老剣士と、山の朝
村の外れに、一人の老人が住んでいた。
名をグレンといった。七十に近い年齢で、背は高いが少し曲がっていた。白髪を短く切り揃え、右手に古い杖を持っていた。杖といっても、実質的にはただの木の棒だ。表面に細かい刻み傷が無数についている。
村人たちは彼のことをあまり語らなかった。「昔は何かをしていたらしい」「王都から来たらしい」という程度の話は聞いたことがあるが、詳細は誰も知らないようだった。
俺がグレンと初めて話したのは、鑑定から一か月ほど経った秋のことだった。
朝の山道を歩いていた。
最近の俺の習慣だ。日が昇る前に起き、村の外れから山に続く道を一時間ほど歩いて、帰ってくる。魔素の濃度を測るためと、体を動かすためと、ついでに頭を整理するため。前世でも夜の散歩は好きだったが、この世界では朝の方が空気が良かった。
山道の途中に、岩が積み重なった開けた場所がある。そこから村が見下ろせる。俺はよくそこで立ち止まる。
その日、その場所にグレンがいた。
椅子も持たず、ただ岩の上に腰かけて、村の方角を見ていた。
俺は足を止めた。引き返そうかとも思ったが、老人がこちらを向いた。
「子供か」
静かな声だった。
「はい」
「こんな朝に、何をしに来た」
「歩いてます」
グレンは少しの間、俺を見た。品定めしているのか、ただ観察しているのか。前世の感覚でいえば、面接みたいな目だった。
「お前がアレンか。適性なしと出た子だな」
村は狭い。何でも知られている。俺は頷いた。
「嫌か」
「何が」
「そう言われることが」
少し考えた。正直に答えることにした。
「最初は少し嫌でした。今はあまり」
「なぜ」
「どうせ変わるから」
グレンはわずかに目を細めた。笑ったのかもしれない。しわが多すぎて読み取りにくい顔だった。
それ以来、俺は週に一度、その場所でグレンと会うようになった。
会話は短い。挨拶を交わして、しばらく黙って景色を見て、ぽつぽつと言葉を交わして別れる。それだけだ。
ある朝、グレンが言った。
「お前、何か鍛えてるか」
「魔素の循環です。毎日やってます」
「見せてみろ」
俺は少し迷ってから、手のひらを上に向けて意識を集中させた。体内の魔素を動かす。循環ではなく、末端に集める。掌の方向へ。
グレンが覗き込んだ。
「……光ってないな」
「はい」
「でも、動いている」
俺は驚いた。「見えますか」と聞いた。
「見えるというより、感じる。長く生きると、そういうことがわかるようになる」
グレンが元何者なのかを知ったのは、その日の帰り際だった。
別れの挨拶をしようとした時、グレンが独り言のように言った。
「俺は若い頃、王国の剣士団にいた。三十年いた。引退してここに来た」
俺は足を止めた。
「なぜ、ここに」
「静かだから」
それだけ言って、グレンは目を細めて山の向こうを見た。
「剣士団では、何でも適性で測られた。体格、反射、属性。俺は数値が低かった。それでも三十年、残った」
俺は何も言わなかった。
「生き残り方は一つじゃない」
それが、その日のグレンの最後の言葉だった。
家に帰る道すがら、俺は考えた。
この世界に来てから七年。ガイに言われたこと、エルナに支えてもらったこと、グレンに言われたこと。全部バラバラなようで、どこかつながっている気がした。
才能があるから進む、ではなく。
ないから諦める、でも絶対にない。
前世の俺は、仕事の才能があったかどうか、結局わからないまま死んだ。でも十年走り続けたのは確かだ。走り方が間違っていたかもしれない。でも走ること自体は、嘘じゃなかった。
(この世界では、ちゃんと走ろう)
村が見えてきた。炊煙が上がっていた。アリスが朝飯を作っているのだろう。
玄関に入ると、エルナが待っていた。
我が家の玄関で、腕を組んで待っていた。アリスが困り顔で奥から見ていた。
「どこ行ってたの」
「山」
「また? 毎日?」
「週一くらい」
「なんで教えてくれないの」
エルナは頬を膨らませた。七歳でも、この顔は迫力があった。
「一人で行きたかったから」
「じゃあわたしも一人で行く」
「何が言いたいんだ」
「つれてって」
俺は少し悩んだ。
「……来週」
エルナはぱっと顔を輝かせた。
「ほんと? 約束ね」
「約束」
アリスが奥から笑い声をあげた。
朝食の後、俺は部屋で魔素の循環を行った。
七年間、毎日繰り返してきた感覚。最初は意識しないとできなかったが、今は呼吸と同じくらい自然だ。
体内の魔素が、いつもより少しだけスムーズに動いた気がした。気のせいかもしれない。でもグレンに「動いている」と言われてから、少しだけ手応えが変わった気がする。
(誰かに見てもらうと、違うもんだな)
前世でも、コードレビューをしてもらうと気づかなかったバグに気づいたりした。一人で延々と作業するより、目が二つ増える方が正確になる。
(グレンに、もう少し聞いてみよう)
俺は目を閉じた。
アレン・ミラー、七歳の秋。
師匠と呼べる人間との、最初の出会いだったかもしれない。
五話まで読んでいただき、ありがとうございます。
グレン爺さん、気に入っていただけたでしょうか。こういうキャラを書くのが一番楽しいです。
派手な展開はまだ先ですが、アレンが少しずつ「自分の形」を見つけていく過程を、丁寧に書いていくつもりです。
感想や評価、気が向いたらぜひ。励みになります。
次回は、エルナとの山歩きと、グレンとの稽古の始まりです。
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(次回)
第六話「稽古、はじめます」
グレン爺さんに頼んだ。「俺に何か教えてほしい」と。
老人は一言、「うるさい」と言った。でも翌朝、山道に立っていた。




