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拝啓。いつか、空の下。  作者: 花宮玄狐
第一章
9/30

コダマの森(2)

 森の中はただ静かで、そして予想以上に明るかった。

 この場所のどこに話題にのぼるような暗澹として不気味な要素があるのだろう、とつい疑問になる。

 見上げれば上へ上へとどこまでも伸びるように見える木々。葉と葉、枝と枝の間から注ぐ淡い白の光が優しく辺りを照らしている。足元に視界を転じれば、木々の枝から落ちて何十何百何千年も積もり積もった木葉がフカフカと不思議と快い歩き心地を演出していた。

「なんか、変な感じですね?」

 レイがそんなことを口にする。何を指して、変な、なのかは分かりかねるが、確かに不思議といえば不思議である。噂と現実の大きなギャップも違和感があるけれど。強い魔術的なエネルギーで満ちていながら、そのエネルギーは旅の一行に敵意も歓迎も表さず、いわば全くの無関心であり、それがまたなんともいえない背筋がくすぐったくなるような変な感覚なのである。

「案外と、なんともないな。」

ホッとしたようにミナが言う。

「ハッ、所詮噂なんてそんなもんか。」

いつもの傲岸不遜な人を食ったような口調で、さもつまらないものを吐き捨てるかのようにコウが言う。全く、さっきからいうことなすこと何もかもが、いちいち危なっかしいことこの上ない。ミナは思わず苦笑いを浮かべる。

「このままのペースで真西に向かっていけば、夜を越すどころか日が沈まないうちに抜けられるかもしれないわね。」

リンは事務連絡めいたことをしかし心なしか嬉しそうにいう。お嬢様育ちの彼女にとっては、何がいるかもわからない森の中で一晩明かすのは苦行なのかもしれない。


 少しずつ、辺りが暗くなってきていた。それは、日が傾いてきているのもあるだろうし、森の木々が入り口とは比べ物にならないほど密集してきているのもあるだろう。

「ただ直進すればいいんですよね?」

さらに少し進んだところで、レイが少し顔にシワを寄せて問う。多分、道もなければ周りの風景もあまり変わらない薄暗い森の中を歩くのは不安なのだろう。

「そうね。今までも真っ直ぐに西に向かって来たわけだから…。」

答えるのはリンである。

「一応確認して見たらどうだ?」

提案するのはコウ。

「そうですね。」

レイも素直にそれに従って、スカートのポケットから方位磁針を取り出して見る。

「…ただ直進すればいいんですよね?」

機械的な平坦な口調で、さっきと同じことをレイが問う。

「そうね。今までも真っ直ぐに西に向かって来たわけだから…。」

何故全く同じことを問うのかさっぱりわからないので、リンもさっきと同じように答える。

「確認したんじゃないのか?」

コウがレイに尋ねる。すると、レイは手に持った方位磁針を他の四人に見えるように、器械的な動きで前に突き出した。五人立ち止まって方位磁針を覗き込む。そこには死にかけのセミのように荒ぶって意味もなくグルグル回る方位磁針の針があった。

「あ…。」

一同騒然である。

「こんなことってあるんですか…?」

レイが青ざめた顔で、呆然と呟く。

「磁場が狂ってるんじゃないのか?」

ミナがもっともなことを言う。しかしこの現象の原理がわかったところで、実際の問題に対してはなんの解決にもならない。

「ただ、直進すればいいのよ。」

リンはただそれを繰り返すだけである。

「でも、進んでた方向って…?」

動物の方向感覚は磁場に支配されていると言うのは生物学的にも証明されている。磁場はエネルギーの流れだから、それを狂わされたなら、方向感覚も当然おかしくなっていく。レイの呟きは混乱を招くに十分だった。しかし。

「こっち。」

混乱しかけた場をルルの一言がとりなした。

「なんでわかるの?」

方向感覚が信用できない以上、あとは記憶力の問題である。進行方向に見えていた景色がどのようなものであったか、あるいは先頭にいた人の立ち位置がこの数瞬でどう入れ替わったか。普通これだけ周りの風景が変わらない場所を歩いていたら記憶も曖昧になるだろうし、そもそもそんなに周囲を観察しながら歩くことをしないのが普通である。リンが問うのも当然で、しかしルルは質問の意味がわからないと言うように首をかしげるだけだった。

「まぁ、とりあえずこっちなんだな?」

コウがルルに問う。ルルはなおも不思議そうな顔をして、黙って頷く。

「なら、信じるしかないよな。」

ミナがその場をまとめる。誰からも反論はない。今の状況では、自信のあるものの意見を信じることが最良であると誰にでも思われるだろう。

 レイはこの場においては全く使い物にならない方位磁針をポケットに戻す。一同はルルの指差した方向にまた真っ直ぐに進み始めた。


 いくらか進んだ先である。どんどんと闇が増していく以外は、いくら進んでもあまり変化のない背の高い存在感のある木々が立ち並んでいるだけで、全く変化がない。

 森の中で迷わないようにするためには、通った道がわかるように気の幹に切り込みを入れる、と言うのもあるけれど、精霊「コダマ」は木に取り付くと言われているから、容易にそんなこともできない。今は何故だか無関心を決め込んでいるけれど、いつ気が変わるかわからない。だから当然、「コダマ」が住んでいるかもしれない木の幹に印をつけていくことはできない。

 しかし、そんな木々の間を、先頭になったルルはなんの迷いもなく進んでいく。あまりにもズンズン進むから、信用してもいいような、とても心強い気がしてくる。

「しかし、いくら進んでも同じ風景だよな。」

コウがうんざりしたように呟く。

「そう、ね。」

ルルがやはりうんざりしたような態度で同意する。しかし進む足は止めないで。

「あ…。」

と、なんの合図もなくいきなり立ち止まるから、五人は各々前にいる人の背にぶつかる。

「どうしたんですか?」

リンの背に勢いよくぶつけた鼻をさすりながら、レイがルルに尋ねる。

「あれは…?」

 ルルが指差した先、目の前に唐突に現れたのは、木造りの建築物だった。宮殿、と言い直してもいい。それほどまでに荘厳で広く、そして美しいのだった。外壁などはなく、森のど真ん中になんの脈絡もなくポツンと立っているそれは、いわば森に守られた隠れ園のようでもあり、あるいは森に閉ざされた小さな閉鎖空間のようでもあった。ひどく素晴らしいそれだけれど、中に気配はなく、周囲に漂う強いエネルギーに対して異様なまでの静寂を保っていた。

「なんなんでしょうね、これ?」

 レイが今やおきまりの疑問符を空中に浮かべる。

「何にせよ、なんかスゲーよな。」

感激しすぎてか、頭の中がからっぽになってしまったかのような思考停止な言葉がコウの口から漏れる。

「そうね。」

「でもなんでこんなところにあるんでしょう?」

「さぁ…。」

なんの脈絡もなく立っているその宮殿だが、その静的で厳かな雰囲気は森の薄暗く静謐な雰囲気によく似合っていた。むしろ違和感がなさすぎて、進行方向のすぐ横にズレた位置にあるだけなのに見落とすところだったほどだ。

「行ってみよう。」

コウがいう。反論はない。どちらにせよ大きく進度を変更するわけではない。


 その建造物に近づくにつれてなんとも言えない、甘いような、それでいてベタつかずスッキリとした匂いが仄かに感じられた。

「いい匂いですね。」

「ヒノキだな。」

小動物か何かのように鼻をヒクつかせていうレイに、ミナが答える。植物に詳しい者が一人もいないから、森の中に生えている広葉樹やら針葉樹やらをそれ以上細かく分類することはできないが、ミナはヒノキの独特な匂いには覚えがあった。

「ヒノキってどんな木ですか?」

「えぃと…。」

答えに詰まる質問だった。残念ながら実物を見たことがあるわけではないのだ。

「しかし、すごいな、ほんとに。」

結果的にミナに助け舟を出すようなタイミングで、コウが呟く。

「でも、見た感じ誰もいなそうですよね。」

「そうね。」

 近づいていくと、その宮殿がどれだけ古いものかが、自ずとわかる。外に晒されている部分の木材はささくれて、苔むしていたり、腐りきっていたりする。いくらか歩いて裏手に回ると、そこにはそこそこの広さを持った庭らしきところがあって、その庭を眺めるためなのだろう、縁側もあった。しかし縁側部分の床もかなりガタがきていて、みるからに今にも抜けてしまいそうな床板が何枚もある。この宮殿はくの字型になっていて、庭を取り囲むようにしてほぼ直角に細長い建造物が二つくっついたような形をしていた。

「どうします?これから。」

確かに凄いことは凄いけれど、古すぎて中に入ることもできないし、これ以上散策しても収穫はなさそうである。

「ここは安全かしらね。」

「どうだろうな。」

危険はあるけれど、ここで朝を待つという手もある。この暗いのは日が傾いてしまったから、というのもあるだろうから、また日が昇るのを待てば多少はマシになるかもしれないのだ。それに、何もない森の中で眠るよりは建築物の近くで眠ったほうが安全であるような気がする。それは、単純に文明人だからかもしれないが。

「でも、どちらにせよこの森はあまり長居したくないよな。気分も悪いし…。」

宮殿を見つけた感動で多少気にならなくはなっていたものの、やはり磁場の影響か頭痛と吐き気は持続している、はずだが。

「そう言えば、あんまり気分は悪くないですね。」

ここは比較的磁場が安定しているのだろう。気分の悪さがいくらか軽減されていることに、誰からともなく気づいた。確かに、そうでなければ誰だかわからないこの宮殿の持ち主もまともに生活できなかっただろう。

「そういえば、『コダマ』や『白』の狐らしき奴らも見ないよな。」

「何かの勘違いだったのでは?磁気がとち狂っただけのただの森だったんじゃ?」

「でも、あれだけ巨大な鳥居がそうそうあるか?」

「そうだよな。」

「嵐の前の静けさってこともある。」

「そうね。」

「早く森を抜けた方がいいよな。」

 今はとにかく進むしかないという結論である。

「そう言えば、ここなら方位磁針も使えるんじゃないか?」

ミナがそう発言する。仲間であるルルを信用していないわけではないが、一応裏付けは欲しい。レイもすぐに方位磁針を取り出し、それを見つめる。

「西はこっちですね。」

「おぉ…。」

やはりこの周辺は磁場が安定しているらしかった。レイの指差した方向は今までルルに従って進んできた方向と一致する。

「じゃあ、行きましょうか。」

リンの一言で一行はまたルルを先頭に薄暗い森の中を歩き出した。


 さらに進んでいく、どれだけ歩いたかもうわからない。この森の広さは、想定の数十倍広かったらしい。一日どころか、多分もう数日間はほとんど休むこともなく歩いているだろう。しかし未だ一寸の光すら見えない。

「神隠しにあったんじゃないか、俺らは。」

「それか、気づいていないだけで初めから幻術にかかっていたんじゃ?」

コウとレイが不吉なことを言うが、それも反論仕切れない状況である。

「何か目印とかないんですかね?」

「矢印とかな。」

「こいつら幻覚見え始めそうな顔してるぞ、大丈夫だろうか。」

「大丈夫でしょ。」

先頭はルル、それに続くのがレイとコウで、かなりふらふらしている。最後尾のリンとミナはなんとか平静を保っているが、それでも不安はある。辺りは相変わらず薄暗い。そして、水不足の問題も持続中。さらに今、一つの問題が。

「なんなんでしょうね、この音。」

乾いた空気の中に響く革張りの太鼓の音のような、あるいは火打石を二つ振り合わせたような、不思議なカッとかコッとかいうような音が辺りに満ちていた。嫌な感じはしないけれど、不気味ではある。

「コダマの出す音とかじゃないか?」

「どこで得た情報ですか?」

「アニメ。」

「信用ならないですね。」

ちなみにコウとレイがやっているこのやりとりは、かの不思議な音がし始めてからこれで十二回目である。そんな二人のことは完全にスルーする。

「終わりが見えないのはいつものことだしな。」

ミナが言い聞かせるようにいう。

「そうね。」


 どこまできただろうか。完全に甘く見ていたことだけはわかる。一日で出られる、というのは今となってはまったくバカバカしいことこの上ない話だ。もちろん、それを迂回していたら水もない中あの蒸し暑い原野をどれだけの距離歩くことになっていたか、というのも一理あるが、その場合にはこれほどの心的負荷はなかっただろう。

「なんなんでしょうね。この音。」

「コダマの出す音とかじゃないか?」

「どこで得た情報ですか?」

「アニメ。」

「信用ならないですね。」

二十五回目である。

 不思議な音は進めば進むほど大きくなっていく。慢性的な水不足、頭痛と吐き気、変わらない風景と暗さからくるストレス、そしてこの音。気分はどんどんと沈んでいく。レイとコウのやり取り以外は誰も何もしゃべるものがない。

 ルルは無感動な顔をして、どんどんと進んで行き、四人はそれにただ付き従うのみである。


「なんなんでしょうね。この音。」

「コダマの出す音とかじゃないか?」

「どこで得た情報ですか?」

「アニメ。」

「信用ならないですね。」

このやりとりが記念すべき四十回を達成した時、誰よりも長い間ずっと押し黙っていたルルが突然に何やら呟いた。

「そこ、を、とおる、のは…。」

「え?」

ミナが聞き返す。

「この音。」

「え?」

思考停止寸前のガンガンする頭では言葉の真意が読み取れない。

「音が数字に、変換できるの。カッて音が1でコッて音が0。あとは同じ音階の音が同じ順序で、ズレながらたくさん流れてるだけ。」

「暗号ってこと?」

「二進法の一つの数につき、一音を当てはめてるだけ。本人は暗号のつもりじゃない、と思う。」

「すごいな、なんで気づいたんだ?」

「たまたま、お姉ちゃんに教わった、のを思い出しただけ。」

アルは一体妹的立ち位置のルルに何を教えていたというのだろうか。アルはルルを何に仕立てあげようとしていたのだろうか。甚だ疑問である。

 しかし、それは今はどうでもいいことである。それ以前に、何故人間を否定してきた『コダマ』が、人間が生み出したはずの二進法を知っているのか。それとも自然の中には人間が発見する前から多くの規則的な数学的な事物が存在するというが、それと似たようなものだろうか。そもそも人間の言語も数学的な理論に則っているのだから、それを鑑みればおかしな話ではないか。

 と、考えるほど頭が痛くなる一方である。それにこの類の疑問はいくら考えても無駄ということは今までの旅で重々わかっていることだった。

「それで、なんて言ってるんだ?」

「そこを通るのは何者か。」

「答えるべきだろうか?」

「わからない。」

「だよな。」

「どうすればいいと思う?」

後ろを振り返り、会話に参加していなかった三人に問う。

「答えるべきじゃないか?」

「どちらにせよこのままじゃみんなどうにかなってしまう、です。」

コウとレイが答える。リンも二人の意見に頷く。多分、これ以上何も変わらない状況が続けば、誰からともなく精神を病んでいくだろうから、それよりは何事もマシという考えなのだろう。それに、「コダマ」や「白」の狐の話は有名な噂だが、逆転的にいえば噂の域を出ないわけで。どうなるかというのは、無知である以上結局五分五分、コイントスと同じなのである。

「俺たちは旅のものです。あなたは?」

するとあの不思議な音が一瞬止み、返事らしい音が返ってくる。一斉にいくつもの音が聞こえた今までとは違い、今度は特定の一音だけが聞き取れる。多分人間でいえば一人の代表だけが話している状況に該当するのだろう。かなり長い間人が続き、やがて止む。

「出て行け。」

ルルが通訳する。長い時間かかったわりに訳が短いのは気になるが、それは一旦置いておく。

「出ていくための道を探しているんです。」

リンが答える。また返事らしい音があって、しばししてまた静かになる。

「早く出て行け。」

「取り合う気がないな。」

コウが横から口を挟む。

「どうすれば、早く出られるでしょう?」

長い嫌な沈黙があって、やがてまた音がする。

「出て行け。」

ここにきてレイはカチンときたように怒った声で答える。

「なんで利害が一致してるのに協力しないんですか。そもそも何者かも名乗らずにただ、出て行け、とだけ言い続けるのは幾ら何でも失礼ですっ。」

レイの周りが一瞬白く点滅する。敵意のあるエネルギーが体の周りに集まっている。普段はこの程度では怒らないレイだが、状況が状況だけに切羽詰まってしまったのだろう。

 また長い沈黙があって、やがて長い返事が返ってくる。

「私は『コダマ』。最上位格の、精霊。」

言葉は途切れたが、すぐに続きがあり、ルルがそれを翻訳する。

「旅のもの、よ。南に進め。」

それ以降は音も止んで、ただ静かで薄暗い森の風景だけが残った。それ以降はいくら話かても何も返事はなかった。


 東に向かい始めて数日。辺りが少しずつ明るくなってきているのに気づく。体調不良も少しずつだが確実に軽くなっていった。木々の間隔も広がっていく。

 そして。

「光ですっ。」

レイは嬉しそうに前方を指差す。そこには確かに、微かではあるが光が見え、そこが森の途切れるところであるようだった。

はいどーも。完全無欠の完璧狐、花宮玄狐です。

1、コダマの話は駆け足です。特に新キャラもなく。この場所がここで出てくることに意味があったので、これでいいのだ…と思いたい。

2、誤字は教えてくれると嬉しいです。

3、コダマの最終回の投稿が数時間後にあると思われますので、そちらもよろしく。

それでは、また。

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