微睡む日々の終わり
最後の日、その瞬間まで穏やかに終われば良いと思っていた。
だから『その日』が突然来て、ラフィースもセラフィエルも、今まで感じたことの無い悪寒に総毛立ち、夢うつつだった意識が一気に覚醒し、ピリピリとした緊張が走る。
「小夏さん、いや水月さんだね。が、死んだよ」
神がやってきて告げる。
「何故! お前の言う世界の終わりではないんだろ!?」
「事故死だよ。人を助けて代わりに死んでしまった」
ラフィースの激昂を受けて淡々と返す。ラフィースは何かを言い返したかったが何もいう事が出来ず悔しそうに口を閉ざすだけに終わった。
「今、私とそちらの神々の力を合わせて、彼女を転生させるための準備中なんだけど。君たちの気持ちは決まったかい?」
「……ああ」
「どっちだい?」
「……聞いてどうする」
「そりゃ聞きたいよ。関わった身としては」
神は笑う。彼が来ている時はセラフィエルは極力話しかけることはなかったが、ラフィースの代わりに答える事にする。
「蘇ります。新たな星神として、俺も含めた形で」
セラフィエルの言葉にラフィースは教えるなよっていう表情でセラフィエルを見て、ふてくされた顔をした。
「そう。なら、餞別として、こっちのゲームシステムを君たちにも使えるようにしよう」
「何故?」
「そんな事してもらわなくても、向こうでなら自由に力が使える」
「でも、要らないってなると、小夏ちゃんがシステム画面を見せようとした時、見られないけどいいの?」
「「もらう」」
「……素直になったねぇ、君たち」
少し呆れながら神は言った。
「あ、あとラスティスも君らが戻ったタイミングでこっちの記憶、受け継がすから、もう敵対する事はないはずだ」
「……本当に勇者の魂を借りたのか?」
「そう言っただろ?」
「……姉上達が貸し出したんだよな?」
「うん。ちょっとずつだけど聖剣で浄化できるよっていったら、すっごい笑顔で渡してきてくれたよ」
ラフィースの言いたい事を理解した上で神は答えた。
ラフィースは苦虫を噛み潰したような表情を作り、神は笑いながらプレゼントボックスを渡してくる。ラフィースはそれを受け取り開ける。
彼が言うゲームシステムを使うための力だ。
「じゃあ、私のかわいい子達をよろしく頼むよ」
「……出来うる限りの事はする」
「そう言ってくれると助かるよ。君は人が好きな神らしいからね」
笑顔で手を振る神。ラフィース達の体も徐々に元の世界の方へと移動が開始される。
前を向き近づいてくる境界を眺める。元の世界の事を思うと複雑な思いがした。それでも前とは違う。きっと前よりはあの世界を好きになれるだろう。そう思えるだけの経験をこの異世界でした。
セラフィエルは振り返り、礼を言おうとしたが、開きかけた口を閉ざす。
神は頭を下げて二人を見送っていた。
ラフィースもそれを見て驚く。どう見たって彼は頭を下げる立場ではない。
ラフィースは今からする事に必要な力と余るであろう力を瞬時に計算し、貰ったプレゼントボックスに残りの分の力を全てつぎ込んで神へと投げ返した。
「使ってくれ! 次に来る子達のために!」
「ありがとう! 【星神の加護】、喜んで使わせて貰うよ」
プレゼントボックスを受け取り、神は嬉しそうに笑った。
境界を越え、その姿はもう見えなくなった。
水月とはアバターの姿でしか会った事がなかった。
水月を追って元の世界へとやってきた二つの魂は初めて、本物の水月を見た。
アバターの様に作られた「美」ではなく、人の温かさを持ったかわいさがあった。
死んで、これから異世界へと行くという事に若干の戸惑いを見せていたが、それでも二つの魂を抱いた時、ほっとした表情を見せた。
ただ、これから何が起こるか分かっている二人からすると罪悪感が募る。
何故なら次に彼女が見る光景は。
魔王セラフィースが勇者ラスティスに討たれるその瞬間なのだから。
「いやぁぁぁぁぁぁぁあああああぁ!!」
それは作られた物とは違う本物の死を臭わせていた。
これ以上ないほどの悲鳴が水月の口から出た。
目を大きく開き、動揺しているのに、その目は必死にセラフィースの容態を見ている。
体を貫いた聖剣からは血が零れ落ちている。
勢いよくではなく流れるようになのは、貫かれているせいだ。それでもセラフィースから流れる血は地面で、血溜まりを作っている。
「だれ!?」
「まだ魔族がいたのか!?」
『聖女』と『聖騎士』が第三者に驚いて振り返る。
奇しくもその言葉と行動が水月の硬直を解いた。
呆然としている暇はないと。
「どけ!! 『パラライズ』」
怒鳴ると同時に水月は麻痺の魔法を発動していた。
聖女と聖騎士そして、その奥に居た勇者も一緒に魔法にかかり地面に倒れる。
復活の魔王のコンプリート記念にと神が用意していた加護と賞品は今では水月をトッププレイヤーどころか、№1に押し上げていた。
本人が表に出てこなかったからトッププレイヤー並な実力を持っているくらいの認識でしかないが、ゲームで言えば真ん中くらいの実力しかない勇者一行が勝てる相手ではない。
ただ焦っていたために水月も四人目がいた事には気づいていなかったが。
彼女の頭にはもう魔王セラフィースを助ける事しか残っていなかった。
セラフィースに駆け寄り、水月は絶句する。セラフィースの体の所どころが消えかかっている。
「せ、セラス!? こ、コレ抜けば大丈夫!?」
触って状態が悪化するのが怖くて、聖剣を指さして水月は尋ねてくる。
「……なに……も……だ?」
自分を心配する様子の水月に、彼女の記憶が無いセラフィースは戸惑いながら尋ねた。
気づけば聖剣の浄化とは別の力が流れてくるのが分かる。
何が起こったのか、堰を切ったようにラフィースの力が増していき、聖剣の力が弱まっていく。
失敗なのかと戸惑ったが、増していく力が思っていた力と違う気がして、セラフィースが戸惑っている所でやってきた水月がさらに困惑するセリフを吐いてくるのだから戸惑うなというほうが無理だった。
「あ、あなたの知らない世界で貴方を救おうと頑張ってた者その1です」
「な……んだ、そ、れ」
「ホント、ホントだよ? セラフィース……」
涙を流しながら、自分を救おうとする少女。自分が知る回復魔法から知らない回復魔法まで。持っている回復アイテムも試して、それでもこの消滅は止まらない。
「ぅ、うう、うぐ、ひっく」
謝りながらも、効果のありそうなものを次々と試していく。
両目から流れる涙。かわいい泣き顔とはけして言えないであろうその顔は悔しさと情けなさと、死なないでと強く願う者の顔だった。
「…………」
(思えば、こんな風に泣いて貰ったことないな……)
その強さ故に、無茶を平気でやっていた。
「無茶をするな」と一言を言われることはあったが、本気で怒られた事も、心配される事もなかった気がする。
信頼されていると思っていたが、信頼ではなかったのかもしれない。いや、信頼はあったのかもしれないが、好かれてはいなかったのかもしれない。
「ごめんなさい、ごめんなさい。ごめんなさい。助けられなくて、ごめんなさい」
なぜ、会った覚えの無いこの少女がここまで謝るのかセラフィースには分からなかった。
それでも、嬉しかった。
ああ、こんな風に泣いてくれる人が自分にもいるのだと思うと、セラフィース、いやセラフィエルの方が泣きそうな気分になった。
「……運命だ……。気にするな」
「気にするよバカァ!」
「あり…………う」
言葉一つと小さな笑みを一つ。
そして彼は消えた。
欠片も残さす肉体は消え、真っ白な魂が一つが現れて上に登ると、それはセラフィエルとラフィースに分かれ、そして水月が持っていた二つの魂がその後を追い舞い上がる。上空でクルクルと回っていたそれは、やがて一つとなって、当然のように、水月の手元に滑り落ちてくる。
水月はそれを両手でそっと抱え込む。また救えなかったと、涙を零しながら。
「驚きましたわ……。まさか、まだ魔族に生き残りが居たとは」
高圧的な声がかかり、水月は振り返る。先ほどまでの表情は消え、自分から大事な者を奪った者へ冷たい瞳を向けた。
本来麻痺はこんな短時間に回復はしない。ならば回復させた存在がいるはずだと視線を一瞬さ迷わせて、取りこぼした少女を見る。姿から見るに魔法使いだろう。
水月は立ち上がる。
憎い。憎くないかと問われたら憎いに決まっている。
しかし、水月は知っている。ここにいる誰よりも、セラフィース自身が自身の死を望んでいたことを。水月は立ち上がり、再度四人を睨み付けた。
セラフィースが望んだ。だから、見逃す。
「ラスティス」
水月が声をかけるとラスティスはどこかぼんやりとした視界を向けた。
麻痺により地面に倒れた衝撃でなのか、いくつもの夢を見た。いくつもの人々の思いを見た。
無責任に笑う者も。悔しそうに顔を歪める者も。苦々しく顔をそらす者も。そして怒った者達。
何人もの人達と、物語の終わりを見た。
一つしか無かった物語の終わりを二つに成し遂げた人物。
夢の中で何度も会話をした人物。
あり得ない人物が目の前に、見たことのない程冷たい眼差しで、自分を見ていた。
「……満足?」
「え?」
「魔王を倒した。邪神も……ううん、邪神の邪気も祓って、彼は星神ラフィースに戻った。満足?」
「……それは、まぁ」
今、自分に何が起こっているのか分からずラスティスはほんの数分前までの、妥当セラフィースをかざしていた頃の自分の気持ちを思いだして頷く。
「そう。良かったね。これで君も救世主だ」
「えっと、そう……かな?」
彼女がそういうのに違和感を覚えてラスティスは首を傾げた。
「……君もセラスのようにならないようにね」
その言葉は皮肉めいていた。
しかしそれが今の彼女に出来る精一杯の思いやりなのだと理解した。
夢は夢ではなく。彼女達にとっては現実で。
ふざけんなよ!!! と怒鳴った男性の声が二つ耳の奥で木霊する。
救いたかった。生きていて欲しかった。
彼女達はそう悔しそうに怒っていた。
彼女達ほどではなくても、必死になっていた面々は不満げな顔を見せていた。
セラフィースの事情を知らなかった自分達とセラフィースの事情を知っていた彼らとは最初から温度差があって当然なのだろう。
世界が魔王に蹂躙された。
世界中の人間がそう思っていても違うのだ。
最小限の被害になるようセラフィースは邪神の破壊衝動を抑えていたのだ。爆発しないようにガス抜きをしていたのだ。
確かにそのせいで亡くなった命はある。そういう人達に受け入れろといっても無駄だろう。
彼女達にとってはゲームであり現実ではないから魔王の肩を持てるのだと言えるが、根本にあるのは利己的な考えと裏切りなのだ。
そして、勇者となり偉業を成し遂げた自分も同じように権力者に良いように使われる可能性もある。
ラスティスは、ゲームで見たセラフィエルの過去を思い出し小さくそれでもしっかりと頷いた。
「ちょっと、見つめ合わないでください! さては貴方! 勇者様に魅了をかけるつもりですね! しかし残念ですね! 勇者様に魅了は効きません!」
「知ってる」
その言葉にラスティスは苦笑する。
この世界にはゲームの様に分かりやすいパラメータはない。なので、ラスティスも数値化された自分というのをゲームの世界で知ったのだ。
だから確信がある。自分よりも、目の前の少女は自分の事を知っているだろう。と。
「気にくわない女ですわね。ああ、魔族ですから気にくわないのは当然ですわね。さあ、その魂を渡しなさい」
「嫌よ。ふざけてるの?」
「ふざけてなんていません! 魔王と邪神を完全に消し去らなくてはいけないんです!」
仲間の言葉にラスティスの方が驚いた。
これ以上、彼らから何を奪うつもりだ、と。
「待ってくれ! あの魂はもう邪神じゃない! 聖剣の力で浄化されて星神に戻っている!」
「そうなのですか!?」
「そうだ!」
「……分かりました。でも、それを魔族の女に渡しておくわけにはいきません。さあ、それをこちらへと差し出しなさい」
その要請を水月は無視して立ち去ろうとした。
その行く手を阻むのは聖騎士だ。
ラスティスはどうしようかと悩む。
聖女はとある国の姫で、聖騎士はその国の騎士だ。自分の言葉よりも聖女の言葉の方が優先されそうだ。それにそもそも。止められるとは思えない。
魔法使いの少女がラスティスにどうするのかと視線で問いかけていたが、軽く否定して静観の構えを取る。
魔法使いは杖を握りしめながらもラスティスの隣で見守る事にした。
実際に二人が見守るなか、彼女は霞の様に消えていく。
「まて! 逃げるな!!」
「待ちなさい!!」
二人の言葉を無視し、水月は消えていく。
「……転移魔法……ほぼ、伝説級の魔法ですよ……?」
「それで驚いてたらこの先、大変だよ」
「え"!? それってどういう意味です!?」
ラスティスは呆然と立ち尽くす魔法使いに声をかけて、地面に落ちたままの聖剣を拾い鞘に収める。
ここでやるべき事はもう終わった。
「帰ろう」
三人にそう声をかけつつ、これからどうするか真剣に考える。
魔王を倒した事による充足感よりも、これから先自分の扱いがどうなるかの方が気になった。
(とりあえず、どっかの神殿に駆け込もうかなぁ……)
魔王を倒した後は、物語のように美しい姫(聖女)と恋仲になれるかも。なんて思っていたが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。
聖女が自分に優しくしてくれたのも、綺麗な微笑みを見せてくれたのも、最終的には自分がそう思うように仕向けたものだ。
(……お姫様ってのは、か弱い者だと思ってたけど、いやはや流石に『国』に関わる人は凄いね。強かだ。むしろ怖いくらいだ)
今も先ほどまでの剣幕などなかったようにすすだらけで、それでも美しく微笑んでいる少女に、ラスティスも頑張って笑顔を返す。
四人はぼろぼろになりながらも、しっかりとした足取りで、魔王城を後にした。
次がラスト。10日0時