4 弟、記憶喪失になる。てかなっていた。
「ところで、ひとつ聞いてもいいですか?」
弟が記憶を失っているのをいいことに姉というありもしない座に居座っている人物がいるという家族の家へと向かう途中で、弟こと記憶喪失のアッシュ君はそう切り出した。
「なんだよ。俺が答えられることだったらなんだって答えてやるよ。言ってみ?」
弟の裾をちょこんと掴んだままついていくだけのカゲではあったが、俺と弟が言葉でコミュニケーションをとれているがわかったからか、驚いた表情をしている。
「一体、ここはどこなんですか?」
予想外の言葉に思わず天を仰いだ。いや、覆い茂る木々しか見えないが。
‥‥‥ここはどこですか? ときやがった。
そんなん俺が知りたいわ。
ここが異世界の地理的にどこらへんなのか? 他にどんな国とか種族だとかがあるのか、とか知らなきゃいけないことが多すぎる。
なんとなくブラブラとあっちらこっちらフラフラしている俺達ではあるが、出来る事ならば安全な道を通りたい。
あと、できるのならば定住したい。
住所不定の無職は三十路のおじさん的にはあまりにも辛すぎる。
元の世界に帰りたいか? と聞かれれば。
確かに命の危機や食料の安定度は元の世界の方がダンチだが、就職活動を再開しないといけない。というこの一点だけが、異世界からの帰還を積極的にさせないのだった。
働きたくないでござる。
あぁすっごい脱線してた。
俺の思考がわけわかんない方向へ旅立っているとは露も思っていない弟が問いを続ける。
「僕的にはここはフィンランドとかその辺だとか思ってるんだけど、森とかすごいし、どうかな?」
思わずコケた。
ふぃんらんど? 森がすごいから?
異世界の地名が出て、どこだよそこっ? とかツッコむ準備をしていたというのに。
いきなり、聞いたことがある地名が出てきたのだ、そりゃあ思わずズッコケもしようというものだろう。
「いやぁ、なんでかこの娘とか姉さんの喋ってる言葉まで忘れちゃってさ。自分が話している言葉が果たして何語かもわからなくて本当に困ってたんだよ」
もともとこの世界にとっての異物でしかない俺達はこの世界の言語なんてわからない。俺はこの異世界転送モノのキモである特殊技能欄を潰してまで得てしまった言語理解能力があるからコミュニケーションが取れるが、言葉が伝わらない弟にとってはホントに地獄みたいな環境だっただろう。
そして重ねて記憶喪失である。
弟という存在の「これまでのおはなし」を完璧に語れるヤツなんて俺以外にはいないのだ。
そうなればその自称、姉と名乗る不審者にだって弟の言語が日本語だなんてわかるはずがない。
そこでピンと来た。
家族と名乗りながら使用言語の齟齬。これはもうどうしようもないほどに違和感である。
これは弟の記憶復活に使えるのではないだろうか
「なぁアッシュ君。おかしいと思わないのか? 家族だというのに言葉が通じない、その足元でちょろちょろしているコドモトカゲニンゲンは肌の質感とか違ぇーだろ、お前にはウロコとか生えてねーし」
違和感を重ねていけば、それがとっかかりになって記憶が戻るかもしれない。
小さな違和感がやがて押し寄せる濁流のようにダムを決壊させるのを期待する。
「そう、だね。この娘は、薄くウロコがある箇所があって、僕には、なくて。姉さんは、銀髪で、僕は黒髪で。あれ‥‥‥アレ?」
俺の目論見はうまく言っているのだろう。
俺が与えた小さな一個の気づきを基点に、露出していく齟齬を噛み締めて、そのたびに噴出していく違和感が弟の脳みそでスパークしていく。
気が付けば弟は立ち止まっていた。
それを怪訝そうにカゲが見上げている。
これはあと一押しでイケる。その確信があった。
そうすればこんな森からさっさと脱出して、カゲの記憶は‥‥‥そのうちに戻るだろ?
そして、また意味のない三人の放浪を続けよう。
この一言で最後だ。これが記憶を塞き止めている壁を爆破する最後の起爆剤だ。
「なぁ秋重。その姉さんとやらは、お前の家族じゃないんじゃないのか?」
弟とカゲの手をとって強引に歩き出してこれで終わり。
そう思い、手を伸ばす。
「違う、僕たちは家族だ」
しかし、俺が差し伸べた手はあっさりと払いのけられてしまった。
そこにはさっきまでグラングラン揺れていた秋重はもういない。
さっきまでの動揺が嘘みたいに自分たちは家族であると。自分には無いウロコを持った妹と、自分には無い銀髪を持った姉が家族であると、アッシュ君は静かに告げた。
不自然さしかない。
ムキになって否定するならまだわかる。
ヒトは今までの人生で得た常識を横から自分が非常識だと思っていたものでぶん殴られたらそうなるかもしれないからだ。
つーか、俺がその経験が何度もある。
ただ、今回の否定はそれではなかった。
例えるのならば、いきなり過度な情報をブチ込まれたパソコンがフリーズして再起動したかのような感じだった。
どう考えても不自然である。
「僕たちは、家族だ」
あくまでもそう繰り返す弟。
パソコンを例に出したが、それは弟の声に抑揚が少ないからだ。
まるで繰り返し音声を垂れ流しているよう。
「帰らなきゃ、姉さんが待ってる」
そのうち、再起動したようでまた歩き出した。ちなみに俺の事はもう眼中にないようだ。
弟の後ろを追従するが、それを咎められることもない。
「姉さんねぇ。うっさんくせぇ」
そしてまた歩き出す。
ただ先ほどと違って無言だった。
カゲが心配そうに弟を見上げてそれでも何も言う事もなく、裾を掴んだままトテトテついていく。
次第に木を組んで作ったような屋根が見えてきた。どうやらそろそろ目的地のようだ。
さて、姉さんか。どんなのが出てくるというのか?
やべえヤツであるというのは確定なので緊張で体が強ばる。
覚悟を決めねば、腹の下に力を込めるのだった。




