第8話 憎悪の理由
誠一と一ノ瀬は、特別教室棟二階の職員室に来ていた。
一ノ瀬は、テロリストの本拠地があると考えられる教室棟三階に一人で突っ込むつもりのようだったが、誠一がどうにか引き止めて、職員室まで半ば引っ張るようにして連れてきたのだ。
何故かは知らないが、一ノ瀬がテロリスト――つまり日本市民解放機構に対して並大抵でない憎悪を抱いているらしいことは、もはや抵抗する意思も能力もなかった桐山を何の躊躇もなく射殺したことや、自分の命などお構いなしの無謀な特攻を仕掛けようとしていたことから、容易に想像がついた。
解放機構に対して怒りと憎しみを露わにする一ノ瀬の気持ちを、誠一はよく理解できる。だが、一ノ瀬が激情に駆られてくれたおかげで、誠一は冷静になることができていた。
あと何発弾倉に残っているかも分からない短機関銃だけで、少なくとも十人以上はいる敵のただ中に特攻を仕掛けるなど、はっきり言って自殺行為以外の何物でもない。そんなことをしたって、十中八九、あっという間に殺されて犬死に終わるだろう。
誠一はそんなことを並べ立てて、殺意を滾らせながら教室棟のほうへと猛然と足を進める一ノ瀬を必死に引き止めた。
最初は完全無視を決め込んでいた一ノ瀬だったが、「銃の弾倉交換方法も知らないで、どうやって敵と戦うつもりだ」という誠一の言葉に、ようやく「あんたは知ってるの?」と返してきたのだ。
やっと開いた突破口を見逃す愚は犯さず、
「ああ、知ってる。教えるから、取り敢えず一緒に来てくれ」
と迷いなく答えた誠一に、一ノ瀬は渋々といった様子で従ったのだが、その「知ってる」の意味が「(映画やゲームで見たことがあるという程度の知識で)知ってる」だと分かれば、弾倉に残された最後の数発は自分に向けられるかもしれないなと誠一は思った。そう思ってしまうほどに、一ノ瀬の放つ怒気は凄まじかった。
殺した二人から短機関銃の弾倉やナイフなどの使えそうな物資を回収してから、誠一たちは教室棟から最も遠い調理室脇の北階段を下りて職員室まで来た。
道中、先生とも生徒とも敵とも遭遇せず、職員室にも杉田先生の死体を除けば人影はなかった。床に散らばったプリントや文房具などが襲撃時の混乱を窺わせるのみで、職員室だけでなくその周囲にも一切の人気がない。
「クソ、固定電話も通じない」
誠一は、受話器を乱雑に本体に戻して言った。
あちこちの机に置いてある電話機のモノクロ液晶には、ドットマトリクスで「回線ナシ」と表示されていて、恐らく解放機構の連中が電話線の大元を切るなりしたのだろう。
よく考えれば、大河原たち親衛隊の連中がコソコソと何かしていた屋上には、確か携帯電話の基地局があったはずだ。携帯が通じないのも、大河原たちが基地局に何かしたからに違いない。
「パソコンのネットは…………こっちもダメか」
三年生の成績表を開いたまま放置されたデスクトップパソコンも、タスクバーのネットワークアイコンに×の印がついていて、外部にメールを送ることなど出来そうになかった。
藁をも縋る思いで職員室に来たのだが、完全に徒労だったようだ。
頭を抱える誠一に、回転椅子に座っていた一ノ瀬が「残念ね」と大して残念とも思っていなそうな口調で言った。
「じゃあ、そっちの用が済んだなら、さっさとこの銃の使い方を教えて」
一ノ瀬が、UZI短機関銃を持ち上げる。
時間を置けば冷静さを取り戻してくれるだろうと思っていたが、どうやら賭けは外れたらしい。元々そういう話だったとはいえ、銃の使い方を教えてしまえばすぐにでも特攻するであろう彼女に、そう易々と教えるわけにはいかなかった。そもそも、教えられるほどの知識がないというのもあるが。
「なあ、何でそんなに好戦的というか、その……解放機構に何か恨みでもあるのか?」
誠一が一ノ瀬におずおずと尋ねる。一ノ瀬は、時間稼ぎを試みる誠一を凄まじい殺気の籠った目で睨みつけた。
「あんたも家族を解放機構に殺されてるんでしょ? 分からないの?」
一ノ瀬の声には、怒りだけでなく軽蔑が多分に含まれていた。
頭をバットで殴られたような衝撃を受けた誠一は、しかし馬鹿にするような口調にショックを受けたわけではなく、そもそも馬鹿にされたことに気づいてすらいなかった。
家族が高見沢駅爆破事件で死んだことは、学校の誰にも話していない。
大した会話のないクラスメイトは元より、担任にも言っていないはずだった。それなのに、なぜ知っているのか。
「噂よ。だいたい、高見沢駅のすぐ隣駅の高校に来ておいて、本気で誰にも知られてないと思ってたの?」
誠一がどうにか捻り出した「何でそれを」という疑問を一蹴した一ノ瀬は、さらに続ける。
「入学したときには、もしかしたら協力できるんじゃないかと思ってた。けど、あんたの顔を見たら、すぐにダメだと分かった。復讐する気もなければ、かといって乗り越えて前に進もうとしているようにも見えなかった。要するに、人間の抜け殻。関わっても時間の無駄。その価値も意味もないと思ったのよ」
「…………」
よく分からないという顔をする誠一。一ノ瀬はそれを見て、「まだ分からない?」と呆れたように言った。
「私も家族を解放機構に殺されてるのよ。四年前、大学生だった兄は解放機構の革命ごっこにのめり込んだ挙句、幹部に脅されて爆弾持って三芝電器の面接会場に行って、仕掛けるのを躊躇している間に爆弾を起爆されて死んだ」
淡々と語る一ノ瀬の声からは、さっきまでの怒気が嘘のように感情が抜け落ちていた。昂りすぎた感情の針が、一周してゼロに戻ったかのように。
しかし、UZI短機関銃の握把を握る彼女の手は関節が白くなるほど強く握り締められていて、壮絶な怒りが彼女の中に渦巻いているのが分かった。
「まあ、馬鹿な兄が死んだのは自業自得だと思う。兄は到底許されないことをした。だけど、死んだことである程度の報いは受けた。兄だけじゃ取り切れなかった責任は、母が自分の命で取った」
「じゃあ、解放機構は? 連中は、高見沢駅爆破事件後の一斉検挙で事実が分かるまで、三芝電器自爆テロについて知らぬ存ぜぬで責任の一つも取らなかった。今も、清水麗華を筆頭に娑婆でのうのうと生きてるクズが何人も残ってる」
「私は、解放機構残党――特にそのリーダーの清水に責任を取らせることをずっと夢見てきた。この学校に入学したのも、アーチェリー部に入ったのも、悪目立ちして勘付かれないようにクラスメイトとそれなりに仲良くしてきたのも、全てそのため。この二年間、大河原の警護が厳しくて清水殺害のチャンスは巡ってこなかったけど、地下に潜ってた手配犯まで集まってる今日は、まさに千載一遇。全員殺して、母と馬鹿な兄への手向けにする。だから、さっさとこの銃の使い方を教えて」
一ノ瀬は誠一の目を直視しながら、UZIを机の上にドンと置いた。
三芝電器自爆テロ事件のことは、概要程度なら知っている。確かに犯人の苗字は一ノ瀬だった。
誠一は、一ノ瀬の解放機構への憎悪の理由に納得すると同時に、どこか眩しく思ってしまった。
四年間の長きに渡って解放機構への復讐心を失わず、それを熱源にして行動し続けてきた一ノ瀬。
対して、自分はどうか。
家族が死んですぐの頃は抱いていた復讐心もいつしか冷めて諦念に変わり、今では一ノ瀬の言う通り「抜け殻」のように日々を虚無で埋めてやり過ごしてきた。そんな自分に、一ノ瀬を止める資格などないし、最早そのつもりもなかった。
「……まず弾倉を外せ」
誠一が口を開いた。
一ノ瀬が「どうやって」とすかさず聞き返したが、それに対する「知らん」という答えに、一ノ瀬は再び誠一を睨みつけた。
軍事オタクというわけでもない誠一が、UZI短機関銃の詳細な構造や使用方法など知るはずもない。だが、ここで諦めれば、一ノ瀬は素手でも解放機構の連中を襲いに行くだろう。
誠一はゲームや映画から得たにわか知識を総動員し、一ノ瀬の手の中のUZIを観察すると、「ここを押してみろ」と言って、握把下部の留め金を指さした。
一ノ瀬が留め金を押して弾倉を引き抜く。数十発の拳銃弾が収まるであろう細長い弾倉は、既に撃ち尽くしていたらしく一発も残っていなかった。
一ノ瀬は空の弾倉を捨て、回収しておいた予備弾倉をブレザーのポケットから取り出すと、誠一に指示されるまでもなく握把に挿入した。
「そしたら、棹桿を引け」
誠一が、UZI上部に飛び出ている摘みのような部品を指さして言う。一ノ瀬は言われた通り棹桿を引こうとするが、棹桿は動かなかった。
「動かないけど」
「え……? ちょっと貸してみて」
UZIが一ノ瀬から誠一の手に渡る。
誠一は色々な角度からUZIを見てみたり、あれこれいじってみたりした末に、「これだ」と言って握把後部のボタンを押して見せた。
「このボタンを握りながらじゃないと棹桿が引けないみたいだ。多分、安全装置の一種なんだろ」
誠一がグリップセーフティを握り込みながら、棹桿を引く。
ガシャッという機械音とともに、棹桿と連動した遊底が後退し、発射準備が整った。
「握把根元のスライド式セレクタで、連射と単射、安全を切り替えるんだと思う。今は連射だから、多分真ん中が単射で、一番手前が安全のはずだ」
誠一はそう言いながら、一ノ瀬にUZIを返す。
一ノ瀬はUZIを受け取ると、椅子から立ち上がった。
「ありがとう、助かった。私は解放機構のクズ共を殺しに行くから、それじゃ」
「それじゃ、じゃねえよ。いくら何でも無鉄砲すぎるだろ」
早速職員室を出ていこうとする一ノ瀬の腕を掴んで引き止める誠一。
鬱陶しそうに振り払おうとする一ノ瀬だったが、誠一の「俺にいい考えがある」という言葉に振り返った。
どうやら聞く耳はあるらしいことを確かめ、誠一は一ノ瀬に聞いた。
「連中がこの学校の通信手段を完全に潰したのは何でだと思う?」
「警察に通報されたくないんでしょ。考えるまでもない」
さっさと問答を終わらせて敵を殺しに行きたいと態度で示す一ノ瀬は即答する。誠一は気にせず、「そうだ」と言ってから続けた。
「連中からしたら、警察に包囲されていたら色々やりづらいんだろう。だったら、俺たちは警察を呼び寄せて、連中が動きづらくすればいい。連中が動きにくくなれば、付け入る隙も生まれるはずだ」
誠一の提案に、一ノ瀬は「好きにすれば」と興味なさそうに言った。誠一は「まあ聞けって」と宥めてから、ついさっき思いついた作戦を口にした。
「これから化学室を爆破する。派手な爆発を起こせば、近隣住民が警察に通報してくれるだろう。連中の目的が何であれ、警察を呼び寄せれば妨害になる。ついでに、爆発で何人か敵をぶっ殺せれば一石二鳥だ。銃一丁だけで無暗に突撃するよりは、上手くいきそうな気がしないか?」
誠一はそう言って、口元を僅かに歪めた。
さっきまでの消極的な態度が嘘のように好戦的なことを言い出した誠一に、一ノ瀬は驚いたような顔を向ける。
「……協力する気になったの?」
「別に、一ノ瀬の復讐に協力するわけじゃない。だけど、解放機構に復讐したいって気持ちは俺も同じだ。だから、助け合おうって言ってるんだ」
「どっちも同じことじゃない」
「まあそうだな。で、どうする? 乗るか?」
悪戯を思いついた少年のような口調で言う誠一の目を、一ノ瀬は真正面から見つめた。そして、誠一の瞳の奥に何かを確かめた彼女は、「乗るわ」と答えた。
「善は急げだ。行こう」
誠一は一ノ瀬の返答を聞くと、机に置いていたポンプアクション散弾銃を手に取り、ハリウッド映画よろしく前床を勢いよく前後させた。
ガシャッという金属の擦れる音を立てて、薬室に装填されていた空のショットシェルが排出され、散弾と火薬の詰まった新たなショットシェルが銃身下の管状弾倉から薬室に押し込まれる。
「爆破するって言うけど、どうするの? 爆弾なんか持ってないけど」
「ガスだよ」
誠一と一ノ瀬は、床に散乱した書類を踏みつけながら出入口に向かう。
口にはしないが、誠一は一ノ瀬に感謝していた。冷めきっていた心に、復讐の火を灯しなおしてくれたのは間違いなく一ノ瀬だった。
入ってきたのと同じ、職員室後方の引き戸を開ける。
そして、無警戒に廊下に出た誠一が目にしたのは、廊下をこちらに向かってくる戦闘服の男の姿だった。教室棟方向から向かってきていた男は、職員室横の印刷室前で驚いて立ち止まった。
「クソッ――」
誰かと出くわすとは思っていなかったらしい男に対して、誠一は数瞬後には硬直から回復し、素早く散弾銃を腰だめに構えると、迷わず引鉄を引いた。
猛烈な炸裂音が鳴り響き、反動で散弾銃が後ろに吹っ飛びそうになる。
男の頭上で石膏ボードの天井に大穴が開き、砕けた蛍光灯が火花を散らした。
男は大慌てで横っ飛びに印刷室に飛び込む。そして、短機関銃を握った腕だけ戸口から出して撃ち返してきた。誠一の周囲の壁や天井の表面が着弾の衝撃で弾け、破片と粉塵が飛び散る。
甲高い飛翔音が耳元を掠め、誠一はたまらず職員室に引き返した。
「どうなってんの!?」
「敵だ! 敵と鉢合わせたんだ!」
這う這うの体で職員室に戻ってきた誠一に、一ノ瀬が敵の銃声に負けない大声で尋ね、誠一も怒鳴るようにして答える。
一ノ瀬はそれを聞いて、すぐさま膝立ちの姿勢で廊下に半分だけ顔を出し、応射を開始した。
恐れず狙いを付けて撃ってくる一ノ瀬に、敵は慌てて射撃を止めて腕を引っ込める。
『こちら金村、敵と遭遇! 現在、銃撃を受けている!』
『敵ですって?』
なおも続く一ノ瀬の銃声に混じって、悲鳴のような男の声と冷たい女の声が誠一のブレザーのポケットから聞こえてきた。
誠一はポケットに手を突っ込み、何かに使えるかもと一応回収していたトランシーバを取り出す。
『銃を持った敵です! 今すぐ応援を寄越してください!』
『落ち着きなさい。場所と敵の詳細を知らせなさい』
『敵は職員室、私は隣の印刷室です! 敵は制服の男。散弾銃と短機関銃を持っています!』
『分かったわ。すぐに応援を送る。金村は、応援到着までの間、敵が逃げないように時間を稼ぎなさい』
雑音混じりながらもはっきりと分かるトランシーバ越しの会話に、誠一は思わず舌打ちした。
予想外のタイミングで、最悪の事態が起こりつつある。
敵の増援が何人かは分からないが、まさか二三人ということはないだろう。増援が到着する前に職員室から脱出しないと、一巻の終わりである。
「畜生、埒が明かない。隙を見て印刷室に突っ込むか……」
弾倉一本を撃ち尽くした一ノ瀬が、戸口から一歩引いて空になった弾倉を捨てながら呟く。相当頭に血が昇っているようだ。
すぐさま新たな弾倉を短機関銃に叩き込み、銃撃を再開しようとする一ノ瀬の腕を誠一が掴み、制止する。
「敵の増援が来るって聞こえなかったか? さっさと逃げるぞ」
「金村という名前に聞き覚えはない? あそこにいる金村修司は――」
「解放機構の指名手配犯だろ、知ってる。三芝電器自爆テロにも関わってるんだよな。殺したいのは分かる。だけど、さっさと逃げないと、敵がわんさかやって来て何も出来ないまま死ぬことになるぞ。ここは一旦退こう」
誠一の説得に、一ノ瀬は暫しの逡巡の後、「ああ、もう!」と叫んで足元のゴミ箱を蹴散らした。
誠一は、ここ三十分で数度目の説得成功にひとまず安堵した。
一ノ瀬は解放機構への怒りを行動原理にしているが、怒りに完全に支配されるまではぎりぎりのところで至っていないようだ。
「おい、聞こえてるか! すぐに仲間が来る! 大人しく降伏しろ!」
一ノ瀬が銃撃を止めたことで、二人が諦めたと勘違いしたらしい金村が、大声で降伏を勧告してきた。
「降伏したって殺すつもりだろうが」と吐き捨てて、誠一は戸口から僅かに顔を出して廊下の様子を窺う。金村が、顔と短機関銃だけ印刷室から出して警戒しているのが見えた。
そして、印刷室の入口のすぐ脇に、真っ赤な消火器のボンベが置かれているのも目に入ってきた。
「一ノ瀬、とにかく敵のほうに撃ちまくってくれ。狙いは適当でいい。金村が引っ込んだら、俺が散弾銃で消火器を吹っ飛ばして視界を奪う。そしたら一気に廊下を横切って階段に走れ」
「分かった」
「じゃあ頼む」
一ノ瀬は短く深呼吸すると、短機関銃だけ戸口から廊下に出して銃撃を再開した。
連発される銃声が密閉された空間を反響し、誠一たちの聴覚を乱打する。反動で銃口は大きくぶれ、金村を捉えた銃弾は一発もなかったようだが、目論見通り金村を印刷室に引っ込ませることには成功した。
誠一は廊下に大きく身を乗り出し、震えそうになる腕をどうにか抑えて、散弾銃を十五メートルほど先の消火器に向けた。
左目を閉じ、右目の中で照星と照門を消火器に重ねる。
数秒で撃ち尽くした短機関銃の銃撃が止み、弾切れを察知したらしい金村が銃口を廊下に出そうとするのが見えた瞬間、誠一は引金を引いた。
タックルでも食らったかのような衝撃が、銃床を当てた右肩に走る。
発射された散弾は、僅かに広がりつつも、ほぼ全てが消火器を直撃した。爆発音とともに鉄製のボンベが弾け飛び、一瞬で印刷室前の廊下がピンク色の煙で満たされる。
「うわっ!」という金村の悲鳴が、濃密な消火剤の煙の中から聞こえてきた。
「今だ!」
直後、誠一と一ノ瀬は廊下に飛び出した。