第9話 化学実験
「敵は職員室の中にまだいるか?」
「そのはずです」
「はず?」
「流れ弾が消火器に当たって破裂したせいで、しばらく何も見えなかったので。でも、その間は職員室の出入口目掛けて銃撃を続けたので、奴は間違いなく出られなかったと思います」
「流れ弾ねぇ……」
増援を率いて職員室前に到着した萩生田は、全身粉まみれの金村がくしゃみを連発しながらした報告を聞いて、内心で舌打ちした。
「敵」は、既に職員室の中にいない可能性がある。
流れ弾がたまたま消火器に当たったというのは、流石に楽観的すぎるだろうと萩生田は考えていた。恐らく、敵は金村の視界を奪うための煙幕代わりに消火器を狙撃したのだろう。
だが金村の言う通り、逃げ損ねてまだ中に隠れている可能性もある。何にせよ職員室のクリアリングをしないという選択肢はなかった。
「そこにいるのは分かってる! 今すぐ隠れるのを止めて出てこい! 十数える内に出てこなければ、ここにある六つの銃口が職員室を薙ぎ払うことになる!」
萩生田は、実際にはいるかどうか分からない敵相手に声を張り上げ、十からカウントを一ずつ減らしていく。
その間にも、萩生田は手で合図を送り、連れてきた六人の戦闘員らを職員室前の廊下に均等に並ばせる。戦闘員らは各々の持つ短機関銃や自動小銃を腰だめに構え、引鉄に指を掛けて準備を完了した。
「――四、三、二、一……構わん、撃ちまくれ!」
予告通り、萩生田は十数え終わると戦闘員らに発砲を命じた。
六個の銃口が一斉に火を噴き、壮絶な銃声と発砲炎の閃光が廊下を満たす。
職員室と廊下とを隔てる壁は、段ボールの芯材に薄いブリキ板を貼り付けただけの、壁というよりは間仕切りとよんだほうが適切な代物で、AK‐47自動小銃の7・62x39mm完全被鋼弾はもちろん、UZIやTEC‐9といった短機関銃の9x19mm拳銃弾にとってすら障子紙と変わらなかった。
磁石でプリントやポスターが貼り付けられていた職員室の壁は一瞬で穴だらけになり、貫通した数百発の銃弾が職員室の中を暴風の如く吹き荒れる。
暴風は三秒とかからずに止み、静寂が訪れた。
「突入!」
激しい銃声で麻痺しかけている戦闘員らの耳にも届くよう、萩生田が大声で怒鳴った。
弾倉を交換した戦闘員らが、決めておいた通り三人ずつ前後の扉から職員室に突入する。そして、ボロボロになったロッカーの中や事務机の下を入念にチェックしていった。
だが彼らは、襲撃当初に殺害した教員の死体以外、血痕すら見つけることができなかった。
「て、天井裏も見たほうが」
恐らくピンクの粉の下の顔面は蒼白になっているであろう金村が、おずおずと萩生田に進言する。
だが、「こいつ何を言ってるんだ?」と呆れた顔で金村を見た萩生田が何か言うより前に、「その必要はないわ」と背後から女の声が答えた。
「清水議長代理……」
金村は、大河原を引き連れて職員室に入ってきた清水麗華に気づき、絶望的な表情を浮かべた。
清水に「逃がすな」と言われた敵に、まんまと逃げられたのだ。「後改」送り間違いなしの大失態だった。
「誰だか知らないけど、敵は相当やり手みたいね。持ってた銃器は桐山と高橋から奪ったものに違いないわ。二人から応答がない。四階に誰かを向かわせなさい。どうせ死んでるでしょうけどね。それと並行して、敵の捜索に人を割いて、何としても見つけ出して。必ずまだ校舎内にいるわ」
清水は矢継ぎ早に萩生田に命令を出していく。そして、萩生田が指示通りに動き始めたのを確認してから、ようやく金村に心底見下した目を向けた。
「で、この落とし前はどうつけるつもり?」
「すみません」
「どうつけるかって聞いてるの。謝罪なんていらないわ」
清水の追及に、金村は答えに窮して目を伏せた。母親に怒られる子供のようなその仕草を鼻で笑った清水は、「あなたが逃した敵はまだどこかに隠れているわ。そいつをどうしたらいいと思う?」と答えを誘導するように問うた。
金村が、震える声で小さく答える。
「……敵を見つけ出します」
「見つけてどうするの?」
すかさず、清水が質問を重ねる。金村は、清水の求める答えが見えてきたことで、今度は即答した。
「殺します」
「そうよ。自分の不始末の責任は自分で取りなさい。その無様な粉を落とすのは、敵を殺してからよ。さあ行って」
金村は清水の指示を受け、半ば逃げるようにして職員室を出ていった。萩生田に選抜された戦闘員らも、慌ててその後を追う。
「桐山たちから銃器を奪って、それを躊躇なく発砲するなんて、敵は何者なんだ? まさか公安か何かの人間が紛れ込んでいたのか?」
萩生田が清水に話しかけた。清水は「さあ、金村が首を持ってくれば分かるわ」と冗談とも本気ともつかないような調子で答えた。
「でも、敵は制服を着ていると金村は言っていたわ。ということは、敵はこの学校の生徒でしょうね」
「まさか、ただの高校生がそんなこと出来るとは思えないが」
「ここにいる同志たちも、素人に毛が生えたようなものじゃない。銃を持っただけの高校生と銃を持っただけの大学生や会社員なら、いい戦いになるんじゃない?」
「しかし、いくら我々がテロリストとはいえ、メンタル的にも一般人がそんな簡単に人を殺せるようになるとは……」
「解放機構に恨みを持つ人間は結構多いわ。たしか大河原のクラスメイトに、高見沢駅で家族が死んだ奴がいたんじゃなかったかしら」
清水は、半歩後ろで直立不動の姿勢を取っていた大河原を振り返った。
「ああ、佐々木でしたら、あいつはそんなタマじゃないですよ。家族を殺されたってのに、俺たちに何もしてこなかったどころか、恨み言の一つも言ってこなかった腰抜けだ」
大河原は口元を歪め、体格に見合った野太い声で嗤った。
「そうなの。じゃあそいつのことは置いておくけど、他にも私たちに恨みを持つ生徒がいる可能性は十分考えられるわ。もしくは英雄願望を抑えきれない馬鹿かもしれないけど。どっちにしろ校舎内で仲間以外の人間を見かけたら、制服を着た生徒でも構わず撃ち殺すよう徹底させて」
清水は萩生田にそう命じると、大河原とともに拠点にしている教室棟三階に帰っていった。
*
消火器を破裂させた隙に職員室を脱出した誠一と一ノ瀬は、職員室の直上にある化学室を爆破する準備に勤しんでいた。
誠一は、音量を極限まで絞ったトランシーバに耳を立てながら、化学室入口の引き戸に、マッチ箱とその中身のマッチ棒とを組み合わせて作った即席の着火装置を取り付けていく。
一ノ瀬は、化学室中の実験台のガス栓に片っ端から実験用ガスバーナを取り付け、バーナのコックと元栓を全開にしていく。
ガスの抜けるシューという音があちこちから聞こえてきて、独特のガス臭が漂ってくると、誠一たちは一刻も早くこの部屋を出たい衝動に襲われた。
「ガス栓は全部開けたよ」
「少し待ってくれ……よし出来た」
都市ガスの比重など知らない誠一は、都市ガスが空気より軽くても重くても着火できるよう、全ての扉の上下に着火装置を取り付けていき、一ノ瀬に少し遅れて作業を終えた。
一ノ瀬が、隣の化学準備室に繋がるドアを、職員室で見つけた鍵束を使って開ける。
着火装置を取り付けた扉はもう開けられないので、誠一も黒板横の準備室入口に向かうが、教室の前の教員用実験台に置かれたラジカセを見て足を止めた。
誠一は、家にあるのと同じ、見覚えのあるラジカセの電源を入れ、起動が終わると同時にペアリングボタンを長押しする。
「何してんの、急いで!」
突然ラジカセを弄りだした誠一を、一ノ瀬が急かす。
誠一は「ちょっと待ってくれ」と言いながらスマートフォンを取り出し、ラジカセにかざした。直後、特徴的な電子音がラジカセのスピーカーを震わせる。
誠一はスマホをポケットに戻し、ラジカセの音量ボタンを連打して最大音量にすると、小走りに準備室のドアをくぐった。
「何してたの?」
「あのラジカセにスマホを接続した」
非難するような口調で聞いてきた一ノ瀬に、誠一は答えた。よく分からないという顔をする一ノ瀬に、誠一はさらに「遠隔で音を流して敵を誘き寄せられないかなと思ってな」と言って口角を吊り上げた。
もう、敵を殺すことに迷いはなかった。
テロリストらが職員室に誠一たちがいないことにようやく気づき、捜索範囲を学校中に広げたことを無線の盗み聞きで確認した二人は、今度は化学室と同じ特別教室棟三階の地学室に身を潜め、連中が来るのを待ち構えることにした。
*
『桐山と高橋が死んでる! 畜生、酷い殺し方だ!』
『落ち着きなさい。それで、二人の装備品は?』
『……銃がなくなってます!』
『無線機は?』
『トランシーバ? 桐山のはあります。銃弾を受けて壊れてますが』
『高橋のも確認しなさい』
『了解…………高橋のトランシーバは見当たりません。弾薬ごとなくなってます』
『やっぱりね。――全員、聞け。この無線は傍受の恐れがある。只今よりチャンネル1の使用を禁ずる。予備のチャンネル3に切り替えなさい。以上』
無線から、清水と四階に向かった渡辺のやり取りが聞こえてくる。
親衛隊の内田と久山は清水議長代理の指示を聞き、使い慣れないトランシーバを操作してチャンネルを切り替えようとした。だが、全身くすんだピンク色に染まった金村は、構わず一人で三階の廊下を進んでいく。
「ちょ、ちょっと! 待ってください!」
内田が、慌てて金村を追い掛け、肩を掴んで引き止める。
金村は「触るな!」と怒鳴って、内田の手を振り払った。戦闘服の繊維にまで染み込んだ消火剤の粉末が舞う。
「一刻も早くあの野郎を見つけ出さねえと、俺の首が飛んじまうんだよ!」
金村は唖然とする内田をおいて、手近な多目的教室の引き戸を思い切り開けて飛び込んだ。
「出てこいクソ野郎!」
金村が絶叫しながら、TEC‐9短機関銃を振り回して銃弾をばら撒く。整然と並んだ机の天板が木片を散らし、割れた窓から雨が吹き込んでくる。
「隠れてたって無駄だ! 必ず見つけ出して殺してやる!」
金村は教室後方に置かれた掃除用具入れに銃口を向け、腰だめに引鉄を引いた。錆の浮いた掃除用具入れはたちまち穴だらけになり、連発する銃声とともにトタン板を棒で乱打するような音が鳴り響く。
金村は大股で掃除用具入れに近づき、歪んだ扉を思い切り引いた。
柄のへし折れた自在箒や、穴の開いた塵取りが落下し、驚いた金村が反射的に引金を引いて銃声を鳴らす。
「落ち着いてください――」
「黙れ! ここで後改なんかさせられて堪るか。絶対奴を見つけ出さないと……」
職員室で清水に詰められる金村を見ていた内田には、彼の半狂乱ぶりはある程度理解できた。
清水は直接「後改」という単語は出さなかったが、金村が次失敗すれば、今度こそ確実に後改を命じるだろう。そうなれば、約束のカネも新天地での生活もなくなり、この平山高校が金村の死に場所になる。
金村は多目的教室を飛び出し、隣の地学室に向かう。そして、地学室の扉に手を掛けて施錠されていることに気づき、鍵穴に銃口を向けようとしたその時、どこからか聞こえてきた特徴的なメロディに凍り付いたかのように動きを止めた。
そのメロディは、誰もが一度は聞いたことがあるであろうスマートフォンの着信音だった。
ほどなくして着信音は途絶えたが、音の方向からして化学室かその向かいの生物室しかあり得なかった。
「馬鹿め! 学校に携帯なんか持ってきたのが運の尽きだ!」
金村が廊下を走り出す。内田は違和感を覚えつつも、それが何か考える暇はなく、黙って金村を追い掛けた。
金村は二分の一の確率を引き当て、化学室を最初に捜索することに決めた。
TEC‐9を腰だめに構えて化学室の扉に手を掛け、思い切りスライドする。
ガラガラという引き戸の開く音に混じって、シュッという何かが擦れるような音を金村は聞いた。化学室入口の引き戸の上下に仕掛けられたマッチが、上枠と床に固定されたマッチ箱に擦り付けられる音だった。
マッチ棒の先端に生じた小さな火が、化学室中のガス栓から溢れ出た都市ガスと空気の混合気に着火し、急激な燃焼――爆発を生じさせた。
生じた高圧は逃げ場を求めて化学室内を荒れ狂い、構造的に弱い部分を的確に見つけ出すと、そこに殺到した。鉄骨造の校舎を揺さぶる衝撃とともに、校庭側の窓ガラス全てが木端微塵に砕け散り、爆炎を噴出する。窓の反対側の化学室と廊下を隔てていた壁も木端の如く吹き飛び、戸口に立っていた金村と内田ごと廊下の窓ガラスもぶち破って十メートル下の駐車場に降り注いだ。
少し遅れて追いかけていた久山は爆風で軽々と浮き上がり、元来た廊下を十メートル以上吹っ飛ばされて壁に激突した。
化学室を吹き飛ばした爆発の衝撃波と轟音は、土砂降りの雨の中であっても五キロ以上離れた場所でも聞こえたほどで、数百メートルしか離れていない校庭の向こうの住宅地にも当然到達した。




