第51話 1度目の世界線 錠前の行方
内容を一部変更しました。
「このオーギュスト国王から送られたお手製の錠前を、マリアンナ王妃の形見として神聖帝国皇帝へと送る、と?」
国王の処刑を受けて、実質的な権力を持った急進派のロドリゲスは、下卑た笑いを浮かべてそう言った。
国王の子供たちのガバネスとして王妃たちに侍っていたガルバン最高書記官の娘、アンリエッタが鉛色の無骨な錠前を掲げて願い出た言葉を反芻し、その愚かさに笑いを堪えられなかったのだ。
「時の扉を開けるのか、はは、さすが我が国一の暗愚王だ。そんな神聖教のお伽噺に縋って4年もの歳月を錠前作りにかけるとか正気の沙汰ではないな。良かろう、許可しよう」
「良いのか」
穏健派のラファイエットが渋い顔でそう問うた。
「何、名将ラファイエット将軍ともあろう人が、お伽噺を信じているのか」
「そうでは無いが、わざわざ帝国へ送ってやる必要があるのかと、聞いているのだ」
ラファイエットがムッとした表情でそう言えば、
「あの忌々しい皇帝という座に生まれだけの男に、自分の妹が最期に残したのがこの汚い錠前だけだと教えてやれば良い。帝国の姫、悪役王妃の最期の品が手製の錠前だけなど、笑い種では無いか」
そうロドリゲスが嫌味を加えて返した。
帝国に、皇帝の妹であり、アレス王国王妃 マリアンヌの遺品として、まだ生きている最中であるのに、国王オーギュストの手製の錠前が届けられたのだった。
その頃、帝国では粛清の嵐が吹き荒れていた。
マリアンナが幽閉塔に移され、愈々以て処刑が差し迫っていると知った、北ウエス王国の国王が、後妻に娶った王女カロリーナを地下牢へと折檻の後幽閉した。
憐れカロリーナは誰にも看取られることなく、一人痩せ衰えて亡くなってしまった。
皇帝の暗部がその亡骸を帝国へと持ち帰った、当にその時、アレス王国からまだ生きているマリアンナの形見の錠前が送られたのである。
皇帝カールヨハン1世は、激昂し、共同代表であった母女帝マリアとハデス女王オフィーリア、その王配アルベルトを王宮へ召還していた。
「よくその目でこれを見よ。これがお前が女帝として婚姻を結ばせた娘の亡骸だ。
オフィーリア、アルベルト、お前たちが血の盟約を破棄した後の尻拭いをさせた妹姫たちの最期の姿だ。
マリアンナはまだ生きているのに、形見分けだと!死んでいく様をしかと見よ、そう言う宣戦布告だ。
お前たちが殺すのだ!我が身可愛さの先にある不幸を、よくよく覚えておけ。
ああ、言っておくが、もう私は誰にも遠慮などするものか。
先ずはお前たちに死よりも恐ろしい報復を見せてやろう。
その後は、各々の国に相応しい処罰を与えよう」
そう言うと、母女帝マリアには、死なない毒を与えた。
マリアは何も言わず、その杯を一気に煽った。
苦しそうに身を震わせてはいたが、呻き声一つ溢さずその場に倒れた。
マリアに与えられたのは、言葉と身体の自由を奪う毒。
思いも告げられず、思ったようにも動けず。
ただ、死ぬその日まで生きて、この世界がどう動くのかを見続けろという皇帝からの罰であった。
ハデス王国の女王オフィーリアと王配アルベルトには、王族としての全ての権限を取り上げた。
そして、国王代理として、女帝時代より長く帝国のために、軍部を率いて戦いにくれながら正しく評価されずに、辛酸を舐め戦場に散ったハデス王国生え抜きのジェルジ・ガーボル公爵の実弟にその全権を委任し、彼が任命した側近たちを登用した。
父フランツの時より軍部に寄生した口だけ貴族は一掃され、女王オフィーリアの言うことを聞くものはメイド一人と言えどもハデス王宮には存在しない徹底ぶりであった。
いや、口だけ貴族の主と言える王配アルベルトだけが側に侍っているにはいたが。
幽閉されるよりも更に屈辱的な、周囲の女王と王配への無関心ぶりに二人はお互いにお互いを責め合うことしか出来なかった。
食事も洗濯も、部屋の清掃さえ行われない夫婦の間でお互いを罵り合うも、すぐに根を上げて兄皇帝に泣きつくのだった。
「はは、随分、見窄らしいな。お前たちには丁度良かろう。
カロリーナは何の罪も無く牢屋へ入れられ、アレス王族の罪を背負わされたマリアンナは今、処刑を待ちながら幽閉塔で同じように不自由に過ごしているのだろう。
命の危機がないだけ有り難いと思え。ああ、王宮から出ることは叶わない。
下の妹姫たちに逃げ道は無かったのだから」
そう言われるだけ言い捨てられて、粗末な馬車に押し込められ帝国の騎士の護衛の下、また夫婦の間に押し込められたのだった。
その後、二人がどうなったかは無関心故に、わかってはいない。
人知れずハデス王国の者共に殺されたとも、お互い憎しみ合って刺し違えたとも言われているが、マリアンナが処刑された日にはもう、二人を見かけた者は居なかったそうだ。
そんな兄皇帝は、苛烈な処罰を行っている最中、皇帝の隠れ部屋で自らが先代皇帝より授けられた秘密の鍵を持ち出していた。
カールヨハンは、全く神聖教を信じていない。
祭祀を司る神聖教の頂点に君臨しながら、神話の書かれた神聖典の授業など、幼少期より、意味を為さないと投げ捨てて学ぶ気すら持ち合わせて居なかった。
しかし、アレス国王オーギュストが生前心血を注いで、作り上げたという錠前を目の前にすると、お伽噺と切り捨てる気にもなれなかった。
こんな時、相談できる相手など、アルベルトとの婚約破棄を切っ掛けにして、修道院を建てて世を捨ててしまった姉エリザヴェータただ一人である。
闇夜に紛れて、姉の修道院へと騎馬で向かった。
姉は、自らの全てを奪った元凶である女帝マリアを、カールヨハンの沙汰によって、麻痺に因って言葉と身体が不自由な母を、その修道院へと受け入れ自らが世話をしているのだった。
そんな姉の姿に、思うことがあるカールヨハンではあるが、緊急事態だと面会を希望した。
「カール、お母様から預かっている、貴方に渡さなければならない物があるの」
そう言って、エリザヴェータが取り出したのは、古代大陸語で書かれた表紙が掠れてよく読めないような古い書物であった。
「こ、これは神聖典。こんなものが、」
「これと貴方が受け継いだ鍵、そしてフリード王にお祖父様、先代の皇帝が預けておいた対となる書物、この3つが揃ってこその神の奇跡なのだそうよ」
「姉上、それは誰から、」
カールヨハンが話の途中で言葉を被せると、
「お母様から。
お母様は言葉も不自由で手も震えてしまわれているけれど、根気よく字に記して教えてくださったの。
貴方はフリード王と同じように神聖教になど興味も無く、神も信じて無いのでしょうけれど、お母様は神聖帝国の女帝としてその内容を全て先代の皇帝、お祖父様から引き継いでいらっしゃったのよ。
時の扉の設計図は随分前に紛失してしまったようだけれど、神の采配で、アレス国王の下に渡っていた、それこそが奇跡じゃない?
貴方の持つ彼の遺品が、今、神聖帝国皇帝だけが鍵を持つことが赦されている、その鍵の持ち主である貴方の手に届いたと言うことも。
後は、フリード王が持つその古い教典に示されるように祭事を執り行いなさい。それが貴方が、貴方とフリード王が為すべきことでしょう」
神の声を伝える巫女のような佇まいで、エリザヴェータが皇帝として為すべきことを告げた。
神聖帝国皇帝カールヨハン1世は、ただ黙って頷くと、その古い教典を手にして修道院を後にした。
時を置かずして、リンネ王国のフリード国王の下へと非公式にカールヨハンが訪問を打診する書簡を送った。
『革命の炎が大陸中へと拡大していく。それを止め得る唯一の手段がある。その話し合いを行いたい』
その内容に、苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、面会の許可を出したのだった。
その場には、母マリアが大事に持っていた古い教典と、先代皇帝からフリード王に帝国を女帝マリアを支え一緒に守り立てる約束の品として送られた、同じ表紙を持つ古い書物があった。
カールから渡された、アレス国王オーギュスト渾身の作である複雑な錠前と、皇帝の証しとして代々に引き継がれていく《魔法の鍵》と呼ばれている物があった。
「ワシはこんなお伽噺を信じるほど清らかな心は持ち合わせてはおらん」
顔を歪めて、嘲笑したようにフリード王が言い捨てると、
「奇遇な。私も同じだ。だから、私はこの鍵だけしか戴冠の時に渡されなかった。この教典は母が後生大切に仕舞い込んであったものだ」
カールヨハンが冷たい目を向け無機質な声で言い返した。
「ではなぜ、この状況でこんなことの為に敵国である我が下へとやって来た」
「アレス国王オーギュストはうつけでは無かった。革命軍が喧伝するような暗愚な国王では決して無かった。あの男がマリアンナに最期に託し、マリアンナの形見として我が下へと寄越したのならば、世迷い事と捨て置くことも出来ない」
二人とも向かい合い、眉間に深い皺を寄せて、睨み合っていた。
「なるほど。結果が伴うかどうか、検証することとしよう」
先に口火を切ったのは、大陸一の賢王フリードであった。
その日は明け方まで、お互いの書物を読み解くこととなったのである。
そうして、朝を告げる鳥の囀ずりが聞こえてきた頃、納得のいく仮説が成立したのだった。
「なるほど、アレス国王は得難い人物であったのだろう。そうして、もし仮説通りに時の扉が開いた時には、残念かな、我らはその事実を忘れ去ってしまうのだろう」
フリード王が顎を撫でながら、深いため息を吐いてそう溢した。
「では、その所業は賢王にお願いするとしよう。我はこの魂に全ての記憶を記録するのみ」
カールヨハンがよくわからないことを、真顔で宣言した。
「勝手なことを。では、お主はよくよく、その魂に刻め。後は、わしが為すべきことを為そうぞ」
そうして、オーギュストの錠前と皇帝の《魔法の鍵》はフリード王の手に渡ったのだった。




