第十三話 鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす
「ちょ、ちょっと待ってよ。絶対ダメだよそんなこと! そんなの、何のためにここまで来たのか……。すずりも、なんで黙ったままなの!?」
「私ちゃんは既に邪美から聞いていましたからネぇ。覚悟は決まってますヨぅ。大丈夫です。痛くもなんともないらしいですからネぇ」
覚悟って……。
しおりに書いてあること、全部やろうって、言っていたじゃないか。
「邪美さんも、あなたの子でしょう? 止めないんですか?」
縋るように邪美に訴えかけたが、彼女は不思議そうに首を傾げた。
「止める? すずりも受け入れていることですから、わたくしが口を挟むことは何もないと思いますけれど」
そうだった。この神は、すずりを呼ぶために火傷を負わせた張本人だ。
目的のためなら自分が生み出した存在でさえ躊躇なく切り捨てる。それが、神だと、さっき思い知ったばかりだった。
「すずり! わたしと逃げよう!」
いつぞやの公園の時みたく、わたしはすずりの腕を掴み、その場から立ち去ろうとした。しかし、呆れたような表情の邪岐に行く手を阻まれた。
「なんですずりなの? そうだ、わたし! わたしがすずりの代わりになるから」
「何をそんなに必死になっている。無理だ。非力な人間である貴様では、すずりの代わりになることはできない。巫女になるのと世界創造はわけが違うのだ」
「つらら、私ちゃんなら大丈夫ですヨぅ。だから、そんな顔しないで、笑って見送ってくださいヨぅ。でも、つらら、そんなに好きだったんですネぇ」
「当たり前だよ! わたしがどんな気持ちで……。あ、待って、行かないで!」
わたしの腕が振りほどかれ、すずりが邪岐に連れて行かれる。
わたしはそのぼやけた様子を、眺めることしかできなかった。
「すずり……」
すずりの背中が見えなくなって数分後、耳をつんざくような音が島中に響き渡り、創造が始まった。
盾状火山からマグマが流れ出るかのように、頂上から下へ、ゆったりと世界が形作られていく。解体された木は建築物となり、枯れた花には再びつぼみが、雑草には果実が実り、やがて、山が平らになった。
僅か3分で、人の住む世界が完成した。
きっと、感動的な光景なのだろう。けれど、この美しさが、すずりの犠牲の上に成り立っているのだと思うと、そんな気分には浸れなかった。わたしが見たい世界は、こんなものじゃなかった。
「わたしは、すずりと一緒に、新しい世界を生きていたかったのに」
「なら、これから叶いますネぇ」
振り向くと、すずりがいた。ただ、何かがおかしい。変わっている。顔に巻かれた包帯のことではない。何かが、決定的に違っていた。
「なんだ、幻覚か……」
もう限界みたいだ。
何だか、疲れた。すずりとの未来を迎えるためにここまで来たっていうのに、こんな結果が待っているなんて。騙し討ちじゃないか。
憎い。神が憎い。桂木先生もそう言っていた。
「あ、そういえば、桂木先生が持ってた短剣、舟に落ちてたっけ」
のろのろと浜辺の方向へ歩き出したわたしは、その短剣で何をしようというのだろう。すずりを失った絶望のまま、自刃するのだろうか。それとも、すずりを奪われた憎しみのまま、神を殺すのだろうか。神降ろしのカムイ、桂木先生のように。
「案外、未来のわたしだったりして」
自分の有り得ない想像が殊の外おかしくって、笑ってしまう。
それにしても、さっきから幻聴が五月蠅い。背中が引っ張られるような感覚もある。
一体なんなんだ。わたしは今、やらなきゃいけないことが――。
「つらら! つらら! 無視しないでくださいヨぅ!」
「……す、ずり?」
「ブツブツ何を言っているんですか? 急にいなくなったと邪美も心配していましたヨぅ」
やっぱり、このすずりは何かが違う。何というか、スッキリしている。
「で、その、どうですか? つらら、どう思いますか?」
「え? 何が? どうって?」
「もう! 髪型のことですヨぅ!」
「え? ああ。あれ?」
そうだ。何かおかしいと思ったら、髪型がまるっきり変わっている。ボリューミーだったツーサイドアップがショートに変貌していた。
「なんで!? なんで髪切ったの! わたし前の髪型好きだったのに。いや、今のもなかなか良い感じだけれど。……うん、悪くない。じゃなくて! 何で生きてるの!? 世界創造のための供物って話はどうなったの?」
「だから、供物は私ちゃんの髪ですヨぅ。つらら、どうやら盛大な勘違いをしていたようですネぇ。てっきり私ちゃん、前の髪型が好きすぎてあんなに嫌がっていたのかと思っていましたヨぅ」
「嘘……でしょ。他のみんなは、知ってたの? わたしが、勘違いで駄々こねてたってわけ?」
「フン。そういうことだ。貴様、人の話はともかく、神の話はちゃんと聞いておくものだぞ。あいや、そもそも我様は話していなかったのだったか。まぁとにかく、貴様はもっと人の言うことを疑え。額面通りに受け取りすぎだ」
「そんなに怒ることないじゃありませんか。つららちゃん、とっても可愛いかったですから」
「邪美さん、もしかしてあなた、わたしが誤解してるの分かってて話を合わせていたんですか?」
「どうでしょうか。そうかもしれませんし、そうでないかもしれません」
微笑を漏らす邪美。心の中では爆笑しているのだろう。
「なに、それ……」
足の力が抜けたわたしは、砂浜の上にへたり込んだ。当分、立てそうにないけれど、走り出したい気分だった。滑稽で、愉快で、爽快だった。
目の前に広がる海、頬をなぞる風、照りつける太陽、全てが、自由だ。黄泉の天にも、高天の地にもなかった自由が、形を持って、わたしたちの前に、横に、後ろに、現れていた。
「つらら。もうどこにも行ったりしませんから、私ちゃんたちはずっと一緒ですヨぅ」
背中合わせに座ったすずりの手がわたしの手と重なった。
「うん。明日から何しよっか」
舟に置きっぱなしのリュックに入れていた夏休みのしおりを取り出したわたしたちは、日が暮れるまで夏休みの計画を練り直した。
「そろそろ家に帰るぞ貴様ら」
仮面もマントも脱いで海水パンツ姿の邪岐。どこから取り出したのかは知らないが、サングラスも掛けている。
あんなにはしゃぐなと言っていたのに、自分が一番はしゃいでいるじゃないか。まぁそれはいいとして。
「家?」
振り返ると、島の形を変えるまでは山の尾根だった場所に、四軒の住居が所在していた。
「おお! 一人一軒ですか! 贅沢ですネぇ」
「いや、違う。我様と邪美は一人ずつだが、つららとすずりは二人で一つの家だ。いいだろう? それで」
「えっ」
すずりと、同じ屋根の下で寝食を共にするってこと?
いや、何をいまさら。昨日の朝まで邪美の家で一緒に生活していたではないか。同じ部屋で寝たし、お風呂だって。
「邪美のはからいで、ベッドは一つしかない。ダブルベッドというやつか? まぁ、この島には今のところ我様たちしかいないからな。いくら声を出しても気にすることはない」
「ちょいちょいちょい待って! わたしとすずりは、そんな爛れた関係じゃないから。ね、すずり?」
「え? ん。んゆ。そ、そうですよネぇ……」
短くなった髪の毛先を指先で弄りながら、曖昧に答えるすずり。
え?
これ、期待していいやつですか?
いやいやいや。好きといっても、別にわたしはそんなことは求めていないし、あくまで健全な関係を築きたいと考えていて。これっぽっちも、毛ほども、期待なんてしていない。
……期待してなんかいないんだからねっ!?
「はぁ」
ここにきてようやく、張り詰められた精神状態から解放されて余裕が生まれてきたのだろう。頭の中が愉快になってきた。
「私ちゃんとつららで一つ、邪岐邪美が一つずつってことなら、残り一つは誰の家なのでしょうかネぇ」
たしかに、誰なんだろう。
「ああ、残りの家は愛宕の分だ」
は?
「愛宕って、あの愛宕? 愛宕山の愛宕? 愛宕神社の愛宕?」
「そうだ。少女趣味の愛宕だ」
すずりとのウハウハ無人島生活に暗雲が立ちこめてきた。暗雲というより、暗煙といったほうが正しいか。何たって彼女は炎使いだ。
「少女趣味? 私ちゃんの姉にあたる愛宕さんって、メルヘンチックな乙女なのですか? フリフリリボンのスカートみたいな? だとしたら可愛いですネぇ。会うのが楽しみですヨぅ」
「少女趣味といっても、この場合は、少女自体のおもむきを味わう、という意味合いだろうがな」
「ん? よく分かりませんネぇ」
「何で呼んだの!? あんな狂人じゃなくて狂神! それに、門で邪岐が愛宕と交わしたあの約束ってどうなるの? 黄泉の天から高天の地に下る時にしてた約束だよ! わたしの貞操ってどうなっちゃうの?」
こうしてはいられない。奴が来る前に、すずりにわたしの初めてを献上しておこう。いや、そうじゃないだろう。
「呼んだのは邪美だからな。アイツが来ることに関しては我様にはどうにもできん。だが安心しろ。あの時の約束は、『黄泉の天に戻ってきた時』と、場所を限定したものだからな。ここで出会ったとしても、貴様が襲われる正当性は皆無だ」
本当だろうか。あの女がそんなことを気にするとは思えないけれど。
でもまぁ、信じるしかない、か。だって、邪岐は神で、わたしは巫女であり、それ以上に、わたしはこの男を信用すると決めたから。
神はいた。けれどそれは、わたしが疑っていたような神でも、いて欲しいと願ったような神でもなく、自分勝手で、滅茶苦茶で、横暴で、悪戯好きで、人間と大して変わらない、むしろ、人間より欠点だらけの、変人たち、否、変神たちだった。
でもそんな、作り物じゃない彼らだったからこそ、わたしは信じることができたのかもしれない。
なんて、綺麗な風を装って締めくくりたいものだけれど、そうは問屋が卸さない。
これからも、新しい世界で生きるわたしたちには、多くの苦難が待っていることだろう。そして、苦難一号である愛宕がもうじき現れる。きっと、息つく暇もない。だから、今のうちに、言っておくことにした。
「すずり、愛してるよ」
天女の笑顔が、わたしの心臓に、氷柱のように突き刺さった。




