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第四十六話 ヒスイカズラの約束②

 

 ──アブサン?


 知らない名前の飲み物にわたくしはこてんと首をかしげます。レオン様は諦めたように一つ息をはいて、ごろんと横になりました。わたくしの膝の上に頭をのせられてきたので、シーツ越しにレオン様の重みを感じて、わたくしは体をビクッと震わせます。ちらっとこちらを見るレオン様の瞳はしてやったりの悪い輝きを放っていました。


「アブサンは元々は薬用酒でアルコールを飛ばして飲むものなんだけど、度数の高さから中毒性が高くてね。一度飲むとやめられなくなる。悪魔のお酒って呼ばれているんだよ」


 横向きになっていた体を動かして真正面からわたくしを見ます。


「エリアルの存在自体が僕には強い酒だね。欲しくて欲しくて、喉が渇く」


 レオン様の火を感じて、わたくしはもっと、依存してくれればと願いながら口を開きます。


「なら、酔ってください。わたくしはここにいますわ」


 すっと顔を近づけて微笑みかけます。わたくしの顔が影を落とすまで近づくと、レオン様がふっと唇に息をふきかけてきました。わたくしに付いた火を消すようなそれに、呆気にとられ、間抜けな顔をしてしまいます。


 目を細く長くしているレオン様の顔は意地の悪さが出ています。それですのに、レオン様はわたくしで戯れたいのか、またあっさり火をつける言葉を口にされます。


「もの欲しそうな顔をしてるね。まだ、朝だよ?」


 悪いことをたしなめる言葉。ですが、その声は低くわたくしを惑わせる色香をまとっていて、からかわれたことに気づきます。わたくしは口をすぼめて、拗ねた態度をとりました。


 ──レオン様だって、同じ気持ちでは?


 ──どうかな? 僕の心臓の音を聞いて確かめてみてよ。


 視線で会話しても、負けてしまう気がして、わたくしは諦めて身を引きました。


 くくっと含み笑いをしたレオン様はごろんとうつ伏せになり、ベッドの上に肘を立てて、頭を支えます。悪戯をする猫のように細まった瞳に、わたくしは肩をすくめました。


 意地の悪い笑みを浮かべたレオン様は、片方の手はシーツの中に滑り込ませ、わたくしの足に触れてきます。不意打ちの刺激に、変な声が出そうになって、わたくしは両手で口をおさえます。


 レオン様の指はわたくしの反応を面白がって、そのまま足に悪戯をします。


「こうやってシーツに隠してしまえば、朝だって夜の続きをできるね。……エリアル。静かにできる?」


 無理だと思いましたのに、わたくしは秘密が嬉しくて、くぐもった声を出しながら、ひとつ頷きます。それを合図にレオン様の指はわたくしの弱いところを責めました。



 こんな風に時を忘れて、二人だけでいるとどこまでも溺れていきそうです。


 ──悪魔のお酒はレオン様の方だわ。


 あっけなくわたくしを陥落させて、弄ぶレオン様こそ強いお酒のように感じてしまいます。


 飲んでも飲んでも、飢えるばかり。


 きっと、失くしたら我を忘れる。

 その背徳感に身を落として、どこまでも、どこまでも。


 堕ちた先に見えるものはなんでしょうか。


 思考が熱に浮かされ始めたとき、レオン様の指がわたくしを白い世界へ連れていきました。



 ***


 夕刻になり、窓から差し込む光がオレンジの煌めきになったころ、わたくしたちはやはりベッドの上にいて、無言で寝そべっていました。


 お互いに横向きになって、わたくしはゆるくレオン様の腕に拘束されたまま。時折、愛しげに見つめられては髪をすくわれます。


 眼差しが、しぐさが、触れた体温が、言葉の代わりに想いを伝えているようです。ただ、見つめあうだけなのに、この多幸感と胸苦しさはどうしてでしょうね。


 言葉を重ね、体を重ねたというのに、それでも欲しがるわたくしは貪欲です。これがわたくしの愛の本質なのでしょうか。


 一線を越える前でしたら、その線を越えてしまえば、満ち足りた気持ちになると思っていました。


 でも、それはわたくしの勘違い。


 線を越えて見えたのは果てのない欲です。


 そして、今のわたくしはレオン様の欲に溺れたいと思いながらも、わずかばりの理性がそれを止めようとしています。空気を欲して足掻く意味はなんでしょう。


 それをやめて、堕ちるところまで堕ちてしまえば、何も感じなくなるのでしょうか。その時、わたくしは、レオン様は笑っているのでしょうか?


 満たされない渇きに喘いでいると、はらりと一枚の花びらが落ちてきました。


 愚かな女を救うように。


 吊り下げていたヒスイカズラの花びらが落ちてきたようです。儚げに舞ったそれは、レオン様の肩に落ちます。


 それを手にもって、レオン様が神妙な顔をしました。


「もう枯れはじめてきたか……」


 その声に導かれるように視線を上にあげると、なんとなく元気がなくなったヒスイカズラが見えます。また風に揺られて、ひとつ。ふたつ。エメラルドグリーンの神秘の花は、その美しさあっさりと放棄するように花弁を散らします。


 それはどこかわたくしたちの恋に似ている気がしました。



「ヒスイカズラって僕に似ているかも」


 不意に言われて、わたくしは目を見張ります。全てを受け入れ遠くを見つめながら、レオン様は穏やかに微笑んでいました。


「刈り取られたら簡単に死んでしまう。脆くてどうしようもない」


 その言葉にひゅっと息を飲みます。声をかけようと思ったときに、静かな湖面のような瞳とぶつかります。


「エリアルっていう根がないと僕は死んでしまう。だから、ずっと側にいてくれる?」


 その言葉にわたくしは目を開き、視線をさ迷わせます。

 愛しているよりも深い言葉。心臓がぎゅっと鷲掴みにされて、わたくしは感嘆の声をだしました。


「もちろんです……」

「ありがとう……」


 小さく呟いて、レオン様はわたくしの手をとり、体を起こします。持っていたヒスイカズラの花を細く筒のように丸めて紐のような形を手で作っていきます。


「左手、かして……」


 静かに言われて、わたくしは左手を差し出しました。薬指にレオン様は器用にヒスイカズラの花をくくりつけます。できたのはすぐほどけそうな藍色の指輪。それに驚いていると、レオン様は切なげにそれを見ました。


「ずっと、そばにいてほしいけど。これだけは忘れないで」


「僕はいつか君を殺すかもしれない」


 穏やかな声には合わない物騒な言葉。わたくしが息を止めてみていると、レオン様は淡々と続けました。


「きっかけは分からない。嫉妬かもしれないし、ただの衝動かもしれない。だけど、病は治らない。僕の心臓を止めない限り」


 それは残酷で優しい言葉でした。わたくしが眉根をひそませていると、さらりと頬を撫でられます。軽く触れて、離れた手はひどく冷えていて、レオン様の緊張と焦燥をあらわしているようです。


「でも……それでも。僕はエリアルの側じゃないと生きていけないんだ……」


 今の精一杯の言葉をレオン様はわたくしにくれました。


「こんな僕だけど。結婚して、一緒に生きてくれますか?」


 静かなプロポーズ。レオン様の瞳はほんのり赤く、どうしようもないものを抱えて傷ついているように見えました。


 ──同じだわ。レオン様も抗えないものを抱えている……


 それに気づいて、わたくしは切なく思いながらもしっかりと大きく頷きました。


 すると、ふっとレオン様の肩の力が抜かれます。


 はらりとまた舞ってきたヒスイカズラの花びら。約束をしなさいとヒスイカズラがわたくしを導いているようです。


 膝の上に落ちたそれを手でつまみ、わたくしはレオン様と同じようにします。


「左手を……」


 意図が伝わったのかレオン様が驚きながらも左手を差し出してくれます。わたくしよりも男の人らしい薬指に丁寧にヒスイカズラの指輪を作りました。


 作り終わると両手で包み込みます。


「レオン様、忘れないでください。わたくしはいかなることがあろうとも、決して側を離れません。共に生きます」


 それはわたくしの誓いです。ヒスイカズラの花言葉〝わたしを忘れないで〟にひっかけた言葉をこの方へ。


「側にいられないと生きられないのはわたくしも同じです。愛しておりますわ」


 ヒスイカズラの花を見るたびにわたくしはこの誓いを思い出すでしょう。たとえ、この指輪が一日で消えても、誓いは死ぬまで残ることでしょう。


 レオン様がくしゃっと顔を歪めてわたくしを抱きしめました。


 その力の強さは夜に頂いたものとは違う激しさ。


 ただ、わたくしを抱きしめるレオン様から聞こえたのはすすり泣くような声でした。


 わたくしは傷ついた心を抱きしめるように背中に手を回します。


 脆く儚くヒスイカズラのようなわたくしたちの恋。


 枯れるしかない花びらが次から次へと舞っていきます。


 忘れないで。──このどうしようもない殺意を。


 忘れないで。──どうしようもなく愛していることを。


 忘れないで。忘れないで。


 二人でいることは幸せもあるのだということも。



 そう、ヒスイカズラは教えてくれているようでした。

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