痺れ茸の毒(2)
唇が真っ赤に腫れて痺れているため上手くしゃべれないエミリア妃は、部屋の隅まで逃げて顔を両手で覆い、泣き出してしまった。
リチャード様は笑いを引っ込めてそんなエミリア妃に躊躇なく大股で近寄っていき、彼女を優しく抱き寄せた。
「大丈夫。唇がタラコになったエイミィも可愛いよ」
リチャード様の側近は目線をやや上方に向けつつ、そんな主たちを見守っている。
それに引き換えシリアン様とテリーときたら、今すぐにでも大声をあげて笑い転げたいのを堪えているといった様子で肩を大きく揺らし、互いのお尻をつねり合っているではないか。
しょうがない人たちだわねと思いながら、わたしは「失礼」と断って急いで部屋中の窓を開け放った。
部屋に残る胞子があるのなら、それを外へ追い出すためだ。
屋外へ放出された胞子は拡散して薄まるため、窓の外に人がいたとしても害はないはずだ。
痺れ茸はもともと医療用の強力な局所麻酔として重宝されている貴重な素材だが、経口で吸い込んでしまうと唇がタラコになってしまうらしい。
つまり、量さえ間違わなければ「イタズラ薬」にもなる。
イタズラしたい相手の紅茶にこっそり混入したら、数十分後に唇がタラコになり、体内から成分が抜けるまでの二、三日その症状が維持されるわけだ。
プライドの高い貴族であればあるほど、部屋に籠るしかなくなる。
ライバルを蹴落とすために大事な行事に参加させないとか、舞踏会をドタキャンさせてそのパートナーを奪う目的で、ラミが若い頃(一体、何十年前だろう?)にはよく裏取引されていたようだ。
現在それがなくなったのは、薬の取り扱いの規制が厳しくなったことと、痺れ茸が昔ほど採れなくなり全てを医療用に回さなければならなくなったこと、そして薬事法に抵触しないもっと安価でお手軽な「イタズラ薬」が多数開発されたことが挙げられるらしい。
そうして、痺れ茸の形状や取り扱いの注意点、どのような症状を引き起こすか、解毒剤の作り方といった知識は、ごくごく限られた一部のベテラン専門家以外には知られないものとなったのだ。
床でぐったりしている付き人の女性二人は、唇だけでなく瞼まで腫れていて症状が重い。
おそらくこの二人が畑を荒らした実行犯だろう。
早朝に畑で吸い込みまくり浴びまくった痺れ茸の胞子は、靴を履き替えたり手を洗った程度で消え去るものではなく、体中に残っていたはずだ。
その体で犯行を指示したエミリア妃の朝の着替えやお化粧といった身支度を行った結果がこれなのだろう。
本当は、身に着けている服を今すぐここで全て脱げと言いたいところだが、男性たちの前でそれを指示して実行してもらうのはさすがに酷であるため、手短に済ませて欲しいとテリーに目配せをした。