも増し、両足が地面にめり込んでいく。
軸足を完全に固定したセラは、八本の首を縛り上げたロープの端を両肩に担ぐようにして掴み、全身の力を込めて体を回転させた。
「まーーわーーすーーぞぉぉぉーーー!!!」
ジャイアントスイングの開始だった。
重力操作で足に固定軸を得たセラの力で、ヒュドラの巨体が宙に浮き、遠心力でぐんぐんと加速していく。
「え。う、うおおぉぉぉーーーっ! セラぁぁぁーー!?」
ロープの起点となっているレオに、全身が千切れそうなほどの凄まじい遠心力と負荷が襲いかかる。レオは腕の血管を浮き上がらせ、顔を真っ赤にして叫び声を上げながら、気合で闘気のロープを維持し続けた。
エミーは必死で涙をこらえつつ、セラの腕輪を一心に見つめ、重力の効果が暴走しないことを祈り続けていた。
剣も魔法も使えない素手の女。何も斬れない闘気の使い手。失敗続きの重力魔法。セラ、レオ、エミー、持たざる者たちの奇跡の組み合わせが、王国を襲う脅威を制圧しようとしていた。
「十回ーー回したらーーそっちにーー投げるよぉぉぉーー!!!」
セラは回転しながら、ライサとコルダ王に向かって叫ぶ。誰からともなく、観衆たちが回転数を数え始める。
「一回! 二回! ……五回! 六回!」
巨大な八つ首の邪竜が、戦場で風車のようにぐるぐると回転し、瓦礫や土煙を巻き上げる、非現実的な光景。周囲の兵士たちは、ただただ、その人知を超えた力に圧倒されていた。
「……十回ぃぃぃーーっ!!! いーーくーーよぉぉぉぉ!!!」
回転が最高速度に達し、セラはロープを手放した。
ヒュドラの巨体は空高く舞い上がり、コルダ王とライサの目の前に落下した。
八つの首は、遠心力でダルダルに伸びきり、完全に無防備となっている。
「ゆくぞ、ライサ!」
「おうよ、旦那!」
ぴったり息の合った二人の斬撃が、左右から交差するように鋭く振り抜かれた。
コルダ王の闘気を纏った大剣と、ライサの渾身の力で振り下ろされた剛剣。二つの剣の軌跡が美しく交わり、ヒュドラの八本の首が一時に完全に切り離された。
同時にすべての首を失ったヒュドラは、確かに再生が止まっており、その中心にあった妖魔神フォベトールの魂、すなわち「核」が、甲高い音を立てて崩壊し始めた。
フォベトールの断末魔の悲鳴が、王都の空に響き渡る。
やがて、ヒュドラの巨体は黒い瘴気の泥となって溶け出し、大地の底へと沁みこみ、消滅していった。
しばしの沈黙と静寂の後。今度こそ、王都アストラムに地鳴りのような戦勝の歓声が巻き起こった。
「勝った……! 勝ったんだ!」
「生き残った……。はは、俺たち、生き残ったぞ!」
「ティグレス王国万歳! コルダ王万歳! ライサ隊長万歳!」
「英雄セラ、万歳!」
ルサーノ率いる騎士団、アマテア率いる魔法師団、そして疲れ果てた傭兵たちが、互いに抱き合って涙を流している。
コルダ王とコルミィ王妃が並び立ち、寄り添って勝利を噛みしめ、その横でライサがセラを担ぎ上げて笑っている。
セラは完全に目を回しており、ライサの肩でゆらゆらとしている。
レオはプルプルと膝を震わせて闘気切れの脱力感に耐えており、エミーはそれを見てくすくすと笑っていた。
こうして、王都を襲った魔王軍の侵攻は、前代未聞の作戦によって防がれ、王都アストラムは、再び穏やかな日々を取り戻した。
セラを知る者たちは、幾日も幾月も彼女の活躍を称え、王国の人々は、その英雄譚を誰彼かまわず謳って聞かせた。しかし、事情を知らない他国の者や異邦の吟遊詩人は、そのあまりの荒唐無稽さに、「英雄セラ」を現実の存在とは考えなかった。星の起こした奇跡、あるいは、天変地異の類であろう、と。
しかし、後の世の人々は知っている。「英雄セラ」の伝説は、この時、わずかに幕を開けたばかりだったのだ、と。
*
ここは王都アストラムの下街。生命が奮い立ち、熱狂が渦巻く「闘いの殿堂」――街の象徴でもある「グラン・コロッセオ(大闘技場)」。
石造りの控室は冷たい湿り気を帯び、血と古い革の匂いが漂っている。
その一角で、セラは真新しい不死鳥の闘衣に身を包み、入念なストレッチを行っていた。
隣には、すっかり黒装束が馴染み、精悍な顔立ちになったレオが、真剣な眼差しでセラの腕にバンテージを巻いている。
「よし、完ッ璧!」
「緊張してないか? 今日はいよいよデビュー戦だぞ」
「冗談でしょ! アタシ、この時のために生きてるようなもんだからね! もう、ワクワクして心臓が爆発しそうだよ!」
セラは軽やかに屈伸し、その場でジャンプする。小さくステップを踏むと、リングシューズが床を噛む小気味よい音が響く。
魔王軍との死闘をくぐり抜け、セラは、傭兵、そして冒険者としての名声だけでなく、王国直属の「闘技士」という、世界でたったひとつの称号を手にしていた。
今日戦う大会は、世界中から腕自慢の猛者たちが集う、年に一度の大イベントだ。
「時間だ、セラ」
レオが微笑み、厚い扉を押し開ける。
扉の向こうからは、何万人もの観客が発する雷鳴のような歓声が聞こえてくる。
「行ってくるよ、レオ!」
「ああ。暴れてこい!」
セラは大きく息を吸い、胸を張って、花道へと歩み出した。
暗い回廊を抜けた先には、色とりどりの魔法の光球が浮かび、闘技場全体が舞台のようにライトアップされていた。
観客席を埋め尽くす超満員の人々。
最上段の貴賓席ではコルダ王とコルミィ王妃が優雅に手を振り、最前列ではビール樽を掲げたライサと仲間たちが陽気な叫び声を上げている。ルサーノやアマテア、エミーの姿もあった。
セラが観客の前に現れた瞬間、大音量の入場アナウンスが響き渡った。
『――お待たせいたしました! 本日のメインイベント! 赤鬼を倒し、魔神を討ち、王都を守った竜殺しの英雄! 戦場に美しく舞う、新たなる闘技の探究者! 孤高の――“プロレスラー”!!!』
実況の声に観客のボルテージは最高潮に達し、空を割るような大声援が巻き起こる。
『朱雀ぅぅぅーーー!!! セラぁぁぁぁーーーーーーっ!!!』
特大の魔法花火がいくつも打ち上がり、セラの闘衣を鮮やかに染める。
セラは人々の大歓声を全身に浴びながら、最高の笑顔でリングへと躍り出る。
ファイティングポーズをとり、観客へアピールするセラの姿を、万雷の拍手と喝采が包み込んだ。
(第1部・完)
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