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第16話 逃走

 誠一たちは西階段に引き返し、一段飛ばしで駆け上っていく。踊り場で折り返し、防火シャッタの降りた教室棟三階の前を素通りしてさらに駆け上る。

 後ろから、「逃がすな!」「殺せ!」という怒号と足音が聞こえてくる。

 心臓が激しく脈打つのは、全力疾走だけが原因ではないだろう。少し後ろを振り返れば、防火シャッタの横のくぐり戸が僅かに開くのが見えた。

 誠一は三階と四階の間の踊り場で立ち止まり、トートバッグからビール瓶を取り出した。震える手で、瓶の口に捻じ込んだ布切れに火を付ける。


「お前ら過激派が大好きな火炎瓶だ、受け取れ!」


 投げ下ろした火炎瓶が、追ってきていた戦闘服たちのちょうど目の前に落下して、ガラスの割れる音を立てた。薄暗い階段が、ぱっとオレンジ色に照らされる。先頭の中年男と二十代くらいの男の足に火のついた油が付着し、二人は火を消そうとしてか狂ったように躍り出す。

 残りの火炎瓶もくぐり戸に投げつけ、西階段を炎の壁で通行止めにしてから、誠一は四階に出た。一ノ瀬が、廊下を特別教室棟のほうへ走っていくのが見えた。誠一も、彼女に続いて四階の廊下を走る。


 クソ、作戦は失敗だ。またどこかに隠れて、次の計画を――


 突然、中央階段から巨大な何かが飛び出してきた。

 さっきの大柄な男だった。先回りされたのだ。

 男は飛び出してきた勢いのまま、誠一に飛び掛かった。真横からトラックに撥ねられたかのような衝撃を受け、吹っ飛ばされる誠一。

 僅かな滞空時間の後、誠一は壁際に並ぶ三年一組の個人用ロッカーに激突して床に落下した。視界に火花が散り、上下が分からなくなる。


「このクソ野郎め!」


 男が馬乗りになり、顔面を強かに殴ってきた。

 鼻の奥に焦げたような臭いが爆発する。突然の衝撃の連打に、思考が追い付かない。意識が飛びそうだ。

 男が腰のホルスターから自動拳銃を抜くのが、滲む視界の向こうに見えた。脳が沸騰するような感覚とともに、朦朧としかけていた意識が急に明瞭になる。


「うおおおおおお!」


 誠一は雄叫びを上げながら、右手の散弾銃を思い切り男の側頭部に叩きつけた。男が怯み、押さえつけてくる力が緩む。

 その隙を見逃さず、誠一は両腕と腹筋を総動員して上体を起こした。男が誠一の腹の上から転げ落ち、暴発した拳銃が銃声を轟かせる。

 男が倒れた姿勢のまま、頭だけ起こして拳銃を誠一に向けようとする。

 誠一が、散弾銃の銃身でその拳銃を弾いて吹っ飛ばす。そして、返す刀で散弾銃の銃口を男に向けようとした次の瞬間、男の蹴りが誠一の胸を直撃した。

 凄まじい衝撃に、散弾銃が手からすっぽ抜け、背中を床に強打する誠一。


 誠一は、ブレザーの内側にスリングで下げていたミニUZI短機関銃を手に取り、すぐさま身体を起こす。そして、親指でセレクタを連射フルオートに合わせ、男に銃口を向けようとする。

 だが、男も猛然と身体を起こし、誠一に再び飛び掛かってきた。

 軽く九十キロはありそうな大男に圧し掛かられ、誠一の肋骨が悲鳴を上げる。ミニUZIを握る右手を掴まれ、銃口を男に向けられない。左手で男の顔を殴るが、マウントを取られているため全然力が乗らず、全く効いていない。


「諦めやがれクソ野郎!」

「くたばれ!」


 誠一は無我夢中で引鉄を引いた。

 一発一発が繋がって聞こえるほどの猛烈な連射速度で九ミリ弾が発射され、金属製のロッカーや教室の仕切り壁に弾痕を穿っていく。だが、男には一発も当たらず、ものの二秒で三十発の弾倉を撃ち尽くしたミニUZIは沈黙した。


「一ノ瀬!」


 助けを求め、誠一は少し先を走っていた一ノ瀬に目をやる。一ノ瀬は渡り廊下の中ほどから、UZI短機関銃をこちらに向け、誠一の上の男に狙いを定めようとしていた。

 だが、その一ノ瀬の後ろに、特別教室棟の廊下の角を曲がってくる敵の新手の姿が見えた。


「後ろだ!」


 誠一の警告に、一ノ瀬は直ちに後ろを振り向き、敵を視認するや否やUZIを発砲した。

 新手は慌てて角の向こうに引っ込む。

 一ノ瀬は壁の僅かな出っ張りに身体を隠し、敵の接近を拒否するように、角に向けてUZIを連射する。


「人の心配している場合かあ!?」


 男の野太い声が、真上から降ってくる。視線を戻せば、男が右手にナイフを握り、誠一に突き立てようと振り下ろすところだった。

 よく尖った刃先が猛然と迫って来る。

 誠一は咄嗟にミニUZIを離し、男の右手首を両手で受け止めた。刃先は、誠一の顔から五センチ程度のところで辛うじて止まった。


「てめえはもう終わりだ!」


 男が、誠一を刺し殺さんと、体重を右手に乗せていく。重力の後押しを得た刃先がじりじりと迫って来る。

 男の左手は血塗れで、さっきから一度も使っていない。彼のAK‐47を吹っ飛ばしたときに怪我を負わせていたらしい。だが、片手しか使えないにもかかわらず、少なくとも三十キロはある体重差が男を有利にしていた。


「何か言い残すことはあるか、クソ野郎!」


 刃先が目の前一、二センチまで迫る。勝ちを確信した男が、血塗れの顔の中で目だけ爛々と輝かせて言った。


「死ぬのはてめえだ、クソッタレ!」


 誠一はそう叫ぶと、次の瞬間、男の右手を抑えていた両手から力を抜いた。同時に、頭を思い切り横にずらす。

 ナイフが顔から数ミリの虚空を切り裂いて振り下ろされ、ガチッという音を立てて廊下の床にぶつかる。

 誠一は、ズボンのベルトに固定した鞘から、田中から鹵獲したナイフを取り出し、男の脇腹に突き刺した。


「言い残すことは?」


 目を見開いて驚愕の表情を浮かべる男に、誠一が問う。だが、答えを待つことなく、誠一はナイフを思い切り横にスライドした。

 根本まで埋まったナイフの刃が、男の腹を切り裂く。ブレザー越しに、温い血の雨が自身の上に降り注ぐのを誠一は感じた。男の身体から力が抜けていく。

 誠一は自分の上から男の身体を退けた。冷たい廊下の床に転がった男は、微かに呻き声を上げる。腹部を横断する裂傷から、大量の血と何かの臓器が溢れている。すぐに死ぬだろう。


 誠一は、一ノ瀬のほうに目をやった。一ノ瀬はUZIの弾を撃ち尽くしたらしく、グロックの牽制射撃で二人の敵を押し留めていた。

 誠一は大男の戦闘服から卵型の手榴弾をもぎ取り、ピンを抜く。


「一ノ瀬、隠れろ!」


 手榴弾を新たな敵に向けて投げ放つ。誠一の手を離れた手榴弾は、ばねの伸びる金属音とともにレバーと分離し、空中に放物線を描いて飛んでいく。そして、廊下の角の手前一メートル前後の床に落下し、コロコロと間抜けな音を立てて角の向こうへ転がっていった。


「うわっ、手榴弾だ!」

「逃げ――」


 敵のほぼ悲鳴といって良い叫び声が聞こえたのも束の間。それだけで殺傷能力を持ちそうな爆発音が轟き、角の向こうから血煙とともに敵とその身体の部品が吹っ飛ばされるのが見えた。

 片足を失くした敵が反対側の壁に叩きつけられ、壁に血の跡を残して崩れ落ちた。もう一人はどうなったか分からないが、少なくとも反撃はしてこない。


「大丈夫!? すごい血!」


 一ノ瀬が駆け寄ってきた。首を下げて見れば、ブレザーもズボンも大男の血を浴びてじっとりと湿気ていた。これはクリーニングでは済まなそうだ。


「俺の血じゃない」

「顔のは?」


 一ノ瀬に言われ、顔に手を触れる。その瞬間、激痛が走った。避けきったと思ったが、大男のナイフに頬を撫でられたらしい。ざっくりと切れているらしく、今更じんじんとした痛みが襲ってきた。


「敵は一人じゃなくて二人だ。一人は女。注意しろ!」


 中央階段から、煙とともに男たちの声と足音が上ってくる。

 増援だ。顔の傷の心配なんかしている場合ではない。

 誠一は大男から残りの手榴弾を取り、ピンを抜いて階段に放り投げた。悲鳴に近い「退避!」の声の後、爆発音と爆風が吹き上がってくる。


「今のうちに逃げるぞ」


 誠一はミニUZI短機関銃の弾倉を手早く交換しながら渡り廊下を走る。途中、廊下に転がっていた大男の自動拳銃を拾い、さっき手榴弾を投げ込んだ角を曲がる。


「待って、武器を回収する」


 一ノ瀬が、手榴弾で爆殺した敵の死体から自動小銃と予備弾倉、そして手榴弾を回収していく。二人とも早く逃げ出したいと思っていたが、どちらも武器が必要であることを理解していた。

 教室棟のほうから、足音が聞こえてきた。中央階段を上ってきていた連中だ。


「敵だ! 早くしろ!」


 誠一は敵の接近を防ぐため、ミニUZIを腰だめに構え、渡り廊下に向けて適当に発砲した。牽制射撃の銃声が狭い廊下を反響し、既に大ダメージを受けている鼓膜をさらに揺さぶる。


「全部取ったよ!」


 一ノ瀬が立ち上がり、特別教室棟の奥へ走り出す。誠一も後に続く。田中の死体がある音楽室の前を駆け抜け、東階段に飛び込む。直後、さっきまで誠一がいた空中を敵の銃弾が貫いて、背後の壁に弾痕を穿った。


「奴らに手榴弾をくれてやれ!」


 誠一が叫ぶ。一ノ瀬が手榴弾のピンを抜き、腕だけ壁の影から出して廊下に放った。数秒後にするはずの爆発音は待たず、二人は階段を駆け下りていく。

 四階と三階の間を折り返したところで、背後から爆発音が聞こえてきた。

 階段を転げるように下りていく二人の前に、階段を這って下りていこうとしている男の背中が現れた。廊下から続いていた血の跡の主だった。

 男は中学生みたいな体格だったが、戦闘服を着て武器を持っていた。誠一はミニUZIを構えようとしたが、その前に一ノ瀬がグロックで男の頭を撃ち抜いた。


「佐々木、武器!」

「ああ分かってる!」


 誠一は小男の手からMP5短機関銃を取ると、その身体をひっくり返した。手榴弾の破片でやられたのか、下腹部が血塗れになっていたが、もはや他人の血への忌避感など吹っ飛んでいた誠一は、構わずに血塗れのベストから湾曲した予備弾倉を取り出していく。弾倉も血塗れになっていたが、幸運にも損傷したものはなかった。

 小男が所持していた二つの手榴弾のピンを抜き、一つを階段の上へ放り投げる。誠一と一ノ瀬は階段を駆け下りていき、三階と二階の間で、もう一つの手榴弾も上に放る。

 追手を引き離した二人は、そのまま校舎内に充満する火災の煙の中へと消えていった。

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